コーヒーの恋人ー3
結局ご馳走になった昼食は、モーニング用のフランスパンとジャム&バター、オレンジジュースとなった。そう、袋から出して自分で味付けしたら即完成の簡単メニューである。っておい!スーパーなりで買ってくるのと違いを述べよって言ったら、お前この価格帯の違いをどう説明するつもりだ。
ただ、カウにこれ以上料理をさせたら本当に店が破壊されそうなので、追加で注文する気にはなれなかった。ピラフを失敗したときの匂いが抜けきっていないので、まだ換気扇はついている。
「オレンジジュースは子供っぽいから飲まないんじゃなかったの?」
そういたずらっぽく聞いてくるカウはりんごジュースだ。
「牛乳は飲み飽きてるから。牛乳とオレンジシュースだったら絶対オレンジジュース飲む」
ストローからちまちま飲むのは面倒くさいので、紅彦は出されていたストローの封をあけずにコップでぐいぐいと飲む。
「っああー!!やっぱ100パーセントはうまいなあ」
「紅彦おっさんみたい。見た目子供なのに」
「うっさい」
穏やかな時間。店内にかかっている曲は、今日はカウに選択権があるので、朝に放送している戦隊アニメのメドレーになっている。いつもはクラシックなのに。このクールの主人公達は、みんな出演番組に恵まれ、それぞれ人気俳優となっていた。
だけど、穏やかな時間にも終わりは来る。
「……で、昨日のあいつに心あたりないの?」
その問いに、カウの顔が一瞬で曇った。
「ない。親父も今まで来たことないって言ってた。この商店街、駅に近いから、地価高いのよ。……地上げ屋かもしれない」
商店街で代々商売を行っている人たちは、大体家族経営だ。たまに息子や娘が会社勤め、というケースもあるが、岩市南商店街に限って言うと、9割が店舗兼住宅。副業はなし。店を畳むと路頭に迷う可能性が高い。
「別にあたしはいいのよ。大学に執着してるわけでもないし、行きたくなっても奨学金もただでもらえると思う。これでも成績の貯金はあるから。ただ、コーヒーが好きで喫茶店の仕事に誇り持ってる親父の姿、見てられなくて……」
いつだって、被害をもろに受けるのは、第一線で製品を作ったり、売ったりする人。
第一次産業は、特に弱い。商売人も、徒党を組んでる大企業やチェーン店を除くと立場はものすごく弱い。
「……あんまり余計なこと考えるなよ。俺たちがいるじゃん。なんとかしてやるよ」
俺はリーダーだからな。
カウは安心したのか、やっと笑った。
店の前に再度立つ。不審者に間違われないよう、箒とちりとりを持ってカムフラージュしてみた。やばい、カウと話してから口元が緩む。
「鼻の下伸ばして。メンバー内での恋愛は禁止だぞ」
紅彦はぎょっとして振り返る。植え込みの上に、にっくき牛のぬいぐるみが座っていた。紅彦は一転、顔をしかめる。
「おまえ、覗き見って趣味悪いぞ」
「別に見てなんかねえよ、いただけだ」
かわいいぬいぐるみのくせに屁理屈ばっかり言うこのぬいぐるみ。かわいくねえ……。
「そんなんじゃないよ。普通にメンバーの一人。落ち込んでたから慰めてただけだ」
くーは嘆息する。
「そういうことにしといてやる。ほら、人がくるぞ!さっさと掃除しろ!」
分かったからおまえ黙っといてくれないかなあ……。しゃべるぬいぐるみのほうが人目引くだろ普通。
――不意に通りがかった50代の女性は、喫茶店の前で止まった。
「……あの、なにか?」
女性は普段見慣れない子供の姿に驚いたらしい。
「……あなた、カウちゃんの弟さん?」
血管が切れそうになったが、耐えた。
「えーと」
なんて答えればいいんだろう。とっさに言葉が出てこない。牛を見ると、祈りが通じたのか黙り込んでいる。まあ第三者がいたんじゃしゃべるにしゃべれないか。……いや、よく見るとぬいぐるみが震えている。笑いをこらえている!なんって醜悪なぬいぐるみ!
