第一動

 東海・東南海大地震後の大規模震災後復興完了によって、東京永田町特別区は、緑あふれる整然とした街並みが完成されつつあった。

 しかしかつての東京がもっていた郷愁さそう下町や、猥雑で懐かしい歓楽街などはほとんど残っていない。この街を故郷とする人も、半分は戻れなかった。

 夜のとばりが降りても、行政首都のあちこちでは照明が闇を駆逐している。震災前の東京を知る情報統監部情報参謀、田巻己士郎新任三等佐官は不満だった。

 すでにとっくに三等佐官に昇進していいはずだったが、「いろいろな事情」で遅れていた。その不満も最近の昇進決定で、やっと収まった。

 他国では「少佐」である。しかし年齢的には四十前の中年佐官だった。

 彼は市ヶ谷台にある中央永久要塞地下三層、統監部情報作戦指揮所で平面スクリーンを見つめている。季節は秋から冬にかわりつつあった。夏の嫌いな田巻には過ごし易い季節だった。

「東光寺が動いたわ。いよいよ美しき魔女たちの出番ね」

 傍らの第七課長、加川美麗みれい二等佐官は、鍛え上げられた肉体を青みがかった灰色の制服で包み込んでいる。

 一応美人だが、男にはほとんど興味がない。若い頃は諏訪の暴走族の首領だった、と言う噂もあった。田巻はいつも、青みがかった灰色詰襟の軍令本部勤務服に、たいそうな参謀飾緒を吊るしている。

 統合自衛部隊ジャストでは、各兵科によって制服の色がことなっている。陸戦隊は原則カーキ色、航空兵は紺色と薄い青色である。海上勤務者は黒か草色、夏は伝統的な白だった。

「警視庁の警備特殊課も目ぇつけてはる。出し抜かれることはおへんけどな」

 目の前のモニターには、第十一課が管理する機動特務挺進隊長来島くるしま二尉の、美しい野獣を思わせる顔が写っている。画面はやや揺れている。

「東光寺予備一佐の追跡を開始します。ヘリは低音モードで首都第三航空管区に侵入します」

「警視庁への特別申請はOKよ。がんばって」

「まぁ予備役に落とされても厄介なお方やな。東亜黎明協会も壊滅や言うのに」

 東亜黎明れいめい協会、通称東黎とうれいは独特の国家観、文明論と国防論を持つ政治結社だった。

「過激派はなかなか諦めないし、まだまだ過激な連中は多いよ」

「世界平和クラブか。皮肉な名前や。

 先進国だけで資源と資本を山分けしよう言う、とんでもない連中であることぐらい、賢いエリート一佐かて、わかってはるやろうに」

「判っていて利用しようとしているのよ。頭のいい自信家に不可能はないって信じている」


 旧式なヘリコプター「ヤシマあまこま改」に乗っているのが、信じられないほど静かだった。

 二等曹長になっていた大神おおみわ夢見ゆめみは、大きな窓から夜の帝都を眺めた。無数の光が果てしなく広がっている。まさに光の絨毯だった。

「きれい。あの光の一つ一つに、人の生活、営みが関わっているのね」

 副操縦席には一等曹長の斑鳩小夜が乗り、作戦状況図を見つめている。

「隊長、一佐の車が地下道に入ります」

 情報統監直率武装機動特務挺進隊長は、夢見や遊部あそべ真由良まゆら三等曹長とともに、特殊低音ヘリ後部座席から「下界」を眺めていた。

「やはりな。地下だと警視庁警備局の無人偵察機や、観測衛星も追跡できない。

 大神おおみわ二曹、いよいよだよ」

「一佐の追跡は比較的簡単です。どんなに地下深くもぐっても闘志が伝わって来ます」

「第七課情報では、世界平和クラブの代理人トーマス・ホールドマンと落ち合うのは確実らしい。

 当のホールドマンは明日朝帰国する。今夜しか接触のチャンスはないよ。通信が完全に傍受されていることは百も承知だろうしね」

 彼は噂される世界賢人会議ワイズの一人とされる、ノーベル賞科学者の使者らしい。またホールドマンは国際財閥クライネキーファー本家に仕える身である。

 情報統監部は公式には第九課まである。第七課は国内保安担当だった。第十課と第十一課は存在しないことになっている。特に「エルフィン」こと十一課の存在は、国防省でも知る者はごくわずかだった。


