第3話名も無き少女との出会い

  旅立って三日後のことでした。


「……どうやら迷ったみたいだな」


 とある山中にて、吉備太郎は遭難していました。

 これは吉備太郎が迷いやすいのではなく、彼が彷徨っている山――地元の人間が聖黄山と呼んでいた――は山道に慣れている者でも迷ってしまう『魔の山』だったのです。


 吉備太郎は鬼退治に向かったのですが、鬼の本拠地を知らないことに気づきました。

 鬼がどこから来ているのか。

 現在、鬼はどこにいるのか。

 それすら分からなかったのです。

 ひとえに地方の人間を喰らい尽くされた弊害でもありました。


 そこで吉備太郎はとりあえず都を目指すことにしました。

 都ならば鬼の情報も手に入ると思ったからです。

 吉備太郎は学がそれほどありません。文字は読み書きできますが、その程度しか習っていませんでした。

 そのため、都に行けばなんとかなるとぐらいしか考え付かなかったのです。


 というわけで、山中を抜けて海を渡り、東にある都を目指したのでした。

 両親から聞いていた都はどのようなものだろうか?

 父親は都で武者をしていたらしいが……

 そんなことを考えつつ、聖黄山へと足を踏み入れました。


 道中では川魚を焼いて食べたり、木の実を食べたりして、進んでいきます。

 しかし一向に山を抜けられません。

 下りているはずなのに、どうしても下りられないのです。


「どうしたものか……すぐに抜けられると思って、何も持っていない……」


 彼の持ち物は父親の形見である刀と路銀の入った小袋。

 服装は村人の遺品で賄っていました。武者らしい鎧は身につけていません。

 伸ばし放題の髪を紐で一本に結っているだけの少年。それが吉備太郎でした。


 吉備太郎には体力はありますが、流石に山中を一晩は歩き続けません。

 辺りはすっかり暗くなりました。


「寝られるところを探そう。このままだと熊に襲われてしまう」


 そう呟きながら歩いていました。


「それにしても、この五年間、誰にも会っていないな」


 それもそのはずです。この地方には人間が一人も居ません。


「独り言でも呟かないと言葉を忘れてしまうな。それは困ることだ」


 ぶつぶつと吉備太郎は言葉を紡ぎます。


「都にはたくさんの人々は居るのだろうか」


 田舎者である吉備太郎にとって、都は人伝えに聞いた場所なので想像もできていません。


「……誰でもいいから、話がしたいな」


 吉備太郎は心の底から想いました。


 するとどうでしょう。

 何らかの金属音が辺りに鳴り響くと、いきなり景色が変わりました。


「……なんだ、これは……!」


 目の前には竹。

 それも一本どころではありません。

 無数の竹が生えていました。

 竹林と言えば適当でしょうか?


