第97話半々妖の過去

「うげえ、半々妖だ! こっち来るな!」


 最初の記憶は子どもたちに石を投げられる光景でした。おそらく都の大通りでしょう。子どもの投げる石とはいえ、子どもの身である吉平にとっては耐え難いものでした。

 一番辛いと思ったのは、誰も助けてくれないことでした。周りの大人も笑って見ているだけでした。まるでこの仕打ちが当然だと言わんばかりでした。

 うずくまって泣いている、子どもの頃の吉平の痛みと悔しさと悲しみが不思議と伝わってきます。





「父上、俺はどうして産まれたんだ?」

 次に浮かんだのは屋敷の一室。

 怪我を負った吉平を手当している男の姿でした。

 彼は吉平に似ていて、とても美しい美男子でした。白を基調とした束帯を着ていました。


「それは僕が望んだことだ」


「なら父上を恨めばいいのか?」


 その言葉を悲しげに受け止めて、父親は言いました。


「この安倍晴明の子として産まれた宿命だ。当然、僕を恨めばいい。憎めばいい。それで吉平の気が済むのなら」

「……父上はずるい。そのような言い方をされたら、素直に恨めないではないか」


 すると晴明は「まあいじめられるのは当然かもね」と開き直るようなことを言いました。


「僕も嫌われ者だったし、今でも好かれちゃいない。この都では闇の者や順わぬ者は嫌われるからね。僕も他人を憎んだものさ」

「父上は何故、耐えられたんですか?」


 晴明は笑って言いました。


「それでも優しくしてくれる友人が居るからね。たとえ少なくとも、彼らが居れば耐えられる」


 吉平はいつか自分にもそんな友人ができるのだろうかとぼんやり思いました。





 そして次に映ったのは屋敷の庭先でした。吉平の屋敷に似ていますが、庭木や年月が異なっていました。


「貴様が噂の半々妖か」


 目の前の少女は何の衒いもなく吉平に言いました。まるでそれが悪いことだと思っていないみたいでした。


「あほんだら。そんな言い方をするんじゃあねえ」


 少女の頭を叩いたのは若き日の定森でした。

 そして彼の後ろにはもう一人の男の子が居ました。


「ごめんな。山吹は言葉を知らないんだ」


 そう言って手を合わせて謝った男の子は山吹と呼ばれた女の子によく似ていました。


「定海。こいつとちょっと遊んでやれ」

「分かりました父上。行こう吉平ちゃん」


 手を差し伸ばした定海の手を不思議そうに見つめている吉平。

 そして振り返って自分の父親である晴明に困ったような、嬉しいような視線を向けます。


「良いんだよ。その手を取っても。誰も何も言わないんだ」


 吉平はしばらく迷いましたが、意を決してその手を握りました。

 定海は嫌がることはなく、吉平の手を握り返しました。

 山吹は不満そうな表情をしてしました。


「さあ、遊ぼう! 山吹も一緒に行こう。かくれんぼしよう」


 手を引かれて、吉平は初めて人間と遊ぶことができたのです。

 そして初めての友人ができた日でもありました。




 大人たちの会話が風とともに聞こえてきます。


「ありがとう。息子に友人を作ってくれて」

「あほんだら。礼なんかいらねえよ」

「それでもありがとう」

「それより新しく弟子ができたみたいじゃねえか」

「ああ、蘆屋道満くんかな。彼は――」





 再び光景が切り替わります。

 晴明が布団の上で衰弱しています。もう長くはないことは彼の顔色で誰の目でも分かりました。

 傍らには成長した吉平と定森、数体の式神、そして黒衣の陰陽師が控えていました。


「……まさかお前が先に逝くとはな、晴明」

「あはは。若作りしてても、僕は八十四歳だ。寿命が尽きただけさ」


 苦しげに笑う晴明。吉平は必死に涙をこらえていました。


「ねえ。蘆屋くん。君を陰陽頭に叙任するようにお上に頼んでおいたよ。これからは君が都を守るんだ」

「師匠、私では荷が重すぎます」


 蘆屋と呼ばれた黒衣の陰陽師は吉平と違って滂沱の涙を流していました。