 黒い半自動リムジンには、用心棒がわりのいかつい運転手がのっている。

 一般整備道路では無人運転となる。後部にすわる美丈夫は、今時の襟のないスーツ姿だった。

「一佐、まもなく約束の地下駐車場に入ります。手動に切り替えます」

「追跡車輌はどうした」

「うまくまきましたが、この先で待ち構えているでしょう」

 地下道路から側道に入り、ある複合ビルの広い地下駐車場に入った。その様子は、地下道の監視カメラでとらえられていた。ただちに警備局特殊二部の車がビルへとむかった。

 この東光寺の動きを、夢見たちはまだ知らない。しかしリムジンは駐車場を通りぬけ、反対側の出入り口から別の車線に出たのである。

「その、変です。意識が少し遠のいた」

 巨大な複合ビル上空を飛んでいた低騒音ヘリの上で、大神夢見が気付いた。

「あの……斑鳩一曹、引き返してください。一佐は都心に戻りつつあります」

 特殊低音作戦ヘリは大きく旋回しだした。


 反対車線へ出た黒い半ロボット化リムジンとまったく同じナンバーの同じ車種が、地下駐車場を上へとのぼり、地上出入り口から一般国道へと出たのである。

 その車の姿は、道路管理システムを通じて警視庁の警備局特殊二部に送られた。複合ビルにむかっていた覆面追跡車が追いはじめた。

 その情報は密かに、情報統監部に警視庁内のスパイを通じて伝えられた。

 その結果、第七課追跡班三木三尉らは偽装車のほうを追うことになった。だが夢見の乗る半自動低騒音偵察ヘリ「あまこま改」は南へ、新都心へととむかう。

「あの……まちがいありません。首都地下高速七号で南下中です」

 東光寺車は、走行車線から追い越し車線に入った。すると後から、銀色の別の車が走行車線をはしってきて、黒いリムジンに並んだ。

 まったく同じ速度で走る。後からのクラクションなど気にもしない。

 リムジンと併走車の後部扉がスライドした。東光寺はシートベルトをしめた座席ごと、真横にスライドして併走する銀のセダンに乗り込んでしまう。

 支持アームがひっこんでドアが閉まると、黒いリムジンは速度をあげて行く。そして別の路線に乗り換えて去って行ってしまった。

 銀色の半自動セダンに乗り移った東光寺は、シャンパンのグラスを後部座席のコーカソイドから渡された。典型的WASPと言った風貌である。

「……ありがとう、お会いできてよかった」

「カーネルも大変な目にあいましたな」

 五ヶ国語に堪能なホールドマンは、流暢な日本語で答えた。

「時間がないので、結論だけをお話します」


 警視庁警備局の追跡車輌と、統合自衛部隊ジャストの偵察衛星はダミー車を追っていた。

 しかしスガル隊ののる偵察ヘリコプターは、地下道の上を南下していく。大神夢見は、窓からきらびやかな下界を見つめている。

「あの……確かにこの下です。東光寺一佐の強い意志を感じます」

「……どう言うことだ。車を乗り換えたのかな」

 車を乗り換えかえた東光寺は、銀色のクライネキーファー社製セダンの中で、十数分にわたって話し合った。ほどなくセダンは地上部に出てしまう。

 市ヶ谷地下第三層で作戦を指揮していた第七課長は、夢見が指摘した銀色の外国製セダンを追い続けるように命じていた。警視庁とジャスト、「お役所」が協働協力することはない。どこかに電話していた田巻が、戻ってきた。

