第3話

 そして場面は現在に至る。叫んで荒い息のクロエは突然鼻血を噴出して倒れた女性を心配そうに見ていたが、他人の心配をする前に自らが全裸である事実を思い出した。

 頬を真っ赤に染め辺りをキョロキョロと見渡したクロエは、先ほどまで自らが寝ていたベッドにタオルが丸まっているのを見つけた。とっさにそれを取り、乱暴に身体へ巻き付ける。先ほどまでとそう大差のない格好ではあるが、それでも心情的には落ち着きを何とか取り戻すことができる。


「(……『クロエは ぼうぎょりょくが 1 あがった!』 いや、ふざけてる場合じゃないや。えっと、この人……、人? 誰だろ……?)」


 クロエは恐る恐る倒れ伏している女性に近づいた。女性が気を失っていることを確認すると、クロエはしゃがみ込んで女性を観察する。


「(さらさらの金髪に、白人さんみたいな白い肌。それにこの、長い耳……。うん、本物だ。さっきも思ったけど、やっぱりこの人エルフなのかな。なんでボクのイメージぴったりのエルフなのかは知らないけど。)」


 しかし、このまま黙って見ていても埒が明かないと判断したクロエは、女性の肩に両手を置いて、ゆさゆさと軽く揺さぶった。触れた肩口の肌の柔らかさと温かさに、思わずクロエはドキドキと鼓動を高めさせる。


「だ、大丈夫ですか……?」


 しかし女性は起きない。諦めず何度か身体を揺さぶるクロエだったが、身体の揺さぶりと共に左右に揺れる女性の双丘が目に入ると、途端に頬を真っ赤に染めて目をそらした。これ以上揺さぶるのは自分の精神が持たないと判断する。

 クロエは揺さぶるのをやめて、女性の長い耳元へ顔を近づけた。ふんわりと薫る女性の良い匂いが鼻孔をくすぐる。クロエは頬どころか顔を真っ赤にさせながらも、耳元で女性へ声をかけた。


「あ、あの……、大丈夫ですか……?」

「――ん、……ぅんん、んん……?」


 流石に耳元での囁きには気づいたのか、倒れ伏す女性は寝起きのような声を上げた。そしてうっすらと瞼を開き、何度かのまばたきの後に目を開く。


「あ、あれ……? 私、どうして……? 痛ッ! あ、頭の後ろが痛いですわ……!?」

「あっ、あの、さっき頭から倒れてましたし、少し安静にしていた方が……。」

「いえ……、大丈夫ですわ。ありがとうございます、クロエさん。」


 サラはそう言うと、むくりと上体を起こした。そして服の袖口で鼻血を拭くと、きれいになった顔で笑みを浮かべクロエの頭を撫でる。

 前世までのクロエであれば「小さい子扱いするな!」と、その手を払っていたかもしれない。しかし、不思議と撫でられていると安心を感じた。まるで猫のように気持ちよさそうに目を細める。


「……さて、と。私はここを片付けたら、少しだけ出かけてきますわ。大丈夫、すぐに戻ってきますし、その間にクロエさんはまた休んでいてくださいな。まだ、完全に回復してはいないのでしょう?」

「え? あっ、はい。ありがとうございます。」


 女性の言葉にクロエは素直に従う事にした。ベッドに横になると、女性はクロエの身体に布団をかけてくれる。そして再びクロエの頭を撫でて笑みを浮かべた。そしてテキパキと落とした食器と料理を片付けると、扉を開き出ていった。

 クロエは掛けられた布団を口元まで引き上げると、天上を見つめながら先ほどまでの出来事を反芻していた。まるで吹き荒れる風のように、突然現れてはクロエに混乱を残していった彼女だったが、どうやら悪い人ではないらしい。

 それどころか、クロエに対する反応を見る限りとてもお人好しだろう。深い森の中一人ぼっちで目覚め、そして狼たちに追われていたクロエにとって、この暖かさは心に優しく沁みる。

 気付けば、クロエはいつの間にか安心して瞳を閉じていた。ぐっすりと眠るその姿はまるで年相応の少女そのままである。目の端にうっすらと浮かぶ涙の粒は、これまでの恐怖と現在の安心の表れなのだろう。

 そして、クロエが眠ってから数十分後。再び寝室の扉がノックされた。クロエはその音で目が覚める。


『クロエさん? 今帰りましたわ。料理と、着替えを持ってきましたの。開けますから、お布団をしっかり被ってくださいね。』


 先ほどの女性と思わしき声だ。クロエはその声に従い、少しめくれていた布団を顎のあたりまで掛け直した。


「ど、どうぞ?」

『はい、開けますわ。』


 先ほどの反省を活かし、女性は綿密に確認してから扉を押し開けた。女性は先ほどと同じようにお盆を持っていた。そしてそのお盆には湯気の立つ器と、折りたたまれた衣服らしきものがある。

 女性はクロエが布団をしっかり被っていることを確認すると、お盆をベッド横のサイドテーブルへ置いた。しかし目線はクロエからそらされている。うっすら頬が紅潮しているのは、先ほどのハプニングが思い返されているからだろうか。それを見たクロエも目をそらし、頬を染めていた。


