九章 月の民
第68話去った者、訪れる者
「吉備太郎殿! しっかりしてください!」
誰かに揺すられる感覚で吉備太郎は起きました。目を開けるとそこには心配そうな蒼牙の顔が見えました。
「蒼牙……私は……」
「ああ、気づかれましたか! エテ公! 翠羽殿! 吉備太郎殿はここに居たぞ!」
大声で呼ぶ蒼牙。すぐさま朱猴と翠羽が近くまでやってきました。
どうやら庭先に寝かされたようで、身体の節々が痛みました。
しかし、最も痛むのは頬でした。
「吉備の旦那。何があった? 竹姫はどうしたんだ?」
朱猴の質問に吉備太郎はハッとして「そうだ! 竹姫が攫われた!」と大声で言いました。
「やはりそうですか。竹姫さんは攫われたのですね。それを阻止しようと吉備太郎さんは戦い、そして敗れた……」
翠羽は冷静に状況を分析しています。
「翠羽が起きたら、竹姫が居ないと分かった。だから俺様も探してたんだ」
朱猴が詳しい経緯を話しました。
「吉備太郎殿、攫った奴の素性や身なりを覚えていますか? 流石に吉備太郎殿を倒した者ならば、有名な武者かもしれません」
蒼牙の言葉に「そうですね。吉備太郎さんの手柄を妬んだ者の仕業かもしれません」と翠羽は同意しました。
「そうか。卑怯な奴らめ。吉備の旦那、俺様が調べてくるから休んで――」
朱猴が出かけようとしたときでした。
「いや、武者の仕業じゃない」
吉備太郎は静かに言いました。
「あいつは――月の民だ」
蒼牙も朱猴も翠羽も吉備太郎が何を言っているのか、分かりませんでした。
「月の民? そんな部族や氏は知りませんけど……」
翠羽が困惑しながらも答えますが、吉備太郎は「月に住む者らしい」と真面目に答えました。
「えーと、吉備の旦那? 月に人が住んでいると言いたいのか? そりゃあなんでも妄想が過ぎるぜ」
朱猴は頭でも打って錯乱しているみたいだと可哀想な子どもを見る目で言いました。
「吉備太郎殿、少し休んでください。下手人が我々で捕まえますから」
吉備太郎の信奉者である蒼牙でさえ、吉備太郎の言っていることを図りかねました。
吉備太郎は立ち上がりました。三人の仲間は自分の言っていることを信じてくれないようなので、自分一人で探そうと決めたみたいでした。
「吉備の旦那、どこへ行く!」
「竹姫を捜しに行く」
蒼牙が吉備太郎の肩に手を置いた、その瞬間でした。
「まったく、言葉足らずなのは良くない傾向じゃのう」
四人が振り返ると、軒先でのんびりと座っている老人が居ました。
朱猴は素早く苦無を取り出して――
「遅いのう。まるで月の満ち欠けのように歩みが遅い」
老人はいつの間にか傍に近づいて、朱猴の苦無を持つ手を持っている樫の杖で叩きました。続けて次に反応した蒼牙の鼻先に杖を突きつけました。
「お前も遅い。精進せよ」
蒼牙は動けませんでした。動くことすらできませんでした。
二人が圧倒された光景を見て、翠羽は不味いと思いました。体調が万全ではない吉備太郎が倒せる人物ではないと判断したのです。
「落ち着け。そこのお嬢ちゃん。わしは敵ではないのじゃ」
老人は吉備太郎ににっこりと微笑みました。
「久しいのう。吉備太郎」
吉備太郎は老人の顔を見てホッとしました。
「白鶴仙人さま、お久しぶりです」
頭を下げる吉備太郎に白鶴仙人は「元気そうでなによりじゃ」と喜びました。
「しかし仲間の教育がなってないのう。老人を大切にせよと教わってなかったのか?」
朱猴に視線を移す白鶴仙人。朱猴は「気配もなく俺様の後ろを取る人間を警戒しないわけにはいかないだろう」と悔しそうに言いました。
「しかし、どうして鎌倉に? 礼智山にいらっしゃるはずでは?」
「住んでいるだけで留まっているわけではないのじゃよ。ましてや竹姫の居なくなった状況を見過ごすわけにはいかないからのう」
口髭を伸ばしながら好々爺のように笑う白鶴仙人。
「吉備太郎さん、こちらの方は?」
翠羽はどうやら敵ではないと判断できたので、訊ねますと「白鶴仙人。私を導いてくれる仙人さまだよ」と吉備太郎は答えました。
