七章 雉

第55話自殺志願の女性

 吉備太郎一行は甲斐に入りました。目指す相模まではあともう少しの距離でした。


「それで? 朱猴はどうしてあたしたちの仲間になったのよ?」


 信濃を抜けてようやく竹姫は朱猴に訊ねました。


「はあ? 俺様はただ吉備の旦那に協力したいだけだぜ? 竹姫」

「それがうさんくさいのよ。あなたたち草の者が利益以外で動くとは思えないわ」


 竹姫は袈裟切りのようにばっさりと言い切りました。


「俺様は吉備の旦那の鬼退治という崇高な理念を素晴らしいと思ったから――」

「嘘ね。短い間だけど、あなたが情に動かされる人間じゃないことぐらい分かるわよ」

「俺様は吉備の旦那を気に入ったんだ」

「嘘ね。気に入っただけで里を離れるほど、深い付き合いじゃないわ」

「ついて行ったら金や名誉になるからな」

「それも嘘。死の危険性を考えたら付いていったりしないわ」


 蒼牙はぽかんと二人のやりとりを見ています。どうしてこんなに嘘が出てくるのか、そしてどうして見破れるのか、不思議で仕方がなかったのです。

 吉備太郎などは竹姫は賢いなあとしか思いませんでした。


「はあ。なんて言ったら納得してくれるんだ? 信用してくれるんだ?」


 朱猴は降参とばかりに両手を挙げると、竹姫は「本音を話せば納得もするし、信用もできるわ」と腕組みをします。


「どうしてあなたは吉備太郎の仲間になったのよ?」


 朱猴はふうっと溜息を吐いて、それから真面目な顔になりました。


「理由は二つある。一つは里から離れたほうが面白いと踏んだからだ」


 朱猴の言葉に眉をひそめますが、竹姫は何も言いませんでした。


「沢蟹衆との戦いもなくなったし、ここ最近、戦争もない。あるのは鬼との戦いだけだ。それなら鬼退治を目的としているお前らについて行ったほうが確実だしな」

「さっきも言ったけど、命を賭して戦う義理があなたにはないでしょう?」


 すると朱猴は「俺様はよ、器用な人間なんだよ。猿みたいにな」と韜晦するように言いました。


「だからなんでもできてしまうし、何事も上手くやれてしまう。おそらく不倶戴天の仇だった沢蟹衆との折衝だってできちまうだろう。そしたら要職に就かないといけない」


「それのどこが悪いんだ?」


 蒼牙が口を出しました。


「偉くなることが一族郎党を養うことになるんじゃないのか?」

「お前は間抜けだな。犬っころ」

「なんだとエテ公!」


 負けじと言い返しますが、朱猴は気にしませんでした。


「山猿衆や沢蟹衆に一族郎党という区別はない。里全体が一族なものだ。だから俺が偉くなろうが関係ない。言わば里に奉仕する立場に成り下がるんだ」


 竹姫は「なるほどね、つまりあんたは自由人なわけね」と分かりやすく言いました。


「自由に生きたいから、そのために里を離れた。まあ分からなくもないわね」


 そして朱猴は「二つ目の理由だが」と続けました。


「俺様はガラにもねえけどよ、吉備の旦那が気にかかるんだよ」


 急に自分の話題になったので、後ろを歩いていた吉備太郎は驚きました。


「私が気にかかる? どういう意味だ?」


 朱猴は頬をぽりぽり掻きながら、なんでもない風を装いました。


「竹姫、犬っころ、あんたらには分かることだと思うぜ。なんかほっとけない気がするんだよなあ。吉備の旦那はよ」


 竹姫も蒼牙も頷きはしなかったものの同じ気持ちでした。


「目を離すとあっという間に死んじまう。まるで雛鳥を見ているもんだ。木から落ちてしまったら巣に戻してしまいたくなるような感覚と言ってしまえば分かるか?」

「私はそんなに弱いつもりはないのだが」

「例え話だよ。いや、そうじゃねえな。はっきり言うぜ。吉備の旦那は心が弱い」


 朱猴はふざけた顔ではなく、真剣そのものでした。


「あんたは自覚するべきだ。いろんな人に助けられていることを。そして向こう見ずだということに。それを自覚して自重するべきなんだ。鬼退治? 結構なことだ。自分はそれで死んじまっても構わないと思っているだろう。それが――吉備の旦那の弱さだよ」


