第69話竹姫の追憶
竹姫が吉備太郎とその仲間たちと離れて、三日が経ちました。
彼女は今、月見沢という土地にある山、望郷山の頂きで日が暮れるのを待っていました。
次第に沈んでいく夕日を見ながら、竹姫はこれが日の本で見る光景なのだと思っていました。自ら犯した罪を悔いることはありませんが、吉備太郎との別れを悔やむ気持ちは、黄昏のように心をかき乱していました。
また、彼女はいつもの小袖ではなく、白と黒を基調とした異国風の装いをしていました。
「かぐや。あなたは産まれて来るべきではなかった。何故なら、あなた自身が不幸のまま生きていかなければならないからだ」
斜め後ろで逃げないように見張っている魯蓮は意地の悪い、もっと言えば悪意のある言葉を口にしました。彼は十束剣を抜き身のまま持っていました。
「……否定しないわ。あたしは不幸だと思っている。今までの人生は無益なものだった」
竹姫は夕焼けを見ながら、自らの人生を振り返りました。
竹姫の初めての記憶は暗闇でした。父親と母親の顔を知る前に、覚えたのは光のない閉じ込められた世界でした。
自分が何者で、ここがどこなのか、判然としませんでした。手足を動かそうにも、立つことも歩くこともできませんでした。
このまま、孤独に暮らしていくのだろうか? そんな不安が頭を過ぎります。
光も何もない空間。
人も誰も居ない世界。
それが竹姫の全てでした。
もしもこのままの年月が経てば、竹姫の心は静かに壊れてしまったでしょう。
しかし、そうはなりませんでした。
「おーい。かぐや、生きてるか?」
暗闇から突然、女性の声がしたのです。
竹姫はいよいよ幻聴が聞こえてきたのだと慄いていました。
「おい、返事しろよ。まったく、発光もできないのか? かぐや、身体を光らせてみろ」
そんなことを言われても、急にはできません。
だから精一杯の抗議でなんとか声を発してみます。
「あーうー!」
「……なんだ。声が出るじゃないか。なら喋ることもできるな。あたしの言っていることを理解できるか?」
竹姫はよく分からないまま「あーう」と返答しました。
「仕方ないな。じゃあ、あたしが一から教えてやるよ。まずは日の本言葉を話せるようにならないとな」
そう言って、声の主は竹姫に教育を施したのです。
「いろはにほへと。さあ、言ってみろ!」
「いろはにほへろ」
「おしいな。いや、五十音から始めたほうが良いのか?」
声の主も試行錯誤しながら、竹姫に教育していき、ついに二ヵ月後、竹姫は日の本言葉を習得できたのです。
「よし。言葉は完璧だな」
「完璧? あたしには分からないけど」
「なんで、一人称が『あたし』なんだよ。『私』にしろって言ったろ?」
「それこそあたしの勝手よ。それで? 身体を光らせる方法を教えなさいよ」
どうやら強気な言い方は声の主に対抗するために身につけたようでした。
それから十日もしないうちに、身体を発光させることを習得した竹姫。
さっそく光らせると、自分はどうやら細長い筒状の建物に閉じ込められているのだと分かりました。
「なによここ……まるで牢獄じゃない」
「牢獄か。間違いないな。かぐや、お前は罪人なんだよ」
声の主は竹姫が現実を感じられるようになって、初めて説明し出しました。
「お前の両親は月で反乱を起こした。国土の五分の一を攻め落とし、『政府』を打倒しかけた。しかしそうはならなかった」
「どうしてならなかったのよ?」
「一族の者に裏切られたからだ。たった一人の裏切り者のせいで、反乱は失敗に終わった。だから今、お前は罰を受けている」
竹姫は勝手な話ねと思いました。
「その罰とは、たった独りで日の本の竹の中に暮らすこと。年月は三十年」
「三十年も独りで暮らさなきゃいけないの!? そんなの死んじゃうわよ!」
声の主は残酷な事実を告げます。
「死にはしない。竹の中に居るかぎり、病気どころか老化もしない。そして赤子の身体だから自殺もできない。そういう仕組みになっているんだ」
