第73話確かな絆
「ああ、申し遅れたね。私は監房局の局長、流水(りゅうすい)という。よろしく頼むよ」
にこやかに笑う流水でしたが、朱猴は彼を魯蓮よりも警戒していました。
武器を帯びていないはずなのに、物腰が柔らかなはずなのに、どうしても本能的に危険と判断してしまったのです。
それは蒼牙も同じでした。彼も長槍を握り締めて流水に向けています。
「あなたは魯蓮さんの上役に当たる方ですよね。やりとりと役職から推測すると」
翠羽が訊ねると流水は頷きました。
「そのとおり。かぐやさんの処遇を任されているよ。だから今回の件は非常に残念だ。愛らしい少女を裁かなければいけないなんて」
近くに歩んでくる流水を見て蒼牙と朱猴は竹姫の前に立ちふさがりました。
「おっと。こっちに近づくなら相手になるぜ? 局長さんよ」
「竹姫殿には指一本触れさせないぞ!」
流水はそれを無視して、彼らを通り過ぎて、魯蓮のほうへ近づきました。
「立てるかい? うん? まだ不十分じゃないか。私が治してあげよう」
流水はそう言って呪術を行使して、魯蓮の傷を治しました。どうやら自分の傷を治すよりも他人の傷を治すほうが容易なようです。
「あ、ありがとうございます。局長」
「うん。それじゃあ帰ろう。日の本の空気はあまり好きじゃない」
すたすたと歩く流水に魯蓮は戸惑ったように「あの、かぐやはどうするんですか?」と訊ねました。
「うん? ああ、それはもういいんだ。先ほど申請した」
「申請、ですか?」
「罪人、かぐやは死罪よりも重い罪に処せられることになった」
そして流水は竹姫を見ました。
哀れむのではなく、見下すのではなく。
ただこの先を案じているような目。
「君は月から永久追放になった。護送を拒否して妨害した罪で。かの有名な桃太郎と同じ刑だよ」
仲間たちは喜んで良いのか悪いのか分からなくなりました。竹姫は故郷に戻れなくなった代わりに生きることができたのです。
それが竹姫にとって良いことなのか判然としませんでした。
「そう。あたしは一生日の本に居て良いのね。そのほうが助かるわ。月なんて行きたくないから」
竹姫は笑いながら言いました。
「竹姫さん、それで良いんですか?」
翠羽は仲間の代わりに、眠っている吉備太郎の代わりに訊ねます。
「確かに死ななくて済みました。しかし月に行けなくなったのは事実です。淋しくないんですか?」
竹姫は眠っている吉備太郎の頭を撫でながら穏やかに言いました。
「あたしには吉備太郎が居る。あなたたち仲間も居る。淋しくなんて無いわよ」
何も後悔していない決意に満ちた表情で流水と魯蓮に向かって言いました。
「あたしは日の本で生きていく。あなたたち月の民の都合に振り回されることなんて、真っ平御免よ。あたしは自分の信じた人と生きる。育んだ絆は誰にも壊されない!」
流水はにっこりと笑いました。
「そう。それで良いんだ。その覚悟こそ、月の民に相応しい。日の本の民にはない、綺麗で純真な覚悟さえあれば、どんな困難でも打ち倒せる」
そして魯蓮を伴って望月汽車の中に入り、二人は去っていきました。
煌々と光る一本の道が消え去っていくのを見届けてから竹姫はみんなに言いました。
「ありがとう。助けてくれて」
仲間たちは顔を見合わせました。
「そんな水臭いことを言わないでください。竹姫殿」
「そうだぜ。困ったときはお互い様じゃねえか」
「僕たちは助けたいから助けただけです」
それらの言葉に泣きそうになりますが、なんとか堪えました。
「それにしても、吉備の旦那はすげえ竹姫のことが好きなんだな」
からかうように言う朱猴に対して竹姫は動揺して「はあ!? あなた何言っているのよ!」と言いました。
「だってよ。竹姫が攫われたとき、かなり錯乱してたんだぜ。まるで恋人を奪われたような感じで」
「それは僕も感じました」
翠羽も朱猴に合わせてからかいました。
「まるで大切な人と別れてしまったような素振りでした。本当に想い人なんですね」
そして吉備太郎を背負っている蒼牙はとどめとばかりに言い放ちました。
