第53話猿蟹合戦、終結

 結果として沢蟹四天王との戦いに圧勝したことによって、残りの沢蟹衆たちは臆してしまいました。

 沢蟹衆はまだ六十六名居るというのに、一斉にかかれば勝てるはずなのに、それができないのです。

 さらに加えるならば蟹入道自身もそのような指揮を出せずにいたのです。


「ま、まさか。沢蟹四天王が、やられてしまうとは……」


 頭領がこうでは周りの士気も下がります。

 それを逃さない者が一人。


「吉備太郎! ガキ! 蟹入道を狙え!」


 朱猴は自身も真っ直ぐ蟹入道に向けて駆け出しながら指示します。

 吉備太郎も蒼牙もそれに従います。


「なっ! くそ、あいつらを倒せ!」


 三人は戦意を失いながらも蟹入道の命令に従う沢蟹衆を薙ぎ倒し、そして眼前まで蟹入道を追い詰めました。


「おとなしく降伏しろ」


 朱猴は苦無を突きつけました。

 蒼牙は二槍を突きつけました。

 吉備太郎は木刀を突きつけました。

 もはや逃げられません。

 いくら蟹入道が強くとも四天王を倒せる三人が相手では――


「ち、ちくしょう! こうなれば――」


 最後の悪あがきをしようと蟹入道が動いたとき――


「もうよい。わしらの負けだ」


 陣の中から声がしました。

 すると蟹入道が振り返り言いました。


「兄上! そのようなことを言わんでください! まだ負けていません!」


 朱猴は疑問に思いました。兄上? 蟹入道が敬語を使っている?


