最終章 人と鬼
第101話血の池平原の戦い
決戦の地は名もなき平原でしたが、後の世では『血の池平原』と呼ばれるようになります。今後は血の池平原と呼称します。
その血の池平原に向かい合う人間の軍勢と鬼の軍勢。
鬼が本拠地である鬼ヶ島を出て野戦を挑んできたのは、翠羽すら予測できなかったことですが、それでも彼女の軍略は臨機応変に対応しました。
「鬼共、小賢しいことに三つの軍勢に分かれているぜ」
まず朱猴による斥候。情報がなければどう動くべきか指針ができないからです。
「三つの軍勢ですか。数の比は分かりますか?」
本陣にて報告を受けた翠羽は吉備太郎たちと都と関東の部将で軍議をしていました。
「中央は千匹。右翼と左翼は四百匹。だいたいそんな感じだ」
「それが鶴翼の陣を敷いているのですね」
すると関東の部将、南原が「鬼が陣形を敷くとは考えられぬ……」と零しました。
それは皆同じ気持ちでした。戦術を駆使するなど思いも寄らなかったのです。
「それでは先の戦いで用いた『鬼は外』作戦は使えないわね。包囲して殲滅はできない」
竹姫の言うとおりでした。鶴翼の陣は防御に適した陣形であり、包囲することは困難です。
「それならばこちらは魚鱗の陣で一気に総大将を狙うのはどうだろう?」
安田の発言を翠羽は首を横に振って却下します。
「その前にこちらが包囲されてしまいます。まさに翼を閉じるように」
「ではどうする?」
翠羽は「密集陣形で臨みます」と何の迷いもなく言いました。
「密集陣形で少しずつ鬼を倒すしかありません」
「だがそう簡単にいくだろうか? 長期戦になればこちらが不利になる」
東川が腕組みをして苦言を呈します。
「兵糧の問題がある。五万弱の人間を食わせる米をそれほど長く輸送できぬ。それに米以外にも食べるものが必要だ。飲み水も不可欠だ」
それを考えない翠羽ではありませんでした。兵站供給能力では鬼のほうが上です。
何故なら、鬼は戦っている人間を喰えるからです。五万弱の人間を食糧として見なすことが可能だからです。
「だからこその長期戦。だからこその鶴翼の陣ですか。鬼にしてはよくよく考えている」
「……翠羽。策はないのか?」
吉備太郎が口を開くと本陣の中が緊張に包まれました。それは吉備太郎から発せられる鬼への憎しみと殺意が伝わってくるからです。
部将の中で最も胆力のある東川でさえ、鬼と相手取るほうがマシだと思うほどでした。
「あるにはありますが……」
「言ってくれ」
「……多大な犠牲が生まれます。それでも構いませんか?」
吉備太郎は「聞かないと分からないだろう」と当然のことを言いました。
「分かりました。では話します」
翠羽は自身の策を告げます。
「まず一万の武者を中央に突撃させます」
その言葉に「そんなことをしたら、すぐに包囲されてしまうのではないか?」と蒼牙が言いました。
「そうですね。だからこの一万人が犠牲となります」
あっさりと言う翠羽に誰も何も言えませんでした。
「その一万の武者を止めるために鶴翼の陣は包囲に切り替わります。そこですかさず四万の軍勢で逆に鶴翼の陣で迫り、こちらが包囲します」
つまり、一万の武者たちは囮となるのです。
決して逃げられないでしょう。
決して生き残れないでしょう。
まさに決死の軍勢でした。
「正気か? 一万人を捨て駒にするのか?」
安田が立ち上がり翠羽に迫ります。
他の部将たちも口々に反対しました。
しかし――
「分かった。それで行こう」
人間の軍勢の総指揮官、二代目征鬼大将軍の吉備太郎は何の迷いも躊躇もなく、翠羽の策を受け入れました。
「なっ……吉備太郎殿!」
安田が抗議しようとしたときでした。
「私が――一万を率いる」
誰もが何も言えなくなりました。
「やっぱり、吉備太郎さんはそう言うと思いましたよ」
