第99話吉平の最期の願い
次の記憶は定森との会話でした。
先ほどまで治療を受けていました。そこに定森がやってきたのです。
吉平は傷ついていました。身体だけではなく心までもが多大な損傷を受けていたのです。
しかし毅然としなければいけませんでした。定森は今、お上の使者として目の前に居るのですから。
「安倍吉平を陰陽頭に任ずる。これが任命書だ。それに感状も来ている」
「……蘆屋道満はどうなりましたか?」
陰陽頭に任命されたことなど、吉平にとってはどうでもいいことでした。
「備前に逃げようとしたところを我らが追い詰め殺した。その際、五人が重傷を負い、一人が犠牲になった」
そのことを聞いて、ますます吉平の抱く罪悪感が強くなりました。
「もしも、俺と定海が二人じゃなくて、応援を要請していたら――」
「あほんだら。もしもなんて考えるんじゃねえ。お前と愚息は上手くやったんだ。そう考えろ。そうでなければもっと多くの犠牲者が出ていた」
それでも吉平は苦しんでいました。
この手で友を殺したことが悲しくて仕方がありませんでした。
「山吹には会わないほうがいい」
定森は思い出したように言いました。
「あいつは馬鹿な娘だ。兄を殺されたことで兄と慕うお前を憎んでいる。本来なら蘆屋を憎むべきだろうが、そいつは死んでしまったからな。死人を憎んでも仕方がねえ」
定森はそう言って、去ろうとします。
その際、脚を引きずっていました。
「脚はどうしたんですか?」
「蘆屋との戦いでやっちまったんだ」
「そうだったんですか」
このときの傷のせいで、酒呑童子と戦いにおいて避けきれずに命を落とすことになるとは、定森も吉平も当時は分かりませんでした。
「犠牲になった人は誰ですか?」
「名前は明かせない。お前、謝りに行くつもりだろう」
「……やっぱり分かっていましたか」
「まあかなりの高齢だったな。孫も産まれてたし、子どももそれなりの年齢だったから家督を継がせるさ」
「お孫さんの名前だけでも教えてもらえませんか?」
「うん? ああ、姓は言えないがな。確か、蒼牙とか言った気がするな――」
そしてまた記憶が現在へと近づいていきます。
「まだまだ甘いのう。お前には才能があるが。それが残念じゃ」
吉備太郎と竹姫には見覚えがある場所でした。石と岩だらけの河原。礼智山でした。
そして吉平に修行を課しているのは――あの白鶴仙人でした。
「甘い、ですか?」
「お前は非情になりきれぬところがある。それが残念と言っておるのじゃ」
そう言いながら白鶴仙人は岩の上に座って思案しています。吉平は黙って言葉を待ちました。
「……晴明の息子と聞いて、修行をしてやっているが、お前には必要ないのかも知れんな」
「どういうことですか?」
「お前は賢い。言われずとも分かるじゃろ」
白鶴仙人は改めて問いました。
「お前の悲願、心より叶えたい願いはなんだ?」
「それは――」
白鶴仙人は矢継ぎ早に言いました。
「人に認められたい、求められたいのか? 誰にも蔑まれず、軽んじられないことか? それとも親友を生き返らせたいのか? はたまた元凶の鬼を滅ぼしたいのか?」
吉平はその全てであると思いながら、異なった願いを口にしました。
「俺は――殺されたい」
「…………」
「俺が認めた、求めた人間に殺されたい。蔑まれず軽んじられない対等の人間に」
白鶴仙人は溜息を吐きました。
「それは親友に殺されたいということか?」
「そうかもしれませんね」
白鶴仙人と吉平は真っ直ぐ見つめあいました。しばらく時間が経ってから白鶴仙人は告げました。
「お前の道は生き様を魅せるのではなく、死に様に魅せられているのじゃな」
吉平はそれを聞いて気づきました。
自分は生きていても死んでいてもどうでもいいのだと。
自覚して楽になって。
知らず知らず涙があふれました。
定海が亡くなってから、ようやく泣けたのです。
