第9話屋敷での死闘
村が鬼に襲われてから五年間、吉備太郎は一度も『人間』と戦ったことはありません。
父親との稽古も今は遠い過去のことです。また父親は手加減をして吉備太郎に稽古をつけていました。
ゆえに本気で自分を殺そうとする相手と戦う経験がありません。
人を殺そうとする殺意や殺気は相対する人間に圧力をかけるのです。
思うように身体が動かなくなります。
思うように精神が働かなくなります。
それこそが実戦なのです。
稽古とはわけが違います。
だから吉備太郎は実戦の恐怖と緊張で集中できない――はずでした。
「……まさかここまでできるとは」
傷だらけの門番が驚嘆した声をあげます。
吉備太郎は息を切らしながらも真っ直ぐ門番を見据えます。
ここまでの戦いはなんと門番の防戦一方でした。吉備太郎の素早く鋭い斬撃に門番は避けるか受けるしかできず、攻撃すらできませんでした。
吉備太郎は特別なことはしていません。何らかの必殺技などを使っていません。
ただ門番よりも速く、門番よりも巧く、門番よりも閃いていました。
門番が弱いわけではありません。
単純に吉備太郎が強いだけです。
「あたしの武者は、こんなに強かったのね……予想以上だわ」
こちらも驚嘆の声をあげる竹姫。
吉備太郎は中段に構えながら、門番に訊ねます。
「畿内の人間は、ここまで強いのか?」
門番は有利なはずの吉備太郎がそんなことを訊ねるのが不思議に思いました。
「お主のほうが強いと分かっているはず。皮肉を言っているのか?」
「いや。そうではない。何回も勝負をついているはずなのに、なかなか決着がつかないのがおかしい」
吉備太郎は不可解な表情を浮かべました。
「…………」
「おそらくは手加減をしているのではないか? だから致命傷を避けられている――」
吉備太郎の指摘に門番は刀を下ろして言いました。
「そこまで見切られているとは、称賛に値する。そのとおりだ。我が主から手加減をするように命じられている」
吉備太郎はそれを聞いて――
「やっぱりそうか。ではどうする? 腕試しはこれで終わりか?」
吉備太郎の言葉に門番は無表情に応じます。
「我が主の命令は、判断に任せると」
「だったら――」
「ここからは、本気でいかせてもらう」
門番は――刀を自分の身体に突き刺しました。
「なあ!? 何してるんだあなたは!?」
「きゃあああ! 自害した!?」
吉備太郎も竹姫は同時に驚きました。
しかし驚くべきは次の瞬間でした。
門番の身体に旋風が巻き起こります。流れ出た血が身体中に纏い、次第に形になっていきます。
「なんと面妖な……」
信じられないことですが、血が赤い鉄の甲冑へと変化したのです。
「――式神奥義『紅蓮甲冑』だ」
門番は全身を鎧兜で防御しています。
「本来なら他人の血で創る甲冑だが、自らの血でも可能だ。血が足りずに動きは鈍るが」
門番は刀を構えます。
「時間が経てば、この甲冑は無くなってしまう。それまで耐えきれば、お主の勝ちだ」
それを聞いた竹姫は「とにかく避けて、逃げなさい吉備太郎!」と叫びます。
「甲冑が無くなれば、あなたの――」
「……駄目だそれは」
吉備太郎は竹姫の提案を却下しました。
「それでは勝負に逃げたことになる」
「はあ? 別にいいじゃない。逃げるが勝ちって言うでしょ!」
「逃げるは恥だ! 父上から教わったんだ。本気の相手から逃げるようなことをするのは、絶対にしてはいけないことだって」
吉備太郎は父親の形見の刀をしっかりと握ります。
「父上と母上に顔向けできないことは絶対にしない。私は笑って死んでやる」
吉備太郎は刀を立てて、右頭部に近づけました。八相の構えでした。
「うおおおお!」
吉備太郎は咆哮をあげて門番に切りかかります。
門番は刀で受けるのではなく、避けるでもなく、そのまま甲冑で受けました。
ガギンという鈍い金属音。
吉備太郎の刀は甲冑を斬ることは叶いませんでした。
「……残念だ。お主なら――」
門番はあからさまにがっかりした顔を見せました。
「くっ!」
吉備太郎は門番の頭部への返しの斬撃をのけぞることで避けて、そのまま後退します。
