第59話甲斐の八人衆

 夜が明けて、吉備太郎たちは地下牢から追い出されました。その際、足の縄は解かれたのですが、両腕は縛られたままでした。


 高梨はそのまま牢屋に入れられていました。


「私が言うのもなんだけど、幸運を祈っているよ」


 その言葉に吉備太郎は頷きました。


 彼らは翠羽と高梨が将軍儀を打った中庭まで連れて行かれました。周りに衛兵が十人程度居ました。

 無理矢理その場に座らされた吉備太郎たち。しばらくすると、奥の部屋から甲斐の領主、文田が現れました。ずっくりと大きな体躯を揺らしながら、吉備太郎たちを見下ろします。


「おほん。それでは返事を聞こう。お前たちはわしの部下になるのか?」


 有無を言わせない言葉でした。もしも断れば全員殺すという顔でした。


 吉備太郎はそれに答える前に問いました。


「一つ訊ねたいのですが、よろしいでしょうか?」

「なんだ? 言ってみよ」


 吉備太郎は彼にとって当たり前のことを訊ねます。


「もし部下となっても、鬼退治は続けてもいいでしょうか?」


 すると文田は怪訝な表情をしました。


「鬼退治だと? まあ確かにそれで名を上げたのだ。当然の疑問だろう。しかしそれはしなくても良い」


 文田はあくまでも寛大さを見せつけるように言います。


「そのような危険なことはしなくても良い。わしの傍でわしの望む勤めを行なうこと。それがお前に求める唯一のことだ」


 文田は勘違いしていました。吉備太郎が金や名誉のために鬼退治をしている凡俗だとばかり思っていたのです。

 しかしそうではありません。吉備太郎は復讐のために戦っているのです。だからこそ、文田の申し出は吉備太郎にとっては魅力的に映りませんでした。


「そうですか。ならば断ります」


 吉備太郎が頭を下げると、文田の表情は次第に厳しいものになっていきます。


「私の使命は鬼退治です。それができなければ意味がありません。だからお断りします」


 吉備太郎以外の三人の仲間は、彼がそんな風なことを言うだろうなあと思っていたので、特に驚きませんでした。


 むしろ驚いた、いや怒ったのは文田のほうでした。


「この無礼者めが! 甲斐の領主たるわしの誘いを断るだと? ええい、この者共の首を刎ねてしまえ!」


 文田は興奮して衛兵に命じました。

 しかし――


「うん? どうした? 何故動かぬ?」


 文田の命令を聞く者は誰も居ませんでした。むしろ吉備太郎たちを守るように囲んでいました。


「もうあなたの命令を聞く者はいないってことですよ。領主さま」


 文田の真正面の扉が勢い良く開きました。

 そこに立っていたのは、翠羽でした。


「翠羽! お前が何かしたのか!?」

「ええ。策を練りました。あなたの味方、あなたの部下はもう居ませんよ」


 翠羽は無表情のまま、吉備太郎たちの近くに下りてきました。


「一年前から計画して、ようやく創りだせたこの状況。腹心の部下たちの身柄も押さえました。そしてこの場に居る僕の協力者と外に居る者で固めた館。もう逃げ場はありませんよ」