「え、えっと……。き、着替えを置いておきますから、先に着替えてくださいな。私はその間、外で待ってますわ。」

「あっ、は、はい……。ありがとうございます。」


 お互いもじもじと気まずそうに視線も合わさず会話をしている。サラはそそくさと部屋の外へ行き、扉を閉めた。クロエは扉が閉まるのを確認すると、布団をめくりベッドから起き上がった。


「(えっと、着替え着替え……。)」


 いい匂いを立たせる器に気を取られそうになりながらも、クロエはお盆に置かれた衣服を手に取った。

 持ち上げてみると、それはいわゆるワンピースタイプの素朴な素材で出来た服だった。装飾のような物はなく、とてもシンプルなデザインである。触り心地はとてもよく、触れていて気持ちがいい。


「(おお……。何だろ、知らない感触だな。でも、袖が無いのが気になるって言うか、露出高くない? 今まで着せられた女性ものは、コスプレばっかりだったし……。)」


 ざっくりと開いた脇口の部分に若干の不安を抱きながらも、クロエはワンピースをベッドの上に置く。まだお盆の上には折りたたまれた衣服らしきものがあった。始めに手に取った服がワンピースである事から、クロエは少し嫌な予感を覚えながらもそれを手に取った。


「やっぱり、か……。」


 それは、現代日本で言うところの下着であった。いや、この世界においても下着と言う他ないだろう。一つは先ほどのワンピースよく似ているがそれよりも薄く、肌触りが更に良いものだ。胸に当たるであろう部分の布が厚めであるそれは、現代で言うところのキャミソールだろうか。

 もう一つは、いわゆるショーツだろう。股布部分に紐が付いており、それを腰の横で結ぶようだ。素材は綿に近いような、柔らかい感触である。


「(う、うーん、ゴムとかがこの辺に存在しないのかもしれないけど、どう見てもこれ『紐パン』だよなぁ……。き、際どくない? これ、ボクがつけるの……?)」


 しかし、贅沢は言っていられない。服がもらえるだけでも感謝すべきだろう。理由は分からないが着ていた服がなくなっている以上、与えられたものを着てでも裸状態を回避したいと、クロエは心から考えていた。

 覚悟を決めたクロエはショーツを手に取ると、身体に巻いていたタオルを取った。パサリと軽い音がして、クロエは真っ裸となる。誰もいないと分かっていても何となく恥ずかしく、先程からクロエの頬は赤く染まりっぱなしだ。


「(は、はやく履かないと……。えっと、えっと……。)」


 手に取ったショーツを両手で持ち、どうにか履こうと試行錯誤を繰り広げるクロエ。しかし、元男性であるクロエには当然だが、女性ものの下着など着けた経験など無かった。それ故にもたもたと、用意された紐式のショーツの付け方がわからず、先程からショーツは何回も床に落ちてしまっていた。


「ちょ、えっと、あれ……? まっ、これっ、どうやって履くの……!?」


 おなか部分に布を当てて股を通し、紐を結ぼうと画策するが、片手で前部分を抑えているので紐が結べない。なんとか腕や肘を使って結ぼうとするが上手くいかない。

 すると、そのクロエの困惑の声が聞こえたのだろうか。部屋の外から先ほどの女性の声が聞こえてきた。


『あ、あのー。大丈夫ですの? 履き方、分かります?』

「あっ、えっと、あの、その……、わ……、分かんないです……。」

『まずはですね、片方の紐を結んで輪っかを作るんですの。それで片足を通して固定させたら、もう一方の紐を結ぶんですわ。』

「あっ、は、はい! ありがとうございます!」


 女性の助言に従い、クロエは何とかショーツの装着に成功した。片方の輪が小さすぎて調整し直すなどの小さなミスはあったが、結果から見れば成功である。

 あとは簡単だ。上の下着は被るだけである。首を通し腕を通し、肩ひもの位置を調整する。そして最後にワンピースを同じように被り着替えは完成だ。付属する腰紐のような物をウエストで結んだ。自分の身体を見下ろし、おかしな点はないかとチェックする。


『クロエさん? 着替え終わりました?』

「あっ、はい! 終わりましたよ。」

『それでは、入りますわね。』


 そろりと扉を押し上げ、女性は顔だけをぴょこりと覗かせた。そして着替え終わったクロエの姿を確認すると、瞳を輝かせ嬉しそうに部屋に入って来た。


「まぁ! あぁ、いいですわ! とっても似合ってますわよ!」

「あっ……、えっと、その、あ、ありがとうございます。」


 元男の身として喜んでいいのかどうか分からず、とりあえず感謝を口にする。しかし女性はそんなクロエの心中など知るはずもなく、目の前に現れた可愛い物に夢中だった。


「素晴らしいですわ……。髪が長いからこういった雰囲気の服も似合いますわね。シルエットが綺麗ですわ。でも本当に細いですわね。腕も脚も、腰回りも……。少し羨ましいですわ。あっ、そうですわ。クロエさん、ちょっと失礼。」


 一人でブツブツとしゃべりながらクロエを見て触って楽しんでいた女性だったが、ふと何かを思いついたように声を上げた。突然、クロエの服の裾をつまむと、ピラッと持ち上げてしまったのだ。そして、目の前のクロエの下着をじっくりと凝視し始めた。


「~~ッ!!??」


 突然の出来事にクロエは声も出せず驚いた。なぜ突然名前も知らぬ女性に服の裾を持ち上げられ、そして穴が空くほど見られているのか。まるで視線が物理的な干渉をしているかのように、股間の辺りに違和感を得る。ただもじもじと太ももをこすり合わせることだけしかできなかった。


