第100話死にゆく者と戦い続ける者
「よ、吉平さん……? 何を言っているんですか……?」
吉平の口から零れた懇願。信じられない想いで吉備太郎は訊ね返します。
「頼む……もう、俺は助からない……」
どくどくと流れる血が真実だと物語っています。吉備太郎は首を横に振りました。
それだけはしたくないようでした。吉平という『人間』を殺したくないようでした。
「そうだ! 翠羽! 吉平さんの傷を治し――」
「駄目です。吉備太郎さん……血が流れすぎています。僕にできるのは傷を塞ぐだけです。もう助かりません……」
翠羽の悔やむ顔を見て、真っ青になる吉備太郎。
「お願いだ……殺されるなら、君に殺されたい……」
吉平の口から血が吹き出ました。もう長くありません。
「俺は出自が不幸だった。出来損ないの半々妖で、親友を殺し、その妹を殺し、人に叛いた、謀反人だった。でも、こうして友人の手にかかって死ねるなら、本望だ……」
「諦めた風に言わないでください!」
吉平の傷口を押さえて、吉備太郎はなんとか方法がないのか、考えます。
しかし、その方法は――ありませんでした。
仲間の表情からも伺えます。
竹姫は泣き喚くことはありませんでしたが、静かに涙を流しています。
蒼牙は自分のしてしまったことを後悔しています。
朱猴は吉平が安らかに逝けることを祈っていました。
翠羽は自分の無力さに悲しみを覚えていました。
吉備太郎はどうしようもないことをどうにかしようと考えていました。
「一つだけ、頼みがある……鬼の子を孕んだ娘――桔梗ちゃんを殺さないでくれ」
吉平は信じていました。吉備太郎だったら受け入れてくれると。
「あの子の子どもは、なんとか鬼にならずに済んだ。半妖に済ませた。本当は人間にしてあげたかったんだけどね。やっぱり親父ほどの才能はなかった……」
「――っ! なら戦う必要などなかったじゃないですか!」
「いや、鬼の本拠地、鬼ヶ島で遺された蘆屋道満の研究書がなければ血を薄れさせることはできなかっただろう……」
吉平は吉備太郎の袖を掴みました。
「約束してくれ。桔梗を、鬼の子を殺さないでくれ……! 鬼の子は人を喰わない……」
吉備太郎はその言葉を聞いて、覚悟を決めました。竹姫は吉備太郎の肩に手を置きました。
「分かりました。私は殺さない。必ず二人を守ります」
続けて友情と殺意をもって吉平に言いました。
「そして吉平さん、あなたを殺します」
それを聞いた吉平は嬉しそうに頷きました。
「ありがとう。やっぱり君は優しいね」
吉平は震える手で懐から巻物を取り出して、吉備太郎に渡しました。
「この巻物の中に、二人の居場所が書かれている……頼んだよ」
吉備太郎は神薙を抜きました。吉平の心の臓に向けて狙いを定めます。
吉平は満足そうに言いました。
「ああ、悲しいことばかりの人生だったけど――」
にっこりと微笑んで最期を迎えました。
「それでも、最期は幸せだったかな」
神薙が、吉平の胸を、貫きました。
吉平が亡くなった瞬間、葛の葉砦がさらさらと木の葉と化して崩れ去り、元の平原へと戻りました。
「おお! 吉備太郎様が戻られたぞ!」
周りを囲んでいた武者たちが歓声をあげました。
吉備太郎は涙を流していました。
その背中を竹姫は優しく抱きしめました。
「死ぬことが唯一の幸せなんて、悲しすぎる……吉平殿は……」
「犬っころ。それは違うぜ」
朱猴は蒼牙の呟きを否定しました。
「最期に吉平は自分の運命に逆らえたんだ。半々妖の呪われた運命にようやく決着をつけたんだ。だから幸せそうに笑えたんだ」
翠羽は青い空を見つめて、消え入るような声で言いました。
「運命の否定ですか……吉平さんほど、儚くて美しい散り際はありませんね」
吉備太郎は吉平の目を閉じてあげました。
そして竹姫に巻物を渡しました。
