第八動

 軍令本部総長服部最高将帥も、出張地から特別機で急遽戻りつつあった。

 上田国防大臣はすでに市ヶ谷地下の国防省シェルターにはいっている。永久要塞地下に隣接していた。

 哲人貴公子こと白瀬靖首相にも内々で、事件がおきているらしいことは伝えた。

 研究開発本部中央高等研究所は、横須賀にある。木々にかこまれて目立たないように立っている。統合艦隊最高司令部も近い。

 民間にも研究施設の一部を開放しており、別所や黒井副部長などの過激な人士がいなくなれば、いたって穏当な研究機関だった。

 夢見と小夜など四人は市ヶ谷で低音ヘリ「あまこま改」にのりかえ、この研究所にむかっている。遅いが秘匿性が高い。

 すでに市ヶ谷から命令がきて、天津風の経緯を知らされていた。コクーン搬入などを行ったのはたしかにこの研究所である。しかし統合軍令本部の命令書に従ったまでだった。

 それも黒井たちが巧妙に偽造したものらしい。役所では今もハンコと署名が重要視される。

 研究所もなんとかして作戦域を急遽変更した「天津風」に連絡をとるが、実験中無線封止で連絡してこない。

 そしてステルス性の高い「天津風」を発見するのは、かなり困難だった。ただ水中発射機「春雷」の射出時にはかなりの音がする。

 また射出直前、タケミカヅチと艦電子中枢との通信の為に小さなブイを海面にだす。野球ボールほどの目立たない物体だが、それを衛星から見つけ出す方法もあった。しかし水中発射無人攻撃機春雷を射出されれば、おしまいだった。

 すでに水中発射ロケット機「春雷」は発射位置についている。国産の優秀な機種だった。

 精神派コントローラーボックス「コクーン」三基に、さまざまな調整と心理統制を受けた歴戦の勇士で不平をもつ憂国の志士、榛名元一等曹長、那須予備役准尉、千賀一等曹長が待機している。三人ともさわやかな興奮に包まれていた。

 鹿島は黒井に、国家脳ブラフマンとの接触を諦めるようすすめたが、黒井はまだ拘っていた。

「友軍どうしの相打ちは避けたい。

 ジャスト全軍はタケミカヅチが制御しているが、総長命令でタケミカヅチが閉鎖されたら、自動的にブラフマンが国防方面も担当する。そうなると厄介だ」

 鹿島は強硬だった。

「タケミカヅチやブラフマンに頼らずとも、艦の主電子中枢だけで春雷は発射できます。発射してしまえば、あとは歴戦の勇士がコントロールする。

 電波さえとどけぱ、もうコンピューターなんかは不要です。

 人間の精神が、ステルス機を誘導する。コンピューターいらずのカミカゼ特攻機。それが田巻の『しなとべ計画』のはずでしょう」

「……またあの幽霊に妨害されなければいいが」

 言った黒井は、ふと二年ほど前のある実験を思い出した。

「若い女……………か」


 横須賀の海を見下ろす高台に、木々に包み込まれるように目立たない低層のビルが建っている。看板には国防省施設局資材試験場となっている。

 大神おおみわ夢身と斑鳩小夜は、やや旧式の低騒音ヘリでその屋上に着陸した。建物の地下部が中央高等研究所の特別実験施設である。

 施設には石動を通じて服部総長からの命令が入っていた。しかし警備兵達はまだ事情を知らされていない。突然屋上にヘリが舞い降りたのである。

 あわてて突撃銃を手にした警備兵が二人、まだローターの回っている「あまこま改」へかけつけた。

 小さなダブル・ローター・ヘリから降りた一般勤務服姿の夢見は、少し怖い表情で右手をつきだした。まるで見えない空気にぶつかったかの用に、二人の武装兵はその場でとまった。