「紅彦、どうしたの?」
扉を開けて出てきたカウも、この状況にしばらく固まっていた。
すわ恋人かという誤解を解くのに労力を費やして。
商店街で喫茶店を営むこの女性が来たのはとある情報を伝えるためだった。
「喫茶店やぶりい?」
紅彦の素っ頓狂な声に、女性二人はにらんで黙らせた。
いや、ふざけてはないんですけど、はいすみません。
「やれコーヒーの味が悪いって難癖つけて、店を畳ませるらしいわ。その跡地に自分好みの味のコーヒーを出す店を出店するんですって。最近このあたりで目撃情報があったそうよ。カウちゃんも気をつけて!」
彼女が去ったあと、後に残った二人は無言だった。
時計を見ると3時。張り込み交代の時間だ。
紅彦は交代に来た桃亜とレイに、これまでの経過を伝える。
お疲れさん、といってもらい、自転車でその場をあとにする。その背中に無邪気な声がかかる。
「そういえば紅君、幼稚園に牛乳納品しなくてよかったの?」
うちのお得意様。幼稚園に毎日納品する牛乳。配達当番は、俺。
やっっべええええ、忘れてた!!たぶん連絡がいって親父かお袋が配達してるだろうけど百パー怒られる。いや、どつかれる。今日家に帰りたくない。
そう思いながら、紅彦は待っている牛たちの世話をするため、家路へと急ぐ。
案の定、帰ったらしこたま怒られた。
学生だったら休める休日。社会人になったら、まして自営業だったら休みなんてない。紅彦は社会人になって以来始めて休日を待ち望んだ。約束は絶対破らない。これが俺の心情だ。紅彦は仕事と張り込みをすべて行うため、睡眠時間を極限まで削り、あわよくば交通事故寸前といったスピードで自転車を漕いで配達する。金曜日にはもうふらふらになっていた。
「紅くん、大丈夫?」
今日は土曜日。珍しくみんな全員集合。これみて大丈夫と思う人は眼科行ったほうがいいなあ、絶対。
「あー、大丈夫だ、桃亜」
「心配する事ないぞ。紅彦は徹夜なんて慣れてるからな」
誰のせいでこんな締め切り直前の作家みたいな状態になってると思ってんのかなあ?
くそ、涼しい顔のレイに一発蹴りを入れたくなった。
「それにしても、喫茶店やぶりさん、来ませんね。張り込みのおかげでしょうか」
大黄の言葉に、メンバーはうなずく。
「そうだね、私達がんばってるもん!」
「確かに、これだけ張り付いていたらうかつに手は出せないんじゃねえ?」
「いや、そうでもないよ」
異論を唱えたのはレイだった。
「喫茶店の利用者は大体小遣いに余裕がある若者か時間に余裕がある退職者か主婦。もしくはモーニング狙いの男性。メニューの単価が高いんだ。喫茶店やぶりだって、仕事をしているはず。コーヒーにうるさいんだったら割と多くの喫茶店行っているんだろうし、お金はあるだろう。ただ、ありすぎて御曹司階級だったらわざわざ外で飲む必要はない。だから、そこそこの収入がある会社員と考える事ができる」
レイの理路整然とした説明に、紅彦たちは黙った。
「じゃあ、あのおっさんが会社休む日に来るってことか…?」
「そういうこと」
いつだよそれ。いいかげん張り込みも疲れたぞ。
紅彦が肩をおとしたとき、人の悲鳴が少し離れた地点から聞こえてきた。
「――なんだ?」
疑問と同時に頭に軽い衝撃が走る。
「って!」
頭に牛のぬいぐるみ。黒い目がきっときつくなる。
「それを確かめるのがおまえらみるれんじゃーの仕事だろ!」
おまえは入っていないのかよ!と突っ込みたくなったが今はそれどころじゃない。レイはすでに頭を切り替えている。
「じゃあ、紅彦と桃亜、大黄は様子をみてきて。オレはここに――」
「すとーーーーーーーーっぷ」
リーダー然としているレイは、うしぐるみの制止に面食らう。
「仲間の店が大事だっていうのも分かるけどよ、今は困っている人のほうが先だ。それにまともな戦闘経験がないおまえらが、3人で勝てるっていうのか?」
レイは押し黙る。悔しいけど、くーの言うことは事実だ。紅彦たちはまだ、自分の力を制御できていない。
「……それにグレーも、みるれんじゃーだ。店のことはあいつに任せて、俺たちは行くんだ」
レイは顔を上げると、うなずいた。
「みんな、行こう」
桃亜、大黄は力強くうなずいた。
レイを先頭に、現場に向かって走り出していく。
どうしてそこまで全力疾走できるのか。疲れているっていうのもあるけど、なんでそんな戦隊になれるのか。
「しゃきっとしろ!」
ぬいぐるみに言われてもなあ……。
なおも紅彦がゆるく走っていると、すぐ前を走っていた桃亜がふくれた顔をして戻ってきた。
「ほら紅君!行くよ!!」
社会人が小学生女子に手を引っぱられるの図。どれだけ体力ないんだ。とまわりからみられるのは嫌だ。それにメンバーが見逃してくれそうになかったので、紅彦は観念して走り始めた。
一同が駆けつけた駅前には、多くの人だかりができていた。人を掻き分け掻き分け。レイが桃亜を肩車してやり、男二人は人の頭の間から爪先立ちでのぞくようにする。
「……変な人が何人かいる!」
桃亜の叫びと同時に、紅彦たちもそれを見た。
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