最終動
その場所は中国山地の固い岩盤に守られている。その存在自体が最高国家機密となっている人工神経細胞によるハイパーブレイン「たけみかづち」。
その名は日本神話の雷神からとっている。
漢字では建御雷神、武甕槌などと書く。
職員は首相直々の通信命令を受け、仕方なくそれを実行しようとしていた。
大きくもないコントロールセンターでは、白髪の目立つ管理部長がキーをさしこんでから、キーボードをたたいた。もう一人の職員と同時に、二つのキーをまわしたのである。
こうして「たけみかづち」の電子脳幹は停止され、総てのデータが急速に消去されていく。
この瞬間から国防は「ブラフマン三世」が代行することになる。
箱根は双子山山麓海側の
清潔で薄暗い禁断の特別室の中には、さまざまな機器がついたベッドが一つ。 そして
「ま、まひめ……」
そのままゆっくりと、両のまぶたはまた閉じられたのである。頭のほうに立つ測定装置が、小さな警告音を発した。
「総ては終わったわけか」
完成真近の一号フラックトゥルム最下層には、緊急戦闘指揮シェルターがある。すでに「たけみかづち」が機能停止し、予備電子脳髄が「ブラフマン」の助けを借りて防衛力をコントロールしはじめたことは、
彼をしたう統合警務隊赤澤准尉と下士官は、洲到止一佐の顔を不安そうに見つめた。
「……君たちはわたしの命令に従っただけだ。こっちにむかっている情報統監部の田巻三佐に静かに投降しろ。もう記者たちも帰っている。心配するな」
二人の部下は少し涙ぐみ、言われるようにした。
ハンドルを回し厚いハッチをあけると、狭い螺旋階段に出た。それを上りつつあるとき、指揮所の中で銃声が響いたのである。
「葉巻を一本、もらえないか」
元統合防衛大学校教授の黒井宗義工学博士は、艦内に設けられた特別警務隊の臨時取調室で、取調官に言った。
潜航中は絶対禁煙だが、今は浮上航行している。
「……タバコではだめですか」
「葉巻しかやらないんだ。わたしの私物に入っている。
今では貴重なハバナ産だ。これが吸いおさめかもしれない。頼むよ」
警務曹長が私物からシガーケースをもってきた。法務二尉がケースの中の葉巻を、調べた。
おかしなところはなさそうだった。黒井は受け取ると、ライターで火をつけてもらった。
うまそうにくゆらすと、一筋涙を流した。やがて葉巻にしみこませてあった毒物が、黒井の肺に充満した。苦しみはなかった。
黒井は葉巻をくわえたまま、静かに目をつぶった。目は二度と開かなかった。
築地の同盟通信本社前に、前世紀終わりごろからその料亭は営業を続けていた。今時料亭政治を好むのは、長く国防大臣を続けている上田ぐらいだろう。
政界の一部で「元老院」の別名を持つその特別室では、しばらくふさぎこんでいた田巻己士郎が上機嫌で、好物のアワビと伊勢海老をほうばっていた。
「微笑みの寝技師」「影の首相」「万年国防大臣」こと上田哲哉も少し赤い。
「まあ念願のドイツ行きがかなったことだし、色々と思うところはあろうが堪えてちょうせんか。一度関西の在所に帰るとええ」
「まあ、ちょっとの辛抱ですから。それと特別手当もありがとうございます。
……それにしてもエステルとは、また意味深な計画ですな。そしてなんやら壮大な、なんちゅうか神をも畏れん」
「ワシも詳しくは知らん。やがては石動さんなんかもかかわることになるじゃろうが、君はその下慣らしだな。ちいとねゃあ、調べて来て欲しい。
なんも君を
少し田巻は悲しげな顔をした。スガル部隊を作ったのはまさに彼だった。
「あのベッピンさんたちとも暫くお別れか。送別会なんかしてくれへんやろな」
「こちらもあと始末に大変だ。どえりゃあ難問山積みじゃよ。
死んでくれた連中はともかく、生き残ったもんをどう扱うかだ。
………せっかくの本間会も、もうひしゃけてしまったがや」
田巻は少し表情を固くした。
「先生はやはり、あの国策研究会と関係が、その」
「ああ。元々、本間将帥補は、ワシの『草』みたいなもんじゃ。君と同じだで。
本間会は過激な連中を集め動向を監視し、かつある程度の息抜きをさせるために作ったんじゃがのう。それがのーなるとは……まるでワヤだがね。めちゃんこ大金使ったのに、とろくせゃあ」
「あ……それで。つまり東黎協会対策に」
「ほかにもいろいろ危険な動きはあるからな。穏当な過激派、つうのもヘンだな。まあガスぬきみたいなもんだ。あと近寄ってくる過激すぎるやつを、警務隊なんかにチクる役目もあった」
「なんとまあ、周到な。恐れいりますな」