「加川二佐、まんまとやられたようですな。

 東光寺は今頃あんなかで、危険人物と楽しいお話し中や。どないします」

「接触妨害は失敗したにせよ、なんとか別件での取調べに持ち込めるかもね。

そんなこと、田巻三佐は得意でしょう」

「……事故おこすんですか。半自動車が都心で事故起こすなんて不自然すぎる」

「ともかくホールドマンと言う危険人物と、何かを話し合っている。ロクでもない事を。予備役とは言え危険すぎる要注意人物が。なんとかしなくちゃ」

 銀色のセダンはビジネス街でとまった。そして当の東光寺は車から降りた。その上空を静かにホバリングしている黒っぽい低音ダブル・ローター・ヘリコブターを見上げて、微笑んだ。

 そして地下鉄の駅へと消えて行ったのである。

 その様子は、偵察衛星の画像として市ヶ谷地下にも送られていた。それを見て、元々気の短い加川美麗は悔しがった。かつては諏訪湖畔で「火の玉」と呼ばれていた。

「ちくしょう、こっちの手のうちを読んでやがった」

「どないします。ホールドマンを別件で逮捕させまひょか。裏工作は得意や」

「無駄よ。外交方面から圧力かけてくる。接触阻止、最低でも会話の傍受が目的だった。

 せっかく石動閣下に特務挺進隊貸していただいたけど、作戦はほとんど失敗。

 あとは警察とのせめぎあいね。なるべく相手の顔潰さないで、収めないと」

 警視庁は朝まで黒いリムジンを追い回していた。翌朝、東光寺は警務隊に任意同行を求められたが、拒否した。

 そしてホールドマンは新羽田を飛び立ったのである。


「いろいろご苦労だった。作戦の結果は気にするな。もともときみたちの任務とはかなり性格が違う。

 優秀だが問題の多い東光寺に、これ以上の暴走させないための行動だった」

 新十一課長、富野三等佐官はいつもの端正で無表情な顔で言った。自分を鍛えることには興味があるものの、友もおらず恋をしたこともないらしい。三佐で課長は破格である。通常は二等佐官相当職である。

 しかし夢見たちにとっては頼りがいのある、信頼できる課長だった。情報統監直率武装機動特務挺進隊長来島くるしま郎女いらつめが、一歩前に進み出る。通称は「スガル」と言う。

「これも田巻三佐の進言によるものと、お聞きしましたが」

「まあそうだ。元々は危険な東光寺予備役一佐の動向を、第七課が追っていた。

 警視庁に先にあげられて一般公安事件にされる前に、警務隊でひっぱって阻止しておきたかった。協力は石動閣下の意思でもある。しかしはなから、君たちには不得意な任務だった」

「あの……」

 人見知りと緊張ぐせを直し自立するために統合自衛部隊にはいった夢見は、今も人の目をみつめて話すことがやや苦手である。

「結局一佐はその、なにをしようとしていたんでしょう。

 ホールドマンとはなにを密談していたんでしょう」

「考えられることは資金援助かな。知ってのとおり一佐は、革新派とか正道派と称する過激な連中を束ねていた。それの建て直しのために、資金が要るだろう」

「ホールドマンは、先進国極秘同盟とも言うべき世界的組織の代理人、と説明を受けました」

 先任一等曹長、斑鳩いかるが小夜さよだった。

 やや脂肪のついたおっとりとした人物だが、いざとなると肝がすわっている。

「そんな人物に援助を頼んで、どうするつもりだったんでしょう」

「この国にも、ホールドマンの背後にいる連中の意見に賛同する有力者も少なくない。国際連合にかわって発足した国際連邦インクは、武断的な過度の国際平等主義を主張しはじめている。

