第九動
集まっていた記者たちも、何か異常事態が起きているかも知れないことを、薄々感じ取っていた。
軍令本部の報道広報官は、ポーカーフェイスで有名だった。それでもさすがに、これ以上取材を引き伸ばすわけにはいかない。
大震災後の混乱と社会再編成で、我が国マスコミ界も構造変換を余儀なくされた。大手新聞とテレビ、ネットの融合が進み、各巨大会社は海外にも進出し、政府にとって一層手ごわい相手になっていた。
ここ、北信州の山奥まで東京から記者を呼んだのだ。心配する下士官に命じ、コーヒーを用意させた。その間、報道官三尉一人で通信ボックスに入り、市ヶ谷の指示をあおいだ。
「第二種極秘警戒待機の理由はなんです。実験準備は万全ですが、これ以上延期は無理です。記者もなにかに気づき、ざわつき出していますよ」
テレヴァイザーの相手は、旧知の中年女性士官だった。
「なにが起きているかは我々も把握していない。総長、大臣とも地下の指揮所よ。しかし実験中止命令は出ていない。どうしようもないのよ」
「それでは……」
「予定通り、フラックトゥルム第一号を取材させて。稼働実験を行いたまえ」
「姉が………ここにいるのですね。この衛戍病院のどこかに」
御剣真姫は、夢見を見つめた。切れ長の目が輝いている。人形のような顔立ちだった。
「…ええ、多分。お姉さんがあなたを呼んだのね。いっしょに、行きましょう」
夢見は真姫の背中にぎこちなく手を回した。来島も同意した。こうして乙女たちは、北側の特別棟の地下へとむかう。階段を降り切ったところで、病院長一佐が待っていた。
「あの、その兵卒は」
「関係者です。では、ご案内ください」
やがて廊下の果てで医務一佐は電子キーを使い、特別集中治療室へのドアを開けた。
「姉さん……」
真姫は早足になっていた。院長一佐に案内されなくても、問題の部屋がわかった。夢見たちも足早に続く。
夢見の大きな瞳が細かく動く。急ぐ小夜の胸が揺れる。
古い北棟の薄暗い廊下を曲がると、行き止まりに清潔なドアがあった。
「ここ、この中よ」
絶対面会謝絶と書かれたいかめしいドアの前に立つ、真姫。息が荒い。やっと別のキーをもった初老の一佐が息をきらせつつ、追いついた。
「待ってください。この特別室をあける電子命令がまだ……」
少しこわい顔の夢見が足を開いて立ちはだかり、右手をまっすぐのばした。驚いて立ち止まった院長一佐のやや禿げ上がった額に、人差し指をつきつける。
「あけなさい」
「…………は、はい」
院長は言われるまま、夢遊病者のようにキーを操作した。来島は苦笑しつつこの重大な命令違反を見逃した。小夜は舌を出して見せた。
清潔で厚いドアがあくと、真姫がまっさきに飛び込んだ。うすぐらい部屋は、清潔だがほとんどなにもない。窓一つ、花一輪。間接照明で壁の上部が淡く光っている。
天井には監視カメラとなにかの観測機器。壁面にもシステマティックに各種機器がうめこまれている。殺風景で無機質、そして未来的な病室だった。
そして部屋の中央に。大き目のベッドがおかれていた。
二本の介護ロボットアームがあり、枕元に機会のポールが立っている。額にはコードが接続され、頭はきれいにそり上げられている。
真姫はその顔を見つめ、硬直した。
「ね……姉さん。真弓……姉さん」
その後ろからのぞきこんだ夢見も、息をのんだ。あの、電脳空間で見た顔に間違いない。
「あの、この人があなたのお姉さんね。田巻三佐たちがかつて実験していた」
真姫は涙をこぼし、比較的冷静に物言わぬ姉に近づき、顔をのぞきこむ。
「………姉さん、いったいなにがあったの」
小夜は真弓の額や頭部に接続されているコードを見つめる。
「脳波や血流、そして脳細胞の電子の流れを調べている。
夢見が見たのがこの真弓さんのイメージで、この人がもっとも初期のPSN保持者、そして精神波コントロールの被験者だとしたら……」
「つまり、この装置をきればいいのか」
「だめです!」
夢見が鋭く言った。来島は少し驚く。
「あの……この人の意識、いえ精神はたぶんタケミガヅチの中で生きています」
「精神が、生きているだと?」
「はい。そんな気がします。あたかもコンピューターのプログラミングのように。そしてあの、真弓さんでしたっけ。この人の精神…魂と言ってもいいかな。 それは多分、統合国防電子中枢タケミカヅチにとりこまれて、さ迷ってます。
マル特戦の戦士たちの精神波コントロールを妨害したのも、きっと彼女です。
でも自分の脳には魂がもどらない。さまよっています。それでも細い線で、肉体とはつながっているんだと思う。総てのコードを外せば、真弓さんは多分……もう戻れない」
「……そしてタケミカヅチは永遠に魂を抱え込んでしまうのか」
御剣真姫は涙を流しつつ、姉の胸にだきつく。
「姉さん。わたしよ……真姫よ。姉さん。あいたかった、ずっと……」
真弓の穏やかな表情を見つめていた夢見が、ぽつりと言った。
「わたしにも、あの、出来るかも知れない」
「なにがよ、夢見」
「……真弓さんの精神に、アクセスするんてす」
「でも魂はタケミカヅチの中だろ。それを追うってこと?