 目を見開いている。作戦命令を受けない、私的なPSNの利用には違いない。

「その、ごめん……時間がないの。地下へ案内して」

 茫然とする二人は踵をかえし、頼りない足取りでエレベーター塔へと戻りだした。夢見と小夜が続く。

 地下二階の実験部へ到着すると、将校と科学者数人が神妙に待っていた。服部からの直接命令にやや怯えている。理由は聞けないが、服従するしかない。

 スガルの二戦士は、地下の奥にある厳重に守られた実験部に案内された。比較的明るい空間の中に、あの銀色に輝く大きな繭が鎮座している。

 夢見は左手首のユニ・コムで、市ヶ谷で待機している来島に連絡した。

「発見しました。今から入ります」

 実験関係者たちは、まず身体測定と脳波などの検査、予備的な精神統制訓練が必要だと言っていたが当然無視した。

 小夜は実験コントロール部にはいって、実験室の画像やデータを市ヶ谷地下第三層の情報統監部特別情報作戦発令所に転送した。緊急時はここから指揮する。

 発令所の大きなモニター前には石動や第十一課長の富野先任三佐、来島隊長と真由良、そして少し忌々しげな田巻己士郎三佐が集まっている。

「こちら用意できました。夢見が入ります」

 強いPSNを持つ夢見に、端末もコードも不要だった。顔の部分が透明になったコクーンが閉じられる。耳のあたりに係員の声がひびく。

「でははじめます。気を楽にして、心拍数が高いです」

 夢見の心に、暖かいものがわきあがる。小夜だった。

 実験コントロール部から心に語りかけている。言葉としてはなかなか判らないが、気持ちは伝わる。落ち着けと言っているのだ。

「………ありがとう。まかせて」

 夢見は目を閉じて、ゆっくりと呼吸しはじめた。なるべくなにも考えないようにして、額の中央に意識を集中させる。

 呼吸がまとまってくると、閉じた視界に緑色の靄のようなものが広がっていく。小夜は夢見が「入りつつあること」を感じ取り、傍らの白衣を着た実験主任に頼んだ。

「今よ、タケミカヅチに接続して!」

 研究主任は仮想キーボードを操作して、言われるままに接続した。夢見は自分の肉体から感覚が失われていくのを感じていた。そして視界には、緑の靄をつきぬけるようにして、凝縮された銀河のような光の渦がせまってくる。