 そのことで先進各国は、負担と譲歩を強いられている。わが国でも、国際連邦の歪んだ平等強要に対して怒りが高まりつつあるからな。

 ともかく本作戦は終了。政治的なことは警務隊や軍政局にまかせよう」

 かくてこの日の午後は、いつもの訓練とトレーニングとなった。


 富野よりかなり年上の田巻は、このところ焦っている。確かに念願の佐官になったが、統合防衛大学校出身者ならばもう一佐になっている年齢だった。

 この昼は報告書類に追われている加川第七課長が、将校クラブで田巻に豪華なランチをごちそうしていた。予約すれば個室で特別コースが食べられる。

 田巻は昼間からワイン一杯で顔を赤らめ、機嫌をなおしていた。酒好きだが、弱い。加川美麗は底なしで、来島といい勝負だった。

 筋肉質の「一応美女」だった。

「まあ僕の作った特殊部隊、富野にいいようにされるのも気にくわん。今回のことがうまくいっとったら、僕の立場もずっとよくなったろうに。残念です」

「あまり安易に使わないほうがいいよ。君とのつきあいも長いから言っておいてあげる。

 存在しないはずの第十一課管理の、正体不明で絶対極秘の特殊部隊。そのわりにあなたたちがおおっぴらに特殊作戦に使ってるから、けっこう有名になりつつあるよ」

「ま、いつまでも隠しおおせるもんやないし。マスコミの一部は嗅ぎつけとる。

 それに各国とも、わが国の特殊超常能力研究については、知ってはりますわ。

 アメリカさんは共同研究しよう言うて、うるさいうるさい。でも今は混沌の時代。地道な軍事研究してる余裕なんてあまりおへんわ」

「わが国が世界的疾風怒濤から比較的距離を置いてるからって、好き勝手していると大変な目にあうわよ。修正憲法たてに救援部隊すら出ししぶって、一国平和を貪ってる。

 そうね、特にあの大神二曹。人見知りがやっとなおってきたみたいだけど、精神的にタフとは言えない。そんな人がわが国、いえ世界最大のPSN保持者って、ちょっと危険すぎる」

