第95話吉平との戦い
鬼退治を終えた蒼牙は吉備太郎と竹姫を連れて、故郷に向かいました。
これから一族郎党を集め、御家を再興しなければならないと覚悟を決めていた蒼牙でしたが、帰ってみると既に皆が勢ぞろいしていました。
「ど、どういうことだ? 何故皆が――」
戸惑う蒼牙に大勢の人々の中から一人の男が進み出ました。
「ああ、ああああ――」
蒼牙の父親でした。放逐されたはずの彼は「よくやったな蒼牙」と笑顔で言いました。
「今日からはお前が惣領だ。お前は自慢の息子だよ」
蒼牙は泣きそうになりましたが、ぐっと堪えました。一族郎党の前ならまだしも、吉備太郎と竹姫が一緒に居るのですから。
「蒼牙、私からも伝えておきたいことがあるんだ。ここで言ってもいいか? 竹姫」
「ええ。一族郎党の前で言ってあげなさい」
吉備太郎たちの言葉に戸惑いつつも「なんでしょうか?」と振り返ります。
吉備太郎と竹姫は今まで見たことのない笑顔でした。
「蒼牙。私の右腕になってもらいたい」
蒼牙は察しの悪い人間なので「どういうことでしょう?」と訊ね返します。
「征鬼大将軍の役目は大変なんだ。是非蒼牙には副将軍になってもらいたい」
度肝を抜かされる言葉でした。
「せ、拙者が、副将軍にですか!?」
「ああ。君が居なかったら鬼退治はできなかっただろう。だから受けてほしい」
この言葉で蒼牙の目からどっと涙が溢れました。子どものように泣き出す自分を抑えられませんでした。
ああ、なんて幸せなんでしょうか!
戦いを終えた朱猴は一人で故郷の信濃へと帰りました。出たくて仕方がなかった里ですが、役目が終わってしまった自分に残されているのは、里しかないと思ったからです。
「遅いぞ。何をしていたんだ朱猴」
出迎えたのは猿魔でした。厳しい目つきで朱猴をじろりと睨んでいます。
「悪かったな。ちょいと野暮用があったんだ。人気者は辛くてなあ」
嘯く朱猴に猿魔はしばらく何も言いませんでした。しかし堪えきれずに涙を流しながら「よくぞ無事で帰って来た」と言いました。
「あん? なんだよそんなにしおらしくなっちまって」
「う、うるさい! 弟が無事で帰ってきたんだ! 喜ぶのが当たり前だろう!」
朱猴は驚きました。素直でない姉からそんな言葉が聞けるなんて思いも寄らなかったのです。
「えーと、悪かったな。遅くなって」
「馬鹿! そんな言葉、聞きたくない!」
そう言って朱猴に抱きつく猿魔。
「ああ、朱猴! 無事で帰ってきてくれて嬉しい! もう戦うことはない。この平和な里で一生穏やかに暮らそう」
朱猴は一番聞きたかった言葉と一番叶えたかった願いが同時に実現しました。
戦うことでしか存在意義を見出せない忍者。一生涯穏やかに暮らすことなどできないと覚悟していました。
自分たちは頭領の子どもです。だからこその責任や重圧があったのです。
それから解放された実感が嬉しくて仕方がなかったのです。
「ああ。姉さん。一生面白可笑しく暮らそうや。もう人や鬼を殺さずにな」
朱猴も猿魔を抱きしめ返しました。
ああ、なんて幸せなんでしょうか!
