第11話吉備太郎の目に宿るもの
数日後、吉備太郎と吉平は御上の居る御所へと赴きました。目的はもちろん、大江山に住む鬼の首領、酒呑童子の討伐のためでした。
竹姫は吉平の屋敷でお留守番でした。竹姫には鬼を退治する理由も動機もありません。だから彼女は式神の世話になりながら、屋敷に篭もっているのです。
まあ吉備太郎を気に入っている彼女ならば、付いていっても良かったと思いますが、吉平との会話によって行くことを断念したのです。
それは二人が吉平と出会った晩のことでした。
夕餉を食した三人は庭から見える月を眺めていました。
吉備太郎と吉平はただただ美しい満月だと思っていましたが、竹姫だけは複雑な想いで見ていたのです。
――こんなにも『故郷』は遠いのね。
竹姫が物思いに耽っていると吉平が「詳しい説明をしていなかったね」と話を切り出しました。
「鬼の本拠地を教える前に、大江山の鬼を片付けてほしいんだ」
吉平は片付けるという言葉を用いました。
「それは構いませんが、私は鬼と戦ったことはありません。どれほど強いのかは分からないのです。どうやって戦えば良いのでしょうか?」
吉備太郎は自分が戦力で戦って負けた虎秋が鬼に敵わないと断言されて自信を失っていました。
吉備太郎は死ぬ為に鬼の本拠地を探していましたが、それでも一匹でも多くの鬼を殺してしまいたいという気持ちは少なからずありました。
「安心してほしい。それは考えてあるよ」
吉平は月を眺めながら、盃に入った酒を飲み干しました。空になった盃にお酌するのは美しい女性。彼女もまた、式神なのでしょう。
「実は貴族たちが自分の腕利きの配下を集めて鬼の討伐隊を結成しようとしている。吉備太郎ちゃんはそれに参加してほしいんだ」
吉備太郎は一人だけで鬼を倒すものだと思い込んでいました。だから吉平の提案は寝耳に水でした。
そして吉備太郎は考えます。人がたくさん居ればそれだけ倒せる可能性が高くなると。したがってその言葉に頷こうとしました。
「分かりました。参加――」
「ちょっと待って、吉備太郎。ねえ吉平、それって何人ぐらい参加するわけ?」
吉備太郎を制して、竹姫がすかさず吉平に問います。
吉平は「そうだね。集まってみないと分からないけど、およそ百人くらいじゃないかな」と静かに返します。
「そんな少人数で鬼を本当に倒せるの?」
小さな村出身の吉備太郎は「百人って少ないのか? ずいぶん多いと思うけど」と考えましたが、真面目な表情をしている二人に割って入るのもどうかと思い、黙っていました。
「まあ多いとは口が裂けても言えないな。はっきり言って少ないだろう。でもそれにはちゃんとした理由があるんだ」
吉平は竹姫に説明し始めました。いや説明より説得と言うべきでしょうか。
「まず大江山に住んでいる鬼は山の頂上ではなく、麓に根城を構えている。砦ではなくてね。正確に言えば洞窟を掘って、中に住み着いているんだ。そしてその入り口は狭く、大人数では攻められない。多くて三人か四人しか一度に入れないんだ。だから少数精鋭で戦わなければならない」
「よく知っているわね。どうやって調べたの? ああ、式神でやったのね」
「そのとおり」
吉平は懐から和紙――式神札を取り出して息を吹きかけると、紙は小鳥と変わり、その場を飛び立ちました。
「凄いなあ! 私もやってみたいなあ!」
「吉備太郎。少し黙ってて」
はしゃいでしまった吉備太郎を厳しく注意した竹姫。可哀想に吉備太郎はしゅんとなりました。
「なるほどね。それで鬼は何匹住んでいるのよ? 百より少ないんでしょうね」
「俺の式神で探らせた結果、十三匹だった。これまた少ないと思うけど、十三匹も居たら京の都が破壊されるのは防げない。断言できるね」
竹姫は顔をしかめました。冷静に考えて、たった百人の人間でどうにかできる相手ではないからです。
鬼は一匹だけで人間の百倍の力を出せます。百人力です。そんな化物が十三匹も居るのです。単純に勘定すれば千三百人の群体です。
「勝てるわけないじゃない。そんな危ないところに吉備太郎を向かわせることはできないわ。あなた何考えてるの?」
常識的に考えたら竹姫の言っていることがもっともです。根城に攻め込むとなれば相手に地の利があります。さらに戦力差が歴然となっているこの状況で大切になりかけている友人らしきものを死地へと向かわせるほど、竹姫は非情ではありませんでした。
