第93話蒼龍との戦い
翠羽の目の前に広がるのは、周りに遮蔽物はなく、罠など小細工のしようのないまっさらな場所。日が暮れようとしている黄昏。まるで血のように赤い夕焼けが美しい草原でした。
「ああ。お待ちしておりました。ええと、まだお名前を伺っていませんでしたね」
草原の中央にぼつんと置かれた机と御座、そして蒼い日傘。そこには蒼龍が座っていました。
「僕の名は翠羽です。君は蒼龍くんだね」
「流石に会話でこっちの名前は知られていますか。さあ、こちらへどうぞ。翠羽さん」
蒼龍の手招きで翠羽は無用心に近づいて、蒼龍の目の前に同じように座ります。
「……意外と大胆なんですね。罠の可能性を考えなかったんですか?」
「それをする意味はありませんから。君は多分、違うことを望んでいると思うから」
「ほう。僕が望んでいること、ですか」
翠羽は蒼龍を見据えて言いました。
「君は――戦いや殺し合いではなく、話し合いを望んでいる」
ざあっと風が吹き、草原を揺らしました。
「ご名答。僕はあなたと話し合いがしたいんです。翠羽さん」
「話し合いといっても、互いの主張を話すだけだと思いますけど」
「それでも無意味ではありませんよ」
蒼龍はおもむろに指をパチンと鳴らしました。すると机の上に緑色の液体が入った茶碗が現れました。
「これは大陸から輸入してきたお茶というものです。結構美味しいですよ」
「こんな珍しいモノをいただけるのは、なんだか嬉しいですね」
毒が入っているかもしれないのに、翠羽は躊躇なく飲みます。
いえ、これは力や技ではなく、知恵と策略でもなく、精神の戦いでした。
いわば、心を掴む問答。
「……美味しいですね」
「ええ。美味しい茶菓子も用意すれば良かったのですが、そこまでは気が回りませんでした」
気恥ずかしそうに笑う蒼龍を見て「君は子どものような式神なんですね」と翠羽は問いました。
「僕は虎秋――ああ、吉備太郎さんと因縁のある式神ですが――の反省で創られたんです。無邪気さと子どもらしさを主眼に置かれて」
「君の主人はどうして式神を?」
「さあ? 吉平さまの考えることは分かりませんよ。たとえ魂を分かつ存在といえども」
「魂を分かつ? じゃあ君は――」
「そう。吉平さまの魂を媒介に創られた式神。氷亀や雲雀なんかは特別だと言うだろうけど、僕からしてみれば、ただの虚しい戯れです」
そこで蒼龍は子どもらしからぬ憂鬱な表情を見せました。
「自由意志を与えられているようで、決して吉平さまには逆らえない。まるで人形に等しい存在です」
「…………」
「それでも。人形のような存在でも、主人の役に立ちたいと願うのは、至極当然のことだと思いませんか? 翠羽さん」
翠羽は「もしも操られていないのなら、それは素晴らしいことです」と返します。
「操られている、ですか。僕も考えたことがありますが違いますよ。根底には従わないといけないと思っているのかもしれません。しかしこの気持ちだけは真実であると確信しています。いや真実というより真心であると」
そこで蒼龍は自分の分のお茶を一口だけ含みました。
「翠羽さんはどうなんですか?」
「――僕、ですか?」
「翠羽さんはどうして吉備太郎さんに従っているんですか? 縛られていないのに」
翠羽はしばし悩んで「だって、ほっとくとあっさり死にそうなんですよ」と答えました。
「ほっとけばいいと思うのは僕が式神だからですかね?」
「ううん。式神じゃなくてもそう思うのは当然だと思う」
翠羽はなんと言えばいいのか悩んでいました。竹姫と違ってあまり饒舌ではありません。
「高い塔の上で命綱なしで逆立ちしているような人なんですよ、吉備太郎さんは」
「……なんとなく分かります」
「周りから見ていても、近くから見ていてもおっかなくて仕方がないんです。そして塔から落ちるのは吉備太郎さんですけど、その死体を見るのは、僕たち仲間なんです」
翠羽は蒼龍に向かって言います。
「そんな悲惨な光景を見たくない。そう思うのは至極当然なことではないですか?」
「……確かにそうですね。では個人的な忠誠は皆無ということですか?」
