第7話都に到着!

 吉備太郎と竹姫に共通しているのは、かなりの年月を独りきりで過ごしていたことです。


 吉備太郎は五年。

 竹姫は十年です。


 人との交流を途絶えさせられたのと人との交流を初めからなかったことのどちらが辛いのかは計りかねますが、現在こうして二人が生きていること自体が一つの奇跡と言えるでしょう。

 まあ吉備太郎は鬼と刺し違えるつもりで、竹姫は目的もなく生きるつもりではありますが、それは仕方のないことです。

 そんな二人ですが、とうとう目的の地、都に着くことができました。


「……なんか想像と違っているわね」


 呆然というより期待はずれといった感じの竹姫でしたが、吉備太郎も同じ気持ちでした。


 彼らが想像する都はきらきらと輝いていて、人々が活気に溢れていて、都全体が熱気に満ちている。そんな街を思い浮かべていました。

 しかし、それを裏切るように、街は薄汚くて、消沈していて、都全体が冷気に包まれているようでした。

 行き交う人々の空気は重く、そもそも人の数が都としては少ない。商店も商いをやっていますが、並んでいる商品はそれほど高価なものを扱っているわけでもなく乏しい。


「これが都なのか? 私たちが目指していたあの都なのか?」


 神経を張り詰めなければ倒れてしまいそうになる吉備太郎を竹姫は心配そうに見つめます。


「吉備太郎、とりあえず白鶴仙人の言ってた『陰陽師』の屋敷に行きましょう。そこでなら何か――」


 竹姫は言葉を続けられませんでした。何か好転するなんて曖昧なことも言えませんし、何か分かるなんて不明瞭なことも言えなかったのです。

 それくらい今の吉備太郎は落ち込んでいたのです。


「……ああ、そうだな。『陰陽師』の屋敷に行こう。路銀も尽きてしまいそうだから」


 二人は道を行き交う人からなんとなく知っていそうな人を手当たり次第に話しかけることにしました。


「すみません。『陰陽師』の屋敷を知りませんか?」


 吉備太郎が声をかけたのは痩せ気味のおじさんでした。おそらく都の住人でしょう。多少身なりの良い服を着ています。


「うん? 『おんみょうじ』? 寺院の名前かい? 生憎だが知らんなあ」


 どうやらお寺のことと勘違いしてしまったようです。


「違うのおじさん。『陰陽師』はこう書くのよ。お寺じゃないわ」


 竹姫は持っていた竹簡を見せました。

 白鶴仙人はこうした勘違いを防ぐために竹簡を渡したのでしょう。


「どれどれ……ああ、『陰陽師』か。それなら大通りを北へ進んで御上の居る御所の西近くにあるよ」


 おじさんは分かりやすく丁寧に教えてくれました。

 吉備太郎はまさか一人目で分かるとは思っていなかったので、驚きました。


「ありがとうございます。まさかこんなに早く分かる人に会えるなんて――」

「ははは。都に住んで長いからね。ところで二人は『陰陽師』に何の用だい? まさか弟子入りでもする気かな?」


 痩せ気味のおじさんが訊ねると竹姫は「弟子入りするのはあたし。この人は付き添いよ」と嘘を吐きました。


「へえ。お嬢ちゃんがねえ」

「これはお礼よ。ありがとうおじさん」


 竹姫は吉備太郎からもらった少しばかりの路銀をおじさんに渡しました。


「こいつはどうも。それでは幸運を祈るよ。あそこは弟子を滅多に取らないらしいから」


 そう言い残しておじさんは南の方角へ去っていきました。


「親切な人で良かったわね。都の人は排他的だって思っていたけど」

「はいたてきってなんだ?」

「他人に冷たいってことよ。吉備太郎はあんまり言葉を知らないのね」

「竹の中に居たのにどうして排他的とか都の人間が冷たいなんて分かるんだ?」


 当然の疑問を投げかけますが竹姫は無視して「さあ、行くわよ」と歩みを進めます。

 吉備太郎は不審に思いつつも竹姫についていきました。


 元気の無い住民とすれ違いながら二人は『陰陽師』の屋敷へ向かいます。


「ねえ。吉備太郎」


 竹姫がわざと明るい声で言いました。


「白鶴仙人が言っていた『陰陽師』って何なのか知ってる?」

「いや、知らないな。聞いたこともない」

「ふふん。あたしは知ってるよ。『陰陽師』はね――」


