第71話歴史は伝説を経て神話へとなる

 吉備太郎は桃太郎のことを知りませんでした。それは彼の両親がなるべく伝えないよう努力したことに起因しています。


 また伊予之二名島の故郷の村では桃太郎のことを語る者は居ません。それはあの村自体が吉備太郎を守るために造られたものだったからです。

 吉備太郎の友人たちは何も知りませんでした。彼らの親も寝物語に伝えることはしませんでした。友人たちの役割はいつの日か、吉備太郎が戦うときの仲間になるために存在していたのです。


 しかし吉備太郎以外の竹姫や仲間たちはその言葉に愕然としました。それは吉備太郎が桃太郎の子孫だということと桃太郎が月の民だったことの両方に衝撃を受けたのです。


「だとすれば納得のいく話です」


 魯蓮は自らの推測を語り出します。


「鬼に対抗できるほどの力、そして速さを備えているのは月の民しか居ません。さらに日の本流しに最近処せられたのはかぐやだけ。そのことから考えるに、君は桃太郎の子孫ではないのですか?」


 吉備太郎は油断無く刀を構えつつ、魯蓮に疑問を投げかけます。


「桃太郎? 誰だそれは? 私に関係あるのか?」


 竹姫と仲間たちは驚きました。まさか桃太郎を知らないとは思わなかったのです。


「おいおい。吉備の旦那。桃太郎を知らないのか? 鬼退治の若武者のくせに、どうして知らないんだ?」


 吉備太郎は魯蓮から目を切らずに朱猴の問いかけに答えます。


「そんなに有名なのか?」

「ああ。寝物語だったり、書物でもあるくらいだ」

「聞いたことも無い。書物として読んだことも無い」


 朱猴は呆れて「伊予之二名島では桃太郎は無名なのか? 他の名前なのか?」と呟きました。


「吉備太郎殿、仲間の名前も知りませんか? 動物に例えられていますが」


 蒼牙も何か言い知れない不安が胸にあったので問いました。


「動物? 人ではないのか?」


 吉備太郎の答えに全員が知らないことを確信しました。


「仕方ありませんね。そこのお嬢さん。説明してあげてください」


 魯蓮の突然の指名に翠羽は驚きましたが、すぐに「分かりました」と応じました。


「吉備太郎さん。それほど長い話ではありませんが、話させていただきます」

「……分かった」


 翠羽は何から話していいのか悩みましたが、始めから語ることにしました。


「今は昔、とある場所に老夫婦が居ました。夫は猟師で山の手入れをしに出かけました。妻はその間、川で洗濯をしていました。しかし妻が洗濯をしていると川上から大きな桃が流れてきたとされています」


 翠羽の説明に誰も口を挟みませんでした。


「妻が大きな桃を家まで持って帰り、夫と一緒に食べようとすると、桃が自然と割れて、中から大きな男の赤ん坊が出てきました。それが――桃太郎でした」


 魯蓮はそこで口を挟みました。


「桃太郎は月の民の長い歴史の中で最も手を付けられない残虐な男でした。だから名前を取り上げて、桃の中に百年閉じ込められる刑に処せられたのです。しかし、生来の凶暴な性格は赤子になっても変わらず、なんと桃の中で暴れ出しました」