「祝言はいつ挙げるのですか?」
竹姫は無言で三人の頭をぱあんと叩きました。
その音は望郷山に響き渡りました。
そして翌日。
吉備太郎が起き出したのは昼前のことでした。寝すぎて頭が痛いと感じながら起きると、自分が部屋の一室に居ると分かりました。
その次に竹姫がどこに居るのか、寝ぼけたまま探すと吉備太郎の枕元で正座をしているのが見えました。
「あ、おはよう吉備太郎」
「竹姫……あの後、どうなったんだ?」
部屋には吉備太郎と竹姫しか居ませんでした。竹姫はあっさりと言いました。
「あの後で、偉い人が来て『お前は月から永久追放だ』って言われたのよ。だから死罪にならずに済んだのよ」
それを聞いて、吉備太郎は喜びました。しかし次の瞬間には悲しくなったのです。
「竹姫、悪かったな。私のせいで故郷に帰れなくなってしまって」
竹姫はくすくす笑いました。
「あなたはみんなと同じことを言うのね。でも大丈夫。見たことの無い故郷なんて、何も感慨はないわ」
吉備太郎はそれが真実なのかどうか判別できませんでした。だからこう言ったのです。
「私の前では本音で話してほしい。本当に月に帰らなくても良かったのか?」
竹姫はしばらく黙って、それから自分の本心を言いました。
「本当なら両親の仇を討つのが正しい道だろうけど、あたしはそんなのに興味ないのよ」
吉備太郎は口を挟まずに聞いていました。
「あたしの両親は月で反乱を起こして死んだのよ。それは悲しいことよ。でもあたしは両親を知らないし、愛されたこともない。赤の他人と同じなの。それに両親のせいであたしは閉じ込められたのよ。恨みしかないわ」
そして一度口を閉じて、それから話し続けます。
「そういえば話していなかったけど、あたしがこうして話せるのは、姉のおかげなのよ。おせっかいなことにあたしに言葉を教えたのよ。そして日の本の常識やしきたりと教わった。それがあたしの助けになっている。でもね、その姉のせいで両親は死んだのよ」
竹姫の目がだんだんと暗くなっています。
「姉が裏切ったせいであたしがこんな目に合わされている。それがとても悲しいことだった。誰を恨めばいいのか、分からなくなった。だけどね、最期に姉はこう言ったのよ」
竹姫は何度も思い返した言葉を吉備太郎に言いました。
「あの人は言った。『あなたは独りだけど、ずっと独りで生きていく必要はないわ。必ず寄り添って生きてくれる人が居るはずよ。だって、この世界に産まれて、独りぼっちで死んでいくなんて、そんな悲しいこと、ありえないんだから』ってね。信じられなかったけど、それが叶ったのよ」
竹姫は吉備太郎の顔を見ました。
「あたしに寄り添ってくれる人がここに居る。それだけであたしが産まれてきた意味があるのかもしれない。そう思えた」
竹姫はにっこりと微笑みました。
「ありがとう。吉備太郎。あたし、あなたに会えて良かった。助けてくれて、嬉しい!」
そして吉備太郎に抱きつく竹姫。
吉備太郎は抱きしめ返して、竹姫に言いました。
「私こそ、竹姫が居てくれて良かった。助けられてとても嬉しい」
言葉数が少ない吉備太郎でしたが、竹姫は知っていました。吉備太郎が自分を愛してくれると。
こうして竹姫はようやく檻から抜け出せたのです。月の民の罪人ではなく、日の本の住人としての人生を歩むことになるのです。
これから多大な困難が待ち受けているでしょう。しかし、それでも吉備太郎と二人なら乗り越えられると竹姫は確信していました。
一方その頃。
庭先に集められた蒼牙と朱猴と翠羽。
目の前には白鶴仙人が居ました。
「お前たちの実力では鬼に敵わないだろう」
冷たく白鶴仙人は言いました。
「お前たちは弱すぎる。吉備太郎に比べて遥かに劣るだろう」
そして白鶴仙人は三人に向かって、厳しく言いました。
「お前たちに修行をさせよう。吉備太郎も一緒だ。お前たちが強くならなければ、鬼に負けてしまうだろう。覚悟はあるか?」
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