「必ず勝てる保証はないけど、策はあるよ」
吉平は頬を掻きつつ、どこか後ろめたそうに言いました。まるで策を実行したくないような言い方でした。
「なによ策って。どんな作戦があるわけ?」
「まともに戦っても勝てないのなら策を弄するしかないだろうね」
「だから! その策って何なのよ?」
もったいぶる吉平に苛立ちを隠せない竹姫。吉備太郎もその策が気になりました。
しかし――
「まだ吉備太郎ちゃんが参加すると聞いていないな」
吉平は軽く笑って流しました。そして盃に注がれた酒をちびりと呑みます。
「はあ? まさか参加しないと策は言えないの? 策も聞かずに参加しろって言ってるの? あなたずるいわよ!」
「策は機密事項だよ。部外者に簡単に話せるわけないだろう?」
当然の物言いでしたが、竹姫はどこか納得のいかない様子でした。
「なあ吉備太郎ちゃん。参加してくれないか? 吉備太郎ちゃんが参加してくれれば勝率もグッと上がるんだ」
それから酔った勢いでこんなことも言い出しました。
「それに俺が推薦した吉備太郎ちゃんが鬼の首でも取ってくれれば、俺の評価につながるしな」
それを聞いた竹姫はとうとう怒り出します。
「吉備太郎はあんたの出世の道具じゃない! ふざけないで!」
竹姫は吉備太郎に「ここを出るわよ!」と手を引きながら言います。
「おいおい竹姫。どこに行くんだよ」
「戻るのよ! 白鶴仙人にもこんなふざけた人間を紹介したことの文句を言ってやる!」
吉備太郎は竹姫に「落ち着きなよ」と肩に手を置きました。
「私は参加しても構わない」
その言葉に竹姫は動きを止めました。
「……あなた、自分が何を言っているのか分かってるの?」
「分かっているさ。参加することで鬼退治できるんだろう? だったらやるしかない」
竹姫は怒りのあまり吉備太郎に張り手を食らわそうとしました。
しかしそれはできませんでした。
何故なら吉備太郎は笑っていたからです。
その笑みは獲物を見つけた獰猛な獣のような笑みで怒り心頭に発していた竹姫の心を逆に冷静にさせるものでした。
「き、吉備太郎?」
「この五年間、私は自らに誓った。鬼をこの世全てから退治すると。その機会が訪れて、なんで逃げる必要がある? なんで拒む理由があるんだ?」
吉備太郎の目は真っ黒に燃え盛っていました。どす黒い復讐者の目。残酷なまでに慈悲を許さない目。
「というわけだけど、竹姫ちゃん、吉備太郎ちゃんがここまで言っているんだ。参加を許してもらってもいいかな?」
竹姫は吉備太郎から顔を背けて吐き捨てました。
「勝手にすればいいわ! あたし知らないから!」
そう言って部屋の外へ出て行ったのです。
「よっぽど吉備太郎ちゃんのこと、大事なんだなあ」
吉備太郎は半ば無視して吉平に頼みました。
「吉平さん、討伐隊に参加させてください。鬼をこの手で退治したいんです」
武者が陰陽師に頼んだ瞬間、日の本の歴史が大きく変わりました。
この選択が間違っているのか、それとも正しいのか。
白鶴仙人のように未来が見える者以外には分からないことでした。
「了解した。数日後に御所に行こう。それまで君を鍛えてあげるよ」
吉平はにっこりと笑いました。
「一つ訊ねていいですか?」
「うん? 何かな?」
「吉平さんは出世に興味を持つ人に見えないんです」
「……ああ言えば竹姫ちゃんを怒らせて追い出せるだろう?」
抜け目のない陰陽師でした。
それから数日間、吉備太郎は『修行』を行ない、そして当日を迎えることになりました。
御所に着くと、吉備太郎にとってはたくさんの人が御所の入り口に集まっていました。
「さあ、吉備太郎ちゃん。受付を済ませてしまおう。なに簡単なこと――」
吉平が言いかけたときでした。
「おい。半々妖。どうしてここに居るんだ」
不愉快極まりないという声。
そして憎悪を込めた声でした。
「……君がなんでここに居るのかのほうが問題だけどね」
嫌そうに振り返る吉平。
吉備太郎も遅れて振り返ります。
そこに立っていたのは薙刀を携えた鎧姿の女武者。
「貴様! 我と戦え!」
薙刀の切っ先を向ける女性に対して、吉平は面倒くさそうに言いました。
「まったく、君はいつもそうだな――山吹」
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