第65話涙の理由
熊童子。かつて大江山で隆盛を誇っていた酒呑童子の配下の中で四天王と呼ばれた四匹の鬼の一人です。
普通の鬼よりも大きく力が強い熊童子ですが、彼の特筆すべき能力は剣術にありました。
彼は鬼でありながら剣術を修めていたのです。いつ誰に習ったのかは誰も知りませんが、怪力に加えて技術を持つ鬼のおそろしさは言わなくても分かるでしょう。
鬼退治の若武者、吉備太郎でも流石に苦戦するだろうと思われていました。
しかし結果として、熊童子は敗れました。
結果よりも経過を重視するならば、熊童子にも勝ち目はありました。
けれどそうはなりませんでした。
まず熊童子は刀――いえ、大刀を正眼に構えて吉備太郎の出方を窺いました。
間合いではこちらのほうが有利。
素早さでは向こうのほうが有利。
そう考えればどちらが攻め込んでも相違ありませんが、熊童子は鬼らしくなく、臆してしまったのです。
それが勝負の分かれ目でした。
「抜刀術――虎の太刀」
吉備太郎は自らの危険を顧みず、必殺技を放ちました。
熊童子は咄嗟に大刀を立てて、守りを固めますが、吉備太郎の鋭い抜刀術によって、武器を折られて斬られてしまいました。
その場で崩れ落ちる熊童子。
見守っていた武者たちは歓声を上げました。
「流石、鬼退治の若武者! 天晴れだ!」
「噂違わない強さよ!」
陣の外で戦いの一部始終を見ていた総大将の安田はあんぐりと口を開けてしまいました。
蒼牙は当然だと考え。
朱猴は初めてみる鬼殺しに感心してました。
吉備太郎は納刀せずに瀕死の熊童子に近づきました。
痛みに喘ぐ熊童子を見下ろします。
「貴様には訊きたいことがある。鬼の総大将のことを言え。そいつの名前は? 強さは? 能力は?」
矢継ぎ早に訊ねる吉備太郎に熊童子は「誰が答えるか、馬鹿が」と唾を吐きました。
「そうか。じゃあ痛い目に合ってもらおう」
吉備太郎は何の躊躇もなく、熊童子の身体に刀を突き刺しました。
「ぐぁあああああ!」
「鬼の総大将の名は?」
淡々と質問を繰り返す吉備太郎。
しかし答えない熊童子。
それに苛立ち、吉備太郎は再び熊童子を痛めつけようと――
「何してるの吉備太郎!」
後ろから悲痛に満ちた声で叫ぶ声。
竹姫でした。後ろに下がったはずの竹姫が何故かここに居ました。
「竹姫か。どうしてここに居るんだ?」
吉備太郎は熊童子から目を切らずに静かに言いました。
「もう勝負はついたじゃない! どうしてそんな残酷なことができるのよ!」
竹姫は怒っていました。そして吉備太郎に近づこうとして――
「来るな竹姫! まだこいつは死んでない」
吉備太郎の厳しい声に思わず足を止める竹姫。しかし言葉だけは続けます。
「拷問なんてしても、どうせその鬼は何も吐かないわよ! 鬼は仲間を裏切らない!」
「やってみないと分からないだろう」
吉備太郎は今度は熊童子の目を潰そうとしました。
竹姫は目を瞑りました。
「そこまでだ。吉備の旦那」
吉備太郎の喉元の苦無が突きつけられました。
「やめてください、吉備太郎殿。それをやってしまえば、鬼と同じになります」
背後に長槍が突きつけられました。
朱猴と蒼牙が止めたのです。
「……何の真似だ?」
吉備太郎は冷たい声音で二人に問います。
「鬼に情けをかけろとまでは言わねえ。だけどな、人間にも守らなければならねえ道理っていうのがあるんだよ」
朱猴の言葉を吉備太郎は「私にはそんなものは無い」と一蹴しました。
「吉備太郎殿、考え直してください。そんなことをしても何にもなりません」
蒼牙の言葉に吉備太郎が徐々に怒りを増してきました。
「ふざけるな! こいつらは私の村を滅ぼした元凶だぞ! 情けなどない! 道理もない! 考え直すこともない!」
そして吉備太郎はこう言いました。
「私を刺したければ刺せ。私は止めない」
吉備太郎は覚悟をとうの昔に決めていました。村を滅ぼされていたときからずっと。
