第72話想いを捻じ曲げるな
竹姫が何故そのようなことを言うのか、吉備太郎には理解できませんでした。
「竹姫、何を言っているんだ……? 戯言を言わないでくれよ……」
吉備太郎は信じられない思いで竹姫を見つめました。竹姫は俯いて表情を窺えません。
仲間たちは何も言えませんでした。
「冗談はやめてくれ。月に行くってことは、死罪になるってことだぞ? それでいいのか? 私たちは、竹姫を助けに――」
すると竹姫は顔を見上げて、キッと吉備太郎を睨みました。
「誰が頼んだのよ! あたしがいつ助けてほしいって言ったのよ! おせっかいはやめてよ! あたしは――死にたいのよ!」
竹姫らしい激情でしたが、どこか『らしくない』感じがしたのに気づいたのは吉備太郎ではなく、聡明な翠羽でした。
竹姫が何かを庇っているような、嘘を吐いているような印象を受けたのです。
「あたしはねえ! あなたにはうんざりしてたのよ! 鬼退治を諦めない死にたがりの馬鹿な吉備太郎が大嫌いなのよ! どうして生き残ったのに戦うのか、意味が分からなかった! 鬼に対して残酷なあなたが気味が悪かった! 孤独に戦うあなたが死なないか不安で胸が押し潰されそうだった! あなたは本当に憎々しい存在だった!」
翠羽はこれが偽りだと気づきました。わざと拒絶して諦めさせようとしているのだと分かってしまいました。
「あなただって、あたしのことをどうでもいいと思っているのでしょう! ただ単に聖黄山で出会っただけの間柄じゃない! 情でも移った? 孤独な境遇に共感を得た? そんな軽い感情で一緒に居てほしいだなんて、こっちが惨めになるわ! あたしのこと、好きじゃないくせに――」
そこまで言ったとき。
吉備太郎は無言で近づいて、無言のまま竹姫の目の前に立って、無言のまま――
頬を引っ叩きました。
「……えっ?」
ぱあんと山中に響く音。
竹姫は頬を押さえながら呆然と吉備太郎の顔を見ました。
「竹姫。君が私をどんな風に思っても構わない。嫌いでも構わない。だけど――」
見たことの無い怒りと悲しみが込められた目で吉備太郎は竹姫を見ました。
竹姫はその目を見ました。次第に彼女の目から涙が溢れました。
「だけど、私の想いを竹姫が決め付けないでくれ。私がどんなに竹姫を想っているのか、分からなくても捻じ曲げないでくれ」
そして吉備太郎は竹姫を優しく抱きしめました。
「私を庇おうとしないでくれ。私はいつでも竹姫の味方だ。生きてほしいと想う。愛おしいと想う。だから諦めるようなことはしないでくれよ」
竹姫は吉備太郎に抱きしめられながら、やっぱり自分は吉備太郎のことが好きなんだと改めて実感しました。
今まで愛されたことの無い竹姫。両親の愛を受け取ることもなく、実の姉が自分を裏切った本人と知らされて、とても悲しく思っていました。
そんな呪われたちっぽけな存在の自分を愛してくれる人にようやく出会えたのです。
「ありがとう。吉備太郎」
小声でそれだけ言えました。
「はあ。感動的ですね。しかしそれには価値がありません。どんな事情があっても、かぐやは連れていきますよ」
抜き身の十束剣を吉備太郎に構える魯蓮。
「竹姫を連れていく? それは無理だな」
吉備太郎は竹姫から身を離して、魯蓮に向かい合います。
「お前を倒して竹姫を助ける」
「不可能な事柄が二つありますね。私を倒すことはできないし、かぐやが助かることもありません。私を倒そうが他の人間がやってくるのですから」
すると吉備太郎はにやりと笑いました。
「だったら話は簡単だ。竹姫を奪おうとする人間を倒せばいい」
「……あなたは馬鹿ですか? 一体何人居ると思っていますか?」
「そんなのは知らない。だけど繰り返せばいずれ零になる。繰り返して繰り返してしまうだけなのさ」
そうして吉備太郎は刀を構えました。
魯蓮は呆れたように呟きます。
「やはり罪人の子孫はろくでもないですね」
そしてその場に居る者全てに宣言しました。
