一章 上京

第6話二人は仙人に出会う

 吉備太郎と竹姫が伊予之二名島を出て二日後、ようやく都のある畿内の陸地に到着しました。

 二人が上陸したのは誰も居ない浜辺でした。


「ねえ。畿内でも鬼が人間を喰らい尽くしたってことにはならないわよね」

「そんなはずはないと言いたいところだが、まったく噂はないんだ。風の便りすらない」

「五年間も独りきりだったものね」


 日は高いこともあり、二人はしばし休んだ後、人里目指して歩きました。


「それにしても、吉備太郎は背が高いわね。何尺くらいあるのかしら」


 今まで描写していませんでしたが、吉備太郎は常人よりも背が高く、おそらくは六尺以上はあるでしょう。


「そうか? 父上のほうが背は高かった気がするが。そういえば急に伸びた気もするな」

「あなたのほうが竹の名前に相応しいんじゃない?」

「赤子から少女になった竹姫には負けるよ」


 ちなみに吉備太郎の服を作成した際、袖などを切り落としたので、服の丈が合わないことはありません。不恰好であることには変わりはないのですが。

 早く新しい着物を着たいという竹姫の気持ちも分かります。


 二人が会話をしながら街道をてくてくと歩いていると、遠くのほうで白い煙が上がっているのが見えました。


「あれって、誰か居るってこと? 黒い煙じゃないから火事ではないでしょう?」

「前々から思っていたが、竹の中に居たのにどうして外の知識があるんだ?」


 今更ながらの疑問に竹姫は「そういうのは最初に訊くべきじゃないの?」と言いました。


「あたしに知識を教えたおせっかいが居たりするのよ。まあいずれ話すわ」


 吉備太郎は正直分からなかったのですが、竹姫がいずれ話すと明言したので、待つことにしました。


「そうか。それでは煙に向かって歩こう」


 吉備太郎は急ぐ気持ちを抑えていましたが、自然と早足になってしまいます。


「ちょっと、もっとゆっくり歩きなさいよ」


 文句を言いながらも竹姫は着いていきます。

 竹姫も急ぐ気持ちを持っていたのでしょう。

 二人は結局走って煙のほうへ向かいました。


 しかし敢えて苦言を呈させていただくならば、煙の先に居る人間が善人とは限らないのです。もしかしたら悪人の可能性もあります。

 具体的に述べるならば、山賊だったり脱走した罪人だったりするのです。

 しかし二人とも人に会えるとばかりに行動してしまったのです。

 彼らには思慮が必要なのかもしれませんね。


 竹姫の息が切れてくる頃、ようやく煙の主を見つけられました。

 そこは周りが石と岩だらけの河原でした。

 きらきらと光る清流に魚たちが優雅に泳いでいます。川の幅は広いのですが、深さはそれほどございません。

 河原で一人のおじいさんが焚き火をしていました。火の周りにはおそらく川で取った魚が三匹ほど置かれています。

 おじいさんは焚き火をぼんやりと眺めていました。


 吉備太郎と竹姫はやっと自分たち以外の人間に会えて喜んでいました。

 おじいさんは白い着物に吉備太郎と同じ髪の長さをしていて、全て白髪でした。

 口髭をまるで大陸の英雄のように胸まで伸ばしていました。こちらも真っ白です。

 手には樫の杖。何故か素足でした。

 柔和な表情をしています。


「あ、あのご老人――」


 吉備太郎が声をかけようとしたら、おじいさんはこちらを振り向くことなく言いました。


「待っておったぞ。吉備太郎に竹姫」


 二人は声も無く驚きました。


「何故あたしたちの名前を――」

「わしには分かるのじゃよ。お前たちの名前も。お前たちがここに来ることも。そして吉備太郎、お前は次に言う言葉は『あなたは何者ですか?』とな」

「あなたは、何者ですか?」


 吉備太郎はおじいさんの言ったとおりの台詞を口にします。


「わしの正体を明かす前に、お前たち、川魚でも食さぬか? 腹が減っている頃合じゃろう?」


 そういえばすっかりお腹が空いていたことに二人は気づきました。


「ここに来ることは分かっておった。これを食べなさい。話はそれからじゃ」


 二人は顔を見合わせましたが、おじいさんに従うことにしました。


「いただきます」

「ありがとう。おじいさん」


 川魚は鮎でした。塩が振ってあり、塩気のない食事をしていた二人、特に竹姫は美味しそうに頬張りました。


「こんなに美味しいもの、初めてだわ!」

「特別な塩を振ってあるからのう。お気に召して何よりじゃ」


 おじいさんも鮎を美味しそうに食べました。

 食事が済んだ後、吉備太郎が改めて聞きました。


「鮎をありがとうございました。失礼ですが、あなたは何者ですか?」


 おじいさんは優しげに微笑みました。


「わしは善人でも悪人でもない。それを超越した存在。つまりは仙人じゃ」


