第五動

 紺碧の空と、どこまでも続く青い海原の境目は、不明瞭だった。ただ照りつける南国の太陽がくだける波頭を光の破片にかえているあたりが、そうであるらしい。

 かもめも飛んでいないこの暖かな海の一角から、突如黒く巨大なブーメランが飛び出した。

 それはロケットブースターの勢いで上昇しつつ、エアインテイクを開く。そしてロケットの個体燃料が尽きる直前、エンジンがうなりをあげた。こうして日本で「春雷」と名づけられた水空両用機は、青空の中に昇天していく。

「春雷、高度二千で水平飛行にうつる。ロケットブースター着脱」

 深い海の底に潜む実験用潜水艦の発令室に、冷静な声が響く。発令室の声は、潜水艦後部にある実験室にも伝わる。

 恰幅のいい科学者は衛星から移した「春雷」の飛行する様子をモニター画面で見つめ、満足そうに頷く。外国企業から高い額で設計を買ったかいがあった。

「あとはこれをコクーンから操れば、計画は完了だな」

 黒井工学博士。白瀬首相の科学顧問も務める世界的科学者だった。後でモニターを見つめていた三人のうち、一人が一歩前へ出た。

「すぐにでもやらせてください。もうシミュレーターなんかいらない。

 実証実験にはいれば、あんなおかしなことはおきない」

那須祐一予備役准尉は言う。しかし榛名康彦元一等曹長と千賀佐和久一等曹長は顔を見合わせる。

 黒井工学博士は、ふりむいた。工学・理学博士で新制統合国防大学校教授も兼任している。

「あの方は、すぐにでも君たちによるコントロール訓練をはじめろとおっしゃる。

しかしシミュレーターの時のような……」

「あの幽霊はコンピューターのバグです。

 いや、誰かが妨害してあんなものをプログラムしたんですよ」

「あの『たけみかづち』にか? 不可能だし、いったい誰が」

 血の気の多い千賀一曹も言う。

「あんな騒動になるまで、シミュレーションはうまく行ってたんです。

 いきなり本番だって大丈夫です」

「……そこまで言うなら、なんとかしてみよう。別所君を失った今、精神派コントロールの開発は主導権を田巻たちに握られている。

 こちらの予算が取り上げられないうちにな」

 

この日の午前、統監直率武装機動特務挺進隊、通称スガル部隊の四人は、第十一課長の富野三佐とともに統監執務室に出頭していた。

 元航空自衛隊のアイドル・パイロットだった石動麗奈将帥はすでに五十である。 しかしいつまでも若々しく、体力知力とも衰えない。白髪もまったくない。夢見は密かに憧れていた。その石動は珍しく言いにくそうに声を落として話す。

「総合国防第二次五ヶ年計画については諸君も知っているね」

 世情、とくに政治に疎い夢見は、入隊以来テレビもあまり見なくなった。

 計画については田巻などから聞いていた。通称フラックトゥルムと呼ばれる統合防空可動堡塁と、海上機動要塞を基幹とする、日本ハリネズミ化計画らしい。

 第一次計画は統自発足直後、五か年計画としてはじまった。

「これは佐官以上の極秘事項だが、君達の力を必要とされるときのために、特例で説明しておく。無論他言無用だ」

 東南海・東海連続地震の復興のため、日本は海外資産の多くを引き上げた。また国土の大半を準戒厳状態におき、在外日本人は祖国復旧の為に日本に戻ってきた。

 当時、中東と東欧、アジアと南米で各種の非対称戦争、宗教戦争などが続発していた。そこへ日本資金の枯渇が火をつけ、世界的な経済混乱に陥った。

 数年後、世界の三分の一の地域が戦火に包まれた。世界中で十億近い難民が出、七十億を超えていた世界人口も、六十億代にまで減ってしまった。

 その間、先進国の一国として我が国にも戦災地への援助、平和強制軍への参加、難民保護などがしきりに求められたが、震災復興と憲法を盾に、世界の悲劇から距離を置き続けた。

