第64話名田川の戦い
陣を敷いてから二日後のことです。
斥候より鬼の軍勢がこちらへ向かってくるとの報告があがりました。
その数――およそ五百。
「戦いの準備を整えろ! 弓矢隊は横列を組み、合図が来るまでその場に待機! 騎馬隊はその後の突撃に備えろ!」
総大将の安田は大声をあげて命令を発します。
「吉備太郎さん。僕たちは策のために下がります。どうか御武運を!」
翠羽は兵八百を連れて名田川の上流へと向かいます。その際、竹姫も一緒でした。
「竹姫、何かあるのなら――」
この前の出来事以来、まともに会話をしていなかった吉備太郎と竹姫。
「ないわよ。吉備太郎、死なないように頑張ってね」
目を合わさずに戦場を後にする竹姫を不思議そうな表情で吉備太郎は見つめました。
二人の女の子が去っていった後、吉備太郎たちも戦いの準備を始めます。
「吉備太郎殿は馬に乗らないのですか?」
蒼牙が自分で選んだ馬に乗りながら訊ねると「私の場合は乗らないほうが速いんだ」と当然のように吉備太郎は答えます。
「流石ですね。拙者は脚が速くないので乗らせていただきます」
「まあ馬に乗れないだけなんだけどな」
蒼牙は「そ、そうだったんですか?」と驚きながら訊ね返します。
「ああ。いつか乗りたいけど、練習する暇がなかった。剣術の稽古ばかりだったから」
「そうですか。今度、暇があれば練習しましょう」
武者なのに乗れないのは信じられない思いでしたが、そういえば吉備太郎殿は農民の出だったなと蒼牙は思い出しました。
「それより、エテ公はどこにいるんでしょう? まさか逃げ出したわけでもあるまいし」
蒼牙が視線をうろうろさせて探しています。吉備太郎は蒼牙の後方を指差しました。
「あの大きな木のてっぺんにいるよ」
「はあ!? ……忍者は身軽ですね」
朱猴は戦いに参加せずに嚢沙之計の合図を出すためにそこに居るようでした。
さらに言えば今日は晴天。戦場を一望できる場所でもありました。
「鬼共がやってきたぞ!」
即席に建てられた見張り台の武者が大声で自軍に知らせます。
「来たな。いよいよ戦いだ」
「……そうですね」
吉備太郎と蒼牙は真っ直ぐ対岸を見据えました。
どしんどしんと大きな音を立てて、こちらへ迫ってくる、鬼。
そして――軍勢の全貌が見えました。
大きな体躯とそれに見合った大柄な武器。筋肉が隆々とした身体つき。そしておそろしいほどの凶悪な顔。
武者たちが息を飲みました。
鬼共を見て恐れを抱かない者などはたしているのでしょうか?
いえ――一人居ました。
「鬼め……全員殺してやる……」
底冷えするような声音を聞いたのは、蒼牙一人。しかし彼は何も言えませんでした。
「いいか! 十分引きつけてから、矢を放て! 忠正、時機は任す!」
安田の命により、忠正が弓矢隊の指揮を取ります。
「矢を構えよ! まだ弓を引くな! 一射目を放ったら、二の矢、三の矢を放て!」
老武者の言葉で準備する武者たち。
やがて鬼の中からひと際大きい鬼が現れます。吉備太郎はその鬼は酒呑童子よりも小さいなと思いました。
「行くぞ! 人間共を滅ぼせ!」
地が揺れるほどの咆哮が辺り一面に響き渡りました。
そして鬼が浅瀬を渡河してきました。
「まだ待て……弓を引け! ……放て!」
忠正の号令で矢は放たれます。
弓矢隊の人数は二千人。空が真っ黒に覆うほどの矢が放たれました。
鬼共は自身の武器でなぎ払ったりしていましたが、流石に無傷とはいえませんでした。
「忠正! 騎馬隊が出る! 弓矢隊を下がらせろ!」
安田の指示で忠正は弓矢隊を引かせます。
「騎馬隊、突撃!」
およそ二千の騎馬隊が鬼の軍勢に迫ります。
「行きましょう、吉備太郎殿!」
「ああ! 行こう!」
吉備太郎と蒼牙も二千の騎馬隊に入り混じって戦いに参加しました。
「こしゃくな! 皆の者、馬ごと叩き潰せ!」