「――やっぱりですわ。」

「えっ?」


 一人納得したような言葉をポツリと呟いた女性は、パサッとクロエの服の裾を降ろした。涙目のクロエはその言葉の意味が理解できない。正気でも理解できるとは限らないが。


「先ほどから何かもじもじとしていらしたので、まさかとは思いましたけど……。クロエさん、下着を前後逆に着けてますわよ?」

「あぇ……? ぎゃ、逆ですか……?」


 ポカンとした表情で女性の声をオウム返しに呟くクロエであったが、その表情通りに何のことか理解できていなかった。しかし女性はそんなクロエに構わず言葉を続ける。


「こういったタイプの下着は初めてですの? そう言えば、着けていた下着はかなりゆったりとした作りでしたものね。分かりましたわ。他の下着には目印として前の部分に何か飾りを付けておきますわ。でもまずは、今履いている下着を直しちゃいましょう? ほら、私は後ろを向いていますので。ね? このままでは違和感だらけでしょう?」


 そこまで話した女性はくるりと身体を反転させた。そしてじっと待っている。先ほどまでと同じように、クロエが着替え終わるのを待っているのだろう。


「(い、違和感って……、まずこの身体に違和感だらけで下着の前後なんか分からないって言うか、これ前後なんてあるの? ま、まぁでも、違うって言うんなら直しちゃおうかな。)」


 クロエはワンピースの裾から両手を差し入れると、スルスルと下着をさげた。股間の辺りに風が当たり、とても頼りない感覚を感じる。クロエは急いだ動作で向きを変えると、もう一度下着を上げた。


「な、直せました……。」

「はい。……うん! 完璧ですわ!」


 振り向いた女性はクロエの姿を見て嬉しそうである。それを見たクロエも、照れ恥ずかしさを感じながらも喜びを感じた。どんな形であれ、褒められて悪い気はしないらしい。

 女性はその後数分の間クロエを褒めちぎっていたが、流石に落ち着いてきたようだ。それでも「うーん、可愛いですわ。」と呟きながら、サイドテーブルの上に置かれた器に目を向けた。


「あっ! うっかり夢中になってしまいましたわ。料理がすっかり冷めて……。温め直しませんと。」


 女性が料理を置いてからクロエの着替えを挟み、すっかり時間が経っていた。料理が冷めるのも無理はない。女性はお盆を手に持つと、改めてクロエの方を向いた。


「クロエさん。もう身体は大丈夫みたいですけど、歩いたりはできますの?」

「えっ? えぇと、はい。激しい運動はちょっと怖いですけど……。」

「それなら良かったですわ! せっかくですし、居間に行って一緒にご飯食べませんか? ね?」


 女性は実に楽しそうに話している。まるで遠足を待ちわびる子供か、餌を目前に据えられた犬のようだ。それを見たクロエにできることは、ただ頷くことだけだった。











 寝室を出たクロエは、女性と共に居間にいた。キッチンも併設されているそこは、小ぢんまりとしてはいるものの、必要最低限のものが機能的に配置されている。ほとんどの家具が木製であり、一部の食器などが陶器のようだ。


「(壁も床も木製だし、ウッドハウスなのかな。でも、嗅いだことない木の匂いだ。)」


 自分がいる家がウッドハウスだと思っているクロエだったが、ツリーハウスであろうとは予想もしていなかった。脚をぷらぷらと軽く揺らしている様子は、年相応の少女のようで可愛らしい。

 横を向き窓の外の景色を眺めていたクロエだったが、「コトッ」という音に視線を正面に戻した。そこには温かそうな湯気を立てる陶器の器がある。匂いから察するに、さきほど女性が寝室に持ってきた料理と同じらしい。


「お待たせいたしましたわ。お口に合うと良いのですけど。」

「わぁ……! すごい、美味しそうです……。」


 思えば、転生してどれほどの時間が経ったのか分からないが、クロエは何も口にしていなかった。無意識のうちに、口の中に唾液が貯まる。

 クロエがじっと器を見つめていると、苦笑を浮かべた女性が木で出来たスプーンをクロエの前に置いた。そしてクロエと対面する場所に座ると、自分の前に陶器のカップを置く。


「どうぞ、召し上がってくださいな?」

「あっ、はい。えっと、い、いただきます。」


 クロエは今までの慣習から、何の考えもなしに手を合わせて「いただきます」と口にしていた。女性はそんなクロエの一連の行動を不思議な目で見ている。しかしクロエの目にはもう、料理しか入っていないらしい。スプーンを握り、器を手で寄せた。


「はむ……、ん、んぐ……。おいひいでふ……。」

「ふふ、落ち着いてから話してくれればいいんですのよ? でも、お口にあったようで嬉しいですわ。」


 夢中になって料理を食べるクロエの微笑ましそうに眺める女性である。カップに入った液体を静かに口に含み、リラックスしたように目を細める。

 口にスプーンを運ぶたびに、クロエはまるで身体だけでなく心までが温まっていくように感じた。実際、空腹が満たされることは安心をもたらす。それが死の恐怖を味わった後ならば尚更だろう。


「むぐ、あむ……、……。」

「……? ど、どうしましたの?」


 女性が心配そうな声を上げた。クロエが先ほどまで動かしていた手を、突然止めてしまったのだ。顔をうつむかせ、無言になってしまっている。ふと、女性の耳にとある音が聞こえてきた。女性は耳を澄ませる。


