第57話対局
領主の館に行く前の出来事です。
河原で合戦ごっこをしている子どもたちが居ました。草刈りをしていないせいか、生い茂っている草むらの中、縫うように子どもたちは遊んでいました。
「懐かしいですね。拙者も昔、よくやりました。吉備太郎殿はやったことありますか?」
蒼牙が訊ねると、吉備太郎は「村の子どもは少なくて、あまりやらなかったな」と淋しげに答えます。
「どうやら、人数の差があるわね。東側の子どもの負けだわ」
竹姫は一瞬で戦況を見取りました。朱猴も同様の考えでした。
「いえ、東側の子どもの勝ちです」
翠羽がはっきりとした声で反対しました。
竹姫はその言葉が気にかかって、足を止めました。他のみんなも足を止めました。
するとどうでしょう。東側の子どもが陣地に追い込まれたと思ったら、側面から子どもたちが現れて、逆に西側の子どもを追い込みました。
結果は東側の子どもの勝ちでした。
「あなた、どうしてこの結果が分かったの?」
竹姫が怪訝な表情で翠羽に訊ねます。
「えっと、逃げ方が不自然でした。むしろ誘い込んでいるような感じがしてなりませんでした。加えて、この状況では伏兵を仕込むのが常道です。だから東側の子どもに策があると思いました」
吉備太郎と蒼牙は素直に関心しましたが、朱猴と竹姫はどうしてそこまで読めたのか、不思議で仕方ありませんでした。
確かに説明されれば、見破ったことは理解できます。しかし、ここまで完璧に読みきるのは難しいです。いくら子どもの作戦といえども、俯瞰して見通すのは至難でしょう。
将軍儀といい、今回の推察といい、翠羽の目には何が映っているのでしょうか?
「行こう。時間に余裕があるとはいえ、遅れるかもしれない」
吉備太郎の一言で、その場を離れる五人。
竹姫は翠羽に不信感とは違った疑わしい気持ちをほんの少し抱くことになるのです。
領主の館は奢侈といえば聞こえが良いのですが、なんというか成金のように金の使い方が分からない者が作った建物でした。
都の屋敷を真似たものですが、それでも豪華とは言えない代物でした。
鷲山中納言の屋敷とは似て非なるものです。鷲山中納言は『わざと』趣味の悪い屋敷にしていますが、こちらは明らかに美というもの分かっていないものでした。
それでいて、衛兵が居るところを見るに、余程の用心深い人間か、見栄っ張りな人間か、どちらかでしょう。
「翠羽です。領主様の命により、参上つかまつりました」
槍を構えた衛兵に申し上げる翠羽。
「翠羽か。いつもながら早い到着だな。それで、そこの四人は何者だ?」
衛兵が軽く槍を向けると翠羽は「立会人です」と説明します。
「領主様に伝えてください。僕にもやっと立会人ができたと」
衛兵は「しばし待たれよ」と言って屋敷の中に入っていきます。
その後、しばらく経って衛兵は戻ってきました。
「いいだろう。四人も許可する。一応、武器を預かってもいいか?」
吉備太郎はなるべく武器を手放したくなかったので「渡さなければいけませんか?」と形なりの抵抗を見せます。
「渡さなければ外で待ってもらう。それでもよろしいか?」
一応、翠羽の警護を請け負ったので、渋々従うしかありませんでした。
吉備太郎は刀を。蒼牙は槍を。朱猴は苦無を渡しました。
「よろしい。それでは中で待ってくれ」
中に入っても悪趣味な成金の装いが変わらなかったので、竹姫は顔をしかめました。
中庭に将軍儀の盤と日よけの傘が立てられていて、そこで打つのだと分かりました。
「やあ。久しぶりだねえ。翠羽さん」
そう声をかけてきたのは狩衣を着ている若い青年でした。周りに二人の従者を連れてなんだか偉ぶっている印象を見受けられます。
「高梨名人……!」
翠羽の顔色が変わりました。
「やだなあ。名人なんて呼ばなくても――」
「あなたと話すことはありません」
翠羽はそう言うと踵を返します。
「おいおい。つれないこと言わなくても」
