第4話覚悟と命名
「あなたの服を真似させてもらったけど、あんまり好きじゃないわ。早く他の村に行って着替えたいくらいよ」
名も無き少女は腰まで伸びた髪を吉備太郎から借りた小刀で切っていきます。
吉備太郎はこんなにも美しい髪を切るなんてもったいないなとぼんやり思っていました。
吉備太郎の語彙が不十分なので補足しますと、名も無き少女の髪はまるで烏の濡れ羽色と呼ぶべき漆黒で麗らかなものでした。髪を使えば反物にできるくらい上質でした。
名も無き少女はかなり短く切って、おかっぱのように整えました。
「これで良し。長いと動きづらいのよね。ねえ、あなたも髪を切ってあげようか?」
「いや、このままでいい。それより君は一体何者なんだ?」
とてもあの赤ん坊がいきなり成長したなんて信じられないですし、十才の少女にしては話し方もしっかりしています。
疑問を投げかける吉備太郎に名も無き少女は「まずはあなたの名前を言いなさいよ」と言いました。
「まずは名乗りをあげるのが、武者じゃないのかしら?」
「……私は武者ではない。だけど、名乗らなかったのは礼儀知らずだった」
吉備太郎は素直に頭を下げて、それから名乗りました。
「私の名前は吉備太郎。姓はない」
「ふうん。姓がないってことは、日の本で言うところの貴族や武者ではないのね」
だけどと名も無き少女は続けます。
「腰に差してある刀は何かしら?」
「これは――父上の形見だ」
父上の形見。それを訊いた名も無き少女は顔を曇らせました。
「そう。あなたも父親を亡くしたのね」
「君もか? というより君に父親が居るのか?」
「人をなんだと思っているのよ?」
「竹から生まれた人間という印象しかないが……」
当然の考えでした。
「まあいいわ。それより吉備太郎。あなたはどうやってここを見つけられたの?」
名も無き少女は少し警戒しながら言います。
「ここを見つけられることは絶対に不可能なのよ? そして私を解放できるのも同様にね。あなたは何者なの?」
吉備太郎はよく分からなかったので、訊ね返しました。
「私は至って普通の人間だ。それよりどういう意味なんだ? 私を見つけられないって」
名も無き少女はあっさりと「そういう呪術がかけられているのよ」と言いました。
「あたしが居た場所は『金や名誉が欲しい人間は通さない』って呪術をかけられていたのよ。だからこの山にある伝説の財宝を探す人間は通さないのよ」
吉備太郎は頭を傾げました。
「それじゃあ山菜とか竹を取りに来た人間はどうなるんだ?」
「ここは迷いの山よ? 地元の人間もここには入らないの。それに加えて、『あたしを必要とする人間だけが竹を切ることができる』のよ。そんなの誰も居ないわ」
「なるほど。じゃあ私が竹林に辿り着いた理由に見当がつくな」
吉備太郎は自らの考えを述べました。
「私はこの山にある財宝のことは知らなかった。だから名誉も金も頭を過ぎらなかったのだろう」
「じゃあなんでこの山に来たのよ? それにどうして私を必要としているのよ?」
「この山を越えて都に行くためだ。それに君を必要としていたのは――孤独だったから」
名も無き少女は不審そうな顔をしました。
「ますます分からないわ。地元の人間に話を訊かなかったの?」
そこでようやく吉備太郎は気づきました。
「君は――この地方には人間が居ないことに気づいていないのか?」
名も無き少女は目をぱちくりさせて驚きました。
「人間が居ない? 訳が分からないわよ」
吉備太郎は事情を説明しました。鬼が人間を喰らい尽くしてしまったことやこの五年間、名も無き少女以外に誰も出会っていないこと。
「……あたしが竹の中に居た頃、そんなことが起きていたのね」
神妙な面持ちで顔を伏せる名も無き少女。
「それにしても、吉備太郎はよく生きてこれたわね? 十才で独りきりで生きるなんてできないわよ」
吉備太郎は悲しげな表情をしました。
「畑を耕したり、裏山に行って木の実や山菜を取ったり、獣を仕留めて食べたりしていたんだ。その間、私は他の村に行ったけど、皆死んでしまった」