「……グスッ、ヒック……、うぅ……。」


 それは、泣き声だった。立ち上がり、クロエの側に近づいた女性がうつむいたクロエの顔を覗き込むと、確かに泣いているのはクロエだったのだ。両目の端から涙がこぼれ、太ももの上に落ちる。クロエ自身、自分が泣いていることに初めは気が付かなったようで、慌ててスプーンを握る右手で目を拭った。


「あれ、な、何で……? あっ、あの、違うんです……。別に不味いとか、その、お姉さんが怖いとかじゃなくて……!」


 突如流れた涙の理由も分からず、クロエの頭は混乱に満たされた。本当に突然の出来事であった。クロエの記憶にある限り、人前であろうとなかろうと、このように泣くことなど初めての経験である。どうすればいいのか分からず、どうする事も出来ず、ただただ流れる涙をぬぐう事しかできない。

 その時、横でクロエを見つめていた女性が、そっと優しくクロエを抱きしめた。突然の事にクロエの嗚咽が一旦止まる。女性は両手でクロエの身体と頭を抱きしめると、赤子をあやすように優しく語り掛けるのだった。


「大丈夫ですわ、大丈夫。安心してください。クロエさんが誰であろうと、私が味方ですわ。」

「――ッ!! あ、ごめ……、ぅ、あ、うぁああ……!」


 女性の言葉が、まるで陽だまりのようにクロエの心を温める。クロエは、まるでたがが外れたように、大きな声を上げて泣き出した。自らを抱きしめるサラに抱き着き、肩に顔を埋め、赤子のように泣いた。この世界に送られて味わった孤独、命の危機、痛み。クロエの精神は、意識無意識関係なく苛まれていたのだった。

 クロエは泣いた。無防備に、無様に、心の底から泣いた。感情を露わにして泣いた。それは見た目通りの少女が上げるには、上品さに欠いた号哭だった。しかし、だからこそ。だからこそ、その涙が心の底から溶け出し溢れた感情の塊であることがよく分かる。

 クロエの涙を受け止める女性は、ひたすらに優しくクロエを受け止めていた。その間、一切の言葉を発さず、しかし小さく震える少女の身体を強く優しく抱きしめている。そしてその心の中では、少女の味わったであろう孤独を想像し、自らがこの娘を守らねばと固く決意していた。

 クロエの涙が治まったのは、料理がすっかり冷めた頃だった。泣きつかれたクロエは、時折しゃくりを上げている。何度か鼻をすすり、そして鳴き声に枯れかけた声を上げる。


「……もう、大丈夫、です……。」

「そうですの。……本当に?」

「はい。……ご迷惑、おかけしました。」


 女性がクロエを放した。クロエは女性から離れると、やや乱暴に目元を拭う。女性が立ち上がり、部屋の隅に置かれた棚からタオルを取り出した。そしてそのタオルで優しくクロエの顔を拭う。


「いけませんわ。可愛い顔に傷がついちゃいますわよ?」

「べ、べつに可愛くなんか……。」

「いーえ、クロエさんは可愛いですわ! さ、綺麗になりましたわ。椅子に座って待っててください。温かい飲み物を用意しますわ。ね?」


 有無を言わせぬ迫力を滲ませながら女性はクロエの顔を優しく拭い終えると、立ち上がり机の上の器をさげた。クロエは食事の途中であったが、器の中にはほとんど料理は残っていない。クロエがどれだけ食べるのに夢中であったかがよく分かる。

 クロエは改めて椅子に座り直した。一息つく。そして、今更ながら先ほどまでの自分の様子を思い返すのだった。


「(……う、うわぁあああっ!? は、恥ずかしいっ! 突然泣き出して、しかも抱き着いて泣いちゃったよ! あああ、やっちゃったぁ……。)」


 泣いていたせいで元々目元と鼻頭が赤くなっていたクロエだったが、今度はそれに加えて頬までもが赤くなる。しかし、女性はそんなクロエを茶化すことなく受け入れ、今は温かい飲み物まで用意をしてくれていた。クロエはそんな女性の事を初対面ながら、かなり信用していた。


「(ほんと、優しい人……? エルフ? だな。運が悪いかと思ったけど、意外とツイてたのかも。うん、本当にこの……。あれ?)」


 クロエはとある事実に気が付いた。こうして自らの世話を焼いてくれている彼女だが、クロエは彼女の名前すら知らないのだ。森で狼たちに追われ気絶し、そして目覚め女性にお世話になっている。ここまでの間、女性と自己紹介すらしていないのだ。


「(……待って。ボクとあの人はまだ自己紹介してない。なのに、何であの人はボクの名前を知ってるの? さっきから何回も、あの人はボクの名前を呼んでたよね……。どこかでボクの名前を知った? いや、身元証明のものとかは持ってなかったはず。なのに、どうして……?)」


 クロエが考え込んでいたその時、「コトリ」と音が鳴った。顔を上げるとそこには、湯気の立った陶器のカップが置かれている。女性が置いたものである様だ。女性もクロエの対面に座り、同じくカップを持っている。


