第二動

 大神おおみわ夢見二等曹長はいつになく緊張していた。青みがかったグレーの制服につば付き略帽をかぶった一般勤務服で待っていると、田巻がむこうからニヤつきつつ近づいて来た。

 このずんぐりとした丸顔の男は、今時珍しく度の強いめがねをかけている。

 夢見は思わず視線をそらす。田巻は彼女の能力を見出した人物だが、統合自衛部隊では一番苦手だった。

「またそんな顔して、上官来たら敬礼やろ。

 まあええわ。今日は非番やな。部隊長さんには許可とってる」

 と地下へと案内する。特殊超常能力の専門実験施設である。

「怪しいところへ連れ込むわけやない。君も知ってるパンドラが、改装終えた」

「本当にあの……橋元先生も来られるんでしょうね」

「ああ。新入りさんの健康診断したはる」

 二人は地下へ通じる特別エレベーターにむかった。ゆっくりと降りつつ、各種スキャンで本人かどうかを確認される。

「新入りって、その……吾がスガル挺進隊のですか」

「まあその候補のつもりで目ぇつけて、いろいろやってたんやけどな。

 まずは僕の関わってる計画で、試して見ることにした。情報統監部暫定所属、研究開発本部中央高等研究所へ一時出向言うかたちで。

 身分的にはまだ幼年術科学校生徒、上級兵卒やし」

「計画……弓七号とか言うあれですか。確か斑鳩一曹が」

「軍機やけど、よう知ってんな。いや僕のは弓七号やない。私的に協力してくれる君にだけは話すけど、アルカーナ・マーキシマ級の厳秘作戦や。

 『甲号しなとべ』、言うんやし」

「しなとべ?」

「リフト降りたら口にすなや。ちなみに『しなとべ』」は風の神さんや」

 リフトは地下第三層についた。ホールには銃を手にした兵士が立っている。ここで指紋と角紋のチェックと身分証紹介を行い、ハッチのむこうに通される。

「具体的にはある種の遠隔コントロール装置の実験に、協力してもらう。

 ホンマは世界最高のPSN能力者である君なんかのご協力を得たいんやけど、例によってお役所の縦割りと縄張りあらそいであかんかった。

 石動はん説得する自信ないし」

「新入りさんが実験に協力するとして、あの、わたしはなにを」

「超心理的サポート。もっと言うと暴走阻止。相手は自分にそんな力あることを最近気付いたばかりで、碌な自律制御も精神修練もしてへん。だから君にやな」

 夢見は立ち止まった。整った美しい顔立ちが、曇る。

「あの…そんな子をいきなりなにかの実験に使うなんて、その、ひどすぎます」

 いつも不可解な笑みをうかべた男が、細い目に怒りをこめて見つめる。

 夢見は、このずんぐりとした男よりわずかに背が低い程度で、女性にしては高身長である。

「こっちの将来かかってるねんで。酷いもクソもあるか。

 家庭の事情で姉妹そろって無料の幼年術科学校。けど姉さんは前に事故で、今も長期入院中。家庭支えるために真姫まひめかて、はよ昇進したいんや」

「マヒメさんって……言うんですか」

 二人は廊下の奥にある、大金庫のようなハッチの前に立った。再び本人確認があり、「金庫室」の中へとはいっていく。地下三階より下は、巨大な核シェルターになっていた。


 夢見の能力を「開花」させた実験室、通称パンドラは新しくなっている。旧知のずんぐりとした佐官相当橋元医務正がやってきた。栗毛色に染めた髪を、短く切りそろえている。

 肥満童顔で、下手をすると十代に見られる。しかし軍医としては優秀だった。

「これはセンセ、真姫ちゃんの具合はどないです」

「言われたとおり、装置との同調試験もやりました。でもいきなりってのは、ちょっと」

 強化ガラスの巨大な窓の中は、暗い。そこに大きな繭のようなものが置かれている。夢見はその中から、恐れと期待を感じ取った。

「これ、なんの実験なんです」

「だから、無人装置の遠隔操作実験。PSNつこて意思を飛ばすんやがな」

「あの…そんなことしなくても、遠隔制御システムもロボット兵器も発達しているでしょう」

「遠くからコントロールしてたら、細かい操作ができひん。言ってみれば、無人兵器に人間の意思を移植するわけやね。人口知能より進んでるで。こっちにいて兵器を操作してたんでは、緊急対応ができへん。