危険だよ。戻れなくなったらどうするのよ」
「わたしも一曹に賛成だ。そんなことをした人間はいない。
だいたい、精神がコンピューターに取り込まれるなんてあり得ないと思う」
「あの……真弓さんは初期実験の失敗で、魂をタケミカヅチに取り込まれた。その、でも意識はあの国防電子脳の中で生きている。そう、生きてます。
そして多分、一連の恐ろしい陰謀に気がついて、それを阻止しようとしたんですよ。
真姫。あなたが実験中に苦しんだのも、お姉さんの意思が妨害したからなんでしょう」
真姫は泣き濡れた顔をあげた。
「……はい。あれは姉さんです。わたしに来るなと言っていました」
「わたしも感じました。敵意ではない、警告を。彼女は知っているんです。なにものかが企んでいる、恐ろしい計画を。本当に恐ろしい……。
あの……いま第二種警戒態勢ですけど、そのことにきっと関わっている」
来島は女武人らしい顔を少し歪ませる。
「わたしだけの判断で、君を危険な目にあわせるわけにはいかない」
「おねがいです。やらせてください。危険だけど、やるしかないんです。今なにかこの国と……ひょっとしたら世界になにか大変なことが起きつつある。
その、そのことを強く感じます。そしてその起こりつつあるなにごとかの中心近くに、この真弓さんがいるんです、きっと」
「わたしも援護します」
小夜が直立不動で言った。
「自分も微力ながらお手伝いできると思います」
来島は数呼吸のあいだ考えてから、市ヶ谷地下にいる石動に無線で許可を認めた。簡単な事情説明を受けた女性将帥は、静かに驚いた。
「……なるほど。総ては二年前の実験からはじまるわけか。つまり例の『弓号計画』自体が、今回の事件の準備だったのかな。
よろしい、君の判断に総てをまかせる。しかし全責任はわたしがとる」
「ありがとうございます!」
来島郎女いらつめはやっと吾にかえった院長を半ば恫喝し、真弓と同じようなベッドをひとつ用意させた。準備が出来たことを石動に報告する。
「しかし統監部長、第二種警戒は一体なにごとなんです」
「実験潜水空母が予定行動をとらず、連絡できないことは知っているね。
残念ながらこれはまさに叛乱よ。国を身勝手に憂う、思いあがった連中の」
東光寺たちの残された同志が、ついに行動をはじめたのだった。
「開発中の春雷型攻撃機は水中を六十ノットですすむ。そしてロケットブースターで海中から飛び出し、低空をマッハ三から四で飛ぶの。
邀撃機やミサイルは、搭載した機銃や迎撃ミサイルで回避。レーダー網をくぐって目標に近づく。無人機では考えられない動きが出来るそうよ。
今はまだ支援作戦攻撃機のパイロットが制御コクーンに入るけど、ゆくゆくは空のエースたちが春雷を操作しだす。そうなれば無敵よ。
現在の防空システムは無人攻撃機やミサイル、宇宙兵器対抗に集中している。そんな中、人間の予測不可能な行動は、実は盲点らしいわ」
大きな病床が運ばれてきた。真弓とならぶように、夢見は横たわった。制服シャツの上のホタンは外し、ベルトもとっている。
ベッドの両側に小夜と真由良が立った。夢見は横をむいて、真弓の「寝顔」を見つめる。
「あの、わたしはなにをしたら」
と真姫は不安そうである。
「祈っていて。そしてお姉さんに、わたしが敵ではないことを教えてあげて」
小夜と真由良はベッドわきで跪いた。そして両手で夢見の手を一本づつとり、握り締める。それを祈るように自分の額にあてた。
「じゃ、行きます。よろしく」
見つめていた来島は頷いた。
「無茶はするなよ」
「それでは皆様、ご自由に写真を劣りください。
また報道データを転送いたしますので、ご希望のかたはどうぞ」
にこやかな報道官が、記者たちを案内した。そして高度統合防空可動保塁、通称フラックトゥルム前にあるテントで、飲み物をふるまった。
