第98話蘆屋道満の野望
吉平と定海の失敗は自身の父親に報告も連絡も相談もしなかったことです。
なぜなら、自分たちだけで蘆屋道満を倒せると思い込んでしまったからです。
自信があったのです。
しかしそれは過信だったのです。
油断と軽率。若者らしい勇み足で蘆屋道満の屋敷へと二人は向かいました。
そこで見たものは――地獄でした。
吉備太郎が暮らしていた村の残骸と等しいほどの光景が蘆屋道満の屋敷の庭や部屋にひしめいていました。
周りからは気づかれないように陰陽の術で誤魔化していましたが、同じ術者と魔を葬る家系の者には効きません。
いや、もしかしたら効いてたほうが良かったのかもしれません。
木に吊るされた死体。
細切れにされた死体。
四肢が切られた死体。
苦悶を浮かべる死体。
血溜まりに沈む死体。
ありとあらゆる死体がカラスに喰われ、蛆虫が這っていました。中には白骨化した死体もあります。
「……吐き気がしそうだ」
「堪えろ。どうやら何かをしているらしい」
汚濁と悪徳に塗れた屋敷。
その最深部へ向かう二人。
まともな神経をしていたら、発狂してしまう光景が続きますが、強靭な精神を持つ彼らは死者への冥福を祈りながら、目を背けることなく進みます。
そして――辿り着いたのです。
「おや。早かったね。いやいや、遅かったねと言うべきかな」
屋敷の最深部。
死体がずらりと吊るされ、並んでいる一室。
台に寝かされた死体に何らかの背徳的で冒涜的なおぞましい『作業』をしていたのは、狂気の笑みを浮かべる稀代の陰陽師、蘆屋道満でした。
「蘆屋さま――いや、蘆屋道満、貴様の悪行をしかと見たぞ!」
吉平が弓を構えました。定海も破邪の剣なるものを構えます。
「私の悪行? ふふふ。冗談を言わないでくれよ。君たちが見たのはほんの一部さ」
そう言いながら作業に戻る蘆屋道満。吉平は思わず弓を引き、矢を放ちました。
しかし矢はぬるりと現れた黒い影のようなものに阻まれました。
「自動防御。この空間では影が私を守ってくれます」
「こんな術、見たことがない……!」
「ふふふ。私が新たに開発した術ですよ」
定海は「貴様の狙いは、目的はなんだ!」と大声をあげて問いかけました。
「私の目的? それはね、晴明師匠を越えることですよ。あの偉大な陰陽師を乗り越えることですよ!」
作業をやめて、二人に顔を向けた蘆屋道満。
「父上を越えるだと? 何を言っているんだ! そんなくだらないことのために何十人も犠牲にしたのか! 鬼に味方したのか!」
蘆屋道満は目を細めました。
「若いですねえ。そして青い。なんて羨ましい。なんて嫉ましい。あなたたちには理解できないでしょうね。私の苦悩など」
顔を曇らせる黒衣の陰陽師は若者二人に自身の悩みを打ち明けました。
「人間には限界がある。魔の者や順わぬ者にはそれがない。しかしそれを活かす知識や知恵がなく、備えているのは皮肉にも人間だ。その矛盾を解決するには、魔の者になるしかない」
吉平には理解できませんでした。半々妖であるがゆえ迫害を受けてきた身としては人間であることを厭う気持ちなど欠片も共感できなかったのです。
「正気か!? 何ゆえ進んで魔の者に――」
「あなたには分かりませんよ。生まれながらにして魔の力を備えている半々妖の君には」
蘆屋道満は羨むような視線を向けます。
「あなたは人の身ながら、陰陽寮の長、陰陽頭になったほどの御方だ! 地位も名誉も手に入れている! 外道に堕ちなくとも良いではありませんか!」
定海の言葉に蘆屋道満は蔑むように言いました。
「私が地位や名誉などに興味があると思っているんですか? 下賎で俗なものなど要らないですよ」
蘆屋道満は悪意に満ちた笑みで言います。
「私が産まれた意味は陰陽道を極めること。それはすなわち永遠に生き、全ての者の頂点に立つ力を得ることです。それがようやく叶うのです。邪魔はさせません」
「私たち二人に勝てると思っているのか?」
吉平は失言してしまいました。