 はやりのロボット兵器かてそうや。プログラム通りには動くけど、臨機応変言うのが苦手や。まあ山陰電子とかで人間に近い新ニューロ電脳開発してるらしいけど、実用化はいつになるか判らへんからな」

 夢見と橋元は少し得意そうな田巻に連れられて、実験室の観測管制ルームに入った。大きな窓の他に各種モニターがおかれ、他の実験班員も待機している。

「あの繭みたいなヤツが、コントローラーや。

 あんなかに入ると一種のトランス状態になる。睡眠誘導装置の応用でな。けど意識は覚醒しとって、たとえば歩行装置『きさんと』や、小型偵察機なんかに飛ばすことが出来るわけや。

 あたかもそれに乗ってるように、自由自在にあやつれるわけやね」

 モニターの一つに、愛らしい顔が写っている。「繭」の中らしい。頭に電極バンドをまき、頬や顎にも電極をつけられている。

 目は輝いているが、微妙に揺れている。夢見はかつての自分を思い出した。

「おびえている。この子が」

「そや。御剣みつるぎ真姫まひめ上級兵卒。君らのお仲間や。特殊超常能力PSNは測定の結果、小夜リンより高い。まあユメミンほどやないけど」

「でも、別にPSNでなくてもその……普通の人がやれば」

「それは別の連中が開発しとる。年取ったりケガして戦場出られんようになったベテラン兵士の戦技をやな、兵器に応用するわけや。

 むかしは廃兵とか酷い言われ方した、戦士らをな。行く行くは戦場で、兵士が死なんでええようになる。

 ただしや、近場で戦うんやったらええけど、離れたところやと多少のタイムラグと、あと電波妨害なんかもある。

 海の底、地球の裏側でもとどくPSNが一番確実や」

「遠くって、あの……どれぐらい遠くのところを想定してるんですか」

「さあ。それこそ国家機密、アルカーナ・マークシマや」

 田巻は目を細めて、モニターにうつる真姫の幼い顔を見つめた。

「お嬢ちゃん準備ええか。なぁんも怖いことあらへん。電気が消えたら目ぇつぶり。耳のなかでジーつう音が聞こえてくるから、それに集中してたら眠うなる。

 あとは、耳元の指示に従い」

「は、はい」

「よし、実験開始や。ゆっくり呼吸し」

 夢見は、田巻の隣の特別席に腰をおろした。背もたれはたかく、その両側から志向性スピーカーが出ている。また両側の肘掛には小型モニターがついていた。

 真姫の目を閉じた表情が映る。小顔である。

「さ、シミュレーションの内容は教えられへんけど、あの子の心に触れることは出来るやろ。なんかおびえてるみたいやから、安心させたって」

 勝手なことを言う。しかし夢見は目を閉じて、ゆっくりと呼吸する。呼吸が少しづつ長くなっていくと、意識が心の底に沈みだす。

「聞こえないでしょうけど、感じて。わたしがいることを」

 特殊超常能力PSN。その研究は二十世紀末、各国で密かにはじまっていた。いまやわが国が世界的にこの分野では突出している、と言われている。

 しかしその解明はほとんどすすんでいない。四つの力の源であるゲージ粒子になんらかの作用を及ぼすことが判っているが、それが第五の力なのか違うのか、どうやって意思を「送信」することが出来るのか。まだ基礎研究は続いている。

