第5話呪術と漁船と白兎

「しかし、どうやって服を作ったんだ?」

「これはあたしの呪術で練り上げたのよ」


 聖黄山を抜けて、街道を歩いています。

 二人はこの地方から出るために海へと向かいます。

 この地方――もう隠すのはやめましょう――伊予之二名島は既に鬼によって人間を喰らい尽くされてしまいました。


 他の地方に比べて小さな島国でしたが、それでも数多くの人がたくさん居りました。

 しかし今となっては遠い過去になりました。

 したがって、今居るのは武者と姫だけなのです。


「呪術か。私にはよく分からないが、なんでもできることなのか?」

「なんでもはできないわよ。あたしにできるのは数少ないのよ」


 竹姫は肩を竦めました。


「それに呪術と言ってもいろいろ制約があったりするのよ」

「ふうん。たとえば?」

「そうね。服は既存のものしか作れないの」

「きぞん? なんだそれ」

「えーと、あるものしか作れないのよ。あるいは真似るしかできないの」


 竹姫は手のひらを上に向けました。

 するとまばゆい白光が生まれて、そこから小刀が出てきました。


「これはさっき使った小刀よ。このように本物があってそれでようやく作れるのよ」

「なるほど。私の服を元にもう一つ作ったのか。それはそれで凄いと思うが」


 冷静を装っていますが、初めて見た呪術に内心わくわくしている吉備太郎。もう一度見てみたいと思っています。


「でも元が無ければ作ることはできないのよ。頭の中で想像しても駄目。それに食物も一応できるけど、味気ないし栄養にならない。それに生き物は形しか作れない」


 呪術の制約とはこの世の理のようなものです。

 魚が海で泳ぐことができても大空を飛べないように、決まりきっていることなのです。


「万能じゃないってことは理解できたかしら。まあ見れば作成できるけど、それくらいね」

「見るだけで作成できるのか。呪術は凄いな。ところで呪術を繰り返し使うことに制約はあるのか?」

「無いわよ。体力も気力も減ったりしないわ。やろうと思えばいくらでもできるわ。それに――」


 竹姫は小刀をまるで無かったように消してしまいました。


「こんな風に消したりできるのよ」

「私でもできるのだろうか」


 吉備太郎は村が襲われてからの五年間、こんなにも胸がわくわくしたのは初めてだったのです。


「どうだろう? あたしには才能が有るのか無いのか分からないわ。使える呪術はそれくらいだもの」


 竹姫は楽しそうに笑いました。竹姫は直に誰かと話ができたのは初めてだったのです。

 それに加えて、彼女は自分の脚で地面を歩ける喜びも知ったのです。

 吉備太郎も五年間ほど生きた人間と話をしませんでした。久しぶりに会話ができる嬉しさを噛み締めていました。

 思い返せば二人は未だ子ども。はしゃいでしまうのも無理はありません。

 二人は楽しそうに語り合いながら、海へと向かっています。吉備太郎は太陽を見ながら東へ脚を進めます。竹姫はそれに続いていました。


「これから目指す海ってしょっぱくって、真っ青で、大きいのでしょう? 想像もできないわ」

「私も見るのは初めてだ。ずっと山で暮らしていたから」


 奇しくも二人は海を見たことはありませんでした。

 だから何日も歩いて海岸に辿りついた瞬間、二人は呆然としてしまいました。


「なんと面妖な……」

「……広いね。どうやって渡るの?」


 どこまでも広がる碧い海。

 はてしなく大きい蒼い海。

 二人の想像を遥かに超えていました。


「……多分漁船があるはずだから、それに乗っていこう」


 これは母親から聞いた知識でした。


「船漕いだことあるの?」

「……池で漕いだことはある」

「多分、経験が足らないから無理よ」


 確かに素人が漕いでも無理でしょう。よほどの大きな船があれば話は別ですが。

 あったとしても操船技術がまったくない二人がどのように海を越えるのでしょうか。


「どうしたものか。これでは都に行かれない」

「とりあえず、村を探しましょう。船が無ければ何もできないわ」


 二人は近くにあった村、いや廃村を見つけました。

 この村もここまでの旅路で見つけた村同様、誰一人居ませんでした。

 白骨化した人間が無造作に置いてあるくらいです。

 吉備太郎たちは亡くなった人たちの冥福を祈りつつ、どこかに船はないかと探しました。

 しかし見つけたと思ったら、それは小船の残骸でした。修理したとしても使えるかどうか分かりません。


「多分鬼の仕業だ。ここから一人も逃がさず閉じ込めておくつもりだ」

「……酷いわね」


 途方に暮れてしまった二人。諦めてしまうのでしょうか。

 いいえ。天は二人を見捨てたりしませんでした。