 意識が光の渦に飲み込まれるのは、ちょっとした恍惚だった。はじめての体験に少し怯えつつも、夢見は身をまかせようとする。

 そのときである。光の渦の中心から輝くなにかが現れだした。それはたちまち、人の上半身を形作る。

 なにも着ていない。怒っているわけではなさそうだが、険しい表情である。なにかを訴えかけているが、声はきこえない。

 そしてはじめて見るはずのその女性に、確かに見覚えがあった。いや、誰かに似ている。

「………真姫?」

 思わず夢見がそう呟いたとき、女性のイメージがはじけた。

「キャッ!」

 夢見は小さく悲鳴をあげると目をあけてしまった。小さな警報がいくつもなる。心臓が高鳴り、肺に大量の空気が流れ込む。夢見はコクーンの中で激しく咳き込んだ。

「大変、コクーンをあけて!」

 小夜は実験室にとびこんだ。そして咳き込む夢見を抱きおこし、顔を自分の豊かな胸に押し付けるようにして、抱きしめた。

「落ち着いて。わたしがいる」


「そうです。あの……御剣生徒に似た女性のイメージが、妨害しました。

 例の幽霊を、わたしも見たんです」

 落ち着いた夢見は、中空に浮かぶ仮想モニター画面にそう報告する。

 市ヶ谷地下第三層発令署の田巻は、唖然として呟いた。

「まさか……あの真弓か?」

 来島がふりむく。いつも厳しい表情だが、今はやや怒気をはらんでいる。

「ご存知なんですか」

 いつも沈着冷静な石動将帥も、ふりかえって小心な策士を見つめる。

「……田巻くん。なにかを知っているね。

 貴君はスガル挺進隊結成前、たしか『弓五号計画』に多少かかわっていたと聞いた。行方不明の別所二佐などもいっしょに」

 横須賀地下の夢見たちも、仮想画面を通じて田巻に注目している。

 小心な小悪党は、自分が不利になるとたちまち弱気になる。みんなに見つめられて、丸い顔を赤くしていく。特に夢見と小夜の視線が突き刺さる。

「ま……真弓。御剣真弓。そう、それがあの子の姉さんの名前やった。ええ、関わってました。

 当時確か、二等曹長やったはずです。僕が最初に見つけた、わが国初の本格的PSN保持者でした。

 その母親はなんか自衛隊時代に、特殊超常能力の実験にかかわってたらしい。

 その時のことは、僕かてよう知らんのです。ほんまに」

 二年ほど前、まだ一等尉官昇進直前だった田巻は、上田の後押しもあって『弓四号基礎計』」に参加した。ほどなく五号に受け継がれる。夢見は統合術科学校初年生徒だった。

 リーダーは黒井工学・理学博士。そして当時の別所技術三佐にくわえ、その後初代第十一課長となる小林御光二等佐官も加わっていた。

 当時から精神派コントロール兵器の研究はさかんで、その一環として、田巻が提出していたPSN兵力開発案が浮上したのだった。

 そもそも田巻は統合自衛部隊設立前、当時の防衛省にPSNの本格的研究と、その軍事応用を求める論文をだしたのである。懸賞金が目当てだったが、異端の思想が認められた。

 そして現在の小夜を上回る能力の、御剣二等曹長が初期型コクーンの被験者となった。

「言うたように僕は最初、当時の防衛省関係のグラフ広報誌『バトルステーション』つうの出してる雑誌社の関西支社におった。

 まあ、上田先生のコネやけど、給料安かったな……。学校での専門が進化心理学だっただったんやけど、個人的に所謂超心理学言うのに興味持っててな。なんかのついでに、当時の言葉で言うESPの本格研究が必要や、言う論文出した。