「第一段階。フリューゲルロス操縦に入りました」

 との声が響く。水陸両用の全翼機で、クライネキーファー社が開発したものを日本で改良、ライセンス生産していた。

 そのシミュレーションをやっているらしい。

 夢見はそんな声を聞いていた。そしてなんとか、動揺しないようにがんばっている真姫と言う少女の心に、アクセスしてそれを支えたかった。

 夢見の意識は闇の中にある。感覚はほとんどない。ただ実験班の声が、こだまのように響いている。

「第二段階に入ります」「電力効果に注意」「よっしゃ、これならいける!」「三佐、彼女の脈拍があがってるわ……」

「かまへん。行ってまえ………」

 闇のむこうに緑色の靄がみえてきた。

 淡く輝くその靄が、人の形をとりつつある。

「……あなたが、マヒメさんなの?」

 その人の形は近づきつつ、突如真っ赤になった。

「え? なに……」

 真っ赤になった人物は、両手を広げて立ちはだかる。表情がはっきりとわかった。しかしあのモニターでみた真姫ではない。似ているが違う。

「実験中止してっ!」

 橋元医務正の声で、夢見は目をあけた。意識が「現実」にひきもどされた。あの椅子に深く腰掛けたままだった。

 警報が数種類鳴り響く。田巻が大型の窓に張り付いている。

「なにがおきとるねん! あ、あの時と同じや……」

 窓の中には銀色の大きな「繭」が入っている。周囲には大小の機器が置かれているが、灯りは落とされている。

 そのインディケーターランプなどが、無数のきら星のごとく輝いている。

 それが次々と弾けスパークしだした。田巻はよろめきつつ後退し椅子に座り込んでしまう。

「ま、またか……」

「なにが起きてるんですっ!」

 立ち上がった夢見は、呆然としている田巻に詰め寄る。

「あの、実験を中止してください」

「電力カットっ!、カットや!」

「カットしてますが、電流が勝手に!」

 ハッとした夢見は大きな窓に張り付いた。中では、光るヘビのようなものが飛びまわっている。

 それが次第に増えていく。機器は火花を散らし、煙が立ち昇っている。

「いけない!」

真姫を映し出しているモニターは、とっくに消えていた。

「彼女を助けて!」

 白衣を着た研究員と消化器をもった警備兵が、実験室に通じるエアロックをあけようとした。しかし電気系統が故障して開かない。

 非常用ハッチに職員がとびついた。しかしその金属製のハンドルに触ったとたんに感電してはじかれたように倒れた。

 警報がけたたましくなる中、実験室のスプリンクラーも作動しない。

「誰か、このガラスを撃って!」

 夢見は叫ぶ。

「あかん、防弾特殊ガラスや」

「あの子が危ない。おきて!」

 彼女でも「繭」の中の様子は判らない。

 夢見は斜めになった大きなガラスに両手をついて、項垂れて目をつぶった。ほどなくすると、実験室内の電源ケープルが次々とスパークして、はずれて行く。

 その他さまざまな回線が、焼ききられていく。

 いっぽうコントロールルームでも各種機器が異常数値をしめしていた。橋元医官の持っていた弁当箱大の多目的観測装置も、スパークした。

「な、なにやっとんねん!」

 椅子に沈み込んでいた田巻は、体中になにかがたかるような感覚に悶えくるしむ。夢見の顔が歪む。すると、両手をついたガラスが、掌を中心に蜘蛛の巣状にひび割れていく。同時に、実験室内をとびまわっていた小さな雷が止んだ。

「電流放散停止、緊急電源にきりかえます」

 の声で、田巻も橋元も吾にかえった。

 夢見は目をあけ、茫然とする警備兵が持っていた消化器を奪い、それを皹だらけになった防弾強化ガラスに叩き付けた。

 頑丈なはずのガラスがくだけちって、熱気と煙が噴出す。

「早くあの子を助けて!」


 数分後、ぐったりとした御剣真姫が、橋元医師らによって医療部に運ばれた。 煙を吸っていたが、特に異常はなかった。ただ精神的なショックが多少あった。彼女が無事と聞いて、夢見も橋元の診察を受けることになった。

「ともかくありがとう。あらためて彼女からお礼させるわ」

「あの……いいんですそんなこと。無事でよかった」

「それにしても田巻のヤツ。やはりわたしがとめるべきだったわね。

 上田大臣肝煎りの極秘計画で、服部総長案件だって言うから協力したのに。

 あの石動閣下も一応承認はしていたらしいけど、ここまで先走るとは思ってなかったみたい」

 夢見は圧縮注射を受けた左腕を軽くもんだ。明るい医療部は、全体的に心が落ち着くピンク色で統一されている。

「彼女、どうなります?」

「石動閣下しだいね。一応研究開発本部出向になってるけど、このままだと、また田巻三佐にいいようにされてしまう。教育部か教導団にチクろうかしら」

「わたしも同じでした。突然スカウトされて。でもそのおかげで能力が目覚めちゃった」

「ねえ夢見、あのときあの子の意思に接した? 失敗の原因は恐怖心かな」

「……なにかの意思を感じました。あの……でも彼女のものではなかった」

「え? 他の人の意思?」

「ええ、確かにあれは、あの……似ているけど別人だと思う」

「そのこと、調査部には黙っておいたほうがいい。田巻とその実験については、おたくの怖い部隊長さんと相談して、富野課長に報告するわ。

 御剣上級兵卒についても、これ以上勝手な真似はさせない」

「ええ。おねがいします」


「別に勝手な真似をしているわけではありません。

 実験の詳細についてはおって計画書提出することで、閣下も承知されました」

 新任三等佐官の田巻は直立不動だが、おどおどしていた。統合軍令本部情報統監部付き情報参謀と言う身分である。本部員の兵科色である青みがかったグレーの制服に、銀色の参謀飾緒を吊っている。