少し大地がゆれた。集まった二十数人の記者たちは、目の前の山の一角から、巨大な建物がせりあがって来るのを見て感嘆の声をあげたのである。
それは高さ五十メートルほどの、先端がなだらかにとがった八角系の塔だった。
特殊ベトンの暗灰色の可動保塁は、巨大な結晶柱にも見えた。聳え立った塔の先端が、ゆっくりと開いて行く。記者たちから、小さな歓声があがる。
八枚の厚い三角形のパネルが一枚おきに開ききると、中からミサイルの先端やレーザー砲がせり出してきた。その間、三分もかかっていない。
実験潜水空母「天津風」は、深度百メートルあたりに黒い巨体を浮かべたまま動かない。
周囲を三隻の潜水艦が囲み、海面では数隻の小型水上艦艇が見張っている。しかし天津風の大きな特殊発射菅は、すでに海水で満たされている。
そこには三機の奇妙な飛行艇が格納されていた。全長十メートル、幅八メートルほど。三角形の両翼の端に、垂直尾翼を持つ。
そして機体の後部には分離式の特殊スクリューが並ぶ。魚雷などにつかわれる、高速でかつ発見されにくいものだった。原型はクライネキーファー重工のフリューゲルロス機である。
これこそ、水中発射ロケット戦闘機「試作春雷・乙型」だった。国内最大の兵器メーカー八洲重工がライセンス生産したものである。
艦体後部の特殊実験室にたてこもる黒井たち叛乱派は、特殊攻撃機春雷の準備がととのったことを確認した。
鹿島はコントロール・コクーンの中で半覚醒状態の三人に、連絡した。
「同志諸君、いよいよだ。君たちにも、我々の交渉の様子を知らせよう」
黒井は、通信情報室を占拠している遠井に連絡した。
「市ヶ谷台の国防省を呼び出せ。無線封止を解く」
「首相官邸ではないのですか」
「白瀬では話にならん。黒幕の上田が苛ついているはずだ。
やつと直接交渉する。この計画の本当の恐ろしさを知っているのは奴ぐらいだ。それに上田は、今は亡き本間将帥補とは懇意だった。
………我々の主張に賛同してくれるかも知れない」
箱根双子山の中腹、東部衛戍病院別館地下の特殊病室では、夢見が目を固く閉じたまま苦しげに呻きだした。
その手を握る小夜と真由良は特殊介護ベッドのわきで跪き、目をつぶって脂汗を流している。見守る来島も息がつまりそうだった。
特殊超常能力PSN。今世紀はじめ頃から当時の防衛省で密かな研究が続いていた。わが国は今やその研究の最先端を行く。しかしいまだその正体については判っていない。
四つの力とは別の、第五の力らしいこと。そしてグラビトンやフォトンなどの、他のゲージ粒子に干渉するらしいこと。スピンも質量もなく、光速で「到達」することなどは判明している。
しかし「古武士」こと来島郎女は、この特殊能力を持つ「新しい人類」ではなかった。今はこの、三人のPSN戦士にまかせるしかない。
三人の乙女が、事実上世界最高のPSN部隊を形成している。その「戦力」は一個軍団、いや使いようによっては先進国の全国防力に匹敵しよう。
そんな「恐るべき乙女」三人の命を預かる来島郎女は、常に歴史的使命を実感していた。
来島は、秋田角館の旧家の出である。北面の武士を祖とする武家の名門で、子供の頃から武家を継ぐべく祖父に鍛えられた。
何年も前に女であることを捨てている。しかし部下は子供であると、固く信じていた。また三人からの信頼は絶大だった。
「あ……う」
斑鳩小夜がそんな声をもらした。遊ぶ真由良の表情も歪んでいる。目を固く閉じた夢見が、苦しげに顔を振りはじめた。
それを壁際に立つ真姫が、心配そうに見つめている。
「いかん!」
来島が中止させようと思ったとき、突如夢見が呻きだした。
「うう、ううううううううう」
夢見に実は「よからぬ思い」を抱いている斑鳩小夜が、目をあけた。立ち上がって夢見の顔をのぞきこむ。つづいて遊部真由良も立ち上がった。
「あう!」
夢見は息を吐き出して、目をあけた。来島がかけよる。
「大丈夫か」
「み、水を……」