「竹姫に預ける。戦いが終わったら、迎えに行ってくれ。私は守ると言ったけど、優しくはできない」
「……分かったわ」
竹姫は巻物を受け取りました。
翠羽は言いにくいことを吉備太郎に告げます。
「吉備太郎さん。武者たちに何か一言言ってください。吉平さんを討伐したことを」
「翠羽殿。それはあまりに――」
止めようとした蒼牙に吉備太郎は手で制しました。
「分かっているよ。さあ行こう。吉平さんの遺体は後で葬る」
吉備太郎は武者たちのほうへ歩み寄ります。仲間たちは静かに従いました。
武者たちの前に立つ吉備太郎。目の前には大勢の武者と名のある将が居ます。安田、東川、北野、西山、南原も黙って立っていました。
「謀反人、安倍吉平はこの手で殺した。これで残るは鬼の総大将のみだ」
武者たちは興奮のあまり叫びます。しかし吉備太郎が黙ったままで居ると、徐々に静かになりました。
「だけど、吉平さんの選択はある意味間違っていない。鬼に従うことで、もしかしたら生き残れるかもしれない。代わりに同胞である人間を殺して、汚名に塗れて、恥辱を受けて、自己嫌悪に浸りながら、生きていくことも間違いではない。人の道を外れ畜生のように生きるならそれも一つの道なんだ」
ざわめく武者たち。それを無視して吉備太郎は続けました。
「そう。吉平さんは一つの道を提案したんだ。鬼に従属して家畜のように生きることもまた、生き残る一つの方策だ。でも私たちはそれを否定する。たとえ皆殺しになっても鬼に反抗して、討伐する道を選んだんだ。それは何故か?」
吉備太郎はもう日差しが弱い夕焼けの空を眺めました。
太陽が沈み黄昏となる光景を初めて愛おしいと感じました。
武者たちがざわめく中。
吉備太郎は目を閉じて。
吉平のことを想って。
そして目を開けました。
「私たちの尊厳を守るためだ!」
武者たち全員に聞こえるような大声で吉備太郎は叫びました。
「私たちは家畜ではなく、奴隷でもない。生き残るため、生き続けるために戦うんだ。死ぬためなんかじゃない。決して違う!」
そして武者全員に対して言い放ちました。
「私たちの誇りや国土を取り戻すために戦う! それだけは否定できないしされない! 最後の決戦を控えた今、誰もが死ぬ可能性はあるけど、それでも戦わなければならないんだ! 戦友や知人、友人が死ぬであろう戦場に好き好んで行く私たちは傍から見れば愚かに見える。それでも小賢しく家畜のように生きるようにはだいぶマシだ!」
そして吉備太郎は最後にこう締めくくりました。
「人間は決して負けない! 鬼は必ず討伐する! 何故なら、いつだって鬼を退治するのは、人間の役目だからだ……!」
吉備太郎は言い終わるとそのまま押し黙ってしまいました。これ以上言葉は必要ではないと言わんばかりでした。
「……やるぞ。鬼に勝ってやる!」
誰かが言いました。
「ああ、鬼になんて負けてやれるか!」
誰かが同意しました。
皆の声が草原中に響き渡ります。やがて咆哮となり、一心不乱に叫びます。
その様子を吉備太郎はじっと見つめました。
何を想うこともなく。
何を考えることもなく。
ただじっと見つめていました。
こうして吉平を殺した吉備太郎は最後の戦いに臨みます。
鬼ヶ島と名付けられた鬼の本拠地の手前、山に囲まれた広々とした平原に鬼たちは布陣していました。
そこに吉備太郎率いる武者の軍勢が向かいます。
武者の軍勢、五万弱。
鬼の軍勢、千八百。
一見、数では有利に思えますが、鬼は人間の百人力ですので、十八万の軍勢と変わりありません。
はたして吉備太郎たちは勝てるのでしょうか。
そして未だに正体不明の鬼の総大将。
かの鬼の実力とはいかに。
決戦のときは、目前でした。
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