 そして文田に向けて宣言しました。


「甲斐の領主、文田。あなたに僕は謀反する。御覚悟召されよ」


 その言葉に唖然とする文田。しかしそれは僅かな間でした。


「このわしに謀反だと? お前はもう少し賢いと思ったが。正気ではないみたいだな」

「正気ではないのはあなたです。この状況が分からないのですか?」


 文田は軽く笑いました。余裕もあるみたいです。


「領主というものは常に反乱を想定しているものだ。違うか?」


 文田は大きく柏手を鳴らしました。

 すると奥の部屋から赤備えの武者が八人ほどやってきました。


「甲斐の八人衆だ。これに勝てるものがこの場に居るか? 皆の実力は分かっている。この場にいる衛兵では太刀打ちできぬぞ? さあどうする?」


 翠羽は「ここまで策が当たるとおそろしいですね」と余裕のままでした。


「いずれ甲斐の八人衆を倒さなければならないことは分かっていました。そして倒すことで領主さまの支配から逃れられる証となることも予想済みです」


 そして翠羽は吉備太郎に近づいて――縄を小刀で斬り裂き、解放しました。


「吉備太郎さん、僕たちの代わりに甲斐の八人衆を倒してくれませんか?」


 これには吉備太郎たち全員が驚きました。


「……流石に意味が分からない! 拙者たちを嵌めた女の言うことを何故聞かないといけないんだ!」


 蒼牙の言うとおりでした。そんな道理はありません。しかし翠羽はこう続けました。


「先ほど、領主さまはあなたたちを殺そうとしました。それを救ったのは僕たちです。今度は僕たちを助けてください」

「だから、元々翠羽があたしたちを嵌めなければ、こんなことにはならなかったでしょうが! 訳が分からないわよ!」


 竹姫の言葉に吉備太郎以外の二人は頷きました。

 そう吉備太郎以外の二人だけ。


「仕方ないな。私の刀はどこにあるんだ?」


 吉備太郎は何のためらいもなく立ち上がり、甲斐の八人衆と相対しました。


「吉備太郎! あなた何考えて――」

「私だって言いたいことは山ほどある。けれどこの場を切り抜けないとそれも言えないだろう。違うかい?」


 吉備太郎の言っていることは分かります。しかし人間の感情というものはそう簡単に折り合いが付けられないものなのです。


「ありがとうございます。吉備太郎さん」

「私は翠羽を信じることにするよ」


 吉備太郎は言い出したら止まらないことは竹姫は痛いほど分かっていました。しなくていい苦労もしてきましたので、それについてはとやかく言うつもりはありません。


「まったく、吉備の旦那はお人よしだぜ。おい、翠羽。甲斐の八人衆を倒したら、領主の溜め込んだ財産の半分はいただくからな」


 朱猴は吉備太郎が山猿衆に手を貸したこと状況を思い出していました。


「いいですよ。僕には不要なものですから」


 それを聞いた朱猴は関節を外して、縄から抜けました。


「犬っころ。お前はどうするんだ?」

「犬っころ言うな! エテ公! 拙者も戦う! こうなったら暴れてやる!」


 蒼牙も自棄になってしまいました。

 吉備太郎は受け取った刀で蒼牙の縄を解いてあげました。


「……茶番は済んだか?」


 文田は黙ってこの状況を待っていました。奇襲をかけても良かったのですが、正々堂々と戦うことで逆らう気概を無くそうと思ったのです。


 吉備太郎たちの準備が整い、いよいよ甲斐の八人衆との戦いが始まります。


「それでは、かかれ! この者共を八つ裂きにせよ!」


 文田の号令で八人衆は一斉に三人に襲い掛かりました。


 勝負は――一瞬で決着しました。


「……はあ?」


 文田の情けないような声。

 それもそのはず、吉備太郎たちは甲斐の八人衆をそれぞれ一撃で倒してしまったのです。

 まあ猿蟹合戦で多数対一の戦いに慣れてしまった吉備太郎と蒼牙。そして歴戦の忍者である朱猴にとって、たかが武芸の秀でただけの実戦経験のないお飾りの集団では勝ち目はなかったのです。


「そ、そんな馬鹿な! これは間違いだ! わしが負けるはずが――」

「見苦しいぜ。領主さんよ」


 朱猴は自身を縛っていた縄で文田をぐるぐると縛ってしまいます。

 こうして謀反は成功したのです。


「領主さま、いや文田さん。僕の妹はどこに居るのですか?」


 翠羽はあくまでも冷静でしたが、手が震えているのに気づいたのは朱猴だけでした。


「お前の妹だと? ふん、答えるものか」

「答えなければどんなことをしても吐かせます。だから言うのです」


 翠羽の尋問に文田は観念したようです。


「……妹の名はなんだ?」

「陽菜です。知らないとは言わせませんよ」


 すると文田はにやりと笑いました。

 その笑みは残忍なものでした。


「ああ。その小娘か。それなら知っている」


 そして翠羽の目を見ました。

 自分が真実を言っていることを証明するために。


「その者なら、二ヶ月前に死んだよ」

「――えっ?」


 文田は笑い出しました。


「地下牢の暮らしに耐えきれなくなったみたいだな。病に罹って死んだ。それだけの話だよ」

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