 情報統監部長石動将帥は五十になっても若々しい。男性なみに短く刈った髪の下で、大きな目が輝いている。沈着冷静さと的確な指揮ぶりで定評がある。

「わたしの出張を見越して提出しましたね。戻ってきた時には他の書類の下」

「い、いえ、決してそう言う意味では」

「貴公は中央高等研究所と同種の研究を、研究本部からの委託と言う形に無理矢理こぎつけ、我が統監部の特別備品開発業務としてごり押ししようとしている。

 そのための政治的駆け引きと、官庁間の寝技は見事と言うしかないわ。

 でも本来の我々の任務ではないし、やはり絶対極秘のPSN能力者を使うことは危険すぎる。あなたの報告書では、御剣上級兵卒はPSNを有する可能性があるとしかなかった。

 斑鳩一等曹長よりも強いことは、書いてなかった」

「それは、まだ能力が確かめられませんでしたので」

「……あなたは江田島の統合術科学校に通っては、いろいろ画策してましたね。

 それはいい、あなたの役目でもある」

「今回の事故は、まったく予想外でした。PSNの応用開発として、自分の計画しました特殊国防計画案に役立てることで、より予算獲得を有利にしようと考えまして……ある程度成功の目途がつけば、御報告しようと考えていました」

 田巻の後ろには新任の第十一課長の富野勝先任三佐と、特務挺進隊長二等尉官来島郎女、そして第七課長で統監次長兼任の二等佐官加川美麗が並んでいる。

 そして異例ながら、事故の目撃者として二等曹長の大神夢見も入り口付近に立っていた。

「……君の『甲号しなとべ』計画だが。概要をよく読ませてもらったわ」

「か、閣下、この場ではその名前は」

「なるほど、国家最高機密アルカーナ・マークシマ。でも言わせてもらう。

 ちょっと非道過ぎないかしら」

「……わが国防衛のためです。修正憲法下の限られた予算と人員のもと」

「あんな人道に反する計画を統合国防第二次整備五カ年計画の中心にすえるなんて、軍令本部も頭を冷やして欲しいものね。服部さんの意思とも思えない」

「…お言葉ですが、似たような遠隔操作計画は、高等研究所も進めてはります」

「いい録画を見せましょうか」

 石動は左腕にはめた大型の腕時計のような機具「ユニ・コム」にとりつけた、小さなボタンを操作した。壁の一面がスクリーンになり、照明が落ちる。田巻たちはスクリーンを見つめた。

 薄暗い実験室が映し出されている。そこにあの「繭」に似た装置が鎮座している。画面の半分にはその中、各種配線をつながれた、四十ばかりの男の顔が写っている。それがやがて、苦しみだす。

「研究開発本部中央高等研究所のものを入手したわ。意思による遠隔操作で、各種兵器を動かそうとする実験が続いている。

 うちでやっているのと、基本的には同じね」

 画面の人物はついに絶叫しだした。そこで映像は終わっている。

「シミュレーターの人物は千賀ちが佐和久さわひさ一等曹長。

 マル特戦って、知ってるね」

「当然知ってます。各地で実戦経験した猛者です。米海兵隊の特殊チームなんかに入って、大陸奥地や中東、南米やアフリカで戦い抜いてきたベテランや」

「ほかにも榛名康彦元一等曹長や、那須祐一予備役准尉なんかが実験に参加している。そんな歴戦の勇士たちは特にマル特戦と呼ばれている。

 でも中には戦場で傷つき、第一線にたてない人たちもいる。そんな実戦経験者たちの技量を安全に活用するのも、遠隔意思コントロールの目的。

 でも最近、中央高等研究所で今見たような事故がしばしおきているそうよ」

「事故ちゅうか、高等妍で奇妙なトラブルが続発している話は、聞いてました。

 でも原因はいったい。一切不明とか。以前来島君でやった時の精神通信実験とも違うし」

「確かなことは報告してくれない。でも…………少女の幽霊って噂があるの」

「ゆ、幽霊?」

「歴戦の猛者たちが、幽霊を見たと騒いでいるらしい」

 田巻は「信じられない」と言うような顔を見せて、黙ってしまう。


 夢見は要塞地下三階の特殊医務室で、上級兵卒幼年学校一号生徒の寝顔を見つめていた。橋元医師は「眠っているだけだ」と言う。夢見はその小さな額に、そっと手をあててみた。