 吉備太郎は黙って、甘んじて受け止めました。間違いがないからです。


「俺様はそういう英雄気取りの人間をたくさん見てきた。そして死んでいくのを何度も見てきた。吉備の旦那の恨みはどれだけ深いのか知らない。今を生きろなんて言わないさ。だけどな、これだけは言っておくぜ」


 朱猴は自分らしくないなと思っていました。いつの間にか吉備太郎のことが好きになっていたのかもしれません。

 だからこそ、歴戦の草の者である朱猴にしか言えないことを言ったのです。


「吉備の旦那が死んで泣く人も居るんだ。そのぐらい分かれよ、馬鹿」




「あ、村が見えてきましたよ」


 朱猴のらしくない言葉がきっかけで黙ってしまった一行。

 朱猴は言い過ぎたなと思っています。

 竹姫は結構考えているのねと感心しました。

 吉備太郎は言われたことを噛み締めました。

 そして蒼牙はこの場の空気をどうにかしようと思って、必死で話題を探して、ようやく村を発見したのです。


 甲斐の名も無き村に到着した吉備太郎たち。


「……なんだか寂れたところね」


 竹姫の言うとおりでした。昼間だというのに大通りには人があまり居なくて、物寂しく、また商品も並んでいません。


「甲斐は基本的に貧しい国だ」


 朱猴はどうでも良さそうに言いました。


「米もあまり取れないし、洪水で河は氾濫するし、金山はあるにはあるが、鉱山衆と言われた専門家たちは佐渡に行っちまった。寂れていくばかりさ」


 蒼牙は物悲しい気持ちで一杯でした。豊かな国の出身である蒼牙には想像できないからです。


「とりあえず、一晩宿を取って早く出ましょう。相模へ向かう――」


 竹姫が言いかけたときでした。


「待て! 何をする気だ!」


 突然、吉備太郎は叫び、駆け出しました。

 三人は呆然としましたが、次の瞬間、分かりました。

 通りを分ける大きな河に架けられた橋。そこに一人の女性が立っていました。

 橋の中央ではなく、手すりの上に立っていたのです。


「あの女、飛び込むつもりだ!」


 朱猴も遅らせながら走り出します。

 蒼牙も竹姫も橋へと向かいます。

 女性は目を閉じて手を合わせて――飛び込みました。


「うおおおおおおお!」


 間一髪でした。吉備太郎は女性の腰を両手でしっかりと抱きしめて、勢い良く橋へと引き戻しました。


「……? あれ?」


 女性は――吉備太郎と同じくらいの大柄な女性です――は自分が生きていること、橋の上に居ることに驚きました。


「な、なんで僕は、生きているの?」


 首を傾げている女性に吉備太郎は息を切らしながら「わ、私が、助けたんです」と言いました。


「よ、余計なことをしないでください! 僕は死にたいんです!」


 女性は暴れますが、吉備太郎の力には敵いません。


 女性は緑色の小袖を着ていて、多分身分の高いと想像できます。

 少し弱気な表情ですが、誰が見ても美しいとされる容貌。

 そんな女性ですが、どうして死のうと思ったのでしょうか?


「お願いします! 死なせてください!」

「駄目です! 暴れないでください!」


 争っていますと、竹姫たちがこちらへ駆け寄ってきます。


「よく見つけられたわね。目が良いのね」


 竹姫の言葉に吉備太郎は「それよりこの人を――」と言いました。

 しかし女性は抵抗をやめました。


「こんな人数が居たら、僕は自殺できやしないですね」


 そう言って、諦めてしまいました。


「えーと、おねえさん。あんたどうして死のうと思ったんだ? 金以外ならなんでも相談乗るぜ」


 朱猴が訊ねると、女性は「話を聞いてくれますか?」とおどおどしながら言いました。


「そうね。まずお名前から教えてもらいましょうか」


 竹姫は優しく訊ねました。


「僕の名は――翠羽(すいは)」


 翠羽は目をうるうるさせて言いました。


「僕は死ななければいけないんです。だから見逃してください」

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