竹姫は手足の自由が利かないのは、そういうことなのかと理解しました。
「でも、それならどうしてあなたはあたしに言葉を教えたのよ? たった独りで暮らさないといけないんでしょ?」
竹姫の疑問に声の主は感情を殺したように無機質に言います。
「かぐや。お前は何の罪もない。両親が反乱を起こしたからといって、罰を受ける言われもない。だからあたしは助けることにしたんだ。もちろん、ばれてしまえば、あたしは処刑されるが……構わないさ」
竹姫は何故、そこまで構ってくれるのか、疑問に思いましたが、気にしても仕方がないので、ほっとくことにしました。
それから竹姫と声の主はいろんなことを語り合いました。
日の本の暮らしや文化、昔から伝わる御伽噺や民話、または常識を声の主は教えたのです。
「かぐや。日の本で暮らすことはありえないと思うが、きちんとその国のことは知っておいた方がいい」
「どうしてよ?」
「万が一、呪術を破ってしまう者が現れるかもしれないからだ」
竹姫はそれを聞いて笑いました。
「そんな酔狂な奴、居る訳ないじゃない」
そんな穏やかな生活が三年経ちました。
ある日のことでした。竹姫はうとうととしていると、突然、声の主が弱々しい声で話しました。
「かぐや……かぐや……」
「うん? どうしたのよ?」
竹姫は不審に思いました。
「あたしは、もうあなたと話すことができない……ごめんなさい……」
その言葉に竹姫は言葉を失いました。
「どういうことなの……?」
やっとそれだけが言えました。
「政府の人間に見つかった……あたしはもう長くないわ……」
政府の人間。そういえば無許可で竹姫と話していたのだと今更ながらに思い出しました。
「そんな……どうにか逃げられないの?」
「無理だった。それに、あたしは撃たれているわ……もうすぐ死ぬ……」
竹姫はいきなりの事態に「嫌よ! 死んじゃ嫌よ!」と取り乱してしまいました。
「最期に、聞いて……あなたの両親を裏切った人間を教えるわ……」
竹姫は泣きながら聞いていました。
「裏切ったのは……あたしなの」
その言葉に竹姫は今度こそ何も言えなくなりました。
「あたしは政府の人間に唆されて、両親を裏切ったのよ。今では後悔しているわ」
「そんな、嘘よ! でたらめ言わないで!」
信じたくありませんでした。優しく接してくれた声の主が自分をこんな風に追い込んだ犯人だと知りたくありませんでした。
「かぐや……今から、あなたはかぐやの名前を捨てなさい。あたしが名付けた名前を捨ててしまうのよ」
「そんなの嫌よ……」
「ああ、もう政府の人間が来るわ。最期にあなたに伝えておくわ」
声の主は言いました。
「あなたは独りだけど、ずっと独りで生きていく必要はないわ。必ず寄り添って生きてくれる人が居るはずよ。だって、この世界に産まれて、独りぼっちで死んでいくなんて、そんな悲しいこと、ありえないんだから」
そして最期にこう言い残しました。
「さようなら。あたしの妹――」
声の主が言い終わる前に、聞きなれない発砲音が鳴り響きました。
「ちょっと……! ねえ! 何があったのよ! 返事してよ!」
何度も繰り返し叫びましたが、声の主からは何も返答はありませんでした。
「あー、かぐや。聞こえていますか?」
代わりに聞こえてきたのは男性の声でした。
「私は魯蓮という。これから君に月の民の掟を話す。まず一つ、日の本の争いに関わらないこと――」
事務的に話す男性の声を聞いて、竹姫は自分の姉が死んだことを悟りました。
こうして吉備太郎と出会うまでの七年間、独りきりで竹の中で過ごし。
今は死罪のため、月に帰ろうとしています。
「吉備太郎、ごめんなさい」
ぼそりと呟く竹姫の言葉。
魯蓮はそれを無視して約束された時刻まで待っています。
日が沈んで夜のとばりが降りてきました。
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