十四章 過去と未来

第96話降伏魔

「俺の最高技術である『幸福』は『降伏魔』という。これは最初にこの部屋に入った吉備太郎ちゃんの記憶を元にそれぞれの幸福を創らせてもらったんだ。まあこの術の原型は『克服』だったんだけどね。勝手に改良したんだ」

「改良というよりも改悪に近いわね。こんなものは幸福とは言えないわ。ただの悪夢よ」


 竹姫は脇腹を押さえながら否定しました。いくら幻覚、幻想とはいえ受けた痛みは残っている気がしたのです。それくらい『降伏魔』は彼女の精神に影響を与えていたのです。


「それで、みんなはどうやったら目覚めるわけ? それくらい教えなさいよ」

「うん? ああ、簡単さ。自分でこの幸福を否定すればいいんだ。この術はどこか矛盾点がある。そこを簡単に突けば解くことができるんだ」


 竹姫は翠羽以外の人間は期待できないと思いました。吉備太郎は単純ですし、蒼牙は疑問を抱く人間ではありませんし、朱猴は快楽にどっぷり嵌る人間ですから。

 しかし竹姫には思いも寄らなかったのですが、翠羽こそ術中に嵌ってしまう人間だったのです。

 単純ではなく、些細なことでも疑問を抱く、快楽に逆らえる人間の翠羽ですが、自らの幸せ、つまりは陽菜との再会を否定できるほど強い人間ではなかったのです。

 矛盾に気づいていて、それすら無視をして夢の中に居られるほど、翠羽は賢かったのです。それはとても悲しいことですが。

 というわけで竹姫は独りで吉平を相手にしなければならないのです。


「…………」

「もう一つだけ術を解く方法はあるよ」


 黙りこんでしまった竹姫に追い討ちをかけるように吉平は言いました。


「術者本人に重傷を負わせるか、殺すことで解けるようになっている。だけど、竹姫ちゃんにはそういう力がないのは知っている」

「……敵に回すと本当に厄介ね」


 竹姫の言葉に「それを言うなら吉備太郎ちゃんのほうさ」と肩を竦めました。


「一心不乱に仇を討つために戦う。自分の死を厭わない。ただ殺す。まるで狂戦士だ。そんな人間に狙われた鬼は不幸としかいえないね。本当に――化け物だ」


 化け物という言葉に竹姫はすかさず否定しました。


「吉備太郎は化け物なんかじゃないわ。優しくて強い、あたしの大事な人よ」

「おやおや。しばらく会わないうちにそこまで親しくなったんだね」


 からかうように吉平は言いました。竹姫は挑発に乗らずに「吉備太郎は変わったわ」と告げました。


「猪突猛進だった頃とだいぶ変わった。周りが見えるようになったし、そして人のために動けるようにもなったのよ」

「人のため? 竹姫ちゃんのことかい?」

「違うわ。日の本の民のためよ」


 嘘偽りのない、吉備太郎をずっと見てきた竹姫だからこそ分かることを言いました。


「鬼を殺すために生きてきた吉備太郎はもう居ない。ここに居るのは未来のために生きる吉備太郎なのよ」


 すると吉平は溜息を吐きました。


「未来か。だけどその未来には俺は居ないだろうな」

「どうしてそんなことを言うのよ。今からでも遅くないわ。戻ってきなさいよ」


 竹姫にできることは吉平を説得することでした。それしか四人を助ける方法はありませんし、吉平を『助ける』ことができなかったのです。


「竹姫ちゃん、本気で言っているのかい?」

「この葛の葉砦が藤色に塗られている時点で分かっていたわ。あなたは吉備太郎と戦いたくないのよ」


 吉平は言葉を詰まらせました。


「葛の葉に藤色。葛と藤。つまり葛藤を表している。まったく賢いのか馬鹿なのか分からないわよ。誰も気づけないわ。戦いたくないのならはっきり言いなさいよ!」


 竹姫は怒っていました。吉平に対してもありましたが、対立してしまったことにも怒っていました。


「聞いたわよ。鬼妊薬というものを飲んで鬼の子を孕んだ女の子のために、裏切ったんでしょ」

「ああ、そうだ。そのとおりだよ」

「その件に関しては何も言えない。どちらも間違っているから。正しさなんてないわ。どっちも間違っているのよ」


「じゃあ、俺はどうしたら良かったんだ!」