御剣真姫が外へとりに行った。小夜たちもかなりの水を飲む。
「落ち着いたか。どうだった」
夢見はベッドに腰を下ろしたまま、疲れきった様子で真弓の顔を見つめた。
「……あの、とても歯がたちませんでした。残念です。
その、昏睡状態の人の心にアクセスするのもはじめて。
いえやはり精神は、この真弓さんの脳の中にはないんです。この人の脳を通じてタケミカヅチにアクセスしようとしたけど、そんなことはとても無理でした」
「……仕方ない。どうしたものか」
ほとんどからになった水差しを持ったまま、
暗い空間の中に、各種インディケーターだけが終末期の星々のように、頼りなく輝いている。そして男が一人、ヴァーチャルマイクにむかって低くややかすれた声で話している。
「そのとおりです、ミスター・ホールドマン。一切の準備は整っています」
志向性のスピーカーはこのクー・デタの黒幕の耳だけにホールドマンの声を届けていた。
たとえ隣に誰かがいても、なにも聞こえないはずだった。しかし今はこの狭い空間には彼一人である。
「統合国防電子脳は味方につけましたが、残念ながら国家電子脳ブラフマン三世は不可解な妨害によってコントロールできませんでした。
いえご心配なく。天津風は吾らの同志が占拠しています。人質も多数おり、統合自衛部隊ジャストには手出しではません。
試作春雷は準備完了、いつでも発射できます。タケミカヅチは友軍機を攻撃しません。
そしてステルス性が高く運動性能もいい春雷は、ほぼ迎撃不可能です。特に我が国以外の防空システムではね………。
来るべき世界新秩序に、わが国も対応しなくては。あまり時間がないことは百も承知しています。是非挙国一致の協力内閣を作ります。
そして高度国防防災国家を作り、非効率的な資源浪費をただちに是正しなくてはなりません。まずは腐った官僚制の一大改革から。
……そうです。そして来るべき世界の大変革に、資源再分配と計画的利用、人口の徹底調整に備えます。勝利は目前です」
勝利を確約して通信を終えた。しかし「パトロン」には言い切ったものの、実際は不安だった。
作戦の最も重要な目標だった、国家脳ブラフマンに侵入できないのは痛手だ。なにやら不可解な「イメージ」に妨害されている、と言う。
「精神派コントロールを妨害するには、より強い『意志』によるしかない。
そんな芸当が出来るとすれば………あの田巻か」
情報統監部付情報参謀・田巻己士郎三等佐官。上田国防大臣を後ろ盾とする、評判のよくない人物である。陰険な策士、不可解な謀略家と言われている。
そして彼こそは統合自衛部隊で、特殊超常能力の研究を推進している張本人だった。
なにやら特殊な研究のために膨大な予算を要求し、密かにPSN特殊部隊を作り上げているとも言われている。
しかしその実体は、厚い機密の壁のむこうにある。
「あの田巻が例の特殊部隊を使って妨害しているなら、奴が変革の癌か。
別所くんたちを失ったのも奴が遠因。このまま生かしておいては………」
暗がりの中で統合警務隊副総監、洲到止すどおし勝人一佐は少し血走った目で、平面モニターに浮かび上がった田巻のプロフィールを見つめた。
「う、上田じゃが……」
新宿区市ヶ谷台にある新古典帝冠様式の豪壮な国防省の地下、堅牢なシェルターにつつまれた市ヶ谷国家永久要塞のほぼ中央には、戦時最高司令室がある。 すでに隣接する軍令本部地下第三層の戦時中央作戦発令所と合体し、最高指揮所を形成していた。
さらに危機が高まると、地下第四層へと最高指揮所自体が「退避」することも出来る。
巨大な平面モニターが壁面をおおい、その前にはやや傾斜のついた仮想立体地形図が横たわっている。
巨大なモニターを見上げるよう、雛壇状に管制デスクが並ぶ。
むかしのロケット発射管制室を、もっと未来的に複雑にしたデザインだった。その最上段は、上田や軍令本部総長の特別席である。