「どうぞ。少し熱いかもしれませんので、気を付けてくださいな。」


 女性が微笑みながら促した。クロエは何も考えずカップを手に取ろうとする。しかし、手を伸ばしかけたところでその手は止まった。クロエはそのまま腕を体の前に戻し、握りしめた右手を左手で包む。

 女性がクロエの様子を訝し気にうかがう。自分が差し出したカップに手を着けようとしていた相手が、その手を突然引いたのだから当然だろう。


「どうしたんですの、クロエさん? 何か、気に障るようなことでも……。」

「あっ、あの……! お、お姉さんは、どうしてボクの名前を知っているんですか……? ボクたち、まだ自己紹介とかしてないですよね? なのに、どうして……。」


 クロエがとうとう意を決し、女性へと尋ねた。クロエは顔を伏せたままである。それは、女性の事を信じたい気持ちと、生じた違和感を決して無視できない猜疑心のせめぎ合いの表れであった。

 しかし、問われた当の女性は一瞬ポカンとした表情を浮かべたが、すぐにクロエがどうして疑っているのかを理解した。女性がクロエの名前を知っているのはとある事情からなのだが、それをクロエは知らない。これまでの非日常的な事態の連続で自己紹介すら忘れていた己の注意力の無さを反省した。


「……確かに、疑われても仕方ありませんわね。ごめんなさい、決して意図して黙っていたわけではありませんの。ただ、今までドタバタしていたものですからつい忘れてしまって……。本当、申し訳ないですわ。」


 女性はそう言うと、座った状態で頭を下げた。顔を上げて見たその反応に、クロエの心から大半の疑いが抜け落ちる。女性は顔を上げると、自らのカップの中身を一口含み、口を潤した。


「私の名前はサラ。サラ・エルゼアリスですわ。サラと呼んでくださいまし。この隠れ里・シドラに住む森精族エルフと呼ばれる種族ですわ。郷の外で山菜などを取ることを生業としていまして、今日もその仕事の最中にトライウルフたちに襲われていたクロエさんを見つけましたの。」

「そう、だったんですか……。その件は、本当にありがとうございました。」


 クロエがぺこりと頭を下げる。何となく目の前の女性、サラに命を助けられたのではないかと考えていたクロエだったが、その予想は的中していた。

 頭をさげられたサラは驚いたように謙遜する。少し困り顔だ。


「いえいえ、偶然でしたもの。でも、クロエさんが無事でよかったですわ。それで、トライウルフたちを追い払った後に、怪我をしていたクロエさんを保護。私のうちまで運びましたの。これが、今までの経緯ですわ。それで、何故私がクロエさんの名前を知っているか、ですわね。」


 サラはおもむろに立ち上がると、部屋の隅へと歩いて行った。クロエは座ったまま首を回し、サラを視線で追った。サラは部屋の隅に到達すると、そこにあった箪笥、その上に置いてあった紙を手に取った。


「クロエさんをこのうちへ連れてきたとき、クロエさんは体中傷だらけでしたの。たぶん、森の中を一心不乱に走ったからでしょうね。そのせいで身体のみならず着ていた服もボロボロになってましたわ。それで、無断で申し訳なかったのですが、服を脱がせてしまいましたの。」


 サラがクロエに背を向けて語った。それはサラ自身、今にして思えば後ろめたい行為だったようで、その背中は少し小さく見える。


「(あぁ、だからボク服着てなかったんだ。ま、まぁ……、今のボクは女だし、サラさんも女だから問題はない、かな……?)」


 しかし当のクロエはそこまで気にしていなかったようだ。この世界に来る前も、男同士であれば裸を見られても特に問題はないと考えていたクロエである。性別が変わっても同性なら問題はないと考えた。


「それに関しては、緊急事態でしたし、別に気にしてませんよ?」

「ほ、ほんとですの? 良かったですわ……。」


 恐る恐る振り返ったサラが、安心したように大きく息を吐いて表情を崩した。そしてそのまま箪笥の上にあった紙を手に持ち、再び椅子へと戻る。


「えっと、何でしたっけ……? あぁ、クロエさんの名前を知ってる理由でしたわね。実は、クロエさんの着ていた服が珍しかったものでしたのでつい見ていたのですけど、その服からあるものが出てきましたの。」


 サラが椅子に座り直した。話を聞いていたクロエの視線は、サラの持つ紙に集中する。その紙は見る限り、クロエがよく見たコピー用紙の類ではないようだ。少し古びたような印象を受ける紙だ。


「その……、話の流れから察するに、その紙? が入っていたんですか?」

「ええ、その通りですわ。どうぞ、『【魔力念話テレパス】より手紙』と言いますし、見てもらう方が早いですわ。」


 サラはクロエへ、手にしていた紙を差し出して来た。クロエはそれを受けとる。手にした感触はやはりコピー用紙のようなツルツルした物ではなく、どちらかというと和紙のような天然繊維に近い。


「(って言うか、さっきの『【魔力念話テレパス】より手紙』って何だ? 『百聞は一見に如かず』みたいなことわざなのかな。いや、それよりも……。)」


 取り留めもないことに気を取られかけながら、クロエは二つ折りの紙を開きその内側へ視線を落とした。

 そこには、クロエが今まで見た事もない文字のような物が記されていた。漢字、アルファベット、アラビア、ハングル。思いつく限りの文字を思い浮かべてみるも、そのどれにも当てはまらない。