 いつも冷静な吉平らしくない、感情にあふれた口調で竹姫に迫りました。

 それくらい吉平にとっての急所でした。


「俺だって分かっていたさ。でもどうしようもなかったんだ。だって、あの子は俺の母で、鬼の子は俺自身だったから……!」

「……? 何を言っているの?」


 吉平のうろたえように竹姫は不審に思いました。まるで触れてはいけないものに触れてしまったような感覚がしたのです。

 吉平は顔を抑えて、その場にうずくまりました。そしてか細い声で何かを呟きました。

 それは竹姫には届きませんでした。


「……竹姫ちゃん。残念だけど、ここで死んでもらうよ。本当に本当に残念だ。俺はもう決意してしまったんだ」


 しばらく時間が経って、立ち上がった吉平は既に覚悟を決めてしまいました。


「……残念なのはこっちよ。説得できたら良かったんだけど」

「せめて痛みのないように、一瞬で終わらせるよ」


 吉平は持っていた札から一振りの刀を召喚しました。


「鳴狐。名刀だ。これで首を刎ねてあげる。安心してほしい。これでも刀の扱いは慣れているから」


 一歩ずつ近づく吉平に竹姫は逃げることも抵抗することもしませんでした。

 ただ――吉平を見つめていました。


「……何故逃げない? どうして抗わないんだ? 俺は君を殺そうとしているんだぞ?」


 竹姫は短く答えます。


「あなたを説得できなかった時点で、負けだからよ」


 吉平は「そうか。君も覚悟を決めた人間だったな」と言いました。


「なら――黙って死んでくれ」


 吉平が竹姫を斬れる間合いまで迫りました。

 そして――躊躇もなく斬ろうとします。

 竹姫は受け入れて、最後まで吉平を見つめました。


 肉が裂ける音が砦の中に響きました。


「な、なんで……?」


 気づいたのは吉平と竹姫が同時でした。いや、吉平のほうが先だったのかもしれません。

 自らの腹を突き刺す槍に気づいたのは。


「竹姫殿に、手出しするな……!」


 なんと『降伏魔』を破り、目覚めたのは蒼牙でした。


「な、何故だ……?」

「……拙者の父は、既に死んでいる。これは吉備太郎殿にも話していないことだ。しかしあのまやかしでは生きていた。おかしいだろう……」


 これは吉平の誤算でした。仲間でも話していないことがあるなんて。信頼していた仲間ではなかったのかと思いました。


「父の死は話す機会がなかったからだ。それ以外の理由はない」


 蒼牙は槍を引き抜こうとしますが、力が入りませんでした。そのまま槍を離してしまいます。浅い段階で回避できた竹姫と違って、どっぷり嵌ってしまったせいで、まだ現実と幻想の間で揺れていたのです。

 倒れる吉平を呆然と見つめる竹姫。もう助からないと出血と傷の位置で分かりました。


「吉平さん……?」


 そのとき目覚めたのは吉備太郎でした。竹姫は最悪だと思いました。


「吉平さん! しっかりしてください!」


 蒼牙と同じく嵌っていた吉備太郎でしたが、友人が重傷を負った光景を見て、衝撃で頭がすっきりしてしまったのです。


「吉平さん、しっかりしてください!」

「……吉備太郎ちゃん……どうして……敵なのに……」

「関係ないですよ! だって私たち、友達じゃないですか!」


 その言葉に吉平は目を見開きました。


「そうか……やっぱり、俺は吉備太郎ちゃんには勝てないな」

「何を言っているんですか! 翠羽! 起きてくれ! 吉平さんを治してくれ!」


 必死に呼びかける吉備太郎に吉平は傷口を抑えるのをやめて言いました。


「俺の記憶、俺の想い、受け取ってくれ。頼む。お願いだ」

「……えっ?」


 吉平の身体が光り輝きました。

 すると吉備太郎だけではなく竹姫も蒼牙も、目覚めたばかりの朱猴も翠羽も光に誘われてしまいました。


 吉平が行なった術。

 それは自身の記憶を見せること。

 それは半々妖として生きた吉平の記憶であり。

 半々妖として迫害された吉平の忌まわしい過去でもありました。

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