「いいでしょう。それならその身体に刻んであげましょう。月の民のおそろしさを!」
魯蓮は構えることなく、そして音も無く吉備太郎に――高速を持って近づきました。
その速さは吉備太郎が直前まで反応できないほどでした。上体を反らして横薙ぎを避けましたが、髪の毛が何本か斬られてしまったのが見えました。
吉備太郎は自分よりも速い人間に出会ったことがなかったので、正直驚きましたが、なんとか反撃を繰り出すことができました。
上体を元に戻す勢いで、上段斬りを放ちました。魯蓮は十束剣で防御しました。
そこからは乱打、いえ乱れ斬りの応酬でした。目にも止まらない剣撃が互いを殺そうとしています。
もしも反応が遅れてしまったら切り刻まれてしまうのは必定。そういった戦いになってきました。
次第に互いの身体に損傷が生まれました。
吉備太郎の頬が斬られました。
魯蓮の額が斬られました。
吉備太郎の右腕が斬られた代わりに魯蓮の左脚が斬られました。
そんな殺し合いの最中、仲間たちは黙って二人の戦いを見守っていました。
蒼牙は長槍を肩に担ぎ。
朱猴は苦無を懐に収め。
翠羽は弁舌を口にしませんでした。
竹姫は二人の戦いを心配そうに見つめていました。
白熱した勝負でしたが、勝敗は一瞬で着きました。
勝負を焦った魯蓮が吉備太郎の胸を一突きしようと半身になって刺突しました。
しかし鬼との戦いで極限まで研ぎ澄まされた感覚を備えた吉備太郎はそれを右に避けて魯蓮の懐に入り込みました。
半身になったせいで反応ができても動くことが難しくなった魯蓮の体勢。吉備太郎はそれを狙って、逆に魯蓮の脇腹を――突きました。
「ぐふ……!」
魯蓮は吐血して、その場に倒れました。
「確か、脇腹だったな。私を刺した箇所は」
血振るいをして納刀する吉備太郎。
「借りは返したぞ。魯蓮」
吉備太郎はその場を去り、竹姫の元へ向かいました。
「勝ったよ。なんとか勝てた」
「吉備太郎……」
にやっと笑って、吉備太郎はその場に崩れ落ちました。
「吉備太郎!」
竹姫と仲間たちは吉備太郎に近づきます。
「……安心しな。吉備の旦那は疲れて寝ただけだ。傷もたいしたことねえよ」
朱猴が様子を見て、みんなに告げると一同はホッとしました。
「吉備太郎殿は鬼との戦いの後、全然休んでいませんでしたから、当然と言えば当然ですね。でもこうして寝られて良かったです」
蒼牙はニコニコしながら言いました。
「本当に心配かけて……馬鹿なんだから」
竹姫は吉備太郎の頭を膝に乗せて、笑いました。穏やかな寝顔の吉備太郎。
これで全てが解決したと誰もが思いました。
「やってくれますね。流石に死んだと思いましたよ」
蒼牙と朱猴はその声に反応して各々の武器を取り出しました。
なんと魯蓮はよろよろと立ち上がりました。
「呪術で自らの傷を治しました。屈辱ですよ。日の本の民に傷を付けられるなんて……!」
魯蓮の顔は憤怒に彩られていました。絶対に殺してやるという顔をしています。
しかし傷が治りきっていないせいか、歩む速度はゆっくりでした。
「おいおい。そんな身体で戦うつもりか?」
朱猴の挑発に魯蓮は「寝ている彼以外ならこの状態でも楽に殺せます」と返しました。
「この場に居る全員殺す。かぐや、あなたもここで処刑しますよ」
蒼牙と朱猴は覚悟を決めて、戦おうとしました。
しかしそのとき。
「それは君の権限を越えているのではありませんか? 魯蓮くん」
新たな人物は望月汽車の中から現れました。
「あ、あなたは……!」
魯蓮が驚愕しています。竹姫たちはその人物を見ました。
黒髪と白髪が入り混じった灰色の髪。
顔には大きな刀傷。しかし柔和そうな表情をしています。そして魯蓮と同じ姿をしていました。
「何故、ここに居るのです! 局長!」
魯蓮の声に局長と呼ばれた男は笑いました。
「単なる暇潰しだよ、魯蓮くん」
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