「たいへんだったね。はやく回復して、わたしたちのところへおいで。

 きっと、守ってあげられる。あなたも自分の能力に気付いてから、悩んだり苦しんだりしたんでしょうねえ。でも仲間が出来ると、きっと乗り越えられるよ」

 夢見のつぶやきに答えたのか、真姫の寝顔はおだやかだった。


 工学博士号を持つ別所技術二佐はこの夕方、久々に箱根の東部衛戍えいじゅ病院を訪れた。

 副所長は同志でもあり、だまって自室へ案内し、壁面のモニター画面に「重要人物」のすがたをうつしだした。

 薄暗く豪華な部屋に、ベッド周囲の壁面は各種機器で埋め尽くされている。

「例の瞼の動きは……」

「不定期です。記録は夜にまとめて転送します」

「夢でも見ているのかな」

「でしょうか。ただその時、病院内のコンピューターに奇妙な障害が発生してるんです」

「彼女のせいか」

「まだ判りません」

 別所は手渡された書類を見つめた。

「それに別所二佐。当衛戍病院の訪問者リストの提出を求められました」

「どこからだ。軍政局か」

「いえ。統合警務隊です。特殊捜査班の田沢法務三尉と言う人物から。

 無論、改竄したさしさわりのないものを出しましたが」

「……噂の田沢か。一佐にも報告すべきだな」

 別所は手元の書類と、壁面のモニター画面を見比べ続けた。


「いろいろ、ご迷惑をおかけしました」

 上級兵卒、御剣真姫は頭を下げた。市ヶ谷国家中央永久要塞中央棟地下第一層、下士官談話室である。通常の統監部もこの階にある。

 窓こそないが間接照明で明るい。下士官談話室と言っても、士官も利用する娯楽室だった。コーヒーメーカーや軽食装置もある。まだ正式赴任前、濃い紺色の詰襟の制服である。小柄だが目は大きくて愛くるしい。

「無事でよかった」

 夢見は心底うれしそうだった。だが大きな目で見つめられると、ついつい視線をそらす癖がまだなおっていない。

「もう退院していいの?」

 小夜も喜んだ。橋元医官のお墨付きをもらったと言う。

「一言お礼をいいたくて」

「あの……まだ三佐の実験、続けるの? あなたはまだ未成年なんだし、自分の意思で拒否できるのよ。わたしの時はその、もう正式任官してだめだったけど」

「ありがとうございます。

 でも国家防衛のための画期的研究に、参加できるのはうれしいんです。

 なにもとりえのなかったわたしにもこんな力があることを発見してくださったのは、田巻三佐殿ですし。ぜひお役にたちたくて」

「……そう。注意してがんばってね」

 夢見は生来の人見知り、いや対人恐怖を克服し、かつ療養生活を送る両親に負担をかけたくなくて江田島の統合術科学校にはいった。自衛隊時代の術科学校と、少年工科学校を合わせた教育機関で、全員寄宿制である。卒業すると一般高等学校卒業資格がもらえる。

 最終学年たる一号生徒の上級兵卒時、浦和で一般勤務をしつつ遠隔授業を受けた。そのころ、かねてPSN保持者の内定を続けていた田巻に、目をつけられたのだった。田巻の無茶で無理に卒業、三曹として正式着任していた。


 午後、部隊長の来島は半ロボット化公用車の運転席に夢見をすわらせ、横須賀にある統合国防大学校を訪ねた。統合国防大学はかつての防衛大学校をそのまま受け継いでいる。旧軍では陸軍士官学校に相当する。