 陣の中から三人の男が現れました。

 真ん中の男を支えるように、沢蟹衆の草の者が寄り添っています。

 そして真ん中の男は――

 蟹入道にそっくりな男でした。

 いえ、蟹入道よりも年老いているような。


「……まさか。お前が?」


 朱猴が訊ねると壮年の男性は言いました。


「わしが本物の蟹入道だ。こいつは弟だ」


 蒼牙は呆然としています。


「つ、つまり、影武者を使っていたのか?」


 蒼牙の疑問に本物の蟹入道は「そうだ」と答えました。

 どうやら身体の自由が利かないようでした。


「なるほど。もう戦える身体ではないのか」


 吉備太郎の言葉に蟹入道は頷きました。


「わしはもう長くはない。不治の病にかかっている。だから、せがれはあんなことをしたのだろう」


 朱猴はそれを聞いて、全てが分かってしまいました。

 だからでしょうか。彼の中から恨みというものが消え去ってしまったのは。


「雀罰が先代を殺したのは、あんたが生きている間に、山猿衆を潰そうとしたんだな」


 吉備太郎と蒼牙もようやくこの戦いの発端である事件の真相に触れました。


「ああ。わしが長くないと分かるとせがれは言った。『親父が死ぬ前に山猿衆を消す』それが最期の言葉だった」


 後悔の念があるのか、蟹入道の顔が歪みました。


「せがれは才があった。人望もあった。しかし先代の猿魔には勝てぬ。返り討ちに合うか、良くて相打ちになるのが関の山。しかしわしは行かせてしまった」

「それは何故だ?」


 朱猴の詰問に蟹入道は本心を答えます。


「せがれなら、生きて帰ってくるかもしれないと思ってしまった。親のために手柄を立てようとする心意気が嬉しかった」


 そして自嘲するように言います。


「親馬鹿と言われてもいい。せがれは十分に頭領に相応しい草の者だった」


 皆は話を聞いていました。

 吉備太郎も蒼牙も言葉を発しませんでした。


「……理由は分かった。俺様も草の者として、雀罰の実力は分かっていた。それでだ。この決着はどうする?」


 いよいよ本題に入る朱猴。


「明らかに沢蟹衆の負けだ。こちらの提案を飲むしか道はないと思うが」

「そのようなことはできぬに決まっているだろう!」


 弟が激高して言います。


「何年も何十年も殺し合った憎しみの間柄にこんなたった一つの合戦で決着つけるなんて、里の者が納得するはずがないだろう!」

「俺様だってそうだ!」


 朱猴は負けずに声を張り上げます。


「俺様だって統合など嫌に決まっている。正直に言えばここにいる沢蟹衆の連中を皆殺しにしたいくらいだ。だけど、猿魔の、姉貴のことを想えば、統合しかないんだ!」


 朱猴は蟹入道に訴えます。


「あんたと違って姉貴は弱い。力ではない。心が弱いんだ。だから――」

「もういいよ! 朱猴! ここからは私が話す!」


 気がつくと猿魔がこちらにやってくるのが見えました。


「頭領が一人でのこのこと、好機だ! 討ち取ってしまえ!」


 弟の号令で六十六人の沢蟹衆が一斉に猿魔に襲い掛かります。


「馬鹿! やめさせろ!」


 朱猴が弟に食ってかかります。


「これは合戦だ。大将首が一人で居ることが――」

「そうじゃねえ! 逆だ! 沢蟹衆全員皆殺しにされるぞ!」


 弟が理解する前に目の前に物凄い勢いで何かが迫ってきました。

 それは弟の横を通り過ぎて、陣の垂れ幕にぶつかりました。


「……はあ!?」


 弟はそれが沢蟹衆の草の者だと分かると、柿川のほうへ顔を向けます。

 そこで行なわれていたのは。

 猿魔が沢蟹衆を蹂躙する姿でした。

 殴る蹴る投げ飛ばす。単純な殴打を繰り化しながら、こちらへ迫ってきます。


「……どういうことなんだ?」


 吉備太郎がこの場に居る全員の疑問を代表して朱猴に訊ねます。


「猿魔はなんていうか、単純に強いんだ」


 朱猴は頬を掻きながら答え難そうでした。


「遁術は下手くそだが、というより一切使えないが体術は誰にも負けない。俺様は何度も姉貴に殺されかけた」


 朱猴は様子を見ています。


「手加減は一応しているが、こりゃ大怪我間違いないな。それでいて殺したくないと思っている臆病者。あんなの猿魔にしちゃいけねえよ」

「蟹入道には勝てないと聞いていたけど、それは真実か?」


 蒼牙が訊ねると朱猴は「ああ。勝てないね」と断言しました。


「だろう? 蟹入道さん」

「わしの全盛期ならば、勝てる相手だ。体術しか使えない相手など、楽に勝てる。だが、わし以外では勝てぬだろうよ」


 そして猿魔は吉備太郎たちの前に来ました。


「あなたが蟹入道ですね」


 猿魔が訊ねると蟹入道は頷きました。


「いかにも」

「この合戦、私たちの勝利で間違いないですね」

「……同意する」


 弟は何か言いたげでしたが、結局は何も言えませんでした。


「では統合の件は認めてくれるのですか」

「むしろそれでいいのかと疑ってしまう。従属ではないのか?」


 猿魔は「統合です」と言いました。


「認めてくださるとここで約束してもらいたい。それで良いですか?」


 蟹入道は天を仰ぎました。


「……ここにきては認めるしかない。統合を認める」


 沢蟹衆は膝を落として落胆しました。

 吉備太郎たちはホッと一息入れました。


「そうですか。ありがとうございます」

 そして猿魔は竹姫との打ち合わせどおり、提案をしました。


「蟹入道殿。一つお願いがあります」


 蟹入道は覚悟しました。自分の死を望んでいるのだと思ったからです。

 しかしそれは的外れな不安でした。


「あなたに初代の頭領になってもらいたい」


 その言葉に沢蟹衆は衝撃を受けました。

 吉備太郎たちはあらかじめ聞いていたので驚きはしませんでした。


「……猿魔殿、本気で言っているのですか?  負けた沢蟹衆に主導権を握らせることになるのですよ?」


 蟹入道は猿魔が何を考えているのか、さっぱり分かりませんでした。


「私は本来頭領に向かない人間です。それならば熟練の草の者であり、経験豊富な蟹入道殿にやってもらったほうがいい」


 そして勝利者とは思えない行動を猿魔は取りました。

 頭を下げたのです。


「どうか。沢蟹衆と山猿衆。両方を導いてください」


 蟹入道は決心しました。ここで断れば野暮はこちらであるからです。


「――分かりました。引き受けましょう」


 猿蟹合戦、終結。

 勝者は沢蟹衆でした。

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