「お前への修行は終わりじゃな。自覚できたのなら、わしは必要なくなった」
白鶴仙人は言い残して、その場から姿を消しました。
吉平は思いました。飄々とした不真面目な人間になろうと。半々妖ということにこだわることはなく、自分の信じた道を歩み、そして死のうと決めたのです。
ここからは吉備太郎と竹姫も知る記憶になります。
背丈と髪の長い少年。目が怒りと絶望に沈んだ、復讐に取り憑かれた男の子。
それが吉備太郎の第一印象でした。
一方、綺麗な髪をしている美しい少女。達観していて吉備太郎を気遣っている女の子。
それが竹姫の第一印象でした。
二人に出会い、そして白鶴仙人の言葉を聞いて、本当に自分の悲願を受け入れてくれるのか、正直期待していませんでした。
しかしそれを裏切り、吉備太郎は吉平の親友へとなりました。
「私は吉平さんに出会って良かった」
そう言われたのは定海に続いて二度目でした。その一言がどれだけ嬉しかったか。想いは記憶を覗いている吉備太郎たちに伝わりました。
そして友情に結ばれた二人を分かつ、最悪の日のことが思い出されます。
「絶対に殺させないぞ! この子だけは殺させない!」
「殺さなきゃいけないんだ! そこをどけぇええええ!」
二人の戦いの刹那、どうして吉備太郎が刀を捨てて、素手で殴ろうとしたのか。それは未だに不明でした。
「俺が生き残るためじゃない。この子を守るためなんだ。この子は罪もない。この子の生まれてくる命にも罪は無い。だから、ごめんな。吉備太郎ちゃん」
言い訳をして、吉備太郎を殺そうとして。
そしてできなかったのです。
山吹を殺せたのに、吉備太郎は殺せなかったのです。
「どうした? 何故殺せない?」
「駄目だ。俺はもう、友人を殺せない。山吹を殺したことで思い出してしまった」
滂沱の涙を流しながら、吉平は茨木童子に懇願しました。
「頼む! 吉備太郎ちゃんを殺させないでくれ! 見逃してくれ!」
「ふざけるな。できるわけが――」
「右腕を治してやる。それで勘弁してもらえないか?」
「……なに? できるのか?」
茨木童子は考えます。もしこの子どもを見逃しても何ら脅威にはならない。三人と一体の式神でようやく倒せた程度の弱い存在です。
しかし右腕をつなげる技術は鬼にはありません。この人間は不思議な術に長けています。つなげるかもしれません。もしも嘘であれば食い殺せばいい。
「分かった。じゃあいますぐつなげろ」
吉平は右腕を持って傷の断面にくっつけて、呪文を唱え続けます。
すると光が発せられて、右腕がつながりました。傷跡は残っていますが、指先まで感覚が戻ったのです。
「くっつけたばかりだから、激しく動かすともげる。三日は安静にしろ」
「なるほど。陰陽師とは便利だな」
自由自在に動ける右腕を見て、茨木童子は満足そうに頷きます。
「約束だからな。こいつと小娘とお前は命を助けてやる。だが小僧がまた俺に挑んできたら、今度こそ殺す。それは約束してないからな。いいな?」
「ああ、それでいい」
吉平は天を仰ぎました。降りしきる雨を受けていました。
山吹を殺した感覚が定海を殺したときと同じだなとぼんやりと思いました。
「まさか大親分が来るとは思わなかったぜ」
茨木童子の驚く声。見つめている方向を見ると、そこには大勢の鬼と――
そこで記憶が途切れました。
吉備太郎たちは気がつくと葛の葉砦の最深部に戻っていました。
「これが、俺の記憶、だよ……」
吉平の弱々しい声。吉備太郎は吉平を抱えて「吉平さん、しっかりしてください!」と大声で叫びます。
「吉備太郎ちゃん……あんまり、こういうことを、頼むのは、良くないと思う、けど……」
「な、なんですか?」
吉平は今わの際、末期の台詞、そして散り際に自分の本心からの願いを言いました。
「俺を――殺してくれないか?」
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