 しかし、クロエにはその文字の意味が自然と理解できた。まるで母国語を眺めるかのように、文字の一つ一つを意識せずとも文章が理解できる。それだけでも十二分に驚くべきことであるのだが、クロエはその事に驚けずにいた。

 なぜなら、そこに書かれていた文章があまりに衝撃的すぎたからだ。何の気なしに目で追い始めたその文章に、今は目が離せないでいる。そこに記されていた内容とは――


『クロエ さんへ

 この度はイグナシアラントへの転生おめでとうございます。私を始めとする私たちの偉大なる主に間違いはありませんが、いかがお過ごしでしょうか。

 さて、この手紙を読んでいる現在、おそらくご自身の身体について混乱なさっている事でしょう。転生の際は生前の身体に可能な限り近い肉体を用意するのが常ではありますが、クロエさんの場合は何故か魂が肉体にうまく定着いたしませんでした。原因は判明しませんでしたが、おそらく私を始めとする私たちの偉大なる主の与えたもうた魔王というロールが関わっている可能性があります。

 そこで、誠に勝手ではありますが、私を始めとする私たちの方で魂の定着する新たな肉体をご用意いたしました。魔族を基礎ベースとして作られた肉体です。なるべく人類種ヒューマーに外見を似せるようにいたしましたが、一部異なる点が残りましたのでご注意ください。寿命や身体能力は人類種ヒューマーより高めであるはずですが、詳しくは不明です。あしからずご了承を。

 それでは、第二の人生をお楽しみください。』


 手紙を持つクロエの手がプルプルと振るえる。クロエは、許されるならこの紙をこのまま破り捨てたいと言う衝動に駆られた。しかし、いくら何でもそんな衝動に身を任せる程クロエの精神は未熟ではなかった。ぐっと怒りに近い感情を堪え、そして恐る恐る顔を上げた。


「(そうだ。そんな事よりも、問題はこの紙をはじめに見つけたのはサラさんなんだ。と、言う事は――)」

「――あっ、あの、その……。こ、この文章を、読んじゃったんですか……?」

「……はい。申し訳ありませんわ。盗み見するつもりはなかったのですけど、つい目に入ってしまいまして。そこに書いてあるのは、今はもう使われていない、文献にしか残されていない文字ですの。私もある文献で知り、読み方を教わっただけですわ。それで、そこに書いてあった名前からクロエさんの名前を知りましたの。」


 サラの言葉にクロエは顔を青ざめさせた。クロエの手元の紙には、明らかに知られてはマズかろうことが書かれている。仮にその内容を本気で受け取られなくとも、正気ではないと判断されても仕方ないだろう。


「あっ、あのですね! その、えっと、な、何か訳の分からないことが書かれてたと思うんですけど、ここに書いてある事は全部嘘なんですよ! いやぁ、困っちゃいます! 実はボク、近くの国に住んでるんですけど、ボクの友達が妄想癖がある奴で……。」


 クロエは何とか取り繕おうと、口から出まかせに嘘を並べた。自分で言っていておかしいとは分かってはいたが、それでも何か言わずにいられないのは小心者のさがゆえだろうか。


「――ではクロエさん。クロエさんの住んでいた国は、なんという名前ですの?」

「えっ……。」

「まさか、自分の住んでいる国が分からないなんてことはありませんわよね? それに、ここが何処だかご存知ですの?」

「え、えっと、それは……。あっ、シ、シドラです!」

「それはさっき私が言いましたわ。このシドラは、大国一つ分を優に超える大きさを誇る森林地帯であるジーフ樹海のほぼ中央に位置しますの。そんな場所に、クロエさんのような女の子がどうやって来たって言いますの?」

「あ、あの、それは……。」

「クロエさんの着ていた服は、このあたりの国では見た事もない素材と裁縫技術で出来ていましたわ。この国は外の国との交流はほぼありませんけど、それでもここまで技術に取り残されるほど係わりを断っている訳ではありませんの。ねぇ、クロエさん?」

「……。」


 クロエには、もはや反論する言葉が見つからなかった。不審に思われたくない一心からつい吐いてしまったしまった嘘だったが、サラによって完膚なきまでに論破されてしまう。

 クロエは目の端に涙の粒を浮かべながら、必死に理由を考える。もはや何を、どんな理由を口にしても手遅れとしか思えないが、そこに気付くことができないほどクロエは焦っていた。


「――ふふっ。」

「……えっ?」


 突然、サラが我慢しきれないと言うように小さく噴き出した。クロエは呆気にとられ、ポカンとサラを見つめた。サラはすぐに笑みを浮かべると、申し訳なさそうに眉を寄せる。


「ごめんなさい、虐めるつもりはありませんでしたの。つい言葉がすぎてしまって……。」

「いや、その、えっと……。えっ?」


 突如激変した場の雰囲気について行けず混乱するクロエ。目を白黒させるクロエを見かねたのか、サラはクロエを安心させるように微笑みを浮かべたまま説明を加えるのだった。


「まず……。転生者自体は珍しいですけど、ありえない事ではないのですわ。ですので別に隠さなくても問題はありませんの。まぁでも、人類種ヒューマーじゃないのは珍しいかもしれませんわね。私も初めて聞きましたわ。」

「えっ、あっ……、そ、そうなんですか……。で、でも……!」


 自らの秘密の一つが隠すほどの事ではないと知り、クロエは拍子抜けしたように間抜けな言葉を返してしまった。しかし手紙に書かれていたクロエの秘密はもう一つある。その事を思い出したクロエは、理由も分からないままに反論を上げた。