翠羽は鬼を滅ぼしてから、征鬼大将軍の補佐である参謀という職に就きました。
鬼が滅んだとしてもやることはたくさんありました。日の本を豊かにすることが彼女の責務でもありました。
「ふう。吉備太郎さんのおかげでやりがいはありますね」
京の都の一角、参謀屋敷と呼ばれる執務室。
一息ついて、休憩しようとしたときでした。
「失礼します。甲斐の領主、高梨さまがお目どおり願いたいとのことです」
外からの声に翠羽は「ああ、通してください」と言いました。甲斐の領主が何の用かと思いながら、入ってくる者を待ちました。
開けられた障子の先には――
「お姉ちゃん。お久しぶりです」
死んだはずの妹、陽菜が立っていました。
「ひ、陽菜!? あなたは死んだはず――」
「それが死んでいなかったんですよ」
陽菜の後ろにいる高梨は言いました。
「どうやら勘違いしていたんですよ、前の領主さまは。死んだのは別人でした」
翠羽は何かおかしいと思いましたが、近づいてくる陽菜を見てどうでも良くなりました。
「お姉ちゃん! 会いたかった!」
抱きしめられる翠羽。陽菜の体温、感触、そして匂い。その全てが幻覚ではないことを思い知らされました。
「ああ! 陽菜! ごめんね、駄目なお姉ちゃんでごめんね!」
抱きしめ返しながら、翠羽は涙を流しました。もう二度と会えないと思っていた妹の再会によって幸福に包まれたのです。
「お姉ちゃん。もう二度とどこにも行かないで。ずっと陽菜と一緒に居て」
「うん。僕は二度と離れない!」
抱き合う姉妹。地位と財産のある今、これからは不自由なく暮らせると翠羽は確信していました。
ああ、なんて幸せなんでしょうか!
「……この状況はなんなんでしょうね」
竹姫は混乱していました。
それというのも、目の前に広がる光景が信じられなかったからです。
砦の中心部らしき場所で、蒼牙、朱猴、翠羽が倒れていました。
しかし怪我を負っているわけでもありません。
三人はなんとも幸せそうに眠っていました。
幸福感や多幸感に包まれている表情。傍から見ても良い夢を見ているような感じでした。
「なんと面妖な。三人は生きているようだけど」
「きっと吉平の呪術よ。何の呪術を使ったのか分からないけど」
そう言って竹姫は三人に近づきました。彼女にしては無用心だと言わざるを得ないほど無策でした。
「竹姫! 危ない!」
吉備太郎の声に反応して竹姫は一歩下がりました。下がった瞬間、足元に一本の矢が突き刺さりました。
「きゃああ! 吉平のやつ、容赦ないわね」
竹姫は素早く吉備太郎の近くに下がります。
「気をつけよう。吉平さんは本気だ」
「ええ。完全に殺しにかかっているわ」
竹姫は吉平らしくないと思いましたが、次の瞬間、そんな考えが吹き飛びました。
「――え?」
どこからともなく現れた一本の槍に、脇腹を一突きされる竹姫。
「……竹姫?」
吉備太郎もあまりのことに驚いています。
「あ、ああ――」
その場に倒れ伏す竹姫。
「竹姫! ど、どうして、どうして――」
駆け寄る吉備太郎の顔は滂沱の涙で覆われていました。
「き、吉備太郎……逃げて……」
どくどくと出血している竹姫は刹那に見ました。迫り来る槍や矢が吉備太郎を狙っているのを。
「早く逃げなさい! 後ろから狙われているわ! だから――」
吉備太郎は後ろを見て、それから竹姫を見て――
ぎゅっと抱きしめました。
「――吉備太郎?」
吉備太郎の顔を見るとこれまでにないくらい穏やかな表情でした。
全てを受け入れ、覚悟した表情でした。
「吉備太郎? あたしと一緒に死んでくれるの?」
竹姫の問いに吉備太郎は頷きました。
竹姫はこんな状況なのに嬉しくて仕方がありませんでした。
独りで生まれた自分でしたが、死ぬときは独りきりではないのです。
ああ、なんて幸せ――
「ふざけないでよ……」
竹姫は怒りに満ちた眼で立ち上がりました。
脇腹の傷も出血ももはやありません。
「こんなのはまやかしよ」
そう呟いた瞬間、ぱりんと何かが割れる音が響き、世界は反転して、現実へと回帰しました。
「……流石、竹姫ちゃんだね」
目の前にいるのは、真っ白な服装。頭の上には狐耳。そして九尾を生やしている一人の美丈夫。
安倍吉平でした。
「陰陽師としての俺の最高技術である『幸福』から逃れるなんて。脱帽だよ」
竹姫は周りで幸せそうに眠っている吉備太郎たちを一瞥しました。
そして――
「許せないわ……こんな屈辱、初めてだわ」
激怒していることは誰の目からも明らかでした。
「人の心を弄ぶなんて、絶対に許さないわ!」
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