蒼龍の問いに翠羽は首を振りました。
「いえ。個人的には好きですよ。僕は吉備太郎さんのことが好きです。僕の過去ではなく、現在を見据えて信用し、信頼してくれる吉備太郎さんが好きなんです」
そこで蒼龍は切り込みました。無策に見えるような向こう見ずな問いを発します。
「その吉備太郎さんが、何の罪もない子供を殺そうとしてもですか?」
夕闇がぬらぬらと照らす草原が再び風で揺れました。
「……桔梗という方が絡んでいるんですね」
「なんだ。知っていたんですか?」
「吉平さんが陣中に来たときにそんな会話をしていたから知っていたんです」
翠羽は竹姫とは方向は違いますが、かなり賢い人間です。ちょっとした会話から大体の推測はついていました。
「吉平さんが言っていた『万が一、鬼の総大将を倒しても生き残りが居る』という言葉。桔梗という女性の名前からして、推測されるのは、桔梗そのものが鬼の子であること。もしくは鬼の子を孕んでいるということの二通り。蒼龍さん、どっちなんですか?」
翠羽の推理に感心してしまった蒼龍。
「凄い頭脳をお持ちだ。ええ、後者のほうですよ。桔梗さんは鬼の子を孕んでいます」
「……鬼が犯したのですか?」
「いえ、鬼妊薬という薬がありまして。それを飲むと鬼の子を孕むのです」
翠羽は「なるほど。だから殺すしかなかったんですね」と頷きました。
「吉備太郎さんは非情ですけど、それでも人の心はあります。あの人にとっても苦渋の決断だったのでしょうね」
「一方の吉平さまは桔梗を生かす道を選びました。それで対立したんです」
蒼龍は両手を広げました。
「ここは吉備太郎さんと吉平さまが決別した場所なんですよ。というか鳥居を最初にくぐった人の記憶を元に創った空間なんです」
「他者の記憶を元に創ったから、そこまで力を必要としていないわけですか。だからここまでの埒外な呪術が行使できるわけですね」
翠羽は感心したように言いました。
「さて。結構語りましたが翠羽さんはそれでも吉備太郎さんの味方をするんですか?」
蒼龍は問います。翠羽の心を射抜くように。
「吉備太郎さんは正義ではありません。自分の復讐のために罪もない人間を殺そうとする罪深い人間です。それでもあなたは加担する気ですか?」
翠羽は目を閉じました。今までのことを振り返ります。そして答えが出ました。
「もちろん――僕は吉備太郎さんに従います。何があっても仲間でいますよ」
その答えを意外に思ったのか蒼龍は「どうしてそこまで言い切れるんですか?」と驚きを隠せない様子で訊ねました。
「吉備太郎さんがやろうとすることは確かに罪深いし、正義ではないでしょう。しかしこうも考えたことはありませんか?」
「……なんですか?」
それは根底を覆す言葉でした。
「はたして吉備太郎さんは、本当に桔梗さんを殺せるのでしょうか?」
それを聞いた蒼龍はハッとしました。
「おそらくは殺せないと思いますよ。いや絶対に」
「どうしてそんなことが言えるんですか!」
蒼龍の言葉に翠羽はあっさりと言います。
「僕たち仲間が止めるからです。だからこその仲間なんですから」
蒼龍はそれを聞いて、愕然とした後、弾かれたように大笑いしました。
「あははは! 要するに吉平さまも吉備太郎さんも大馬鹿だってことじゃないですか!」
蒼龍は笑いながら涙を流します。
「ありがとうございます。翠羽さん。おかげでようやく安心できました」
そう言い残すと蒼龍はすっと姿を消します。それと同時に周りの風景が歪み、砦の内部へと変化しました。
翠羽は残された机の上にあるお茶を一気に飲み干しました。
「蒼龍くん。あなたは人間以上に優しい式神ですね」
翠羽は立ち上がり、次の間へ進む扉に向かいます。
「吉備太郎さん。あなたはまだやり直せます。生きてさえいれば、なんだってできるのですから」
翠羽の脳裏に浮かぶのは彼女の妹の陽菜でした。
翠羽は二人が分かり合えると信じています。
吉備太郎ならば、きっと。
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