 当時の防衛省が公募したヤツに。その関係で、三自衛隊統合のドサクサに、統合自衛官になれた。なんぼ上田先生のオシや言うても、なんの能力も取柄もないモン、雇えんやろ」

 謀略参謀は、二年前の実験について、語りだした。


 その問題の二等曹長は、銀色の宇宙服のような実験着をきて実験台に横たわっている。

 眉毛より上は歪な甲のような測定器具で覆われ、手や胸にはさまざまな観測装置が取り付けられている。

 一応ハンサムだが陰気そうな痩せた人物が、大型モニターに張り付いている。

「……すばらしい」

 薄くらがりの中、研究開発本部の別所技術三佐はうっとりとした声で言った。

「ここまで能力があるとは。これだとどんな兵器でも強力に遠隔操作できる。

 いや、兵器そのものに意思を移植できるかも知れない」

 いつもは妖しい笑みで色気をふりまいている小林御光おみつ二佐が、珍しく真顔になった。

「別所三佐。少し休ませてはどうかしら。こう次々と色んな兵器で仮想シミュレーションさせたんじゃ、彼女の身がもたないわよ」

「素晴らしい……こんな力が実在するとは。この神秘の力を制御できたら……」

 田巻二尉は、真弓の美しい顔がゆがんでいるのに気付いた。

「ち、ちょっと小林二佐殿、その、エラい苦しんではりまっせ」

「いけない! 自律防衛反応が出ている」

 小林は手持ちのタブレット型端末をいじった。

「別所三佐っ!」

「電圧を下げました。現在新データを蓄積中。終わり次第実験中止します」

「そんなこと言っていると……」

 被験者が小さく叫んだかも知れない。

 次の瞬間、天井のほうでなにかがはじけた。

「なんや?」

 田巻が見上げると、輝いていた「星たち」が次々と小爆発していく。そして小さな輝く龍のごとく、小さな稲妻が飛びまわりはじめた。

「大変、電源切ってっ!」

 別所工学博士はやっとデータ更新を終え、電源をきった。しかし異変はおさまらない。

「なんや、どないなっとんのやっ!」

 各種計器は火花を散らし、飛び回る小さな龍はますます増えていく。各種ランプは次々とふきとび、発光ダイオードが溶けていく。スパークが火をよび、警報が鳴り響いた。

 被験者は意識を失ったまま、固定された実験台の上で身もだえしている。

「あ、あかん。エラい苦しんではる」

「電源落として、なにしてるの!」

「き、切ってます。でもかってに電力が流れ込んでる」

 小林は実験台に飛びついた。被験者の頭を覆う複雑な兜のような機器に手を触れると、たちまち手がスパークしてはじきとばされる。

 小林御光は白衣を脱いだ。下は黒く小さな下着だけである。田巻は凍りつく。

 その白衣を丸めて絶縁体として、ヘルメット状の観測機器を剥ぎ取った。

「あああああああ!」

 被験者二等曹長は目を見開き絶叫したが、ほどなくまた気を失ってしまう。同時に、実験ドーム内のパニックも急に終わりをつげた。

 あちこちで火花がとび、小さな火災もおこっている。白煙がただよう中、職員が消化器をもってかけこんできた。自動消火装置が作動しないのだ。半裸の美女が鋭く叫ぶ。

「はやく御剣二曹を! 医療班急いでっ!」

 研究開発本部の別所三佐は脂汗をかきつつ、その場に座り込んでしまった。

 二等尉官田巻己士郎も腰がふけたようになっていた。一人、医学博士号を持つ小林が、被験者の瞳孔や脈を確認していた。


「あの……そのあと、お姉さんはどうなったのですか」

 人見知りのなかなかなおらない夢見だが、この謀略参謀には噛み付くことは出来る。

「知らん。技術開発本部のほうで身柄引き受けた。あとは例によって一切隠蔽。

 まあ気になって調べたけど、意識回復せえへんまま、保護されてる言う話や」

「どこにです。その真弓さんは今どこに」

「…………多分あそこや。箱根の東部衛えいじゅ戍病院の特別病棟」


 実験艦天津風は、奇妙な電文を受信していた。「ハナサク。ハナサク」

 その電文は主任通信士官遠井二尉によって、艦長ではなく黒井工学博士たちのいる艦内特殊実験室に届けられた。

 鹿島一尉は静かに微笑む。

「いよいよ作戦決行ですな。一佐も苛ついているようです」

 やや肥えた遠井主任も言う。

「なんとか下士官を買収していますが、艦隊本部からの通信がないことを、そろそろ艦長たちがいぶかしみだしています。もう時間がない」

「………救国作戦決行しかないな。

 よし、遠井たちは発令所を見張れ。ブラフマンは諦める」

「わたしは榛名たちに伝えます」

 同じ頃、通信部の奇妙な動きを乗艦している警務隊下士官が、密かに艦長伊地知二佐に伝えていた。

「遠井はかねて、思想的にやや問題がある過激派だと注意を受けていたが」

 豪胆な艦長は部下を疑うのが嫌だった。

「通信士の山名二曹も女性関係が派手で、かつかなりの借金を背負っています」

 警務下士官の心配はただちに現実のものとなった。

 航海長があわてて報告する。

「機関停止、行き足とまります!」

 艦長はそんな命令を下していない。ここは変更された実験海域ですらない。

「誰が停止させた!」

「タ、タケミカヅチが本艦の戦闘電脳に直接命令しています」

「なんだとっ!」

 その時、発令室に爆音が響きわたった。艦体中央部でなにかが爆発し、自動的に防火隔壁が次々としまっていく。豪胆な艦長もあわてた。

「なにが起きているんだ。機関部、応答しろ」

 艦後方にいる機関部員四人は、遠井二尉の撃ちこんだ麻酔弾によって沈黙していた。全長二百メートルの潜水空母「天津風」は、特殊実験と言うこともあって通常より少ない人数で操艦していた。

 いまはコクーンの中でトランス状態になっている那須予備役准尉が、タケミカヅチのコアを通じて、艦に停止を命令していた。

 黒井はコクーンの中を覗き込む。

「まだあの女のイメージには妨害されていないな。しかし時間がない、

 こちらからの精神の送信を、衛星などがキャッチしたろう」

「かまいません。こちらには人質がいる」

 鹿島は文庫本程度の端末を見せた。「天津風」の見取り図があらわれる。発令所は完全に封鎖され、機関部は無力化していた。

 交替要員の居住区も閉鎖、通信情報室は味方だった。

「少人数で巨艦を動かしていた悲劇だな。さすがにクーデターは想定していなかったか」


 「天津風」の実験室から国防中央電子中枢を操作したことで、沖縄のはるか北方の公海上にいる実験潜水空母の位地がかった。

 しかし時すでに遅し、軍令本部はタケミカヅチへの不正アクセスを遮断したものの、実験潜水空母への連絡はまったくとれない。ト靴緊急コードも拒否されている。軍令本部総長はただちに「天津風」包囲を下命した。