 SGALとは武装特別任務部隊をあらわす、Special Group of Armed Legionariesの略称だった。正式名称ではない。

 命名は初代小林「狂い咲きおミツ」課長と言う。

 正式には情報統監直率武装機動特務挺進隊。スガル部隊や特務挺進隊などと呼ばれることのほうが多い。しかしその存在を知るものは極めて少ない。

 世界最高の能力者かも知れない大神夢見と、彼女の半分ほどの特殊超常能力PSNを持つ斑鳩小夜先任一等曹長、遊部真由良三等曹長が主力である。

 その世界唯一、そして最強の特殊超常能力部隊は、首都北郊にある特殊錬兵場での訓練を続けている。だが隊長来島郎女は、一応武人的勘の鋭い常人だった。

 地下に作られた町並みは薄暗い。一番視力の衰える薄暮を想定している。斑鳩小夜はPSNこそ夢見の半分程度だが、どんな場面でも落ち着いている。

 走ると大きな胸がゆれ、息切れする。新人である遊部真由良は体格も大きく、戦闘能力に長けている。事故のせいで、PSNは小夜よりやや劣る。

 したがって訓練の指導は、夢見がとることになる。人見知りの激しさはなおっておらず、同じ隊員たちだけとの特殊訓練では、少しはりきってしまう。

 元々PSNのない来島は、コントロールルームで訓練の指導を行う。

 三人の特殊挺進部隊員は、軽量な三三さんさん式鉄帽に新式軽量個人装甲パンツァーヘムト、小型雑嚢に四三式突撃銃と言う完全装備だった。

「よし、薄暮戦闘訓練から夜間訓練にうつる」

 来島の声が大きな体育館のような訓練所に響く。照明が落とされ、夜の景観となる。小夜の心にも真由良の緊張が伝わる。肉体は立派すぎるが、心は案外繊細だった。

「落ち着いて。わたしたちがついてる。闇のほうが、わたしたちに有利なのよ」

 三人は小夜を先頭に、建物の中へはいっていく。

「あの……待ってください」

 夢見は小夜の肩をつかんだ。

「なに、中に伏兵かしら」

「いえあの。人の気配がしない。その……中にいるのは」

「なるほど。真由良、発光手榴弾用意。合図したらそっちの窓から投げ込んで」

 小夜はころあいをみはかり、勢いよくドアを蹴破ってすぐに伏せた。

 闇の中で待ち伏せているフル・オートマティック・セントリーFASは、厚い円盤状の頭に四本の足がついた巨大なバクテリオ・ファージに似た形状である。

 それがあけられたドアめがけて、硬質ゴム弾を連射した。

 同時に、真由良が窓から発光手榴弾を投げ込む。暗視モードだったFASのセンサーは眩い光に耐えられず、一次的に機能停止してしまう。

 別の窓を破って中に飛び込んだ夢見が、硬質ゴム弾をFASの頭部に集中した。FASは視力を奪われたまま、銃口を夢見にむける。

 床を転がって弾丸を避けていると、入り口から小夜が飛び込んでFASの後に回り込もうとする。さらに真由良が窓から発砲する。

 やっと光のおさまった闇の中に、マズルファイアーがきらめく。

「後に回りこみたいのね」

 夢見にも言語として相手の考えを理解することは難しい。しかし小夜の気持ちだけは、なんとなく判る。小夜と真由良がFASを銃撃しているあいだ、射線をさけてその後に回りこんだ。