 地球的規模での混乱と争乱をしり目に、なんとか突貫で復興を遂げたわが国は、「総合国防第一次五か年計画」、即ち全土の防災化要塞化をすすめるにいたる。

 「たてなみ」計画はその第一次五か年計画の一部で、ある。

「あの、真姫……御剣上卒が大変な目にあったのは、『しなとべ』と言う開発計画と説明されましたが。その、それも一貫なのですか」

「知っての通り甲号シナトベは、田巻君が一応発案者になった、無人邀撃機計画だ。統監部は協力している。

 春雷と言う水中発射ジェット機が開発されつつある。クライネキーファー重工のフリューゲルロスのロケットブースターを、応用したものよ。

 それの完全自動コントロール化はすでに技術があるけど、例の弓七号の精神波遠隔コントロールシステムを融合することで、一種の無人カミカゼ攻撃機にしようとしているんだ」

「カミカゼ?」

 夢見も習ったことがあった。帝国海軍の神風特別攻撃隊である。太平洋戦争中、海軍だけで千三百機近い特攻機が出撃した。その九割が、敵に突入して果てた。

「ロボット化兵器は各種開発され、実用化されている。しかし予想外のことが連続する戦場では、やはり人間の判断力にはおいついていない。

 思考と言うことが不可能なコンピューターは、大量のマニュアルにそった行動しか取れない。だから精神波遠隔操作がいるの。たんなる遠隔コントロールではとっさの反応がどうしても遅れる。

 まるで操縦者がその場にいるような臨場感が必要とされるようよ」

 来島挺進隊長もまた、石動を深く敬愛していた。

「山陰電子と言う会社が、概念思考可能に新型電子脳を開発したと聞きましたが」

「まだ実用段階ではないし、実用化されてもかなり高額なものになるでしょう。

 やはり人間の脳に匹敵する装置は、まだ先の話よ。人口知能に、思考は無理よ」

「つまり御剣上級兵卒は、無人カミカゼの実証実験に協力しているわけですか」

「そのとおりよ、二曹。残念ながら計画への協力が、御剣生徒をこちらで預かる条件、または目的なんだ」


 四人は石動の通常執務室から退出した。御剣真姫は同じ能力を持つものとして、夢見を頼っているらしい。夢見はそのことを確かに感じている。

「いろいろ気をつかっていただいて、ありがとうございます」

 真姫は夢見たちに敬礼した。夢見達も答礼する。

「でも新しい国防計画に参加し、役立てるのは大変光栄です」

 真姫はこの日、市ヶ谷本棟にある会議室で一人、大型スクリーンにむかって授業をうけることになっていた。

 まだ幼年術科学校を卒業していない、上級兵卒とは言え法的には未成年である。

 特に課業のない夢見は、珍しく小夜をお茶に誘った。彼女から人を誘うことはあまりない。

「珍しいけど、あの子のことね」

 市ヶ谷にある国家中央永久要塞中央棟の上層階にある将校専用の喫茶室に、まだ下士官ながら二人は特別待遇で出入りが許されている。

 ここから眺める行政首都は、整然としている。大地震以降町並みはきれいになったが、人々の生活観が希薄になった。懐かしい下町、江戸の風情などはほぼ残っていない。

「心配性の夢見でなくても、みんな不安におもってるわ」

 例によって小夜は、コーヒーではなく甘いケーキとジュースを頼む。元々胸や腰に脂肪がつきすぎているが、訓練にあけくれたおかげで多少は身がしまってきた。

「あの……真姫、少し怯えてます。あとお姉さんに会ったとか言うのも、少し気になります」

「そう言えば、歴戦の猛者たちも、女の幽霊見たとかなんとか」

「そのイメージが、真姫には所在の判らないお姉さんに見えたんでしょうか。ともかくちょっと、実験がその…性急で強引すぎますよ。いつものことながら」

「スガル部隊の有力候補と言うことで未成年を引き抜いて、過酷で危険な実験をさせてるってことは、教育総監部ても問題になってるってさ。

 そらそうよ。江田島術科学校だって可愛くて優秀な生徒抜かれて、黙ってない。

 教育総監部の知ることになって、問題化しかけてる」

「そうですか。あの子にとばっちりがいかないといいけど。

 その……実験やるならやって、早く暖かい江田島に帰してあげたいな」

「田巻のやつが中々手放さない。美少女には目がないしね。でも統合警務隊から児童福祉法違反との疑いがもたれそうみたいだし、教育総監部も少し慌てだしているみたい。それでもやっこさんが平気なのは、例によって後ろ盾が『微笑みの寝業師』だからよ」