名も無き少女はそんな吉備太郎に同情を覚えました。
「それで、あなたはどうして都を目指しているのよ? 人に会いたいから?」
吉備太郎は厳しい顔をしました。
「鬼の本拠地を知りたいんだ」
「はあ? 何する気なのよ?」
吉備太郎は自分を鼓舞するように言います。
「鬼を一匹残らず退治する。そのために私は都を目指しているんだ」
すると――
「……無理に決まっているじゃない」
名も無き少女は吉備太郎に感情を殺した声で言います。
「鬼は地方の人間を喰らい尽くすくらい強いんでしょう? じゃああなたが対抗できるわけないでしょう?」
それを聞いた吉備太郎は怒るでも悲しむでもなく、笑いながら言いました。
「そうだろうね。私は死んでしまうかもしれない」
「だったら――」
「かといって、やらないわけにはいかないんだ」
吉備太郎は続けて言いました。
「私は殺されて死んでしまうかもしれない。それでも構わないんだ。何もせずにのうのうと独りきりで生きていくなんて真っ平ごめんだ。それなら一匹でも多くの鬼を地獄に送って死にたい」
名も無き少女は悲しげな表情を見せます。それは自らの出生が関係しているのかもしれません。
「復讐は何も生み出さないわ。ただの自己満足よ。このまま都に行って生きていくのも人としての道でもあるのよ?」
吉備太郎はなおも笑いながら言います。
「人として生きていくなら、尚更に鬼を退治しなければいけないんだ。このまま鬼が人間を喰らい尽くしたら、私たちが生きていく場所はない」
そして吉備太郎は言いました。
「私は悲しんで生きるより笑いながら死んでしまいたいんだ」
吉備太郎は覚悟していました。たとえ亡くなった両親や友達にやめろと言われても決してやめることはしないでしょう。
「……分かったわ。そこまで言うなら止めたりしない」
名も無き少女はきっぱりと言いました。
「あなたにはあたしの武者になってほしかったけど無理ね。残念だわ」
それから名も無き少女は値踏みするような視線を向けました。
「吉備太郎。虫がいい話だけど、あたしも都に連れてってくれない?」
吉備太郎は少女だけでは都まで辿り着けないなと思って「構わない」と引き受けました。
「私の鬼退治に付き合わせられないが」
「誰が自分から死にに行くのよ。都でお別れよ。まあ鬼の本拠地まで探すのまでは手伝ってあげる」
「ありがとう。助かるよ」
吉備太郎が礼を言うと名も無き少女は「解放してもらったお礼よ」と照れながら返します。
「それではそろそろ行きましょう。迷いの山の呪術は解けているはずだから、さっさと抜けましょう」
吉備太郎は促されて立ち上がりました。
「そういえば、君の名前を決めなければいけないね」
名も無き少女は「そういえばそうね」と言いました。
「あたしの名前ねえ。何でも良いけど、可愛いのがいいわ」
うーんと頭を悩ます二人。
「聖黄山だから、聖はどうだろうか?」
「いやよ。可愛くないじゃない」
「まよいってはどうだろうか?」
「あたしは迷っていないわよ!」
「そうだなあ……」
吉備太郎は改めて名も無き少女は見渡します。
「それじゃあ……『竹姫』はどうだろう?」
吉備太郎が言うと名も無き少女は「安易ねえ」と言いました。
「竹から生まれた姫のように美しいから、竹姫はどうだろうか?」
名も無き少女はきょとんとして、それから顔を真っ赤に染めました。
「どうした? 顔が真っ赤だ。熱でも――」
「うるさい! もう竹姫でいいわよ!」
踵を返してその場から去ろうとする名も無き少女――竹姫をなんで怒っているのか分からない吉備太郎は不思議に思いながらも着いていきました。
吉備太郎は気づきませんでした。
結局、竹姫が何者であるのかを。
どうして竹の中に居ながら、言葉を操れるのかを。
それが説明されるには、二人の絆が深まる必要がありました。
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