翠羽は悲しげに、そして悔しげに言いました。こんな策しか思いつかない自分が情けなく思ったのです。
翠羽は吉備太郎がそう言い出すのも分かっていました。分かっていて策を出したのです。
「……あたしは反対よ」
竹姫が静かに言いました。
「総大将が危険な役目を負うなんて、おかしいわよ。それにあなた言ったじゃない。生き残るための戦いだって。吉備太郎、今も昔も変わらずに死にたいの?」
吉備太郎は微笑んで言いました。
「いや。昔と違って私は死ぬ気はないよ」
「じゃあどうして?」
「私にしかできないからだ。だからやるんだ」
そして翠羽に告げます。
「鶴翼の中央は翠羽に任す。右翼は安田さん。左翼は東川さんがやってくれ」
そう言って吉備太郎は立ち上がりました。
「これから一万の武者を選ぶ。みんなに通達してくれ。包み隠さずに真実を言うんだ」
「それなら拙者もお供いたします」
同じく立ち上がったのは蒼牙でした。
「微力ながらご一緒させてください」
「ありがとう。蒼牙」
するとそれまで面倒な感じを出していた朱猴が「つくづく馬鹿だな」と言いました。
「結局、死にたいだけじゃないのか? 吉備の旦那よう」
「朱猴。私は死ぬ気はないよ」
「口では言えるさ。この馬鹿が」
「なんだとエテ公!」
蒼牙が文句を言おうとしました。
しかし朱猴は彼らしくないことを言いました。
「でもそんな馬鹿は嫌いじゃねえ。俺もお供するぜ。吉備の旦那」
吉備太郎は目をぱちくりさせました。
「てっきり参戦しないと思ったが」
「うるせえ。珍しく俺様、血迷っているのさ。誰かさんの影響でな」
吉備太郎のことを慮る意味もありましたが、先日の吉平の死に何らかの思いがあったのも事実でした。
「朱猴。あなただけはまともだと思ってたけどね」
竹姫は気丈に振る舞いながら吉備太郎たちに言いました。
「絶対に死なないでね」
吉備太郎は頷きました。
「ああ。犬死も無駄死にもしない。鬼の総大将の首を獲ってやるさ」
こうして作戦が決まり、吉備太郎は決死隊を募りました。
集まったのは一万人ではなく、たったの七千人でした。
「たったこれだけしか集まらなかったのか」
「意外と臆病者が多かった。そんだけのこった」
蒼牙と朱猴の会話に吉備太郎はこう返しました。
「いや。七千人も集まってくれた。そう考えよう。それにその分包囲戦が楽になる」
楽天的な言葉を言う吉備太郎。鋭い朱猴はどういう心境の変化なのかと吉備太郎の顔を見ました。
集まった七千人をまるで愛しい宝物のように見つめていました。それでいて欲や怖れのない瞳。
朱猴は思いました。ああ、吉備の旦那はようやく本懐を遂げられるんだなと。
そう。吉備太郎はようやく辿り着いたのです。
鬼の総大将との一騎打ちに。
天候は晴れ。時刻は昼過ぎ。
血の池平原での戦いは人間から仕掛けて始まりました。
「さあ戦おう。鬼を滅ぼしに行こう」
吉備太郎の言葉に七千人の命知らずの武者たちは応じました。
「狙うは鬼の総大将の首一つ! いざ――出陣だ!」
吉備太郎が一直線に走り出します。
その後を馬に乗った蒼牙と脚力に自信のある朱猴が続き。
そして騎馬に乗る者、徒歩の者と続いていきます。
鬼は突然の攻撃に戸惑っています。
まさか防御に優れた鶴翼の陣にそのまま突撃するとは考えていなかったようです。
吉備太郎は雄叫びを上げながら、最初に出会った鬼を一刀両断します。
蒼牙も朱猴も鬼を倒していきます。
決死隊も多人数で一匹の鬼を相手取ります。
こうして始まった最後の戦い。
はたしてどのような決着になるのでしょうか?
それは誰にも分からなかったのです。
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