 直径一メートルほどの円盤の後ろに、コードを確認した。銃弾でも撃ちぬけないが、コードは所詮コードである。夢見は小夜に「思い」を送った。

「発砲やめ!」

 小夜が叫ぶと、夢見は飛び上がって右手をのばし、手探りでコードをつかんだ。そのままぶら下がるようにすると、固定されていたコードも円盤部分からはずれてしまう。

 観測機器と電子脳のつながりがたたれ、FASは闇雲に発砲しだした。

「もういいわ、こいつは役立たずよ。さ、次が待ってるわ」

 小夜に援護されつつ夢見は建物から脱出した。

 ほどなく弾が切れたのか銃声がやんだ。往年のハリウッド肉体派女優を思わせる真由良は、額の汗を手でぬぐった。

「一曹たちが心でやりとりしているのは、判りました。

 でもなにをしようとしていたのか、まったく判らなかった」

「わたしも同じよ。でも夢見が読み取ってくれる。

 あなたもそのうち、心が通じ合うようになるわ」


 築地の旧同盟通信ビル前に、京都嵐山に本店を持つ料亭「佳つら吉朝」が支店を出して、半世紀にはなる。当時は平成バブルと言う狂乱の時代だった。

 当時から頑なに京都風の味付けを守り、首都圏の関西出身者に好評だった。

 学生時代を関西で過ごした国防大臣の上田哲哉も、気に言っていた。このご時世に、むかしながらの料亭政治を行う政治家など、天然記念物に属しよう。

 しかし愛知選出の国防族巨魁、「万年」国防大臣はその特別離れを別荘のように使っている。

 田巻は好物の伊勢海老とアワビを目の前にして、上機嫌だった。わざわざ館山からとりよせたものだ。

 若くして妖艶、娼婦じみてはいるが頭脳明晰な不破秘書が、酒を注いだ。

「つまり……三佐殿は出世よりも、手塩にかけた美しき魔女たちを取り戻したいわけね」

「富野の石部金吉では宝の持ち腐れや。あいつは人間マシーンやね。

 まあ手ぇだすような真似はせえへんから安心やけど。あの能力はなんちゅうか、激しく恋をしたり、まして妊娠したりすると急速に衰えます。

 自己防衛機能の突然変異らしいけど、しばし無意識の支配を受けて暴走する。

 出産可能状態の母体にとっては、なんか危険なもんらしいですからな」

 上田は鼻の下の貧弱な髭から、酒をしたたらせている。

「昇進については、わしからも口はきいておる。少し待ってちょう。わしゃ今は忙しい。三佐になったばかり、下手に動くとたわけらしいことになる。

 まったくこうしてまともなモン食うのも、久しぶりだがや」

「内閣改造では、いよいよ副総理に大手ですかな。白瀬先生はまだやるつもりらしいから」

「まあ、神輿は軽いほうがいいが。あの哲人首相、生真面目じゃが野心はない。

 それで君は、例の作戦計画の方の予算をもっと増やしてほしいわけだな」

「スガル部隊も大切やけど、僕にとっては例のシナトベが、人生を変えるかも知れまへん」

「……統合研究開発本部中央高等研究所の別所技術二佐が、しきりに工作してましてよ」

「それです」

 田巻は身を乗り出した。

「あの『甲号しなとべ』はもともとは僕の発案や、弓七号に応用するなら仁義きって欲しいですわ」

「別所君はバックが大輪田で、大輪田の会長は白瀬派のパトロンだ」

「……だから、別所技術二佐に『甲号しなとべ』をまかせるとでも?

 本間会って知ってはりますわな。お友達だった故・本間将帥補の、国策研究会でしたか」

 上田の顔がこわばる。まずそうに酒を飲んだ。

「なにが言いたいのかね」

「東光寺一佐は、統合防衛大学校はじまって以来の秀才。しかしその過激思想がたたって今や予備役。しかも予備役すら外されそう。別所さんはその弟子。そして本間会の重鎮です。

 東光寺は危険な東黎協会の残党。政治的判断で、追放だけですんだのをいいことに、今度は本間会を牛耳ろうとしとしてはります。別所はんを通じて」

 不破久美は少し困ったような微笑を見せた。

「本間会については手出し無用だがね。

 よけいなことに顔をつっこむの、君の悪い癖だがや」

 やはりな。田巻はそんな顔を見せた。本間会は危険団体の一つで、自称憂国のエリートが集まった結社だった。

 かねて上田国防大臣が影のパトロンと噂されていた。

「君はスガル部隊と『しなとべ』のどっちが大事なのかね。二兎追う者はなんとやらだ」

「どっちも、僕の発案ですが……どっちか選べ言われたら、そらベッピンさんの方かな」


「いっぱいぐらいどう。法定成人なんだから」

「あの……酔うとまだ、気弱になるから」

 と夢見はごくうすいフィズ、一つ若い真由良はジュースだった。

 通常は二十歳で成人認定となるが、公務につくか十八以上で就職して資格試験を受ければ、法定成人として扱われる。特に武官は正規着任後、十六から準成人として扱われ、少年法の適応から外される。

 しかし選挙権は十八から、被選挙資格試験は二十五歳以上からである。

 夢見たちが出た術科学校二年目までは、あくまで「生徒」であり未成年となる。夢見は去年の春、江田島の統合幼年術科学校を出て、即日三等曹長昇進。いきなり情報統監部勤務となった。

 もともとは大和州の出身で、地元の公立新制中等学校を出ている。母が精神を病み、父が若くしてリタイアしたため、教育にお金がかけられず、無料の幼年術科学校へと入った。

 この日は市ヶ谷要塞北部の小さな警備部隊用の下士官クラブで、小夜が奢ってくれた。国家中央永久要塞を含む衛戍地内には、将校クラブもある。

 下士官以下は准尉以上の幹部の付添としてなら、使用することができた。しかし下士官クラブの方が気さくだった。

「真由良さ、田巻の奴になんか嫌な目にあってない?」

 小夜はアイリッシュウイスキーをロックで飲んでいる。つまみはビーフジャーキーぐらいしかないが、きわめて安い。

「じろじろと見回されるのには慣れました。たいていの男はあんな感じです」

「あなたみたいな超肉体派、タマキンはかえってビビるかもね」

「あの……わたしはなんか、少し怖れられているみたい。おかげでその、助かってるけど」

「あんたを本気で怒らせたら、どんなことになるか。スガル挺進隊つくったヤツが一番よく知ってるわ。わたしはなんか、舐められてるのかな」

「一曹殿は、あの……多分一番のお気に入りですよ」

「酒がまずくなる。まあ前から知ってたけどね」

「わたしはあの…一応感謝してますよ。この挺進部隊にいれてもらえなかったら、どうなっていたか。

 ここは我が家です。いけすかない人だけど、わたしたちを守ってくれている」

「自分も二曹殿と同じです。自分で自分の力をコントロールできなかった。

 今は本当に、毎日楽しいです」

「多少の感謝はいいけど、信じちゃだめだよ。小心で妙にプライドが高い。社会人経験長いだけに融通はきくけど、出世は遅れてる。モサクレ将校ってやつよ。

 愉快犯的陰謀家。上田国防大臣の密偵、そして多分大臣閣下の弱みを握ってる。またなにか新しい極秘計画に関わってるらしいけど、ともかく油断のならないやつ。上田国防大臣の後見をいいことに、好き勝手ね」