「心配要らないよ。君は優秀だ。僕とは違って魔の者の血が混じっていない人間であるのに、ここまで、僕の術を受け継いでくれたんだ」

「もったいないお言葉です……」

「定森くん、蘆屋くん、吉平のことを頼んだよ」


 そして最期に吉平に向けて遺言を残します。

「二人を父親のように思って、生きていきなさい。大丈夫だ。役目を果たすことはできるさ」


 吉平は晴明の手を握り「はい……!」と力強く握りました。


「はあ。もう思い残すことはない……長い人生だったけど、それなりに楽しかったなあ」


 それが最期の言葉でした。


「師匠……? 師匠!」


 蘆屋道満の呼びかけに応じることなく、晴明は亡くなりました。

 定森は泣きませんでしたが、握り締めた手から血が滲みました。

 吉平は晴明の手を握ったまま、呆然としました。






 時は移り変わります。吉平が陰陽寮に参内しているとき、蘆屋道満がふと向こう角から現れました。


「蘆屋さま。おはようございます」


 吉平が頭を下げると蘆屋道満は「ああ、吉平くんですか」とにこやかに笑いました。

 しかしどこか疲れているような顔色でした。


「最近、都を狙う魔の者が増えましたね」


 蘆屋道満は吉平の言葉に「まったく、絶えることがありませんね」と同意しました。


「何でも備前では鬼が現れたとか」

「鬼は伝説の武者、桃太郎が全滅させたはず。それは誤報でしょう」

「ならば良いのですが……」


 不安そうな顔をする吉平に蘆屋道満は「そういえば山吹さんとはどうなんですか?」とからかうように言いました。


「山吹とはなんでもありませんよ」

「しかし彼女はもうあなたのことを半々妖と呼ばなくなったじゃないですか。それどころか吉平お兄ちゃんと慕っているみたいで」

「それこそ兄としてしか慕っていないのでしょうね」


 蘆屋道満は「気になったりしないんですか?」と不思議そうに訊ねます。


「あいつは武芸に夢中なんですよ。薙刀振り回しているほうがお似合いだ」

「ふうん。そういうものですか」


 頷いた蘆屋道満に吉平は「お疲れのようですけど、大丈夫ですか?」と逆に質問しました。


「ええ。大丈夫ですよ。むしろ元気です。もう少しで悲願――いやなんでもないですよ。とにかく、私は元気です。うふふふ」


 そう言い残して蘆屋道満は去っていきました。

 吉平は不思議そうな顔をして見送りました。






 その日の晩のことです。吉平の屋敷に定海がやってきました。以前と比べてかなり成長した姿でした。


「こんな遅くに何かあったのか?」

「吉平ちゃん。とんでもないことが判明したんだ。できれば盗み聞きされないようにしてほしい」


 吉平はすかさず人払いの結界を張りました。これならば人間には聞かれる心配はありませんでした。


「それで。とんでもないこととは?」

「備前で鬼が現れた。それも一体じゃない。かなりの大軍だ」

「それは本当か? だけどどうやって――」

「これは草の者を使って調べたことだ。吉平ちゃんにはあまり言いたくないが」

「なんだ? 何を調べたんだ? 何が分かったんだ?」


 定海は深呼吸してから、改めて言いました。


「鬼に味方をしている人物が居たんだ。そいつの名は――」


 吉平は意外な人物の名に驚きます。


「そいつの名は――蘆屋道満。君の父親代わり、後見人だ」


 どこで歯車が狂ってしまったのでしょうか。

 どこで彼らは誤ってしまったのでしょうか。

 答えは誰にも分かりません。


 しかしはっきりしていることはあります。

 吉平は役目のために動きました。

 定海も務めのために働きました。

 それは間違いのないことでした。

 もしも過ちがあるとするならば。

 彼らは自分の力量を見誤ってしまったのです。

 二人だけでなんとかなると思ってしまったのです。


 だから知りませんでした。

 彼らの弱点となる人物が攫われて、利用されそうになるなんて――

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