十章 修行

第74話煩わしい争い

「おお! 吉備太郎くんと竹姫ちゃん。一体どこに行ってたんだい? 屋敷に居ないから心配したよ」


 竹姫を取り戻した翌日。吉備太郎は竹姫を伴って右大臣の屋敷に訪れました。

 右大臣はにこやかに笑って、屋敷の一室に二人を案内しました。


「ええ。少し用事がありまして。鎌倉を少し離れていました。しかしもう解決したので、安心してください」


 吉備太郎の言葉に右大臣は「そうかい。なら良いんだ」とまた笑いました。

 一室には右大臣だけではなく、護衛として傍らにはあの武者たちが居ました。黒井と高木です。控えている彼らにも吉備太郎は挨拶をしました。


「黒井さんと高木さんもお久しぶりですね」

「まあな。それよりも名田川の戦いでも大活躍だったじゃないか。素晴らしいことだ」

「流石に鬼退治の若武者なだけはあるな」


 口々に褒める黒井と高木。吉備太郎は「いえ、それほどではありません」と謙遜しました。


「それでだ。吉備太郎くんは用事があって、私に会いに来たのだろう? 一体何があるんだい?」


 右大臣は流石に察したようです。

 吉備太郎は「まずは竹姫の話を聞いてください」と言いました。

 竹姫の顔を見た右大臣はなんだか憑き物が落ちたように表情が柔らかくなったなと思いました。


「うん。竹姫ちゃん、話はなんだい?」

「ええ。御上やあなたたち貴族の今後の戦略を聞きたくて」

「今後の戦略かい? 漠然としていて分からないな」

「じゃあ具体的に訊くわ。いつ都を奪還する気なの?」


 それを聞いた右大臣は困った顔になりました。今まさに悩んでいることだったからです。


「そのことなんだけどね。実は二つの派閥に分かれているんだよ」

「また派閥ができているの?」


 呆れた竹姫でしたが、右大臣はもっと呆れているようでした。


「今は争っている場合じゃないんだ。ちゃんと歩調を合わせないと都を取り戻せない」

「それで、二つの派閥の詳細は?」


 右大臣は「前と同じなんだけどね」と前置きをしてから言いました。


「今すぐ攻め上がるべきという派閥と時機を待つべきだという派閥に分かれているんだ」


 どうして足並みを合わせられないのでしょうか。それは貴族という人種にありがちな利己主義的思考に囚われていることに由来します。彼らは国家の重大事件よりも自分の利益や権益のために争うという本末転倒な考え方をしています。だからこそ対立してしまうのです。だからこそ余程のことが無いかぎり、意見の一致ということはありえないのです。