 真由良は少し複雑な表情を見せた。しかし夢見はやや、田巻に同情していた。 確かに陰険な謀略家で、夢見も真由良も彼にスカウトされていた。しかし彼女たちを、下心もあって真剣に守っているのも確かだった。


 奥多摩にまだこんな森が残っていることは、一種の奇跡に近かった。鬱蒼たる森の所有者は、国防省施設局である。

 行政区分では関東州武蔵郡元案下に属する。

 森にいだかれた白い近未来的な建物は、国防省統合研究開発本部中央高等研究所と言う、わが国防衛技術の最先端を荷う施設だった。

 しかし表看板は「国防省備品研究所」となっている。また地下の広い実験場なども、完璧に隠蔽されていた。

 白衣に略帽をかぶった別所技術二佐は、あわててインカムに叫んだ。

「どうした、象の動きがおかしい」

 薄暗く巨大な地下実験上には、高さ三メートルの特殊防護鋼板でできた「象」がいた。それは四本の太い足「鋼脚」でのし歩く一種の装甲車である。

 通常は二人か三人が乗り込むようになっている。元々は大輪田精機が開発した、山岳作業機械が母体だった。

 正式名称は三十式装甲歩行攻撃装置。自衛隊時代からの伝統で、「さんまるしき」と呼ばれる。通称は「象人」と書いて「きさんと」と読ませている。

 しかし今、その鋼鉄の象は無人のはずだった。

 それが遮閉物を破壊して、出入り口へと足早に進む。ときおり、実弾を周囲に撒き散らしながら。外にでもでれば大事だった。

「中止だ、電源を緊急カット。被験者のショックは無視しろ!」

 怒り狂った象は、大型エレベーターの扉に何度もぶつかり、火花を散らす。兵士の一人が、細長い樽のようなものを抱えて近寄り、立膝で発射した。

 それは捕獲ネット弾だった。キサントは太い足を網でからめとられ、倒れてしまう。しかしもがき続け、太く丈夫な足で壁や支柱を壊していく。

「どうした、電源は……切ったんだな。ならなぜ」

 つづいて横手のドアから、中型高速戦車シャクシャインが登場した。

 別所は砲撃を命じる。閉ざされた実験空間に轟音が響く。操縦席を破壊された象は、動かなくなった。

 別所は青ざめつつ、エレベーターでコントロール部へとあがった。

「どう言うことだ」

 研究員達も茫然としている。眼鏡をかけた人物が、なんとか答えた。

「わ、わかりません。榛名さんは今、医療部に運びました」

「……『たけみかづち』の事故か」

「いえ、まったく異常なしです」

「うちの大切な兵隊に、なにしてんです!」

 奥から、杖をつきながらやや小柄な人物がやってくる。頬の傷が目立つ。

千賀ちがさん。榛名君は大丈夫ですか」

「絶叫して気絶したよ。命に別状はなさそうだが。

 いったい何があったんです」

「……判らない。前にも多少似たようなことがあった」

「なんだって。それでもまたやったのか」

「原因は不明だ。統合防衛電子脳に異常はない。まるで……別の意思が介入したような感じで、やはりシステムが異常を示した」

「俺たちは世界の戦場で戦ってきた。

 怖いものはないし、お国の為に命を投げ出す覚悟はある。しかし学者先生の身勝手なお遊びにつきあう義理はないぜ」

「……これは来るべき波乱の時代を乗り切るための、わが国の切り札だ」



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