「……上田国防大臣。私たちにも恩人です。三佐のお父様の代からのご縁とか」

「いざとなったら夢見、禁じ手つかってみる?」

「……精神操作だけは、その」

「冗談よ。あいつ単純だから、問題化しかけたらあわててあの子を戻すわよ」

「だといいんですけど」


 実験潜水空母「天津風あまつかぜ」の改良が終わり、神戸の河原重工ドックから深夜密かに出航、浮上したまま紀淡海峡を通過、夜明け前には潜水して太平洋の試験海域へと目指した。

 ついに水中発射攻撃機「春雷」のシステムが完成したのだ。発射実験が終われば神戸に引き返す、短い試験航海だった。

 この朝、市ヶ谷の情報統監部へ上番した情報参謀田巻己士郎三佐は、技術開発本部からの電子報告書を見て、喜んだ。

「これで『しなとべ』完成まであと一歩。可愛い真姫ちゃんにはもう少しがんばってもらいます。あの子の昇進にも影響します」

 と上機嫌である。統監である石動に、自慢げに報告した。

「……中央高等研究所がおとなしくしていると良いけどね」

「あいつらは親玉の別所二佐うしのうて、手も足もでません。それにマル特戦の猛者クレは何や知らんおかしな幻覚に妨害されて、まともにコントロールも出来んかった。

 やっぱり普通のモンの精神波より、PSNのほうが有利です。電波はどうしても遮蔽物とか霍乱なんかに弱い。

 仕組みのようわかってないPSNは妨害不可能ですよ」

 と細い目をさらに細めた。


 黒井宗義は三十代半ばで工学、理学の博士号をもち、横須賀にある統合国防大学の正教授を務めている。数か月前まで「統合防衛大学校」と称したが、教育改革で新制大学の一校となった。