「月の民といい、仙人といい、信じられねえことばかりだな今日は」
苦笑いする朱猴ですが、信じざるを得ませんでした。月の民はともかく、自分よりも素早く動ける人間を吉備太郎以外見たことはありませんでした。
だから目の前の老人が仙人だと信じてしまいました。
蒼牙は単純ですので、吉備太郎が言ったことを信じてしまいました。
「それで白鶴仙人さま。僕たちに何の用ですか? 竹姫さんを救う方法を教えてもらう方法でもご教授してくださるのですか?」
翠羽は一応警戒しながらもこの状況を解決する期待を込めて翠羽は訊ねます。
「そもそも、月の民である竹姫はどうして日の本に居るのか、知っておるのか?」
吉備太郎は首を振りました。
「知りませんでした。てっきり竹の中から産まれた貴人のようにしか思えませんでした」
「……竹の中から産まれた?」
きょとんとする蒼牙に吉備太郎は竹姫と出会った経緯を話しました。
聖黄山の竹林で光る竹を斬ったら出てきたと話すと朱猴は「そんな怪しげな子どもとよく一緒に旅していたな」と驚いていました。
「私は世間知らずだから、竹からでも人は産まれるとばかり、思い込んでいたのだけど」
「吉備太郎さん、人は竹から産まれません」
翠羽が諭すように言いました。
「ふむ。そうじゃのう、月の民の刑罰に『日の本流し』というものがある」
白鶴仙人は四人に話し出しました。
「死罪の次に重い罪じゃ。島流しと同じと考えても良い。月の民で大罪を犯した者が処せられる。三十年ほど日の本で過ごすのじゃ。竹などに閉じ込められて、孤独のまま暮らしていく」
吉備太郎は「竹姫が何の罪で閉じ込められていたのですか?」と憤りを隠しながら訊きました。
「安心せよ。竹姫自身は罪を犯しておらぬ。むしろ巻き込まれてしまったのじゃ」
翠羽はなんとなく分かってしまいましたが、明言はしませんでした。
「では竹姫さんは何の罪で月へ帰ることになったのですか? いや、罪が許されたから月へ帰ることになったのですか?」
翠羽は吉備太郎を慰めようと、わざと良いほうの予測を口にしました。
「いや、罪が重くなったのじゃ。お前のせいでな」
白鶴仙人は翠羽を指差して厳しく言いました。翠羽は目を丸くしました。
「僕のせいですか? あの、意味が分かりませんけど……」
「お前が竹姫に呪術を行使させて土嚢を作っただろう。月の民の掟に『争いに干渉してはならぬ』があるのじゃ」
翠羽の顔色が悪くなりました。
「ぼ、僕はただ、利便があると思って――」
「まあ知らなかったことを考えると情状酌量はあるにはあるじゃな」
そして吉備太郎に向き合う白鶴仙人。
「吉備太郎、お前は竹姫が戦いに参加したことの記憶はあるか?」
「……この前の戦いが初めてです」
「あの戦いは竹姫が協力しなかったら、お前たちは負けていた。そういう運命だった。土嚢が上手く取り除けなくて、嚢沙之計は失敗してしまったのだ」
「どうしてそれが分かるんだ?」
朱猴が問い質すと白鶴仙人は「仙人だから分かるんじゃ」とあっさりと答えました。
「それが罪だというのなら、私を裁けばいい。なぜ月の民は竹姫を裁くんだ!」
吉備太郎は怒りを隠すことができませんでした。
「月の民は月の民の掟に従わなければならないのじゃ」
「そんなのは勝手じゃないか!」
「吉備太郎殿! 落ちついてください!」
蒼牙が吉備太郎の肩を掴みました。
「仙人さまのことを責めても仕方がないじゃないですか! 今できることを冷静に考えましょう!」
吉備太郎はそれを聞いてうな垂れてしまいました。
「すみません、白鶴仙人さま」
「いや良いのだ」
「それで、竹姫はどんな罪に問われるんだ?」
朱猴の質問に白鶴仙人は答えました。
「罪人が罪を重ねたのだ。日の本流しより重い罪になるじゃろう」
白鶴仙人は皆に言いました。
「間違いなく、死罪になるじゃろうよ」
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