「僕は約束を守ります。これ以上は勝負で、将軍儀で語りましょう」
そう言って真っ青な顔のまま、高梨名人から離れていきました。
「まったく。ああいうところが可愛いんだけどねえ」
そう言って高梨名人も自分の控えの間へと歩みを進めます。
「……あれが身体を要求するような男なのですね。てっきり年配の方かと」
蒼牙がぼそぼそと言うと、竹姫は「軽薄そうな男。最低ね」と辛辣なことを言います。
「まあいいさ。そんなことよりも翠羽のところへ向かおうぜ」
朱猴の言葉で一同は翠羽の後を追いました。
翠羽は控えの間で正座をして、精神を集中させていました。
「翠羽、あなたはあいつに勝てるの?」
竹姫が問うと翠羽は力なく笑いました。
「五分五分ですね。それでも勝ちます。村のためにも」
吉備太郎は翠羽に言いました。
「力を抜いて、自分の実力を発揮するんだ」
翠羽はそれに頷いて返しました。
そして、試合の時間となりました。翠羽と高梨名人は中庭の盤を挟んで正対しています。
「甲斐の領主、文田さまでございます」
衛兵が宣言すると奥のほうからどっしりと太った壮年の貴族の男性がゆったりと歩いてきました。竹姫は嫌いな人種だわと心の中で思いました。
「えー、それでは高梨名人と翠羽八段の名人戦を行なう。両者、正々堂々と策略を尽くして戦うように」
文田はそこで言葉を切った後、続けて言いました。
「それでは尋常に――始めよ!」
先手は翠羽でした。まずは定石どおり、雑兵を前に進めました。
後手の高梨名人も定石どおり返します。
そこからしばらくは互いの陣地の守りを固めつつ、攻め時を狙っています。
対局はどちらが優勢とは見分けられないほど白熱したものになりました。
しかし吉備太郎たちは気づかなかったのですが、文田が彼らを横目でちらりと見ていました。
対局が動き始めたのは、終盤になってからです。
高梨名人の騎馬を中心とした中攻めに防戦一方に立たされていた翠羽でしたが、ここで反撃に出ます。
戦姫を犠牲にする作戦です。盤上を荒らしていた戦姫を相手に狙わせて、その隙をついて槍兵で将軍に王手をかけたのです。
高梨名人はしまったという顔をしました。
将軍儀を知っている竹姫は翠羽の勝利を確信しました。
その失策が後々に影響となり――
「……ありません。参りました」
高梨名人の負けとなりました。
吉備太郎たちはホッと一息入れました。ここからが本番なのですが、どうしても息を飲む戦いに緊張してしまったのが弛緩したのです。
そう。それこそが翠羽の狙いでした。
「……! 何をする――」
真っ先に押さえつけられたのは吉備太郎でした。
朱猴が反応して立ち上がろうとしましたが、吉備太郎に突きつけられた刃物を見て、動きを止めてしまいました。
そこを狙いすましたように、三人がかりで捕縛されました。
蒼牙は何が何だか分からないうちに捕まえられました。
「――っ! これはどういうことなの!?」
竹姫も腕を取られて動けない状態でしたが、睨みつけます。甲斐の領主である文田と――翠羽を。
「これが僕の策です。とりあえず、この男も縛り付けなさい」
指差したのは高梨名人でした。彼もまた、何が何だか分からないという顔でした。
「ほっほっほ。これでまたわしの部下が増えるな」
甲斐の領主は吉備太郎に近づきました。
「お主が鬼退治の若武者、吉備太郎だな」
「どうして、知っている? 何故、私たちを捕らえる?」
吉備太郎の質問に文田は「お主のことはなんでも知っているぞ」と言います。
そしていやらしい顔つきで他の面々を見ます。
「他の二人も使えそうだな」
「だから、お前の狙いはなんだ!」
すると文田はにやりと笑いました。
「吉備太郎、わしの部下となれ。他の二人もな」
そして続けて言いました。
「もしも断れば、そこの小娘は死ぬ」
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