第94話虎秋との戦い

「面妖なことが起こるのは慣れているが、これほど面妖なのは、初めてだ」

「そうね。どんな呪術を行なったのかしら」


 目の前に広がる風景。それは今は無き吉平の屋敷そのものでした。

 キラキラと輝く池には鯉が優雅に泳いでいます。松の木には雀。四季の花々が彩っており、まるで一つの世界が創られているような。

 そして砦の中だというのに空がありました。すっきりとした晴れの天気で、初めて吉備太郎が屋敷に訪れたときと似ている――いや、同じ状況でした。


「待っていたぞ、吉備太郎」


 正面に立ちふさがるのは、門番の姿ではなく、武者らしい凛々しい鎧姿の虎秋でした。


「虎秋さん……」

「我が主と会いたければ、戦え」


 するりと刀を抜く虎秋。


「お前がどれだけ強くなったのか、教えてくれ。本気で相手をしてやる」


 正眼に構える虎秋に吉備太郎は「その前にいいですか?」と話しかけました。


「なんだ?」

「虎秋さんを倒せば、吉平さんに会えるのですね?」

「先ほど申したどおりだ」

「正直、複雑な気分ですよ」


 吉備太郎は竹姫から離れました。彼女の不安そうな視線を無視するように。


「虎秋さんと吉平さんとは戦いたくない。だけど戦いたい気持ちもある。矛盾するようだが、自分の力を試したい」


 そして吉備太郎はにこりと笑いました。


「なんなんでしょうね。この気持ち。面妖で仕方がない」


 それを聞いた虎秋は――彼らしくない苦笑をしました。


「それはお前が男として成長したからだ。武者として生きてきたからだ」

「男として、武者として……」

「ああ。それがお前の生きる道なのだ」


 吉備太郎は戦うことに喜びを感じません。鬼を殺せればそれでいい子どもでした。

 しかし数々の戦いと膨大な修行の末、吉備太郎の心境に変化が生じました。

 はっきり言ってしまえば、大人へなるという自覚でした。


 思えば吉備太郎は奪われる者でした。

 故郷の村を奪われ、両親や友人を奪われた吉備太郎。そしてようやくできた吉平という友人も鬼によって奪われたのです。


 しかしながら吉備太郎は旅の中で奪われる者から脱却して、勝ち取る者へと進んだのです。

 戦いによって得た仲間たち。そして征鬼大将軍という地位。これからは吉備太郎の努力によって手に入れました。

 だからこそ、今は勝たねばなりません。

 吉備太郎自体感じていますが、虎秋も式神ながら分かっていました。


「吉備太郎。生きるということはどういうことか分かるか?」


 不意の問いに首を振る吉備太郎。


「分かりません。私は今まで死に損なっていただけです。生きてなどいなかったかも」

「教えてやろう。生きるということは乗り越えるということだ」


 虎秋は自身の考えを告げます。


「乗り越える?」

「そうだ。人間は己の運命、環境、人生を乗り越えるために生きている。式神の身ながら我が主を見ているとそれがよく分かる」


 そして虎秋は「刀を抜け、吉備太郎」と声をかけます。


「問答は終わりだ。さあ、戦おう」


 吉備太郎は応じるように背筋を伸ばし、刀を抜き八双の構えを取りました。


「虎秋さん。今度は勝ちますよ」

「来い。打ち砕いてやる」


 まず最初に仕掛けたのは――吉備太郎でした。間合いを神速ともいえる素早さで詰めて、刀を振り下ろします。

 虎秋は斬撃を峰で受け止めます。そのまま抑えると贅力をもって吉備太郎を跳ね飛ばします。

 再び間合いが開きました。次に吉備太郎は脇構えに移行します。このことで刀の長さを隠します。

 一方の虎秋は正眼を崩すことはありません。あくまで基本に忠実にあろうとします。


 膠着する状況の中、動いたのは虎秋でした。

 正眼に構えたまま、吉備太郎に突貫してきます。防御を保ちつつの攻撃。対処するのは容易ではありません。

 吉備太郎は虎秋の意図を読み解くことができませんでした。白鶴仙人の修行によって先読みの力は備わっていますが、どうも読めません。