 入学倍率は高く、また卒業までに二割近くが脱落すると言われている。卒業後数年の勤務を経て、二割ほどが統合幹部学校へ進む。

 初代十一課長で医学博士の小林御幸おさち一佐がここの防衛生理学の教授となっていた。

 彼女自身はやはり防衛医大の後継、統合国防医科大学校を最高成績で卒業している。そして若くして医学博士号をとっていた。久しぶりにその小林を訪ねたのである。

「ふふ、かつての部下が訪ねてくれたのは、多分はじめてよ」

「狂い咲きオミツ」はあいかわらず妖艶で、いささか娼婦じみている。かつての大胆な格好もさすがにやめて、白衣の下にはスーツを着ていた。

 しかしあいかわらず香水がきつい。二十五で博士号をとった才媛には見えない。海に面した明るい研究室で、二人は馥郁たる香りのコーヒーをふるまわれている。

「そう、タマタマちゃん、例の『甲号しなとべ』に必死か」

 来島は、自分とはまったく正反対の小林をある意味尊敬していた。聡明なわれに奔放で、我が国政界中枢にも複数、かつての愛人がいるとされている。

「もれ聞く国防整備計画とは、違うのでしょうか」

「まあ同じようなもの、と言えなくもないわ。整備計画『たてなみ』の基幹は、現在各高山で極秘裏に建設されつつある、総合防空要塞。暗号名フラックトゥルムが主体となった、列島要塞化計画みたいなものだって話よ」

 小林教授は細巻きの葉巻をくゆらす。夢見は少し咳き込んだ。フラックトゥルムとは本来、第二次大戦中のドイツで多数建設された、避難所もかねた堅牢な対空砲要塞である。

「フラックトゥルムはちょっと事故もあったけど、今では統合国防自律中枢電子脳『たけみかづち』のコントロールのもと、七つまで予定されていて、二つが完成。最終的には北海道から与那国まで十三其つくって、列島をハリネズミにするらしいわ。

 タマタマちゃんは『たてなみ』に、自分が発案した『しなとべ』をもぐりこませてる。一年前からね。あの謀略家らしく姑息にね。おかげで予算も潤沢。

 ちなみに『甲号しなとべ』って言うのは、開発中の水空両用の特殊機体を使った計画で、風の神様の名前よ」

「あの……たぶんその、精神遠隔操縦実験にたちあいました。しかも、PSNを使っての」

 いつもはうすら笑いをたたえている小林の顔が、真顔になった。

 夢見は実験と事故のことを、「単簡に」話した。

「そう……やつの考えそうなことね。

 元々、ロボット化、AI化兵器とは別に人間の精神で兵器をコントロールする方法を研究していたのは、中央高等研究所よ。たしか弓七号計画って言うの。

 PSNのない、普通の人間の意志でね。以前田巻が、PSNのない来島の黒豹ちゃん使って、精神通信実実験やったじゃない。あれもその一部よ。

 それにPSNを利用することで、『しなとべ』は成り立っていると言うわ。別所二佐たちとは別に予算を獲得出来たのは、どんなウラ技つかったのかしら」

「あの……田巻三佐殿は、確かにわが挺進部隊の発案者ですが、いろいろあって最近は直接関与が少なくなってきています。

 しかしいっぽうで、その、別方面でのPSN活用を計画していたとは」

「小心な謀略参謀らしいわね。せっかく育てた美しき魔女部隊をとりあげられて、焦ってる。自業自得よね。

 わたしを追い出したのもタマタマちゃんの謀略らしいけど、今では若い男に囲まれて満足よ。でも正直あいつにはもう、関わりたくないな」

 別所技術二佐の名前は、夢見も聞いていた。今では事実上崩壊した、「革新的官僚」の憂国結社、東亜黎明協会の重鎮の一人だったと言う。


 命令書はなかった。

 しかし確かに輸送機の飛行計画は提出されている。また三人の将校の身分証、臨時出張命令書は本物らしい。

 基地司令官は市ヶ谷で会議中だった。副司令官三等佐官には知らせる必要もなく、管制主任は三人の将校の搭乗と旧式多目的輸送機「うみねこ」の発進を許可した。

 東光寺正光予備役一佐、別所弘樹技術二等佐官そして山崎三佐は夕闇迫る中、厚木基地を発した。しかし「うみねこ」は進路を南へと転じた。

 飛行プランの変更については問い合わせても返事はない。予定よりもかなり低い高度で、小笠原を目指した。

 小笠原沖の海上機動要塞建設現場へとむかっているようだ。ちょうど内定を続けていた田沢法務三尉が内乱準備の件で東光寺に任意同行を求める書類を入手したのは、「うみねこ」の発進から二時間ほどたった夜だった。

 その頃「うみねこ」は厚木や小笠原の管制センターからの呼び出しには応じず、緊急自動操縦で父島の民間空港に着陸した。

 あわてて空港警備員がかけつけ、コックピットで心臓麻痺をおこしたパイロットを発見したのである。そして厚木で乗り込んだ三人の将校の姿は、どこにもなかった。


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