「さっきまで木々が生い茂っていたはずなのに、いかがしたものか」


 目をぱちくりさせながら、吉備太郎はぼんやりしています。

 しかし驚いたのは次の瞬間でした。

 暗闇にそびえる竹林の中から、まばゆい光が放たれたのです。


「な、なんだこの光は!?」


 吉備太郎は驚きながらも光の元へ近づいていきます。

 まるで飛んで火にいる夏の虫のように。

 光へ引き込まれていきました。


「この光る竹はなんだろう?」


 吉備太郎は目の前に生えている竹をじっくりと眺めました。

 竹の中心より、やや下辺りの一部分が発光していたのです。


「面妖な……何が中で光っているんだ?」


 吉備太郎は不気味に思いました。ここから離れるべきかとも思いました。

 すると不思議なことに誰も居ないはずの竹林から声がしました。


『ここから出して――』


 耳ではなく心に直接響く声。


「ここから? どこに居るんだ?」


 吉備太郎が声に出して問いかけると、声がまた響きました。


『竹よ。竹の中に居るの』


 吉備太郎は鬼ではないにせよ、物の怪の類ではないかと警戒しました。

 しかし心に響く声が必死に懇願しているのに耐え切れませんでした。


「ええい、ままよ! この竹を斬ろう!」


 吉備太郎は迷いながらも竹を斬りました。


 その刹那、まばゆい光が竹林、いや聖黄山全体を照らしました。

 あまりの明るさに、吉備太郎は目を閉じてしまいました。


『……日の本の民さん、目を開けて大丈夫よ』


 吉備太郎がその声に反応して目を開けました。


 そこには斬った竹があり、光はどこにもありませんでした。

 暗闇に戻ったことで、何も見えなくなってしまった吉備太郎。


「竹は斬った。誰か知らないが姿を現してくれ!」


 吉備太郎が叫ぶと辺りから「おぎゃあ」という声がしました。


「……赤子か?」


 もう一度泣く声がしたので、その声の元へ向かいました。

 吉備太郎はまさかと思い、切った竹の中を覗きました。

 そこにはなんと可愛らしい赤ん坊が居たのです。


「まさか、この子が語りかけてきたのか?」


 信じられない思いで吉備太郎は竹の中から赤ん坊を取り上げました。かなり小さいので慎重に取り出しました。

 取り出したと思ったら、小さな赤ん坊は見る見るうちに普通の赤ん坊の大きさへと変わりました。


「なんと面妖な……この子は物の怪か?」


 口に出して疑問を述べると赤ん坊は嫌そうな顔をしました。


「とりあえず、何か食料を赤子に食べさせないと――」


 赤ん坊の世話などしたことがない吉備太郎はおろおろしていましたが、赤ん坊はすやすやと寝息を立てて寝てしまったのです。


「……とりあえず寝よう。赤子の食事は後にしよう」


 そう思った吉備太郎は、赤ん坊に自分の着ている上着をかけて、そのまま眠りにつきました。




 翌朝。目覚めた吉備太郎は近くに赤ん坊が居ないことに驚きました。


「どうしたことだ? あれは夢だったのか? しかしここは確かにあの竹林だ……」


 自分の上着もないことを確認して、あれは夢ではなかったことに気づきました。


「赤子を探さなければ。もしかしてどこかに行ってしまったのかもしれない」


 吉備太郎は立ち上がり、辺りを捜索し始めました。


 竹林を分け入って探していると、水が不自然な音を出しているのが聞こえました。

 吉備太郎は音のするほうへ近づきました。

 竹林を抜けて木々が生い茂っているところを通り、そこで池を見つけました。

 そこに居たのは――


「うん? ……ちょっと見ないでよ!」


 一糸纏わない、十才くらいの美少女が水浴びをしていました。


「――っ! すまない!」


 吉備太郎は物凄い勢いで後ろに振り向きました。

 気まずい空気が流れています。


「……こっち見ないでね」


 少女が池から出る音。

 少女が着替えをする音。

 その全てが吉備太郎の心拍数を跳ね上げました。


「もういいわよ。こっち見ても」


 恐る恐る振り向くと、そこには吉備太郎と同じ服をした少女が居ました。


「そ、そなたは誰だ? いやそれより赤子を見なかったか?」


 吉備太郎はドキマギしながら訊ねると、少女は大きく美しい目をぱちくりさせました。


「そうね。あたしのことは知らないのよね」


 少女は改まって吉備太郎に言いました。


「あの赤子はあたしよ。竹の中に居た赤子のことよ」


 その言葉に衝撃を受けた吉備太郎は後ずさりしました。


「なんと! そのようなことがあるわけないだろう!」

「本当のことよ。あなたには感謝しているわ。ありがとう」


 少女は整った顔で魅力的な笑みを見せました。


「そ、そなたは誰だ?」


 もう一度同じ質問を繰り返す吉備太郎。


「そうね。ここは華麗に素敵に名乗りたいところだけど、生憎それはできないのよね」


 少女はやれやれと肩を落として、それから自虐的に笑いました。


「あたしの名前は、まだないのよ。でもこれからよろしくね。あたしの武者さん」


 その言葉の意味を吉備太郎はまだ分かっていませんでした。

 だからこう答えてしまいました。


「……こちらこそ、よろしくお願いします」


 こうして吉備太郎は名も無き少女と出会ったのでした。

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