鬼は迫ってくる騎馬武者を各々の武器で応戦します。
馬に蹴られる鬼。鬼の贅力で叩き潰される武者。戦場は血に染まります。
吉備太郎は戦場でまず、普通の鬼と正対しました。
「人間は子どもまで、戦いに狩りだすのか? そこまで弱いのか!」
吉備太郎は抜刀しつつ、鬼に言い返します。
「私のような子どもでも貴様ごときは倒せるということだ!」
「ほざけガキが!」
鬼の武器は槍でした。それを横薙ぎに振るう鬼。吉備太郎は受けずにその場にしゃがむことで回避し、戻りが遅いことを確認して、そのまま突貫しました。
「は、はや――」
「遅い。それが貴様ら鬼の弱さだ」
吉備太郎は鬼の胴を真っ二つに切り裂きました。
飛び散る血液。そして折れる骨。
「ぐおおお!!」
鬼はその場に倒れます。吉備太郎はとどめに後頭部に刀を突き刺し、息の根を止めました。
歴戦によって、吉備太郎は普通の鬼なら余裕で倒せるほど強くなっていました。
「鬼、討ち取ったり!」
吉備太郎が大声をあげると、周りの鬼や武者は信じられない思いで吉備太郎を見つめます。まさかこんな子どもが鬼を倒したとは思えなかったのです。
「蒼牙! 手伝うか?」
蒼牙は騎乗したまま一匹の鬼と相対していました。
「いえ、大丈夫――です!」
蒼牙は鬼に手こずっているようでした。
吉備太郎は周りの状況を見ます。二千の騎馬隊ですが、半数は無事ではありませんでした。このまま戦えば負けは必定でしょう。
鬼の中にも死者はいるようですが、こちらの被害を考えるとあまり喜べたものではありませんでした。
「吉備太郎殿! 引き上げの合図です」
二匹目の鬼を倒したところで、本陣からほら貝がなりました。
騎馬隊は真っ直ぐ河から出ようと退きました。
「待て! 逃げるのか、卑怯者!」
鬼の大将はそう言いますが、退く者は追うしかありません。
吉備太郎と蒼牙もなんとか川岸に着きました。河に残された武者は皆死んでいます。
鬼共は河の中腹まで迫ってきます。
そのとき、朱猴が合図を出しました。
とてつもない音と光が戦場を揺らします。
黒色火薬が詰まった竹筒を空中で爆発させたのです。
「な、なんだあれは!?」
鬼共が混乱して足を止めました。
しかし驚くべきは次の瞬間でした。
「水が迫ってくるぞ!」
鬼の誰かが叫びました。
まるで龍のように全てを飲み込む水の大群が鬼共に襲いかかってきました。
鬼の指揮官が「逃げろ!」と言う前に鬼の一部は逃げましたが――間に合いません。
鬼共は鉄砲水にぶつかって身体中の骨が折れてしまい、意識が朦朧としたまま、溺れてしまいました。
「な、なんということだ。これが嚢沙之計か。なんという戦術よ!」
安田は陣から出て鬼共が溺れ死ぬのを感嘆の思いで眺めていました。
「素晴らしい。翠羽殿の策で鬼は一網打尽に倒されてしまった」
蒼牙は馬上でぼんやりと河を見つめました。
吉備太郎も感心していましたが、次の瞬間、走り出しました。
「? 吉備太郎殿? どこへ――」
吉備太郎の向かう先を見ると、そこには対岸に辿り着いた鬼が一匹居ました。
よくよく見てみると、指揮官の鬼でした。
「はあ、はあ、はあ……」
荒い呼吸で周りの武者たちを睨みつける鬼。
武者たちは戦いが終わったと思って緊張が解けて弛緩していました。そこに鬼の大将首がやってきたのです。
「お前ら、よくも仲間を……!」
「立て。鬼の大将」
吉備太郎は真っ直ぐ鬼と正対しています。
「貴様には話してもらいたいことがある」
「子どもか……いや、ただの子供じゃないな。仲間を殺したのを見たぞ……!」
鬼の大将は吉備太郎に問います。
「貴様は、吉備太郎だな?」
「ああ。それがどうかしたか?」
鬼はふらふらと立ち上がります。
「俺は熊童子。酒呑のお頭の仇、取らせてもらう!」
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