「東黎協会をとりこんで切り崩すはずだった。しかし協会の残党と、本間会の急進派がけったくし、どうやら外国勢力とむすびついたようだな。
まあタワケらしい過激なやつらは、まとめてあんばよう自滅してくれたが」
田巻は手酌で辛口の酒を飲みつつ、苦笑した。
「いや、陰謀好きと言われてる僕でも、政治家の先生にはかないまへんな」
救助された夢見たちは市ヶ谷に連れ戻され、朝までに検査を受けた。
事件は収束にむかっていた。田巻の考えたシナリオオ通り、重大事件そのものが隠蔽された。
紀伊山地上空での春雷の爆発は、無人機実験中の事故として発表された。
しかし田巻がたちあげにかかわった無人特攻「甲号しなとべ計画」は無期限延期となった。
このあと事件に関する査問委員会や情報部の聞き取りのため、来島以下の挺進部隊員はやや不愉快な思いをすることになる。また一切は絶対極秘とされた。
数日後、まだ統合幼年学校生徒である御剣真姫は、夢見たちに見送られて新東京駅のプラットフォームに立った。
妙に明るい、ひらきなおったように見える真姫は、また江田島の統合術科学校に戻ることになる。そして残りの授業と訓練を受ければ、正式配属が決まる。
来春、成績次第では三等曹長として、市ヶ谷に来るかも知れない。
「最後に、お姉さんに会わなくていいの?」
夢見が尋ねた。
「いつでも会えます。いま会うと、決意がにぶります。姉の魂は生きています。きっと。
御剣ももっと訓練を重ねて、大神二曹殿みたいな能力を身につけたい。
そしたら自分が、姉の意識を救うことができると信じています」
「そう……がんばってね」
珍しく略章などを胸にならべた来島が、手を固くにぎった。
「来年、待っているよ」
「ありがとうございます!」
マグレヴ新々幹線「いなずま」は西へむかって出発していく。四人のスガル挺進隊員たちは列車が消えるまで、敬礼を続けた。
田巻は一度、関西の自宅に戻ることになっていた。大和州北摂津郡である。
新東京駅に、見送りはいない。さすがに寂しかったが、いつもの通常勤務服に参謀飾緒をつり、荷物は大きめの鞄一つである。
もっともドイツ研究出張は、石動以外知らない。誰にも告げていない。
田巻の乗る「いなづま」が東からすべりこんできた。これにのれば一時間で着く。デッキに乗り込む田巻は、ふりかえった。
「……ユメミンたちとも、しばらくお別れやな。いや、いつかまた再会できるやろか。戻った時、いろんなモンがかわっとるな、多分」
田巻は鞄をたなにおくと、窓際にすわった。いつもは通路側をえらぶ。今日は景色をみたかった。いつもの略帽をぬいで外を見て、田巻は細い目を見開いた。
ホームに、敬礼している夢見を見つけたのである。田巻はなにかを叫ぼうとして、かろうじてがまんした。
「……ユメミン、なんで判ったんや」
彼には、すわったまま答礼するのがせいいっぱいだった。
完
主要登場人物
大神夢見 おおみわゆめみ 十八歳 二等曹長。
第十一課特殊挺進部隊員。特殊超常能力を持つ、わが国最大の「秘密兵器」。
来島郎女 くるしまいらつめ 二十五歳 二等尉官。
「スガル部隊」の隊長。特殊超常能力者ではないが、勘が鋭い。
斑鳩小夜 いかるがさよ 十九歳 一等曹長。 PSN能力者。
田巻己士郎 四十歳 三等佐官。 軍令本部情報統監部付情報参謀。
謀略好きの保身主義者。特殊超常能力兵器開発の独占を目論む、小心な策士。
遊部真由良 あそべまゆら 十八歳 三等曹長。
一度PSNを失うも現役復帰した。
御剣真姫 みつるぎまひめ 十七歳 上級兵卒。
江田島の統合幼年術科学校三号生徒。
富野勝 三十四歳 三等佐官。情報第十一課課長。
上田哲哉 五十九歳 国防大臣。影の総理とも呼ばれる。
トーマス・ホールドマン 四十歳。国際秘密結社の使者。
洲到止勝人 すどおしかつひと 四十五歳。
国家憲兵隊副総監。情報課を敵視している。
東光寺正光 四十歳 一佐。総本山東光寺管長の息子。
「新国家戦略研究会」会員。艦隊きっての俊英だが過激なエリート主義憂国団体に属し、危険視されている。
別所弘樹 三十五歳、技術二等佐官。東光寺の腹心の科学者。
田沢昭二 三十歳 法務三尉。国家憲兵隊東京分遣隊主任捜査官。
石動麗奈 いするぎれいな五十歳 将帥。沈着冷静な女武人。
軍令本部情報統監。夢見たちの理解者。
S.G.A.L.4 厳秘絶対防衛計画シナトベ Der Geheimste absolute Verteidigungsplan 小松多聞 @gefreiter
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