 中央高等研究所員兼務だが、そのやや過激な発言でときおりマスコミをにぎわせる。少し厳ついが知的エリートらしい顔立ちは、女性士官にも好評だった。

 独身を貫く彼は都心に近いショッピングモールの片隅にあるカフェで、英字紙を片手にカウンターに座っていた。

 ほどなく電話がかかってきた。耳にはイアーフォンがはめられている。黒井は周辺に誰もいないことを確認し、左手の中指にはめて指輪に小声で話しかけた。

「……これで東亜黎明協会の残党はいなくなりました。頼みは本間会のほうですが、東光寺予備一佐まで消えるとは。本当に処置なしですね。

 いえ、今のところわたしに尾行などはついていない。御安心を。しかし一佐、なぜ迎えのプレジャーボートが行かなかったのかは、判りましたか」

 相手は低い男性の声だった。スクランブラーのせいで、いささか声が変わっている。

「三人は着陸ギアのメンテナンスハッチから、計画通り海へ降下した。

 プレジャーボートはその位地を正確につかんでいた。しかし現地警察に通報があったそうだ。そのボートが覚醒剤を密輸している、とな。

 出航直前に臨検を受けた。出航は大幅に遅れ、三人は潮に流されたようだ」

「……何者がそんな真似を。情報統監部か警察か」

「今は判らないし、もういい。

 それよりもこれも未確認情報だが、東光寺だけは助かったかも知れない」

「情報の確度は」

「調査中だ。彼の身柄を拘束しているのは……」

 黒井教授の顔が、強張って行く。

「一佐、今夜ホールドマンともう一度会います。そして別所くんたちを失っても、計画は続行すると伝えます。そうです。

 来たるべき波乱と浄化の時代に備えて、日本を高度国防国家、国家総動員計画経済国家へ密かに転換する。それが生き残りの唯一の道です。

 ご安心ください、やつらの目論見などお見通しですよ。

 かえってわが国が主導権を握ってやります」


「ち、中止ですか? そんなアホな!」

 この日、市ヶ谷永久要塞中央棟地下第一層にある情報統監部に呼び出された情報参謀田巻三佐は、いつにない石動将帥の強張った表情を驚いて見つめた。

「……統合軍令本部の命令です。君には気の毒だと思う。しかし教育総監部からの強い申し出もあって、御剣上級兵卒の身柄は、いったん技術開発本部で預かることになった。

 手続きが完了しだい、江田島に戻すそうです」

「し、しかし彼女はこっちでの実験終えたら、実地訓練と正式の上級兵卒任務はスガル部隊のほうで。彼女もそれを望んでますし……」

「田巻三佐、フリューゲルロスを改良した春雷試作機に、搭載可能な小型フロギストン爆弾開発依頼を、技術開発本部に打診したそうだね。非公式に」

「………あ、あの、単にそう言うの依頼するにはどう言う手続きとったらいいか、つうことを聞いただけで、あくまでも可能性として、その」

「君はわたしに説明したね。しなとべは無人特攻機、友軍に人的被害を出さずに敵の根拠地の主要施設を破壊できると。

 しかし小型化したフロギストン爆雷を搭載すれば、都市を丸ごと消せる。それをコントロールするのはあるいはベテランパテロット。歴戦の勇士たち。

 迎撃不可能な低空を飛び、迎撃ミサイルを撃ち落しつつすすむ。そして確実に目標へ。それが『甲号しなとべ』計画の正体だね」

「……ゆ、有力な戦略的反撃手段を持たないわが国の……その」

 田巻は顔を赤くし、額に汗を浮かべる。

「地球の裏側でもとどくPSNによる精神遠隔コントロールの、フロギストン無人特攻機。

 迎撃は不可能。そんなものが完成すれば世界の軍事バランスはどうなるの」

「と、統合防衛計画はまさに国家百年の……。

 南米やアフリカでは飢饉と暴動が続いてますし……東南アジアや中国奥地、中東や東欧では戦火が絶えないのです。世界の三分の一の地域で、大小様々な紛争が続いてます。毎日何万人もが戦火に倒れとります。