 意気消沈してしまった二人は村のほうへ戻ります。とりあえず今日のところは休むことにしたのです。


「どうせなら村中を散策してみましょう。あたしたちの役に立つものがあるかもしれないわ。食料とか服とか」


 来た道を戻らずに村を一周してみることにしたのです。

 それが結果として幸運となったのです。


「吉備太郎! あれを見て!」


 下を向きながら歩いていた吉備太郎に竹姫が興奮した声で促しました。

 吉備太郎が頭を上げるとそこには大きな船が小高い丘に置かれていたのです。

 漁船でしょうか。大人数は乗れるほどの大きな船でした。


「おお! これなら海を渡れる!」


 二人は走って大きな船に近づきました。

 手分けして船をじっくり調べますと、どこも痛んでおらず、航海しても問題なさそうでした。


「やったあ! 吉備太郎、これで――」

「ちょっと待って竹姫」


 はしゃぐ竹姫を手で制しました。


「大きな問題が三つほどあるんだけど」

「何よ。三つの問題って」


 吉備太郎は真剣な表情で言います。


「一つ。こんなに大きな船をどうやって操るんだ? 二人ではとても無理だ」


 そうなのです。たくさんの船乗りが乗れる船はそれだけたくさんの人員が必要だってことでもあるのです。


「うーん、あたしは経験ないから吉備太郎に任せるわ。指示に従うから」

「……まあ仕方ないな」

「それで二つ目は?」


 吉備太郎は続けて言います。


「体力だ。大きい船を操るには体力も必要だ。私は自信あるが、竹姫はどうなんだ?」


 都までの海路は複雑ではありませんが、とても長い距離を渡ることになります。

 二人の体力はもつのでしょうか?


「それも自信ないかも。吉備太郎、何か良い考えないの?」

「あったら問題に挙げないだろう」

「そうねえ。最後の問題は?」


 吉備太郎は至極真面目に言いました。


「この場所からどうやって船を動かせばいいんだ?」

「…………」


 根本的な問題でした。

 二人は知らなかったのですが、この大きな船は村で一番の漁船で、使わないときは盗まれないように丘の上に運ばれていたのです。

 流石の鬼も壊すのに手間取ると考え、また人間が居ない以上、無用の長物であると判断し、放置したのです。


「二人ではとても無理ね。重すぎるわ」

「これらを解決するにはどうしたら良いのだろう」


 二人はしばらく考えましたが、なかなか良い考えは浮かびません。


「仕方ない。今日のところは休もう」

「そうね。問題の先送りだけど……」


 そうして二人は一晩休むことにしました。




 その夜のことでした。

 久しぶりに吉備太郎は夢を見ました。

 母親が夢の中でお話を聞かせてくれたのです。


「今日はどんなお話がいい?」

「そうですね。『因幡の白兎』がいいです」

「分かったわ。昔々あるところに一羽の白兎が居ました――」


 そこで目が覚めてしまったのです。

 そういえばと吉備太郎は思います。

 『因幡の白兎』とはどのようなお話だったのか、思い出せなかったのです。


「おはよう吉備太郎。よく寝られた?」


 隣家で寝ていた竹姫が吉備太郎の寝床にやってきました。


「竹姫、『因幡の白兎』の話を知っているか?」

「はあ? まあ知っているわよ」

「教えてくれないか?」


 吉備太郎は何か引っかかるものを感じたのです。


「えーと、隠岐の島に居た白兎が因幡に行きたいから、鰐鮫を騙して一列に並ばせて、飛び石のように海を渡って――」


 そこで二人同時に閃きました。


「ああ! そうすればいいのね!」

「そうか! その手があったか!」


 二人は食料などの旅支度を済ませて海へ向かいました。

 浜辺に着くと、さっそく竹姫は呪術を使いました。

 まばゆい白光が無くなったと思うと、大きな船が海に浮かんでいます。

 そう。漁船を作成したのです。

 二人は喜んで船に乗りました。


「竹姫、頼んだ!」

「任せて。これで都へ行けるわね」


 竹姫は再び呪術を使い、船を作成しました。


「一応、さっきの船は消しといてくれ。鬼が使わないとは限らない」

「委細承知。分かっているわ」


 二人はこうして船から船へ渡りながら陸地へと向かいました。


「それにしても、よく思いついたわね」


 感心したように竹姫は吉備太郎に言いました。


「……昔の夢を見たんだ」


 吉備太郎は悲しいような嬉しいような気持ちで一杯になりました。

 夢で母親が助けてくれたと心から思ったのでした。

 竹姫は黙って頷いて、それから呪術を使い続けました。


 二人が都に着くまでそう長くはありませんでした。

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