 その頃、夢見たちスガル挺進隊の四人は石動情報統監部長の許可を得て低騒音ヘリの上にいた。今度の操縦は小夜である。

 多少荒っぽい操縦で、後部にいた真由良も夢見も少し酔っていた。副操縦席の来島が、携帯端末を見つめて表情を固くする。

「……第二種極秘警戒命令が出ている。なにか大変なことが起こっているな」

「第二種! 戻って待機しますか」

「いい。このまま西へ」

 と言いながらふりむいた。すこし青ざめた夢見の顔がそこにあった。

「まだ帰還命令はでていない。総ての責任はわたしがとる。今は三号生徒のお姉さんを探し出すだけだ。

 いいな大神二曹、いざとなったら、もてる力を発揮しろ」

「!……かしこまりました」


 深度百メートルほどで停止している「天津風」は、無人偵察機や有人哨戒機、そして高速舟艇などに包囲されつつあった。公海と言っても大陸が近い。

 長い混乱がようやく収まってはいるが、まだ火種はくすぶり続けている。こんなところで騒動がおきれば、世界平和に影響を及ぼす。

「いよいよだな、一尉」

「いよいよです、先生」

 黒井は戦場で傷ついた榛名元一等曹長、いちど目覚めた那須予備役准尉、そしていつも血気さかんな千賀一等曹長一人一人と握手した。鹿島が続く。

「同志諸君。最終作戦だ。今度は半覚醒状態にする。わたしの声が耳元で聞こえるはずだ」

 黒井はマル特戦勇士の首筋に、圧縮注射をしていった。

「遠井二尉、一佐に対して通信。吾ら今より攻撃す」

 この間、艦のコントロールは失われたままである。

 後部攻撃システム部も士官下士官ともに眠らせされている。機関部、発令所に医療部、食堂まで閉鎖されていた。

 完全なる無血叛乱であり、特殊実験要員として乗り込んでいる鹿島正輝、黒井宗義博士とマル特戦兵士に加え通信情報士官なども関わっている。

 メインコントロールを占拠され、発令所からは通信もできなかった。

 伊地知艦長は、なんとか外部と通信をとりたい。かろうじてまだ作動しているソナーに耳をそばだてていた水測長が言った。

「艦長、周囲にスクリュー音多数。また水中ジェットの音も」

「……友軍に包囲されたか。

 よし副長、防火ケースからハンマーを取り出し、緊急脱出口から上へあがれ。最上部についたらインカムで連絡」

「はい。でもハンマーとは」

「モールス信号は一通りならったな。

 艦体をハンマーで叩いて、信号をおくるんだ」


 かつての東京二十三区にほぼ相当する首都特別区は、一応いつもの活気ある日常を展開している。

 ただ政府直隷永田町界隈と市ヶ谷台周辺を、静かな緊張が支配し続けている。

 白瀬首相はことさら平然と、予定のスケジュールをこなしている。首相官邸も連続震災後の復興計画で大幅に改造された。

 地上三階の日本風味を加えた優雅な建物は耐爆構造で、地下は四階まである。

 地下通路は市ヶ谷台にも、「秘密の場所」にもつながっている。いざとなればマスコミ等にかぎつけられず、どこへでも行けた。

 いっぽう市ヶ谷国防省地下指揮所では、上田国防大臣と服部軍令本部総長などが、日本海での異常事態を見守っていた。

 いまだクー・デタ派との連絡はとれない。なんの要求もしてこないし、呼びかけには応じない。

 旧・東黎とうれい協会残党や本間会周辺の人物の動向把握は、本人の強い希望で統合警務隊総監部の副総監洲到止一等佐官が行っている。

 服部に対する直近の報告では、特に残党や本間会側に動きはないと言う。

 また天津風乗艦前、黒井たちは自分たちの事務所の書類とデータ一切を、処分していた。死を覚悟しているらしい。

「ここは彼らの要求をじっくりと待つしかないでしょう」

 統合警務隊副総監はそう意見具申した。


 そのころ、天津風副長が大きなハンマーを叩いておくったモールス信号で、艦内の様子はおよそ判ってきた。

 軍令本部が推測したとおりの事態が進展しつつある。