 竹姫は溜息を吐きました。


「単刀直入に訊くけど、右大臣はどっちの派閥なのよ?」

「私は時期尚早だと思う。それは先の戦いに大勝してしまったからだ」


 右大臣は困り果てたように二人に言いました。


「嚢沙之計でこちらの損失無くして勝ってしまった。鬼は本来おそろしいものなのに、それをたいしたものではないように皆は思ってしまったのだ。それは大変不味いことだ」


 竹姫は頷きました。




 また、二人が出かける前に翠羽がこう言っていました。


「もしもこのまま進軍したら確実に大敗しますので、必ず止めてくださいね」

「それはどうしてよ?」

「武者たちが勝利によって浮き足立っています。鬼を侮っている人も見かけます。この状態は良くないです」


 竹姫はどこに行くのか、誰に会うのか、仲間には一言も言ってないのに、まるで見透かされたような心地がしました。

 味方にすると頼もしいけど、敵に回ったらおそろしいわねと心の中で思いました。




「だからこそ、ここは武者たちの実力と連携を養うために調練が必要なのだ。そう提案したのだが、なかなか受け入れてくれなくて。勝ち方も問題があるな」


 吉備太郎は勝って問題が生じることをどこか不思議に思っていました。

 吉備太郎は武勇に優れていましたが、操軍となるとよく分からないのです。

 軍事的才能が皆無なのです。戦略家でもなければ戦術家でもない、ただの武者である吉備太郎にそれを求めるのは酷な話でした。


「なるほどね。またあたしが諭しても良いけど、それじゃあ根本的な解決にはならないわね。同じ派閥の人は? また鷲山中納言?」

「そうだけど」

「またあの人の味方にならないといけないのね……」


 うんざりする竹姫に右大臣は「中納言はあれでも御上のために働く人さ」と諭しました。


「何か良い手はないかな?」


 右大臣の問いに「一つだけ荒療治だけど方法はあるわよ」と竹姫は言いました。


「あるのかい!? 教えてくれるかな?」


 竹姫はもったいぶらずに言いました。


「方法は二つ。一つは『鬼の軍勢がまた攻めてくる』という虚言を鎌倉中に広める。もう一つは別の争いを作るのよ」


 右大臣は「前者は分かるけど、後者はよく分からないな」と解説を求めました。


「そうね。例えば『空席になっている征鬼大将軍の地位を武者の誰かに就ける』ってすれば良いんじゃない?」


 適当に考えた案でしたが、右大臣は頷きました。


「なるほど。それは面白い。武者たちの関心を集めることもできるし、征鬼大将軍に相応しい軍を創るという、調練をする口実にもなるだろう。武者が争えば貴族が口出してもなかなか動けないだろう」


 右大臣はにっこり笑いました。


「ありがとう。これでなんとかなるかもしれない」

「そう。ならいいけど。あたしたちも時間を稼ぎたかったのよ」


 右大臣は首を傾げました。


「吉備太郎くんのことだからすぐに鬼を討伐したいと思ったけど、違うのかい?」


 吉備太郎は「そうしたいのは山々ですけど、私たちの実力が伴っていないのです」と事実を述べました。


「今回、この場にお邪魔したのは鎌倉の近く、手柄山で修行を行なうことを報告しにきたのです」


 右大臣は驚きました。まだまだ吉備太郎にはやってもらいたいことが山ほどあったからです。

「修行って、どのくらいするつもりかな?」

「三ヶ月ほど。それで鬼の総大将を討ちとってみせます」


 右大臣は顎に手を置きました。そのくらいの期間であれば調練も一通り終わります。それに合わせて帥を出せば――


「必ず戻ってくるのなら、良いと思う。しかし私にも相談したいことがあるから、手柄山を訪れてもいいかい?」


 吉備太郎は「いえ、それはできません」と断りました。


「修行に集中したいのです。安心してください。竹姫は修行しませんので、相談なら竹姫にしてください」


 右大臣は悩みましたが、鬼を倒すためなら仕方がないと判断しました。


「分かった。吉備太郎くん、必ず強くなって戻って来るんだよ」


 吉備太郎は頭を下げました。


「ありがとうございます」


 それから竹姫は「あと一つだけ訊きたいことがあるんだけど」と右大臣に問います。


「うん? なんだい?」

「桃太郎について、何か知っていることない?」


 その言葉に右大臣は僅かに動揺しました。

 傍らに居る黒井と高木は「何故昔話を持ち出すのだろう?」と疑問に思っているのに、明らかに動揺したのです。


「……桃太郎について、どうして知りたいんだい? もしかして鬼を倒す方法を桃太郎から学ぼうとするのかい?」


 右大臣は冗談っぽく言ってましたが、竹姫は畳みかけるように言います。


「最近分かったことだけど、吉備太郎は桃太郎の子孫なのよ。それでも――嘘を吐き続けられる?」


 右大臣の顔は真っ青になりました。


「まさか。そんなはずは……」

「何か知っているの?」


 右大臣は目を伏せて、それから言いました。


「修行を終えたら、全てを話そう。それで構わないかな」


 竹姫はなおも追及しようとしましたが、吉備太郎に「竹姫、もういい」と止められました。


「右大臣さま、信じていいのですね」


 吉備太郎はなんだか重大なことが起きようとしていることが分かりました。自分の身に何が起ころうとしているのかが、分かってしまったのです。


「すまない。今は言えないのだ」


 このとき、既に右大臣は覚悟を決めていました。

 それは吉備太郎に殺される覚悟でした。

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