 吉備太郎は目をぱちくりさせて「……仙人に出会ったのは初めてです」と驚きのあまり素直過ぎることを言いました。


「……仙人って、おじいさん本気なの?」


 逆に竹姫はあからさまに疑いの目を向けました。


「ほっほっほ。お前からしたら信じられないじゃろうが、真のことよ」


 おじいさんは意味深なことを言いました。


「わしの名は白鶴仙人。お前たちがここに来ることは仙術で分かっておった」


 竹姫はともかく、吉備太郎は白鶴仙人の言っていることを計りかねました。


「仙術? 呪術とどう違うんですか?」


 とりあえず疑問にも思ったことを訊ねる吉備太郎。


「ふむ。これは今語ることではないじゃろう。それよりもわしから言うべきことがあるのじゃ」


 白鶴仙人は二人に向かって慈愛の篭もった思いやりのある口調で言います。


「よう生きてくれた。お前たちが生きてくれたおかげで、日の本は救われる」


 ますます不可解な思いで頭が一杯になる二人でした。


「それはどういうことなの? もしかしてあたしたちの旅の目的も知っているわけ?」

「そうでなければ労わったりせんよ。お前は自分では気づいておらぬじゃろうがな」


 白鶴仙人は煙に巻いて、それから吉備太郎に向かって言います。


「吉備太郎、これから都に行くのじゃろう?」

「ええ。そうです」

「都はここからそれほど遠くない。二日も歩けば辿り着くじゃろう」


 それを聞いた吉備太郎は「本当ですか!?」ととても喜びました。


「都にはたくさんの人は居ますか?」

「お前の村の比ではないじゃろうのう」

「まだ、人は滅んでいなかったんだ……!」


 吉備太郎の目に希望が宿りました。


「それから竹姫。お前に贈り物をやろう」


 白鶴仙人が指差すと竹姫の服が緋色の着物へと変わりました。


「わあ! ありがとう白鶴仙人!」


 竹姫は嬉しそうに着物を眺めました。


「年頃のおなごがそのようなみすぼらしい服を着てはいかんのう」


 白鶴仙人はにっこりと笑いました。


「白鶴仙人さま、私からもお礼申し上げます。それと訊きたいことがあるのですが」


 神妙な面持ちで白鶴仙人に話す吉備太郎。白鶴仙人は吉備太郎が何を言わんとするか知っていましたが黙って言葉を待ちました。


「あなたは仙術で先を見通せるのでしょうか? ならば私はどうすれば鬼を退治できるのでしょうか?」


 吉備太郎をじっと見据えながら白鶴仙人は諭しました。


「いいか吉備太郎。未来を知っても意味がないのじゃ。たとえばお前が石に足をつまずいて転んだ未来をわしが予知したとしよう。それを聞いたお前は石を避けてしまうじゃろう」

「そうですね。避けて歩きます」

「しかしそうなればわしが予知したことは果たして的中したと言えるのか?」


 吉備太郎はしばし考えて「いえ、当たったことにはなりません」と答えました。


「そうじゃろう? 今のことは今しかできないのと同じじゃ。未来のことは未来でしかできないのじゃ。それを忘れてはいかん」


 白鶴仙人は続けて言います。


「じゃが、都に向かうことは間違いではないとだけ言っておくぞ。お前は正道を歩んでおる。忘れないでおくれ」


 白鶴仙人の助言で吉備太郎は自分の考えが間違っていないことを実感できたのです。

 それは暗闇で彷徨っている心地をしていた吉備太郎の心を暖かく導いてくれるものだったのです。


「ありがとうございます。白鶴仙人さま」


 吉備太郎の話が終わったと見ると、竹姫は白鶴仙人に訊きました。


「ねえ白鶴仙人。あたしはこれからどこに行ったほうがいいの? 都で吉備太郎と別れるんだけど」


 すると白鶴仙人は「しばらくは離れんほうが良いじゃろう」と助言しました。


「それでも離れるのなら、もう一度わしを訪ねよ。この山、礼智山に来ればわしに会えるじゃろうよ」


 竹姫はよく考えずに「うん。ありがとう」と返事をしました。


「さて。伝えるべきことは伝えた。わしは帰ることにするかのう」


 言うや否や、白鶴仙人は立ち上がり、すーっとその場から姿を消しました。

 唐突だったので、二人とも反応できませんでした。


「き、消えた! なんと面妖な……」

「吉備太郎、白鶴仙人が居た場所に何かあるよ」


 竹姫はさほど驚かずに白鶴仙人が座っていた岩の上に札と竹簡が置かれていました。

 札にはなにやら呪術的な紋様が描かれていました。


「竹姫、竹簡の内容を読んでくれ」


 竹姫は言われたとおり、内容を読み上げました。


「えーと『都についたら陰陽師の屋敷に行け。この札を見せれば便宜を図ってくれる』と書いてあるわね」


 このとき、二人は考えもつかなかったのですが、その陰陽師が二人にとって重要な人物になることになるのです。


 良い意味でも悪い意味でも。

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