「二人? なるほどてっきり大勢連れてきていると思っていましたよ。二人ならばあなた方を殺せますね」
蘆屋道満は懐から護符を取り出しました。そして戦士の式神を数体召喚します。
「さて。鬼共から鬼妊薬を頼まれていましたね。材料の人間はそこに居ます。式神よ。この者の首を落として持ってきなさい」
蘆屋道満の式神は強敵でした。重傷とは言いませんが吉平と定海の両名に軽くない傷を負わせたのです。
「定海、平気か?」
「吉平ちゃんこそ、大丈夫かい?」
互いに背中合わせになりながら最後の式神を倒す二人。その様子を蘆屋道満は楽しげに見ました。
「お見事ですね。しかしこのままですと鬼妊薬を作れませんね。それは困ります」
「鬼妊薬? なんだそれは?」
吉平が訊ねると蘆屋道満は「鬼の血と人間の心の臓を合わせて作る薬ですよ」と素直に答えました。
「師匠ではなく、私個人の研究です。なんと人と鬼の間に子どもを宿すことが可能なのですよ」
「――っ! この外道め!」
定海が斬りかかろうとした瞬間、蘆屋道満は後ろに飛び退きながら、後方に手首を吊るしてあった、死体の一体をくるりと反転させました。
いえ、死体ではありませんでした。
彼らのよく知る女の子――山吹でした。
「山吹! どうして、なぜ――」
「まだ生きてますよ。さあ目覚めなさい」
気付けの呪文を唱えると山吹は目覚めました。周りを見渡し、吉平と定海を確認すると「お兄様!」と短く叫びました。
「すみません! 我は――」
「攫ったんですよ。というよりもあなた方の会話は盗み聞きしていました」
蘆屋道満の言葉に「馬鹿な。人払いをしたはずなのに」と驚く吉平。
「詰めが甘いですよ。敵が私だと知っているのに、『人』払いではなく、式神封じをするべきでしたね」
蘆屋道満は山吹の頬を撫でました。嫌がる山吹。定海は怒りを増しています。
「この子を助けたかったら吉平くん、定海くんを殺しなさい」
右手に短刀を持つ蘆屋道満。首筋に当てます。吉平は「できるわけないだろう!」と拒否しました。
「じゃあこの子が死ぬだけです」
「ふざけるな! 俺に親友を殺せというのか!」
「そのとおり。良い見世物になりますね」
吉平は葛藤しました。
友人を殺してその妹を救うか、その逆か。
「……吉平ちゃん。これを使え」
定海は破邪の剣を吉平に手渡しました。
「定海? 何を言っているんだ?」
「どうやら、こうするしかないようだ」
定海の言葉が遠くに聞こえます。
吉平は震える手で破邪の剣――鳴狐を構えました。
吉平は迷って惑い、そして決めきれず――
「時間切れですね。この子は殺します」
短刀が山吹の首を掻っ切ろうとしたとき。
「待て! 吉平、すまん!」
定海が何故謝ったのか。
それは親友が自分を殺すことで罪悪感に囚われることを知っていたからです。
吉平が構えたままの鳴狐に突進して、定海は自ら死を選びました。
「さ、定海……?」
「お兄様? ……いやあああああ!」
倒れ伏す定海の亡骸を見て、吉平は考えることができなくなりました。
「まったく。これだから人間は愚かですね」
蘆屋道満の馬鹿にした声で吉平は、安倍の血を引く半々妖は、産まれて初めて――
「うん? ……なんですか、この力は!」
自分の魔の血と力を、暴走させました。
安倍晴明がどうして吉平に友を作らせたのか。それはこのままで行くと人間を憎み、やがて力を暴走させてしまうと予期したからです。単純に孤独な息子に友人を作らせてあげたいという親心ではありませんでした。
結果として、蘆屋道満の屋敷は全壊し、屋敷の主は左手を失って逃げ出すことになります。
このときの記憶はありませんでした。
気がついたら山吹に抱きしめられていて。
傍らには定海の遺体があるだけでした。
半々妖の力。
それによって吉平は友と親しい女の子を失って、孤独への道を進んでいくのです。
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