国防大臣で与党連合の調整役、現在の白瀬長期政権の実質的黒子である上田哲哉は、いつもの古風なダブルに赤い蝶ネクタイと言ういでたちで、特別椅子に沈んでいた。
目の前には小型平面モニターがある。そこに見覚えのある顔が浮かんでいる。
「中央高等研究所の黒井です。先生、お久しぶりですな」
「黒井君か、やっとかめ。また恐がい、たわけたことをしでかしてくれたなや。
たいがいにしなかんよ」
「まだしでかしていません。そして幸いにも犠牲者は出ていない」
「日本海は大騒ぎだがね。鹿島一尉もいっしょきゃあも」
上田はもと、名古屋の高校教師だった。地元の有力議員の急死に伴い、様々な複雑な経緯で、地元の代議員に担ぎ上げられた。その勝利は、有力相手候補の選挙違反の賜物だった。
「ええ。支援航空戦に長けたマル特戦の勇士達もね。
低木の上や高層ビルをぬって飛ぶベテランたちも、コントロール・コクーンの中で我々の会話を聞いています。血気盛んで勇気ある、そして誰よりも祖国を愛し祖国のために戦った志士がね」
「それでわが国の国有財産である天津風と試作春雷乙型をのっとって、おみゃあさんら、なにをする気かね」
「ことと場合によっては、わが国を手荒に目覚めさせるしかないでしょうね」
「な、なんじゃと。また戯けたことを、とろくせゃあ!」
上田の両脇に座る服部軍令本部総長と石動情報統監は、顔を見合わせた。
この部分に近づく権利もない田巻は、雛壇下の隅に立って、目の前のモニターを見つめている。
「我々は上田先生を敵に回したくない。亡き本間閣下の盟友であられた先生にこそ、覚醒していただきたいのです。
与党の共闘を達成した『微笑みの寝技師』に、この国を変えていただきたい」
「だからおみゃぁさんたちの要求は、なんだね。ちゃっと言ってちょうせんか」
「白瀬首相の引退と、後継首班に国民同盟の大島総裁の指名」
「お、大島じゃと! あんな過激な老人では、政友党もわしの改進党も大反発するがや」
「そこで上田先生の出番です。先生が二大与党をまとめ、国民同盟との共同戦線、いや大同団結をはかっていただく。
ちょうど内閣戦時指揮所と軍令本部発令所が合体したように。衆議院で三分の二を獲得し憲法を停止、官民一体の挙国救国内閣を作って頂きたい」
「第二次大戦の大政翼賛会、いやドイツの全権委任法、ナチスじゃにゃあか。
そんな非民主主義的なことができるもんか。たわけたこと言うとったら、あかんがや! とろくせゃあ」
「ともかく、是非身命をとして挙国一致内閣を作っていただきたい。さもないと来るべき世界的な、人類史を塗り替える大変革にわが国に耐えられない」
「なるほどな」
石動が、いつもの冷静さの中に確かな怒りをこめて言った。
「東光寺一佐や東亜黎明協会の主張どおり。ついにキバをむいたか」
「な、なんのことかね」
「世界資源再分配。科学技術の先進国独占。そして人口の徹底淘汰。
発足してまもない国際連邦インターナショナル・コモンウエルスの主張にまっこうから反対する、一部先進国の黒幕たちが主張する世界新秩序です。かつての世界賢人会議ワイズを継いだ。
確か……トリニタースとか言ったかな。それにわが国も加担しようと言うわけかしら」
「さすがは石動統監。よくご存知で。賢人会議ワイズの強化再建版ですよ。
上田先生。我々は私利私欲のために決起したのではない。そして同志は我々だけではないのです。中には先生のよく知っている方々もいますよ。かなりの大物です。
東黎協会は弾圧で崩壊したが、同志は何百人もいます。いづれも各界に多大な影響力を与える、選ばれた志士たち。そして確実にこの国を変えつつある憂国の士です」
「そんな有司専制みたいなまね、わしには出来んがや。誰かほかのやつに頼め」
「春雷の発射準備は完了していますよ。命令すれば、三機発射完了まで二分」
「ど、どこを狙うつもりだ!」