 自慢げに話そうとしたときでした。


「貴様! このお方をどなたと心得る!」


 怒鳴る声を聞こえたので二人は振り返りました。

 華美な装いの牛車。引いている牛もどこと無く高貴を感じられます。

 その牛車は道の中央に停まっていて、その前には牛車の下男らしき者数名が女性と諍いを起こしていました。


「す、すみません! この子が熱を出してしまって、すぐに薬師の元へ行かねばならないのです!」


 よくよく見ると、女性は平民の服装をしていて、苦しげな子どもを抱えていました。


「馬鹿者が! 中納言さまの牛車を横切るとは無礼者め! 斬り捨ててくれる!」


 下男の一人が腰に差してある刀を抜こうとしました。

 女性は頭を下げて謝り続けましたが、どうも下男たちは聞きません。


 周りの住人たちは顔を見合わせていますが、助けようとする意思はないようです。

 ただ気の毒そうに見ています。

 それを見た吉備太郎は躊躇無く下男たちのほうへ走りました。


「吉備太郎! ちょっと!」


 竹姫の制止する声を無視して、今まさに斬ろうとする下男に向けて体当たりをしました。


「ぐああ!」


 勢い良くぶつかったので、数尺ほど離れましたが、すぐに起き上がりました。


「何をする下郎め!」

「それはこっちの台詞だ。よってたかっておなごを責めるなんて、どうかしてるぞ!」


 吉備太郎は真っ直ぐ下男たちを見据えて啖呵を切りました。

 下男たちは元より、周りの野次馬も倒れている女性も驚きました。


「貴様は何をしているのか、分かっているのか? 中納言さまの牛車を横切ったおなごをかばう? どうかしているのは貴様だ!」


 下男たちはするりと刀を抜きました。


「刀を抜いたということは、私を殺す気なんだな?」


 激高する下男たちとは逆に吉備太郎は自分の血が冷えて冷静になっていくのが分かりました。


「それがどうした? 貴様、もしかしておそろしく――」

「いいや。これで安心できたんだ」


 吉備太郎も刀を抜きました。


「相手を殺すって思っているなら、自分も死んでもいいって思っているんだ。だったら斬れる。殺せる」


 吉備太郎が刀を抜いたとき、下男たちの背筋がゾッと震えました。


「な、なにを――」

「今まで獣ばかり斬ってきたけど、人を殺めるのは初めてだけど、それでも理由があれば戦えるんだ」


 吉備太郎は刀を中段に構えました。


「さあ来い! 全員かかってこい!」


 下男たちは気づきました。吉備太郎は少年ですが、自分たちよりも背が高く、そして覚悟の決まった人間だということに。

 さらに吉備太郎が下男たちよりも強いということも分かってしまったのです。

 下男たちが戸惑い、躊躇していました。すると牛車の中から声がしました。


「やめよ。みっともない。もういいから、屋敷に戻るぞ」


 その声に下男たちはほっとしました。下男たちの中ではこんなつまらないことで命のやりとりをしたくなかったのです。


「ははっ! 了解しました! ……覚えとけよガキ」


 捨て台詞を吐いて、下男たちは去っていきました。


「ふう。良かった。ところで大丈夫ですか? お怪我はありませんか?」


 吉備太郎は刀を納めて、倒れていた女性に声をかけました。


「あ、あなた、貴族に逆らって――」

「貴族? なんですかそれ」


 それには女性も周りの野次馬も腰が抜けるくらいに驚きました。まさか貴族を知らないものが都に居るとは思えなかったのです。


「それより早く薬師の元へ向かったほうがいいですよ」

「あ……ありがとうございます」


 女性は立ち上がり、そのまま走り去っていきました。


「……吉備太郎、あんた馬鹿なの?」


 竹姫はそう言いながらもどこか嬉しそうな表情をしていました。


「人が理不尽に斬られるのを見過ごすのが正しいなら、私は馬鹿でいいよ」


 吉備太郎はにっこりと微笑みました。

 先ほど殺し合いをしようとしていた者とは思えない純粋な笑み。

 竹姫はそういえば吉備太郎もまだ子どもなのねとぼんやり思いました。

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