しかし門番はよろめいた吉備太郎を追撃します。
上段に構えた刀を容赦なく吉備太郎に振り落とします。
吉備太郎は刀で咄嗟に防ぎます。
そのまま力を込めて斬ろうとする門番。
倒れながらも抵抗する吉備太郎。
体勢が悪いせいか、徐々に吉備太郎が圧されていきます。
「諦めろ。お主の負けだ」
甲冑の重みもあります。このままではどうすることもできないでしょう。
「いや――諦めない!」
吉備太郎は無防備の門番の腹を足で思いっきり蹴り上げました。
甲冑によってダメージは無いものの常人ならば内臓が破裂するほどの足蹴は門番を後ろに下がらせることに成功します。
吉備太郎はその隙に立ち上がり、門番から間合いを取ります。
しかし重量のある甲冑を纏っている門番を後ろに下がらせるほどの足蹴とはおそろしいものです。
「なかなかやるな……」
門番は上段に構えながら吉備太郎に正対します。
吉備太郎は考えます。甲冑をどうにかしないと斬ることはできません。
それならばと甲冑の継ぎ目を狙って斬れるかどうか試してみるつもりでした。
吉備太郎は声も無く門番に斬りかかります。
刀を甲冑の継ぎ目に狙いを定めて振り落とします。
狙いは悪くありませんでしたが、良くも無かったのです。
再びガギンという音。
その音は甲冑が流動して、継ぎ目を守ったことで生じたのです。
「そう考えるのは自然だ。対策は既に講じている」
門番は横薙ぎに刀を振るいました。
今度は受けることも防ぐこともできませんでした。
鮮血が美しい庭を染めました。
肌だけではなく内臓や骨も斬られてしまいました。
「きゃああああ!」
竹姫の悲鳴が吉備太郎には遠くに聞こえました。
「ああ、やられてしまったな」
ぼんやりと吉備太郎は思いました。
そのまま倒れて、自分の血がどんどん流れていくのが分かります。
このまま死んでいくのか。
父上、母上、村のみんなごめん。
心の中で謝ったとき――
「何してるんですか! 殺しちゃ駄目でしょう!」
小さな男の子の焦った声が吉備太郎の耳に届きました。
屋敷のほうから走っていく男の子は吉備太郎に近づいて、手をかざしました。
暖かな光ともに徐々に吉備太郎の傷は塞がっていきます。
「吉備太郎!」
竹姫も吉備太郎に近づいて様子を見ました。
「……竹姫」
「大丈夫!? 平気なの!?」
竹姫は泣きそうな顔で吉備太郎を見つめました。
「そんな顔しないでくれ。私なら平気だ」
起き上がろうとすると小さな男の子は「まだ動いちゃ駄目ですよ」と咎めました。
「しばらくそのままにしていてください」
その言葉に安心したのか、竹姫は泣き出してしまいました。
「どうした竹姫。なんで泣くんだ?」
吉備太郎は訊ねました。
「……知らないわよ。どうしてか分からないけど、止まらないのよ」
竹姫は内心おそれていました。再び独りぼっちになることを。
都で別れると初めのほうは言っていましたが、次第に吉備太郎と別れてしまうと独りに戻ってしまうことに今やっと気づいたのです。
だから泣いてしまったのです。
「ごめん。負けてしまったよ」
吉備太郎は竹姫の頬を撫でて涙を拭いました。
竹姫はなすがままされていました。
「まったくうちの門番さんは困ったものだねえ。ついついやりすぎてしまう」
吉備太郎と竹姫は声のするほうへ向きました。
そこには烏帽子を被り、貴族の普段着である狩衣に身を包む、いかにも貴族のような出で立ちの青年がにこやかに笑っていました。
背は中肉中背。肌は白く切れ長の目をしていた美丈夫でした。
しかし最も特筆すべきは彼の纏う雰囲気でした。この世のものとは思えない不可思議なものでした。
「あなたは、誰?」
竹姫が訊ねますと、青年は分かりやすい自己紹介をしました。
「俺は吉平。この屋敷の主人で君たちが探している陰陽師でもある」
そしてにっこりと微笑みました。
「ようこそ。君たちが来るのを待っていた。さあ鬼の本拠地について教えよう」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます