第52話吉備太郎対雨水

 三世代前の蟹入道と毒憤がそうだったように、現四天王筆頭の雨水と元四天王筆頭だった雀罰は親友でありました。

 互いを尊敬して、時には敵視し、最後には認め合いながら交流を深めた間柄である二人。

 雨水は雀罰が筆頭になったときも、後継者になったときも、嫉妬しながら喜びました。


「こうして自分が後継者になったのは、君のおかげだよ。雨水」


 後継者に選ばれた夜。宴会を抜け出して二人きりになったときに、雀罰は言いました。


「自分はいつも雨水を気にして、抜かされないかどうか不安だった。当然、抜かされたこともあった。正直、君が怖かったよ」


 雨水は黙って頷きました。彼自身もそう感じていたからです。


「でも自分がここまで強くなれたのは君のおかげだ。頭領のせがれだからできて当然と思われるのに、君だけは自分をきちんと見てくれた。それが何より嬉しい」


 そして雀罰は真剣な表情で言いました。


「もしも自分が頭領に相応しくないと思ったら遠慮なく、殺してほしい。他の者にも言い聞かせてある。次の頭領は雨水、君だって」


 雨水はそれにも黙って頷こうとして――


「断る。弱音を吐くんじゃない」


 雨水はじっと雀罰を見ます。


「お前が白と言ったら全て白になる。この装束のように。それが頭領であり蟹入道だ。俺は――俺たちはそれに従うだけだ」


 そして雨水自身も珍しく感じるほど、優しい言葉をかけたのです。


「雀罰。お前は最高の草の者だ。自信を持て。我らが頭領よ」


 しかしこの数日後。

 先代の猿魔と相打ちになるとは、誰が予想したでしょう。

 雀罰の亡骸を見て。

 虚ろになった瞳を見て。

 雨水は誓ったのです。

 山猿衆を皆殺しにすると。

 だから統合を謳う猿魔が許せないのです。


「貴様は鬼退治の若武者なのだろう? どうして山猿衆の味方をする? 人質でも取られているのか?」


 吉備太郎と正対しながら語りかける雨水。

 真実を突いてくる質問に、吉備太郎はあらかじめ竹姫から言われていた答えを言います。


「質問の意味が分からないな。人質? それでここまで協力する義理はないだろう」


 その言葉に微かな嘘を感じた雨水でしたが、真偽を確かめることはしませんでした。

 山猿衆に味方をする。それだけで万死に値するのですから。


「そうか。ならば死ぬしかないな」


 雨水は拳法家のように構えました。


「武器は使わないのか?」

「子ども相手に大人気ないことはしない。貴様こそ木刀で良いのか?」

「真剣だと、誤って殺してしまうからな」


 すると雨水はにやりと残忍な笑みを浮かべます。


「それがお前の命取りだ」


 雨水はかなりの距離のある位置から――一気に間合いを詰めました。

 その速度は、まるで時が止められたように速かったのです。

 吉備太郎は自分よりも速いと感じました。


「重拳!」


 その速度のまま繰り出される拳。

 本能的に吉備太郎は不味いと思い、受けるのではなく、避けることを選択しました。


 そしてその選択は間違っていませんでした。

 吉備太郎の避けた後ろにある岩を跡形も無く打ち砕いたのです。


「なんと面妖な!」


 驚いた吉備太郎は痩せぎすな雨水がこんなにも『重い』攻撃ができることを不思議に思いました。


「よくぞ避けたな」


 雨水が吉備太郎のほうを向きます。


 吉備太郎は迷うことなく、攻撃を開始します。相手に攻撃させないのが主な狙いでした。

 吉備太郎の横薙ぎは雨水の腹に当たり、物凄い勢いで後方へと吹き飛びます。


「……? そこまでの威力か?」


 確かに吉備太郎の攻撃は威力はありますが、そこまで有効ではありませんでした。

 ましてや後方へ吹き飛ぶほどでは――


「効かぬ。その程度の攻撃はな」


 空中で体勢を戻した雨水。どうやら怪我一つ負っていないのでした。


「本当に面妖だな」


 吉備太郎は自分でも気づかない内に笑っていました。


 実のところ、雨水の遁術は至極簡単なことでした。

