第103話人と鬼の一騎打ち

 鬼の総大将は山のように巨大であると吉備太郎は勝手に想像していました。凶暴で化け物のような様相をしているのだと思い込んでいました。

 しかし現れたのは――吉備太郎より少しだけ背の高い、老鬼でした。

 吉備太郎も背が高い人間です。それより少しだけ大きい七尺ほどの鬼。他の鬼と比較したら小柄と言えるでしょう。


 顔に刻まれた皺。長く伸ばした灰色の髪。そして精巧にできた赤い鎧を着ています。そして右手には鋼鉄でできた金棒を携えていました。

 特筆すべきは目でした。白目の部分が黄色で、中心は漆黒。吉備太郎はその目を見て気づきました。人間に対する怒りと憎しみが目から分かります。自分の抱く最大限の負の感情を表した目。

 この鬼は殺すでしょう。たとえ産まれたばかりの赤子でも、今わの際の老人でも躊躇なく殺すでしょう。

 だからこそ、吉備太郎は倒さなければならないと覚悟を決めました。


「わしの名は温羅(うら)という」

 温羅。それが鬼の総大将の名でした。

 ここにおいて、ようやく吉備太郎は仇の名を知れたのです。


「小僧。名前はなんだ?」

「……吉備太郎だ。意外だな」


 吉備太郎は名前を聞かれたことに少しだけ不思議に思いました。


「人間に興味がないとばかり思っていたが」

「お前を殺した後、墓標に刻んでやろう。『鬼に挑み、そして敗れた者、吉備太郎』とな」


 挑発ではなく、事実を言っている鬼の総大将、温羅。


「桃太郎の子孫は楽に殺さない。生きながら食い殺してやる」

「どうして貴様は人間を、桃太郎を憎むんだ!」


 吉備太郎の問いに温羅は「桃太郎がわしの家族を皆殺しにしたのだ」と答えました。


「わしだけは生き残った。母上が隠してくれた。桃太郎は仲間とともにわしの家族を惨殺したのだ。今でも思い出す。桃太郎が笑いながら斬り殺した光景を」


 皮肉なことに吉備太郎と同じ地獄を味わったのです。

 吉備太郎は分かってしまいました。この鬼は自分と等しく、それでいて離れている存在であると。

 かといって同情は覚えませんでした。この老鬼は自分の故郷を滅ぼし、父を殺した鬼ですから。


「温羅。貴様が人間を憎む気持ちはよく分かる」

「ほう? それはどういう意味だ?」

「私も同じ気持ちだからだ」


 吉備太郎は温羅に自分の気持ちを語りました。


「私は貴様を殺すために生きてきた。だけど私と貴様の間には特別な因縁があった。奇妙な関係でもある。まさに面妖としか言えないだろう」

「……確かにそうだな」


 温羅も感じていました。この人間、吉備太郎に不可思議な想いがあると。


「多分、私は貴様を殺すために産まれてきたのだろう。桃太郎の残した悪縁を断ち切るために産まれたのだ」

「それを言うのなら、わしも同じだ」


 温羅も吉備太郎の言葉を受けて言います。


「わしがこの日まで生きたのは、吉備太郎、お前を殺すためだ。それがよく分かった」


 二人は悲しい因果の末に出会ってしまいました。そのしがらみを断ち切るには、もはや殺しあうしかありませんでした。


「もう言葉は尽くした。後は貴様を殺すだけだ」


 吉備太郎は温羅にゆっくりと近づきます。それを止める人や鬼は居ませんでした。

 温羅は黙って見つめていました。

 そして、吉備太郎と温羅は、自分たちの間合いで、正対しました。

 誰も口を開けませんでした。辺りを多大な緊張感と重圧感が支配しています。


 先に動いたのは、吉備太郎でした。

 声を発することもなく、温羅の首元を抉るような斬撃を繰り出しました。

 尋常ではない速さでした。たとえ鬼でさえ、反応できない速度でした。

 しかし鬼の総大将、温羅は違いました。右手に持った金棒を素早く反転させて、吉備太郎の刀、神薙の刃を防ぎます。


「その刀、父上の技術を使っているな……」


 そう呟く温羅。

 吉備太郎は力には勝てないと悟り、刀を引きながら身体を回転させて、今度は脇腹を狙いました。

 けれど――防がれてしまいます。


「お前のような速い剣士は数多くないが、それでも居なかったわけではない。経験が違うのだ……!」


 温羅は吉備太郎の刀を跳ね飛ばし、自身も攻撃に転じました。

 両手で自身が弧を描くように振り回します。とてつもない重量とそれによって生み出される遠心力。そして老鬼ながら備えている怪力。その三つが合わさった攻撃はまさに一撃必殺でした。