 そして魯蓮は軽く笑いました。


「それで桃は川に落ちたのです。ただそれだけのこと。偶然、日の本の民が拾わなかったら、桃太郎はどうなったのでしょうね」


 翠羽はなるほどそういうことだったのかと納得しながらも続けました。


「老夫婦に育てられた桃太郎は大人になり、当時暴れ回っていた鬼を退治しようと立ち上がりました。そして仲間を集い、たった四人で鬼に挑んだのです」


 とんでもない話でした。百人力の鬼に四人で挑むなんて死にゆくものでした。


「一人は犬飼健(いぬかいたける)、一人は楽々森彦(ささもりひこ)、最後の一人は留玉臣(とめたまおみ)。彼らは犬、猿、雉と桃太郎に呼ばれていたそうです」

「当時の日の本の中でもかなりの使い手だったらしいと月の民の記録にも残っています」


 魯蓮の説明を受けて吉備太郎はなんだか自分たちと似ているなと思いました。


「百匹の鬼を桃太郎は全て倒しました。一匹残らず皆殺しにしたそうです。そして持ち帰った財宝を老夫婦に与えて、いつまでも幸せに暮らしたそうです」


 それが桃太郎の物語でした。聞き終わっても吉備太郎は自分がそんな人物の子孫だとは思えませんでした。


「そういう風に伝わっているのですね。所々歴史と違っていますね」


 魯蓮は竹姫を抱え込んだまま、補足するように言いました。


「まず老夫婦ですけど、それは日の本で一番権威を持つ者たちのことです」


 その言葉に吉備太郎も仲間たちも竹姫もあまり的を射ませんでした。


「あなたたちが御上と呼ぶ者のご先祖です」


 その事実に全員が驚愕しました。


「はあ!? じゃあ桃太郎は御上の養子になったのか? それに、御上の妻、お后さまが洗濯なんてするかよ!」


 朱猴の言葉に「洗濯という言葉がそもそも間違っているのですよ」と魯蓮は冷静に返します。


「洗濯ではなく『宣託』です。お告げを聞いたのですよ。后はそのお告げのとおり、川で桃太郎の桃を見つけたのです」


 魯蓮は続けてこう言いました。


「元々、后は呪術に長けた巫女だったらしいです。それが御上に見初められて、后になったようです」

「ではどうして、老夫婦の夫が猟師に変わったのですか?」


 翠羽が訊ねると魯蓮は「それはそのとき御上がたまたま狩りをしていたからです」と簡単に答えました。


「まあ歴史は伝説となり、伝説は神話となります。古い話ですから、仕方がありません」


 魯蓮の言葉に疑問を持ったのは蒼牙でした。


「では鬼を退治したのは、御上の命令だったのですか? そして事実と違う物語が生まれたのは何故ですか?」


 すると魯蓮は簡単に答えました。


「まあ早い話が権力争いに負けたのですよ。養子という立場もありましたし、正統な皇子は政治力に長けてましたから」


 そして吉備太郎を魯蓮は見据えます。


「次代の御上は桃太郎の力を畏れました。だからその子孫は都から離されたのですよ。しかしいつの日か、鬼が復活するかもしれないと御上は考えたのです。そこから推測するに、あなたは隔離されて育ったのでしょう」


 吉備太郎は魯蓮が何を言っているのか、何を言いたいのか分かりませんでした。

 しかしとんでもなく残酷な運命を自分が背負っている予感と悪寒がしました。


「あなたの両親は、本当の両親なのですかね? もしかするとあなたを守るために造られた偽りの家族だったのではないでしょうか?」


 それを聞いた吉備太郎は――魯蓮に突貫しました。

 魯蓮は竹姫を放して、十束剣で防御しました。

 がぎんという金属音が山頂に響き渡ります。


「……いきなりなんですか? 事実を言っただけじゃないですか?」

「黙れ! 父上と母上が偽物なわけがない!」


 吉備太郎はおそろしいほどに怒っていました。それは自分ではなく、両親を侮辱されたことに対する怒りでした。


「もしそうなら、父上と母上は私を守るために死んだことになる!」

「それがなんだっていうのですか? 実際、そうだったじゃないですか」


「違う! 父上は最期にこう言った! 『お前は俺の自慢の息子だ。それだけは忘れないでくれ!』と! 母上も最期に言った! 『私と父は、あなたを愛しています』と! それが全て嘘になってしまう! それは決して嘘なんかじゃない!」


 そして吉備太郎は叫びました。


「血のつながらない私を愛して死んでしまったのなら、父上も母上も浮かばれないじゃないか!」


 鍔迫り合いの拮抗を破ったのは吉備太郎でも魯蓮でもなく――


「くらえ! 牙槍!」


 いつの間にか動けるようになった蒼牙でした。遅らせながら朱猴も攻撃に加わります。


「吉備太郎殿! 怒りで自分を見失わないでください!」


 そして攻撃を続ける蒼牙。連撃のせいで魯蓮は呪術を行使することができないようです。


「火遁! 錬火球!」


 朱猴は火薬を用いた火遁で蒼牙を援護しました。


「吉備の旦那、あんたの両親はあんたを愛していたぜ。だってよ、十五まで鬼から守りきったからよ!」


 吉備太郎は頷いて、攻撃しようと――


「待って。もうやめて」


 竹姫の言葉に皆動きを止めました。


「竹姫……?」


 竹姫は決意して言いました。


「あたしは月へ行く。だから四人は見逃してよ魯蓮」

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