コーヒーの恋人-1

 自転車が、ききき、とオイル不足のブレーキ音を立てて止まる。荷台にくくりつけられていた年季の入った赤色のケースを軽々と持ち上げ、白Tシャツに青いジーパン姿の少年は引き戸の前で立ち止まった。

 そうだ、ここは自動じゃない。手動だ。とどのつまり、先に扉を開けないと無駄な動きが増えてしまい、最悪なケースも予想される。

 だがいちいちケースを戻し、また安定するようにくくりつけるというのもまどろっこしい。ケースの中身が食品でさえなけりゃ地べたに置くが。

 自分の要領の悪さにため息をつきながら、開き直って足で戸を開ける。どうせ中にいる客は、そんなこと構うわけない。

 がらがらがら。

 客が一斉にこちらを見る。言いたくないと思ったが、一応得意先だから言っておくか。

「ちわーっす、牛乳配達でーす」

「遅いよ君!!」

 その少女の声に、少年、紅彦は顔をしかめる。

「うっせ桃亜!小学生と社会人を一緒にするな!3時には暇なんてことありえねえんだからな!!」

 それでも紅彦はまだ一般的な社会人よりは、3時ごろ暇な確立が高いが。

 むっとふくれた少女を応援するかのように、セーラー服の少女が口を開く。

「なによ、今どき高校生だって3時には暇になるのよ?」

「カウはいつものサボりだろ!!市内の公立高校はテスト期間中と終業式前以外は最低6時間以上の授業が義務付けられてる。ってことは、学校出るのは早くて3時半!おまえ留年しても知らねーからな!!」

 納品する牛乳を次々とおろしながら、紅彦は年上の貫禄を見せようとする。が。

「大丈夫ですよカウは。紅君みたいに落ちこぼれる事もないでしょうし。だって学年で20位以内ですよ?」

 机に突っ伏した。

「ふぇーふぇーどうせ俺は高卒の馬鹿やろーだよ」

 辛らつに突っ込んだ少年はシャツに黒い学生ズボンというシンプルな服装。ややぽっちゃりとした体型だ。

「ったく、そういう大黄もなんとかしろよ、ここ一応空けてるんだろ?客こいつらだけかよ」

 店内は紅彦と同じ年頃かそれ以下の子供が何人かいるのみで、閑散としている。これが常時ならいつ店がつぶれてもおかしくない状況である。

「だったら紅君が呼び込みして下さい。そうじゃないともう牛乳買いませんよ?」

 おとなしい顔をしてぶっとんだ事を言い出す大黄はここ、大衆食堂ミルキーの次期店主。名前と施設があっていないような気もするが、それは大黄の両親が決めた話なのでここでは割愛。とにかく圧力をかけた大黄は牛乳の購入先である紅彦の反応をうかがう。

「……てめ、けんか売ってんのか」

 眉をぴくりと震わせた紅彦。くそ、牛乳を買ってるお客様じゃなかったらすぐにけんかするのに。

「いえ、ただのパワーハラスメントです」

 余計たちが悪いよ、大黄君。君はそれでも中学生ですか?

 最近の中学生はこんなんなんですかー!?

 だとしたら嫌だなあ。自分も中学時代を振り返ると、人のこと言えないけど!

「一緒じゃねえかよ!!ていうか年下から命令ってありか!?」

「現代日本においては年功序列が崩壊して能力主義になったからありよ」

 カウのつぶやきを露知らず。

 紅彦はダンと牛乳瓶を机に置く。

 その様子をみてよく通る声が紅彦を貫く。

「紅彦、割れてる」

「ああ?」

 納品する牛乳が空瓶なんてしゃれになりません。

 瓶のなかにはもちろん中身が入っていた。

「嘘だろ!」

「現実だよ」

 紅彦のほっぺたを引っぱる彼と同じ年頃の人間。

 あたりには牛乳の匂いが満ちる。

「うーんやっぱり小学生の肌はいいな」

 紅彦は手を振り払う。

「だから俺は18だって行ってんだろくそレイ!!」

「嘘付け小学生1―――」

「NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!」

 余裕の表情で紅彦をからかうレイは、19歳。紅彦の誕生日の関係で、滞りなく学校に通っていれば同じ学年だ。身長は180センチ。

 対する紅彦。身長は本人の希望により自主規制。補足説明をしておくと、小学生に間違われる事がある。さらに説明すると、小学1年に勝つのは常識。19歳の白水レイに負けるのはまあしかたない。だが高校1年のカウ、中学2年の鎌鈴大黄に負けるのはいかがなものか。

 紅彦は大黄から布巾を借りると、こぼれた牛乳を拭き始めた。

「あ、紅君、今度から牛乳の取引変更したいんですけど」

「ヴぇ?」

 蛙がつぶれたような声を出す。

 個人経営小規模農家(しかも専業!)にとって、取引先一つから納品を少なくされるだけで死活問題だ。

「牛乳はそのままで、チーズとヨーグルト入れてください」

 条件としては悪くない。単純に考えたら納める品目は増えている。

 だけど。

「ちょ、大黄!おれんち牛乳専門なんだけど!普通に瓶詰め牛乳を近くの幼稚園に納品して、業務用の牛乳を商店街に卸して、あと朝の牛乳配達サービスやって。これのどこにヨーグルトやチーズ作れると?」

「え?でもヨーグルトもチーズも牛乳から作られるんでしょ?」

 そう答えたのは大黄ではなく桃亜。

 かわいい顔してなんてこと言い出す。しかも本当のこと。

「桃亜、ヨーグルトもチーズも発酵させてるの。つまりいい菌に助けてもらって食品をつくってるの。でもチーズはつくれるわよね?紅彦」

 なんで最初説得したうえでこっちの気持ちを突き落とすようなことするかなカウは。

あれか?確信犯的なノリか?わざとこういう人をいじめるようなことやってるの?(注:人をいじめてはいけません)

 それとも何?正義感が暑苦しいほど熱いこの子は人をいじめてはいけません、ただし牛飼紅彦を除く。とかそういう自分ルールを持ってるの?