「その、ボクは転生の際に『魔王』ってロール与えられてて、それが、その、みんなと違うって言うか、その……。」

「うーん……。そのロールって言うのが何かは分かりませんけど、別にクロエさんは魔王ではなさそうですし……。魔王がこんな所にいる訳はありませんし、『罪の証』もありませんわ。気にしなくても良いと思いますわよ?」


 サラはクロエの顔、右目を軽く覗き込みながらそう答えた。それが何を意味するのか、クロエには分かる由もない。ただ一つ分かったのは、クロエの持つ紙に書かれている内容は意固地になって隠す秘密たり得ないという事だった。

 クロエはそこまで合点がいくと、ようやく安心したように大きく、それは大きくため息を吐いた。そして少し怒ったように口をとがらせる。


「意地悪ですよ、サラさん……。ボク、ほんとどうしようかと思ったのに……。」

「それに関しては、本当に申し訳ありませんわ。でもクロエさん。クロエさんもあんな嘘だってすぐわかる嘘言うんですもの。あまり感心しませんわよ?」

「う……。そ、それはまぁ、ごめんなさい……?」


 うまく口先で丸め込まれたような気がしないでもないが、何故か謝るクロエであった。クロエは釈然としない気持ちを抱えながらも、ごまかすように自らの前に置かれたカップを手に取る。今度は怪しむことなくカップを持ち上げ、軽く匂いを嗅いだ。


「(これは、何だろ? 匂いは紅茶っぽいけど、見た目は赤って言うより、橙色みたいな……。まぁ、紅茶の仲間か何かな、たぶん。)」


 口に少しだけ含むと、ハーブのような風味が口に広がった。少し癖があるものの、とても美味しいものである。味もやはり、クロエの記憶にある限り一番近い物は紅茶だった。クロエはこの飲み物を紅茶だと判断する。


「それで、クロエさん。その紙にも書かれていましたけど、クロエさんは人類種ヒューマーではないのですわね。」


 クロエが飲み物を口に含んだ姿を見て、内心喜んでいたサラが尋ねた。サラの質問に、クロエは改めて紙に目を通す。


「みたい、です。なんか、『魔族』って書いてありますけど、これどう言う事ですか? もしかして、何か悪い意味とか……。」

「いえ、そういう訳じゃないですわ。クロエさんは知らないでしょうけど、『魔族』というのは、人類種ヒューマー以外の知性を持つ意思疎通可能な種族全体の事を指すのですわ。人類種ヒューマーに近い外見の魔族のことを『亜人族ニーア』と呼ぶこともありますけど。」

「それじゃあ、ボクが何の種族かって言うのは……。」

「特定ができませんわね。私も全ての魔族を知っている訳じゃありませんけど、うーん……。クロエさんの特徴は、軽く尖った耳と赤い瞳、真っ白な髪、ですわね。人類種ヒューマーではないことは分かりますけど、それ以上は……。」


 サラは困り顔で唸っている。クロエとしては自らに関わる事なので是非とも正体を知りたかったが、無理を強いるつもりはなかった。


「あの、別に大したことじゃないですし、ボクは気にしないですよ。」

「そう、ですの? まぁ、クロエさんがそう言うなら……。」


 サラはそう言いながらも、何か思い出すことはないか少し考えている様子だった。しかし自らのカップとクロエのカップの中身がない事に気が付くと、立ち上がりカップを回収した。クロエも「あっ、ありがとうございます。」とカップを手渡す。

 カップを両手に、サラは台所へ向かう。クロエはそれを視線で追うが、見る限り水道のようなものは見当たらない。

 カップを台所の一か所に置いたサラは、「あっ」と小さく声を上げた。クロエは先ほどの会話から何かしらの種族が思いついたのだろうかと少し期待する。


「忘れてましたわ。大長老の元に挨拶へ行きませんと……。」


 しかしサラが発した言葉は、クロエの期待した物とは異なるものだった。それに内心少し気落ちしながらも、気になったクロエはサラへと尋ねる。


「挨拶って、もしかしてボクの関係で、ですか?」

「ええ。クロエさんをこの郷へ保護する際に、この郷の長である大長老から挨拶に来るように言われていたのですわ。面倒ですけど、無視するわけにはいかなくて……。」


 サラは部屋の窓から外を、空を見た。森の木々で少し遮られているが、外は夕焼けの赤に包まれている。


「まだ明るいですわね。今のうちにささっと挨拶に向かいましょうか。おそらく大長老もこの時間帯ならばすでに公務を終えていらっしゃるはずですわ。」


 そんな気軽に郷の最高権力者に謁見できるのかとクロエは疑問に思わないでもなかったが、国どころか世界が異なるのである。自身の常識は通じないのかもしれないと思い直し、サラの提案に「わかりました。」と素直に返答した。


「それでは、さっそく行きましょうか。そんなに広い国でもありませんし、少し案内もかねて歩いて行きましょう。」


 サラが玄関へと向かう。クロエもサラの後に続いた。サラが扉を開けると、その向こうの景色はクロエの想像と異なっていた。地面ではなく、木々の上の方があるのである。


「わっ! すごい……。ツリーハウスだったんですね、サラさんのお家って。」

「私の家と言うより、この郷の家は基本的にこうですわね。クロエさんのいた世界では違いますの?」

「そう、ですね……。無い訳じゃないんですけど、かなり珍しかったはずです。少なくとも、ボクは初めてです。」

「そうですのね。では、どうぞ。」


 サラはそう言うと、クロエに向かって手を差し出して来た。クロエはキョトンとしてその手を見返す。サラはクロエが差し出された手の意味を分かっていなことを察したらしく、苦笑を浮かべた。