 それを――吉備太郎は避けます。

 受けることも防ぐことも不可能であるのなら、避けるしかありません。

 吉備太郎の考えは真っ当でした。最適解と言えるでしょう。

 問題はこちらの攻撃が軽くなることでした。

 何回か攻撃を試みますが、避けながらの攻撃は威力が足りません。また致命傷となるべき攻撃は温羅の経験則によって防がれてしまいます。

 温羅は何百年と生きた歴戦の鬼です。そんな彼を前に多くの人間が倒されてしまいました。

 吉備太郎はどうすれば良いのか悩んでいました。もっと言えば苦しんでいました。

 そこで状況を打開すべく距離を取りました。

 そして刀を納めました。


「どうした? 降参のつもりか?」


 温羅の言葉に吉備太郎は「違う」と短く言いました。


「私の奥義で貴様を殺す」


 温羅は金棒を構えたまま「奥義? わしを殺すだと?」と軽く笑いました。


「吉備太郎。それは無理というものだ。わしを殺すことなど、お前にはできん。今の戦いで分かっているだろう」

「貴様を倒さないと多くの人間が死ぬ」


 温羅は「当然だな」と答えます。


「だからこそ、ここで貴様を殺さなければならない。鬼の総大将、温羅よ。貴様はここで死ななければならないのだ」

「勝手な言い分だな」

「貴様が死ぬことで多くの鬼は心を砕かれるだろう。そうすれば人間の勝ちとなる」


 温羅は「承知している」と金棒を正眼に構えました。


「わしが死ぬことで仲間も死ぬ。それは理解している。だからこそ、お前はここで殺さないといかんのだ。吉備太郎という人間の希望を打ち砕くことで、人間は絶望する」


 人と鬼。両者は異なりますが、吉備太郎と温羅が死ぬことの影響はまったく同じだったのです。


「さあ、行くぞ温羅」

「来るがいい、吉備太郎」


 吉備太郎は脱力し、そして一気に温羅に向けて奥義を繰り出します。


「――天羽々斬」


 空気がひずみ、光が歪む一撃。

 かつてこの奥義を受けきったものは居りません。

 まさに乾坤一擲、一撃必殺、最後の攻撃!





「……見事だ、吉備太郎」


 結果として。


「この金棒がなければ、わしが死んでいた」


 吉備太郎が放った一撃は温羅には届きませんでした。

 吉備太郎の刀、神薙は温羅の持つ金棒にヒビを入れるだけしかできなかったのです。

 神薙は折れることはありませんでしたが、斬ることすらできなかったのです。

 吉備太郎はその事実で頭が一杯になってしまい――


「さらばだ、吉備太郎」


 温羅の拳を避けることができませんでした。


「ぐふっ……」


 怪力からなる内臓を破壊する腹部への一撃。そして大量の出血。

 吉備太郎は後方に吹っ飛びました。


「吉備太郎殿!」


 蒼牙の絶叫が遠くに聞こえます。


「――吉備の旦那!」


 朱猴が吉備太郎の後ろに回りこみ、受け止めました。


「おい嘘だろ!? 吉備の旦那、目を開けてくれ!」

「本懐を叶えるところで、死んではいけません!」


 朱猴の呼びかけや蒼牙の懇願は吉備太郎の耳には届いていましたが、それでも目を開けることができませんでした。

 こんなところで、死んでしまうのか。

 そう言葉に出さずに、鬼退治の若武者、征鬼大将軍、桃太郎の子孫の吉備太郎は、温羅との戦いに破れ――

 その命を落としてしまいました。

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