「最後の一機は永田町へ、一機は我が国と対立しているアジア某国の原子炉につっこむでしょう。
そして最初の一機は……御想像におまかせしましょう」
「な……」
上田は思わずたちあがった。細い目を見開き、鼻の下の八の字髭を震わせている。石動はあいかわらず冷静で、モニターに映る顔を観測していた。田巻だけは不思議と、そののっぺりした顔にうっすらと笑みすら浮かべていた。
我が国情報機関の枢機、石動麗奈は指揮椅子の左肘掛に取り付けられた小さなモニターに映るのっぺりとした顔を、やや緊張した顔で見つめていた。
「……事後承認だがいいだろう。衛戍病院へは何分でつく?」
「あと十五分もかかりまへん。緊急時市外地飛行許可をただちにおねがいします。衛戍病院周辺は住宅が多いので、何かと許可がややこしゅうて」
「わかった。しかし東部衛戍病院との連絡がつきにくいと言うのは、PSNの影響かな」
田巻は通信装置に大きな声でしゃべっている。低騒音ヘリとことなり、この国産ティルト・ローター機「あまこまⅡ型」はやや大きな音がする。最新のダクテッドファン機「Ⅱ型改」が調達出来なかった。
しかし堅牢でメンテナンスもしやすく、ジャストで最も多用されている。
なにより、レシプロ輸送機なみの速度が運用に便利だった。田巻は統監命令と言うことで、市ヶ谷に待機している「あまこま」に大至急、離陸準備をさせたのである。
「PSNだけではないでしょう。勝手につこたのも問題ですが。
衛戍病院地下には二年前の『弓五号』実験の被験者が、まだ入院しています」
御剣真弓の件は、来島から簡単に報告されていた。また腹心の加川二佐次長が直ちに調べ、それが国家最高機密であることをつきとめていた。
封印されていた実験ファイルも、関わった小林医務一佐が快く提出してくれていた。彼女がコピーを所持していること自体、違法だったが。
「…
「天津風は、どないな状況でしょう」
「膠着、いえ時間かせぎかな。
上田大臣が白瀬首相や党三役を説得する時間が欲しいと、引き伸ばししている。まあ一時間か二時間はかせげるけど、それ以上の引き伸ばしは無理よ」
「一二時間……時間ないなあ。
小松あたりに足の速いVTOL輸送機用意してくれまへんか。挺進隊が収容できるやつ」
「……司令部低空偵察機なら、なんとかなるわ。爆撃機よりは足が速いな」
「それで、天津風はまだ公海上でがんばってはるわけですか」
「いまだ危険な大陸に近く、国際航路を扼する厄介な場所ね。考えたものだわ」
「あの子ぉらの持つPSNしか、もう対抗手段はない。是非御許可を!
現場指揮権は参謀にはないので、来島君に許可をおねがいします」
「判りました、手続きはこちらでやろう。
それでどうするの。コクーンのベテラン兵たちの心に介入するのかな」
「黒井副部長の気持ちをなえさせる方法もあります。ともかくPSNは究極の平和維持手段ですから。飛んでくる核ミサイルを墜落させることも、自爆させることも可能ですわ。
……発射直前に爆発させるのもね」
田巻が本音を漏らしたことに、石動は少し驚いた。
「なるほど、君の考えそうなことね。それで周辺国の秘密ミサイル基地を探らせてたのかな」
「それはまあ……」
「そして君の原案では、『しなとべ』計画で完全精神制御する水中発射無人特攻機に、小型フロギストン爆弾を搭載するんだったね。無人核カミカゼか」
「あの、それはあくまで最後の計画と言うか、第二次案です。『しなとべ』の目的はあくまで敵基地の無力化です。
そんな物騒なんは、まあ可能性だけ考えとけばええ」
「そう、まあいいわ。ともかく今は、虎の子のスガル挺進隊に頼むしかないのは確かね。上田先生には出来るだけ時間を稼いでもらう」
かくて田巻だけを乗せたティルト・ローター輸送機「あまこまⅡ型」は西へと急ぐ。
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