 その理由としては虎秋が人や鬼と違って無心であることが挙げられます。挙動に迷いが無く、無駄な考えもありません。

 真の武者が辿り着ける、武の境地ともいえる心力。この場にいる全員、そして吉平は知りませんでしたが、虎秋は式神ゆえの極意を会得していたのです。


 突貫してそのまま突きを繰り出す虎秋。鋭い突きでしたが吉備太郎にとっては避けるのは容易でした。そのまま回避しつつ、切り上げようと試みますが、ぞくりとした悪寒が走った吉備太郎は後方に飛び退きます。

 結果から言えばそれは正答でした。虎秋は突きを一回だけ繰り出したのではありません。

 計五回。一呼吸の間にそれだけの突きを放ったのです。


「ほう。五段突きを避けるか」


 虎秋は内心、吉備太郎を褒め称えたい気持ちでしたが、そんな油断や余裕はありませんでした。

 吉備太郎は荒くなった息を整えると、虎秋を見据えました。最初に戦ったときより格段に実力が上位になっています。

 長期戦は不利であると本能で悟る吉備太郎。

 吉備太郎は刀を納めて、抜刀の構えを取りました。


「……虎の太刀とは違うな」


 虎秋は嬉しい気持ちで一杯でした。自分の技を昇華してくれた吉備太郎に礼を言いたいほどでした。


「……虎秋さん。式神奥義は使わないんですか?」


 吉備太郎の問いに虎秋は「意味がないからな」と短く応じます。


「鬼を一撃で切り裂く力と速さに耐えるほど、万能ではない」

「…………」

「次の一撃で終わらそう」


 虎秋も刀を納めて、抜刀の構えになります。


「どちらが速く斬れるか。ただそれだけの勝負だ」

「ええ。いいですよ」


 静まり返る周囲。見守る竹姫は思わずやめてほしいと言いかけました。

 吉備太郎のことが第一でしたが、虎秋のおかげで吉備太郎はこんなにも強くなったと分かっていました。できることなら両方死んでほしくないのです。

 しかし竹姫は口を閉じました。両手を強く握り締めて、見守ることを選びます。

 自分のできるのはそれしかないのだと分かっていましたから。


 静寂に包まれた庭。きっかけとなったのは、池に居る鯉の跳ねる音でした。


「――抜刀術、白虎の太刀!」


 虎秋の秘剣が吉備太郎に襲い掛かります。


「――天羽々斬」


 応じるように吉備太郎の奥義が繰り出されます。

 閃光が弾けるような空間の歪み。

 勝負は一瞬で決まりました。


「……ぐふ」


 吉備太郎の身体が崩れて両膝を着きました。

 思わず駆け寄ろうとした竹姫。しかし思い留まります。

 決着は、まだ着いていなかったからです。


「……見事だ、吉備太郎」


 そう言った瞬間、虎秋の左肩から腰まで、一文字の斬り傷が生まれ、そこから噴水のように血が吹き出ました。

 そのまま、倒れこむ虎秋。

 勝者は――吉備太郎でした。


「吉備太郎!」


 竹姫は走って吉備太郎に近づきます。


「大丈夫なの!?」

「……脇腹を少し斬られた。流石虎秋さんだな」


 見ると血がにじんでいましたが、たいした怪我ではありませんでした。

 そして空間が歪み、虎秋と屋敷の庭は綺麗さっぱり無くなって、元の砦の内部になりました。


「さあ、行こう。竹姫」

「待って。治療しないと」

「翠羽が先で待っているさ」


 吉備太郎は竹姫に支えられながら次の間に進む扉へ足を運びます。


「ありがとう、竹姫」

「うん? 何がよ?」

「見守ってくれて。それが嬉しかった」


 何が嬉しいのか判然としませんが、竹姫は「馬鹿なこと言わないの」と言いました。


「次が本番なんだからね。吉平にようやく腹を割って話せるのよ」

「もう脇腹が割れているけどね」

「面白くない冗談ね」


 ようやく会える友人に、吉備太郎は何を語るのか。

 それは会ってみないと分からないことでした。

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