蒼牙と朱猴はどうするべきか悩んだ挙句――
「竹姫さん、泣いてますよ」
吉備太郎はその言葉にぴくりと反応しました。そしてそれを言ったのは翠羽でした。
「竹姫さんを悲しませてまで、やるなら止めませんよ」
吉備太郎はそれを聞いて「蒼牙、朱猴。逃げないように見張っててくれ」と言い残して竹姫の元へ向かいます。
蒼牙と朱猴は安心したように頷きました。
吉備太郎は竹姫の近くまで来ました。
竹姫はその場にしゃがみこんで泣いていました。両手で顔を覆っています。
傍には翠羽が居ました。
「竹姫、どうして泣いているんだ?」
吉備太郎は涙の理由が分かりませんでした。戦場で戦い続けた吉備太郎。どんな残酷なことも受け入れていました。
だけどその残酷さを竹姫は知りませんでした。竹の中にずっと居て、そうした現実を知らなかったのです。
加えて吉備太郎の残酷さを理解してしまったのも原因でした。優しい吉備太郎がこんなおそろしいことをしてしまうのは悲しくて仕方がなかったのです。
けれどそんなことを詳しく言えない竹姫は一言しか言えませんでした。
「あなたが……そんなことを、するなんて、嫌なの……」
しゃくりあげながら、やっとそれだけが言えました。
「…………」
吉備太郎は何も言えませんでした。
善悪に関してはよく分からないのが、彼の真実でした。良心はあります。しかし禁じられたことへの理解が希薄だったのです。
それも鬼相手には容赦ありませんでした。
鬼だからなんでもしていいと思い込んでいたのです。
「……なんとか言いなさいよ」
竹姫は顔をあげて、全てを絞り出すように言いました。
「あなたは鬼を殺せればそれでいいの!? 鬼を滅ぼすためなら、心が壊れていいの!? そんな人を、あたしは、好きになったわけじゃない!」
吉備太郎はそれに対して衝撃を受けました。そして「ごめん」と言いました。続けてこう言います。
「私はいつも竹姫に教えられているな。鬼を殺すことばかり考えて、自分の心まで殺していたみたいだ」
竹姫に近づいて、頭を撫でました。綺麗な髪がさらさらと梳きました。
「約束するよ。鬼を必要以上に痛めつけない。拷問もしない。だからもう泣かないでくれ」
それを聞いた仲間たちはほっとしました。自分たちの信じた人が道を誤らなかったことへの安堵でした。
しかしそれは油断でもありました。
「――神弓術式」
遥か対岸から放たれた一本の矢は吸い込まれるように熊童子の頭を射抜きました。
「はあ? はああああ!?」
見張っていた朱猴はいきなり熊童子に矢が刺さったので、驚きのあまり後ずさりました。
蒼牙は呆然として続けて放たれる可能性を考えませんでした。
「――っ! 翠羽、竹姫を頼む!」
吉備太郎は熊童子の元へ行きました。
熊童子は既にこと切れていました。
「誰がやったんだ!?」
「き、吉備の旦那! あそこに居る男だ!」
吉備太郎は対岸を見ました。
そこに居たのは――懐かしい顔。
烏帽子を被り、貴族の普段着である狩衣に身を包む、いかにも貴族のような出で立ちの青年。
背は中肉中背。肌は白く切れ長の目をしていた美丈夫でした。
傍に四人の男女を従えています。
「熊童子ちゃんはよくやってくれた。だからせめて、楽にさせてあげよう」
青年は悲しげな顔をしていました。
「ど、どうして――」
吉備太郎は最早、何を信じれば良いのか、分かりませんでした。今ある現実がまことのものなのか分かりませんでした。
「どうして、あなたがここにいるんですか……? いや、あちら側にいるんですか?」
吉備太郎の驚愕は次第に理解へと変わりました。
青年は弓を携えたまま、何も言いません。
吉備太郎が我慢できなくて叫んでしまいました。
「答えてください! 吉平さん!」
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