 包囲部隊は各種通信その他で、なんとか叛乱側と接触をこころみるが、黒井たちはなんの応答もしない。

 しかし包囲している小型潜水艦や水上艦艇から、恐るべき報告が届いていた。

 水中発射実験機「春雷」の発射ベイに、注水がはじまったと言うのだ。これは水中発射機の発射準備を意味する。

 報告を受けた市ヶ谷地下は大騒ぎとなった。

 このとき、全情報を把握する責任者たる情報統監石動麗奈は、情報司令室を次長の加川美麗に任せ、第十一課長を連れて同じ地下第三層にある中央緊急最高作戦司令部へ徒歩でむかっていた。

 そこは核爆発にも耐えうる特殊シェルター内にある。

 ホールにつくと、やや気落ちした田巻が待っていた。

「あの……スガル部隊の動向や用兵について熟知しておりますので、その、本職も同行させていただけないでしょうか」

「しなとべ計画の発案者は貴公だったね。よろしい、来たまえ、パトロン先生もお待ちだ」

 富野三佐はあいかわらず無表情だ。しかしその視線には静かな怒りがこめられていた。


 富士山のふもと、海の見える高台にたつ東部衛戍病院は平穏だった。ただコンピューター系統に不可解な障害がでていて、職員はあわてていた。

 そこへ突如、情報統監命令で情報課員がなにかの査察に訪れると言う。旧式低騒音ヘリとは言えそれなりの音はする。それが別館の屋上に着陸した。

 出迎えた職員もいったいなにが起きているのか判らない。来島は、特別病室で二年間入院している患者があるはずだとつめよる。

「情報統監部長の命令書です。面会させて下さい」

「……確かに。しかし、我々にも初耳です」

 夢見は来島に囁いた。

「当惑しています。本当に知らないようですよ」

 来島は、昨年赴任してきたばかりの院長、医務一佐に詰め寄った。

「そ、そう言えば申し送り事項として、旧館特別室の例の女性について、ともかくケアだけして一切詮索するなと言うのがあったな。

 とても政治的に微妙とかで、委細は超極秘とか」

「!是非、ご案内ください」

 院長も事情は知らされていなかった。ともかくスガル挺身部隊の四人は職員の案内で、北側の旧館地下の厳重統制集中治療室へむかうことになった。

 本館のロビーを通って北へとむかう途中、突如夢見が立ち止まった。

 小夜が驚く。

「どうしたの?」

「……この感覚」

 突如夢見は、足早に本館正面のロビーへとむかう。真由良も少し感じ、小走りにあとを追う。

「大神二曹、どうした。そっちになにが……」

 来島たちも追い始めた。小夜たちは夢見の焦りと驚愕を感じ取る。

 案内の院長一佐は、その場で呆然と立ち尽くしていた。

 階段を上がり、この時間は閑散としている広いロビーに飛び込んだ夢見は、大きな案内モニターの前に佇む小柄な影を見つけた。

 カーキ色の陸戦制服に身を包み、略帽をかぶっている。

 肩に統合幼年術科学校の徽章をつけた上級兵卒も、なにか「意志」を感じてふりむいた。

 そこに、夢見たちスガル部隊の余人が、驚いたまま並んでいたのである。

「あ……あの……隊長」

 御剣真姫は踵をあわせて、敬礼した。

「御剣上級兵卒。江田島へ戻ったのではなかったのか」

 来島に続いて、夢見たちも一応答礼した。

「出頭日は週明けです。なんか……ここに来いって呼ばれた気がして。誰かに、その……。

 戻る前に、横須賀の統合国防大学を見学させてもらおうと、新東京駅に行ったのですか、気が付くと自然に箱根行きの急行にのってしまったんです。

 そしてふらふらと、ここまで」

「夢見、あなたが呼んだの?」

 と小夜が聞いた。夢見は大きく首を横にふる。

「いえあの……。多分彼女をここへ呼び寄せたのは………お姉さんかも」

 御剣真姫は目を見開いた。小夜も真由良も隊長も、静かに驚いていた。



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