第67話別れは突然やってくる
鎌倉へと帰還した軍勢は大歓声で迎え入れられました。鬼の侵攻を止めたことが先に帰った伝令に知らされたためでした。
そこでちょっとした事件が起きました。
総大将の安田よりも鬼退治の若武者、吉備太郎の声援のほうが大きかったということです。
吉備太郎自身は予期しないことでしたが、民の人気は高まりつつありました。
蒼牙と共になんとか騎乗してる吉備太郎はまるで日の本の英雄そのものでした。
「大層な人気じゃないか。吉備の旦那」
朱猴がふざけた調子で言いましたが、吉備太郎はそれに軽く笑っただけでした。
「人気なんか興味ないよ。人気で鬼が殺せるなら話は別だけど」
吉備太郎の頭は鬼の本拠地にどう乗り込むのかで一杯でした。吉平の言ったことは間違いないでしょう。あそこで嘘を吐く理由はありません。
問題は二千の鬼の軍勢。吉備太郎は普通の鬼でしたら問題なく倒せるくらい成長しましたが、幹部となると手こずるのが必定でしょう。そして幹部が残り何人居るのかは不明でした。
そんな風に考えてしまっているので、吉備太郎は大切なことに目が行っていませんでした。というより鬼退治以外に大事なものがあることに未だ気づいていなかったのです。
その夜、右大臣と今後についての相談を終えて、吉備太郎は一人、与えられた屋敷の庭先で剣術の稽古をしていました。
稽古といっても素振りをしているだけですが、吉備太郎は身体を動かさないとすっきりと寝られなかったのです。
昼間、合戦を終えたというのに、なんとも体力が有り余っていることです。
「吉備太郎、ちょっといい?」
三百回の素振りを終えたと同時に離しかけてきたのは、竹姫でした。
何か言いたげでしたが、同じくらい言いたくなさそうな、そんな複雑な表情をしていました。
「どうかしたのかい?」
吉備太郎は優しく応じました。竹姫は予想していたとはいえ、優しい対応されてしまうと何も話せなくなってしまいます。
「……? もしかして、眠れないのか? だから戦場に行かないほうがいいと――」
「違うの! 違うの……」
吉備太郎の声を遮って、竹姫は言いましたが、言葉尻が弱くなってしまいました。
「……竹姫?」
「……これから話すことは信じられないと思うけど、話さないといけないのよ。あたしは吉備太郎に黙って去ることなんてできない」
吉備太郎は言い知れない不安に駆られました。そして『黙って去る』という言葉がそれを助長しました。
「どこへ行く気なんだ?」
吉備太郎が訊ねると竹姫は上を指差します。
天高く浮かんでいる『月』を指差します。
「あたしの故郷である月に帰るのよ。あたしは月の民なのよ」
吉備太郎は竹姫が嘘を言っているわけではないと分かりました。冗談を言っているわけでもないと分かりました。
「……どうして帰るんだ? もしかして、私が鬼を拷問しようとしたのが、嫌気が差したのか?」
訊ねると竹姫は首を振りました。
「そうじゃないわ。約束だからよ」
「……それは守らないといけない約束なのか?」
「いえ、約束を破ったからよ」
竹姫は悲しげな表情で言いました。
「今日の戦い、あたしが嚢沙之計を実行したのよ。呪術を使ってね」
吉備太郎はその事実を聞いて、一瞬分からず、しかし次の言葉で理解してしまいました。
「呪術を行使して、土嚢を作った。それを積み上げたのは武者たちよ。そして朱猴の合図で消し去った。これが真実よ」
吉備太郎は「そ、それがどんな約束を破ったというんだ?」と詰問します。
「簡単なことよ。日の本の戦いに干渉してしまった。人と鬼の戦いに肩入れしてしまったのよ。それが約束を破ったこと」
吉備太郎は言っている意味が分からずにいました。
「月の民の偉い人の約束で『争うことなかれ』という曖昧なことに抵触しちゃったわけよ。だからここでお別れよ」
竹姫は切なそうに笑いました。