「おまえら、俺をこれ以上忙しくするな……。配達に継ぐ配達に、販売経路拡大のお願いに、家に帰ったら牛の世話……。自由時間だってあんまりないし…」

 店内がしんとする。

「でも紅君リーダーだよね?」

 屈託のない桃亜の笑顔。

 これ以上俺にどうしろと。

「……おまえら、自分でヨーグルトとチーズ作れるじゃん」

 すると、カウは反論する。

「そんな原産地不明の牛乳から造られてる食品食べられるわけないでしょう!?飲食店でだす以前の問題だわ!」

 まあもっともなんだけど……。

 と、紅彦が愛用している頒布の肩掛けかばんがもぞもぞと動いた。

 紅彦以外誰も気に止めるようすがない。

 仕事に必要なもの以外入れた覚えがないので気味が悪いながらもかばんに近づき、中身を確認せずとめ具を思い切り閉めた。

 かばんの動きが一段と激しくなる。

 紅彦は抑える力を強くした。

 事態にいち早く気づいたのはカウだった。彼女から殺気がほとばしる。

 ――これはまずい。

「あ、か、ひ――」

「ちょ、ま――」

「こー!!」

 あ、ヒット。

 名前を呼ぶとともに突進してきたカウ。苗字に入っている猪のような振る舞いに、人(といっても紅彦が知る限り紅彦だけ)はこう呼ぶ。

 猪突猛進暴走少女。彼女が人の名前を叫んでいたら、タックルされる5秒前。

 しかも体重が軽いくせに、走るスピードが速いからなのか、パワーが半端ではない。おまえラグビーやれよ。

 と、後方に吹っ飛ばされ、背中からたたきつけられた紅彦は思った。

「ちょ、なにしてんのよ、やめなさい!」

 そして口で制止する前に実力行使で制止する。

 いつものことだと思いながら、理不尽さを感じつつ紅彦は起き上がった。

 跳ね飛ばされたかばんを見ると、もぞもぞと動き、なかから牛のぬいぐるみがひょこりとでているところだった。

「ったくよお、もうちょっと丁寧に扱えんのか、ええ?」

 牛のぬいぐるみがただでさえ細い目を糸目にしながらそうふんぞり返っている。

 紅彦はそれをつまみあげると自分の顔の位置まで持ってきた。

「……おまえ来月商店街がやるフリーマーケットで売ってやろうか、え?」

「それやったら大声でおまえの秘密ばらすぞ。カセットテープだかMDだかが聞ける高性能ぬいぐるみの振りして」

 誰ですか、小さくてふわふわしたやつはかわいいなんていう人は。このぬいぐるみ、見た目は牛で、しかもぬいぐるみとしてデフォルメされた外見だからかわいいといえなくもない。だけど中身、いや中身はただの綿か。考えていることはとにかく腹黒い!普通のホルスタインがモチーフだから、黒い部分があっても白地の面積のほうが多いのに!鼻に丁寧につけられている輪っかがさらにふてぶてしさを強調している。

 紅彦はそれをつまんで牛を吊るした。

「……やっぱやめた。ゲームセンターのUFOキャッチャーの景品にするわ。これちょうどいい。」

 さらに鼻輪をつまんでびょんびょんと縦に揺らしてやった。え、手加減?するわけないじゃん。

「いてて、鼻!鼻ちぎれるって、やめろおおおおおおおおおおお!」

「紅君、いじめかっこわるい!」

 桃亜の声とともにぺちっと背中に何かが張り付いた。場所が片手で届くかどうか微妙なところだったので、仕方なく牛を放し(人聞きの悪い言い方をすると落としたとも言う)背中からとる。物体を見てみると。さっき牛乳を拭いた布巾だった。

 ……あーあーシャツがべちゃべちゃだ。匂いが移る。イジメカッコワルイ。否定はしないけど、俺に対するこれってなんなんですか。いじめ以外の何物でもねえよ。

「ごめんなさい、くーさん。大丈夫でしたか?」

「ああ。おまえらのおかげで大丈夫だ」

 みんなにかこまれている牛のぬいぐるみ、くーは、またもそうふんぞり返った。……俺、くーっていったら近所のチワワしか思い浮かばないんだけど。あのチワワ目がうるうるしててかわいかったなあ。この偉そうな牛がくーってタマかよ。名前違う。

 紅彦の考えを図ることなく、くーは大黄を手招きして抱き上げさせた。

「いいかおまえら。今日も平常出勤だ!パトロール行くぞ!」

 いや、パトロールとかは警察官とかPTAの方々に任せましょうほんとなんでこんなことおいなにする離せカウーーーーーーーーーーーーーーーーーー!



 牛飼紅彦 酪農家にして牛乳配達員。社会人。

 鎌鈴大黄 商店街にある売れない食堂屋の跡取り息子。牛乳を購入。中学生。

 留我桃亜 繁盛している雑貨屋の娘。商店街近くの小学校に通う小学生。

 猪灰カウ 喫茶店の看板娘、のはず。サボりが趣味の高校生。

 白水レイ 大黄の食堂屋の常連。


 年齢も住む世界もたぶん違うこの5人には、ある共通点があった。それは自我を持つ牛のぬいぐるみ、くーの指示に従って、戦隊として変身、敵と戦闘し、岩市南商店街を中心とした世界を守ること――。


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