 また船出して間もない国際連邦の、行きすぎた機会均等主義に怒った先進各国は密かに同盟を作り、世界の資源と食糧の独占をはかってると言われてます。

 壊滅した東黎とうれい協会は……そんな連中とその。混乱の時代、日本の生き抜くすべは一種の鎖国なのか……」

 小心者は顔を真っ赤にし、額に汗の玉をいくつも浮かび上がらせた。

「もういい。命令は以上だ。前にも警告したわね、君の偉大な庇護者に頼り過ぎるな、と。

 これ以上なにか策謀すると、わたしは君を庇えない。そうそう、統合警務隊から君に関する問い合わせが来ているわ。特に中央部から」

「け、警務隊?」

「君は非公開機関たる第十課を勝手に動かし、東光寺一佐や別所技術二佐の動向を探らせたね。君の『しなとべ』を奪おうとしている連中への対抗措置かな。

 その過程で、小笠原列島父島で元クライネキーファー商会極東支社にいた人物との極秘会合があるらしいとつかんだ。そうだね。

 貴公はそのことを、あるルートで地域警察に通報した。のぞましからざる人物が父島の基地近くに潜入しているとかなんとか。覚醒剤取引までほのめかして」

「は、はい。それもその……つまり……」

「ご苦労。もどっていい」

 石動は冷ややかに敬礼した。田巻も小さく答礼した。


 田巻が項垂れ。とぼとぼと中央エレベーターへとむかうと、夢見と出会ってしまった。夢見は驚いた。いつもの田巻ではない。

 いつもなら細い目をことさら細め「おやユメミン、せっかくベッピンさんなんやから、おどおどしなや」などと言って来る。

 夢見は略帽のまま挙手の敬礼をした。田巻も力なく答礼する。

「……なあユメミン。僕はあの子に、そないにひどいことしたんか」

 夢見もこの田巻によって能力を見出され、無理矢理開花されていた。そして去年術科学校を出たばかりの二等曹長ながら、将校待遇以上の生活ができている。

「あの……やっぱりその、性急すぎます。いつものことですけど、せっかちな。

 それにまだあの子は、その……子供ですしその」

「……低開発国や紛争地域ではな、十二三の子供でも立派な労働力、そして時には捨て殺しの特攻兵士やし。

 知ってるやろ? ひどい話や。子供守んのが国家最大の義務やのに。

 子供が大切にされるの、先進国だけでの話や。しかもここ二世紀ほどでな」

 リフトが到着して、開いた。田巻はとぼとぼと乗り込んだが、夢見は敬礼もせず見送ってしまった。田巻はなにも言わなかった。 


 その旧式多目的レシプロ輸送機「うみねこ」は、ヤシマ重工が作った名機とされている。夜の海上を南へむかって飛んでいる。台風の中でもとべるほど頑丈だった。

 乗客は、臨時出張命令書を偽造した東光寺正光予備役一佐、別所弘樹技術二等佐官、そして山崎智樹三佐である。

 厚木基地からは、何度か問い合わせがきていた。しかし買収されていた不良操縦士は無線をきっていた。正式のフライトプランは提出していない。

 予定コースをとり、予定の時間になるとさらに高度をさげ、かつ速度を落として着陸ギアを三脚、出した。

「準備完了」

 パイロットはそう言いつつ、完全自動操縦装置にきりかえた。

 別所たちは防水カバンに書類などをいれ、かつ防水防寒パイロットスーツに救命胴衣と言ういでたちで、輸送機下の格納庫にはいっていく。そしてメンテナンスハッチを開けた。

 強烈な夜風が吹き込む。潮の香りが肺腑に満ちる。

「ではよろしく頼む」

 まず予備役にされた東光寺が、十数メートル下の暗い海面に飛び降りた。つづいて別所技師、そして若く血気盛んな山崎だった。

 やがて不良パイロットは、メンテナンスハッチを閉じた。

 飛行中にドアをあければ、その記録が残る。格納庫のメンテナンスハッチがあけられることはまずなかった。警報装置は切ってある。

 四十代の素行不良操縦士は床下の狭い格納庫から出て、キャビンを通って操縦席に戻った。自分も救命胴衣をきこむと、オートパイロットの設定をかえた。

 このままでは、三十分後に父島の空港に着陸する。しかしその手前で自動的に高度をさげ、五分ほどで海面につっこむようにセットしなくてはならない。

 そしてパイロット自身も、着陸ギアの格納部から海へ落ちる。父島からはむかえの船が来てくれるはずだ。いまどきのプレジャーボートと聞いている。

 三人とパイロットを乗せたはずのベテラン機「うみねこ」は海面に衝突、爆発して海の藻屑。四人は死んだことになる。

 パイロットも大金を得て、まったくあたらしい人生をやりなおすはずだった。

 だが運命の女神は時に意地が悪い。操縦席に座ってオートコントローラーの設定をかえようとしたとたん、胸に鋭い痛みが走った。

「ま、まただ!」

 不摂生の上に大酒のみ、加えて緊張とストレスである。持病が悪化した。

「くそっ! こんなときに」

 顔がゆがみ、脂汗が噴出す。

「……うう」

 パイロットは顔面蒼白になり、そのまま前につっぷした。彼の弱り切った心臓が停止するのは数分後である。自暴自棄な不摂生と医者嫌いの、当然の結果が待っていた。

 そして「うみねこ」は、オートパイロット装置に従って、低い高度で着陸態勢をとっていく。

 その頃、夜の海に浮かびつつ、東光寺は何度も小さなライトを振り回していた。しかし近くに来ているはずの迎えのボートは、いっこうに現れない。

 今夜はよそうより波が高く風も強い。なにか予定が狂ったらしい。しかしどうしようもない。

 いっしょに降下した二人の行方も、判らない。無線は使えなかった。使えばせっかくの工作が発覚してしまう。

 どこで手違いがあったのか。豪胆な彼も不安が高まる。

 防水スーツといえども、長く海水につかっていると確実に体温を奪われる。鍛え上げた東光寺とは言え、海は得意ではない。