「本当は黙って帰らないといけないんだけど、吉備太郎には言いたかった――」
言葉を続けることはできませんでした。
吉備太郎が竹姫に駆け寄り、抱きしめたからです。
「き、吉備太郎……?」
「嫌だ。別れたくない」
そう言って強く竹姫の小さな身体を抱きしめる吉備太郎。
「わがまま言わないでよ。掟でそうなっているのよ。もう手遅れなのよ」
竹姫は子どもをあやすように言いました。
「そんなの知らない。私は竹姫を離れ離れになりたくない」
「…………」
「なんとかできるはずだ。そうだろう? 竹姫」
「……いい加減にしなさい。できるなら、あたしがしないとでも言いたいの?」
怒りを示す竹姫ですが、語気が弱くなっていくのを止められませんでした。
「竹姫一人なら無理かもしれないけど、私が協力すれば、なんとかなるかもしれない」
「……希望を持たせないでよ」
「諦めるのはまだ早い。蒼牙たちとも相談して――」
「もう、やめて……」
竹姫の目から大粒の涙が流れました。
「諦めさせてよ。あたしを苦しめないでよ。どうしてそんなこと言うのよ。あなたでは太刀打ちできない――」
吉備太郎は竹姫の顔を見て、にっこりと笑いました。
「大丈夫だ。私がなんとかしてやる。だから安心して――」
「それは少し無理な話ですね」
殺気。吉備太郎が咄嗟に竹姫を突き飛ばし、後ろを振り向くと、既に男は吉備太郎の腹部を持っていた剣で突き刺しました。
「ぐ、はぁああ……」
吉備太郎はその場に倒れてしまいます。
「え、あ? ……吉備太郎?」
竹姫は呆然として、その場に尻餅をついてしまいました。しかし流れ出る血を見て、吉備太郎に駆け寄ります。
「吉備太郎! しっかりして!」
「貴女がいけないのですよ。かぐや」
血払いして剣――十束剣を鞘に納める男。
彼は白と黒を対称的にあしらった不可思議な衣装を着ていました。痩せ気味な体格。細目で髪を後ろに縛っています。
竹姫をかぐやと呼ぶ男は強引に竹姫を吉備太郎から引き離します。
「行きますよ。まったくなんで私が罪人ごときのために日の本まで来なくてはいけないんだ。面倒なことだ」
ぶつぶつと不満を述べる男に竹姫は「魯蓮(ろれん)、吉備太郎を助けて!」と精一杯の懇願をしました。
「何言っているんですか? 日の本の民が死んだところで――」
「吉備太郎は鬼退治の若武者よ! 鬼に加担したと言われてもいいの!?」
竹姫の必死さに男――魯蓮は「分かりましたよ」と言って吉備太郎に手をかざします。
緑色の光が発せられ、吉備太郎の身体は修復されました。
「これで良いでしょう。二日か三日は動けないと思いますけどね。行きましょう、かぐや」
うな垂れてしまった竹姫は仕方なく魯蓮に従います。
二人は静かに屋敷を去っていこうとして――
「ま、待て……竹姫、行かないでくれ」
二人が振り返ると、よろよろと立ち上がる吉備太郎に姿が見えました。
「馬鹿な……もう動けるだと?」
魯蓮は驚きながらも竹姫の前に出ます。
「竹姫、私には君が必要なんだ……」
一歩ずつ近づく吉備太郎。竹姫は駆け寄りたい気持ちで一杯でした。
けれど――
「寝てろ。日の本の民よ」
魯蓮は素早く吉備太郎に近づいて、思いっきり顔を殴りました。
吉備太郎は庭の木までぶっ飛ばされて、のびてしまいました。
「日の本の民にも、根性がある者はいるのですね」
そう言い残して魯蓮と竹姫はその場を去りました。
そして吉備太郎は蒼牙がやってくるまで、その場に気絶していました。
吉備太郎の大事な人である竹姫はこうして去っていきました。
吉備太郎は竹姫と再会できるのでしょうか?
それにはあの老人、いえ仙人の助言が必要となるのです。
しかしそれでも月の民に敵うかどうかは不明のままです。
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