 火繰や毒憤などと比べると地味ですけど、今の吉備太郎相手ではかなり有効の秘伝の遁術。

 それは――体重操作でした。

 自身の体重を軽くしたり重くしたりする高等技術であり高等遁術。

 吉備太郎よりも素早く動けたのは羽毛のように軽くなったから。

 岩を砕けるほどの剛力を扱えたのは力士よりも重くなったから。

 その気になれば空を飛べるくらい軽くなれますし、山を平らにするほど重くなれます。


 その遁術の欠点と言えば刃物に弱いということだけです。体重が操作できるだけで身体の強度は変わりません。

 岩を砕けたのはそれくらい鍛えてあることの証でもありますが、人間の限界は超えられません。

 普段の吉備太郎ならば対処できたでしょう。速剣遣いの吉備太郎ならば速度に対応できますし、何より斬ることができます。

 しかし今の得物は木刀でした。


「さてと。吉備太郎。はっきり言っておくが打撃は効かない」


 そうして構えに入ります。


「どんな遁術かは教えてくれないのか」

「質問の意味が分からないな。術の秘密? そこまで明かす義理はないだろう」


 先ほどの意趣返しをする雨水。


 吉備太郎はしばし考えて――


「駄目だ。分からない」


 あっさりと諦めました。


 雨水は「ならば降参するか?」と一応訊ねます。降参したら殺すつもりです。


「それは駄目だな。かといって、殺さないようにするのも難しいな」


 吉備太郎はそう言って、納刀の構えをしました。


「……何のつもりだ?」

「遁術の仕組みは分からないけど、どうやら打撃が効く機会がありそうだ。そうでないと岩を砕けないだろう?」


 吉備太郎は馬鹿ですけど、戦闘に関してだけは頭が回るようでした。


「……何のつもりだ?」


 同じ質問を繰り返す雨水。


「打撃が有効な瞬間にこちらの打撃を喰らわせる。ただそれだけだ」


 こいつは馬鹿なのかと雨水は思いました。

 体重操作の時間差は僅かな刻でした。それを狙って攻撃する? ありえないと判断しました。


「そうか。なら試してみるがいい。重拳を喰らうがいい!」


 雨水はそう言って――吉備太郎に突貫しました。

 吉備太郎は納刀して――放ちます。


「抜刀術、虎の太刀」


 雨水は三度驚くことになります。

 一度目は太刀筋が見えなかったこと。

 瞬きをしてなかったのに既に振られていたのです。

 二度目は距離の速めに振られたこと。

 まだ吉備太郎の間合いに三歩までの距離で木刀は振られていたのです。

 そして三度目は――

 当たっても居ないのに当てられた、いや斬られてしまったことでした。


「ぐはっ!」


 体重が軽い状態で斬られたせいでかなり吹き飛ばされた雨水。そのまま惰性で転がり続けて、ようやく止まりました。


「な、何故斬られた……?」


 吉備太郎は雨水から距離を取って、傷の大きさを確認します。


「うん。死ぬような傷じゃなかった。これなら生きられる。それとごめん。嘘吐いて」

「お、教えてくれ。どうやって……」


 吉備太郎は種明かしをしました。


「原理は分からないが、どうやら私は空気の刃を作り出すことができたのだ」


「……空気の刃?」

「なんでもあまりに速く振りすぎて、真空波? というのが生まれるらしい。まあ木刀でしか使えない技だが、いつかは真剣でも扱えるようになりたいと思っている」

「……かまいたちか」

「かまいたち? なるほど、よく分からなかったが、実際そのような言葉があるのか」


 吉備太郎は「また一つ強くなった」と喜んでいます。


「さて。そのまま寝ててくれ。決着をつけてくる。安心してくれ。殺したりしない」


 雨水は意識を保ったまま、動けずに居ました。


「これが、鬼退治の若武者か。もしかしたら鬼よりも強い……」


 吉備太郎対雨水。

 勝者は吉備太郎。

 ここにおいて沢蟹四天王との戦いは山猿衆の勝ちとなりました。

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