 陸戦士官ゆえ、海上でのサバイバル術も知らない。

「おかしい。むかえはどうした」

 迎えのボートだけではなかった。そろそろ南の方で、うみねこの爆発が起きるはずだ。それすら見えない。なにかがおかしくなっている。

 東光寺一佐は寒さのなかで潮を浴びつつ、待つしかなかった。


「あの東光寺が、生きとった……?」

 翌日また統監部にとぼとぼと出てきた田巻は、石動のいっそう深刻な表情に驚いた。説明したのは次長兼第七課長の加川美麗二等佐官だった。

「東光寺一佐は、救命胴衣をつけて父島北方数十キロの海上で、海洋牧場の自動パトロール船に救出されたの。でも気絶していた。

 人事不詳のまま病院へ。あとの二人は、いまだ行方不明よ」

 現在は箱根の東部衛戍病院で回復し、警務隊の尋問を受けていると言う。

「輸送機から失踪した件は、やっぱりなにかのトリックだったみたいだね。

 同志を二人も失った一佐は、さすがに気落ちしている」

「ことがことだけに警務隊だけでは手におえないそうです。わが情報統監部も、尋問をお手伝いすることになりました。七課も協力します」

「……あの、その。これユメミンの口癖やったな」

「田巻三佐。別所技術二佐たちの失踪、いえ死亡には君も責任があるね」

「は……はああの」

「東光寺はもう死を覚悟しているそうよ。警務隊が常時見張ってはいますが。

 命令です。貴公はスガル部隊とともに箱根の東部衛戍病院へ行き、心理探査を行ってください」

「はあ……」

「これは貴公の名誉挽回のチャンスでもある。

 ぜひいったいなにごとが起こっているのか、調べてきてください」

 田巻は弱々しげに敬礼した。


 来島は四輪小型偵察車の後部座席で憮然として、正面の田巻をにらみつける。

 青みがかったグレーの軍令本部勤務服姿の田巻は、気落ちしつつも皮肉そうな微笑で、来島と夢見を交互に見る。

 来島の猛禽類の様な眼には、謀略参謀もたじろぐ。

「まあそないな顔しぃなって。こっちかて混乱しとんのや。実際、将帥にエラい絞られた。それでも君らと『しなとべ』を取り巻く陰謀の一端がわかるやろ」

「お言葉ですが」

 来島が低い声で言う。スガル部隊の中でも、最も田巻を警戒していた。

「我が特務部隊が『たてなみ』計画その他に関わったのは、御剣上級兵卒の件のみです。総て田巻三佐を通じてです。

 東光寺一佐のことなど、それまでほとんど知らなかった」

「……国防の世界も政治とは無縁ではいられん。いやクラウゼヴィッツの言うように戦争は政治の延長や。僕に言わせると、国家のダーウィン適応行為の、重要な集団行動やけどな」

「……戦争が、適応行動なのですか?」

「そや。戦争が政治の延長、一形態なんやない。政治こそが、戦争の一種かもしれん。武力を使わない戦争が、政治や外交やな。

 それはともかく、平時の国防の基本は、まず予算の分捕りやな。『たてなみ』はともかく、弓七号の予算はおたくらスガルの研究費とかなり競合する。

 それでなくても秘密すぎて、なにやってんのか判らん第十一課予算。おりにふれ存在をアピールしとかな。

 もっともごくごく内輪でな。さもないとまた下らん課長を押し付けられる」

 姑息な小心者ゆえ、その細かい「裏芸」に来島たちもしばし助けられていた。

「国民の広い支持なんて、十課と十一課エルフィンについては期待も出来ひん。 それどころが御存じのように、マスコミにも国会にも絶対極秘や。大戦中の兵務局分室以上の秘密組織や」

「それは十分心得ておりますが……」

「まあ、たてなみと君らは無関係。存在しない部隊が、極秘計画と関われるはずもない。けれどもまあ……君らは組織上、統監直率の特殊部隊や。石動はんの顔もたてとき」

 運転は小夜、助手席に真由良が座る。小夜は田巻と向かい合わせに座り、視線で全身を嘗め回されるのが嫌で、運転手をかってでた。田巻は特にこの小夜が気になっている。

 夢見はあいかわらず、視線を避けつつ問う。

「あの、心理尋問って。東光寺予備一佐の意識に入り込んで、白状させるなんて真似は。相手の考えに同調は出来ても。それも非常に強い感情しか」

 田巻は細い目で、夢見の顔を見つめた。夢見は少し下をむく。

「……よりにもよって、あの箱根の衛戍病院か。

 ユメミンは、例の猛者クレたちが見た言う幽霊は、知らんのやな」

「あの、直接、あの人たちの猛々しい精神にアクセスしたことはありませんし」

「マヒメが見た姉さんちゅうのが、気になる」

「御剣上級兵卒はどうしています」

 来島が少し怒りを込めてきいた。田巻の動揺は、夢見が感じ取っていた。

 許可なく他人の心理を読み取ることと厳禁されている。しかしどうしても伝わってくる。

「一応江田島に戻ることは決まったけど、それまでにどうしてもう一度実験に協力したい言うてな。

 ほんまのことや。なんや姉さんに会えるとかなんとか妙なこと言うてはるわ」

 夢見は少し視線をそらして、田巻の顎のあたりを見て言った。

「あの、三佐殿」

「殿はいらんて水臭い。なんやユメミン」

 その言い方はいやだったが、最近は我慢している。小夜たちに呼ばれると、嬉しいが。

「その……御剣生徒の消息不明のお姉さんについて、なにかご存知ではありませんか」

 小心だが、嘘が下手な情報参謀だった。本音がすぐ顔と態度に出てしまう。

「し、知らんなあ。そんな」

 別にPSNがなくても田巻の動揺はわかった。

「もし知っていたとしても、言えるわけないやろ。ともかくお仕事お仕事」



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