「この形の家が初めてという事は、降りるのも慣れていないでしょう? 滑ると危険ですし、私が支えますわ。ですので、お手をどうぞ?」

「あっ、えと……、あ、ありがとうございます。」


 少し気恥ずかしそうに一瞬ためらったクロエだったが、視線を下げ家の建っている高さを再確認すると素直にサラの手を取った。サラはクロエの手を取ると、ゆっくりと木の外周に沿うように設置された階段を降りる。

 階段を降りた後、クロエは改めて自らが先ほど降りてきた樹を見上げた。その樹はクロエがこれまで雑誌やインターネットでしか見た事のないような立派な枝ぶりの樹である。周りを見渡しても同じように立派な気が家々を支えており、サラの家のように一つの樹に一軒である物もあれば、一つの樹に二軒三軒と連なる樹もあった。


「(……さすが異世界。ロマンが溢れてるなぁ……。)」

「クロエさん? どうしましたの?」

「えっ、あぁ、ごめんなさい。見慣れない光景だったのでつい……。」


 少し先を歩き始めていたサラの後を追うように、クロエはやや早歩きで歩き始めた。クロエの歩く足元は草が刈り取られており、土がむき出しとなっている。整備されているというよりは、獣道のように長年の通行により自然と出来上がった道のようだ。

 クロエはサラとはぐれないように歩きながらも、目に映る光景をきょろきょろとせわしなく眺めていた。落ち着きがない様にも感じるが、海外旅行にすら行った事のないクロエにとって初めて見るこのシドラの光景は好奇心の刺激されるものだったのだ。まるで初めて遊園地に来た幼子のようにワクワクとした面持ちである。


「この辺りは、だいたい郷の外れの辺りですわね。見ていただいた通り、住居が多い場所ですの。私たちが目指す大長老の邸宅はもう少し先ですわ。」

「へぇ……。なんというか、もう、すごいっていう言葉しか出てこないです。ほんと、おとぎ話の中の世界みたいで……。」

「ここで生まれ育った私からするとあまり分からない感覚ですけど、ご満足いただけたのなら幸いですわ。」


 サラはそっけなく言うが、その表情はどこか嬉しそうだ。自らの生まれ育った国を褒められ嬉しく感じないことはないらしい。


「あれ、サラさんじゃないか。これからお出かけかい?」


 郷の中央部目指して歩くサラとクロエの二人に、声をかける者がいた。二人が声の方向へ目を向けると、そこにいたのは高い身長にすらっとした体躯、やや長めの金髪を風に揺らすという、想像される男性エルフの姿そのままの森精族エルフがいた。


「あら、アルクさん。先ほどぶりですわ。アルクさんは、お店は終わりですの?」

「うん。今日はリークが早く帰ってくるらしいからね。今日は早めに帰って一緒に夕飯を作る予定なんだ。」

「そうですの。それは仲睦まじくて羨ましいですわ。」

「ありがとう。ところで、そちらの子がもしかして、地区長の連絡にあった子なのかい?」


 アルクと呼ばれた森精族エルフが、サラの背後に隠れるように立つクロエへ目を向けた。自らが話題に出たことにクロエはやや驚きながらも顔を出す。


「ええ、そうですの。クロエさん、こちらは郷の商業地区で衣服店を営んでいるアルクさんですわ。」

「初めまして、お嬢さん。紹介にあった通り、衣服店をしているアルクだ。よろしく。とは言っても、エルフ語は分からないかな?」


 ひざを折ってしゃがみ、クロエと視線を合わせたアルクが苦笑交じりにそう言った。しかしクロエはそう言ったアルクの言葉の意味をしっかりと理解できている。


「は、はじめまして……。」

「――ッ!? これは、驚いた……! 私の言葉を理解していることもだが、君の言葉がエルフ語として聞こえるよ!」

「クロエさんは転生者だそうですの。私も先ほどはとても驚きましたわ。」


 クロエの言葉にとても驚いた様子のアルクに対し、サラが少し微笑んだ。アルクはサラの言葉を聞き、ようやく合点が行ったような表情になる。


「そうだったのか。私も長く生きているが、転生者に合うのは初めてだ。そうか、これが転生者特有の『トランスレート』なんだな。」

「あ、あの……。その『トランスレート』って何ですか?」


 アルクの言葉は理解できなかったものの、「転生者特有の」と言う部分に自らのかかわりを感じたクロエが尋ねた。アルクは珍しい存在と会話できることが嬉しいのか、はたまた子供好きなのか。クロエの質問に対し嬉々として答えてくれた。


「まだ教えてもらっていなかったのかい? この世界には遥か昔から異世界からの転生者が現れてきたが、彼らは一様にどんな種族の言葉でも理解し操ることができたんだ。昔の人々はてっきり、異世界の人々は言語を自由に操る能力があると考えていたんだけど、転生者はそれを否定してね。いわく、『知らないうちに話せた。私たちも混乱している。』とね。」

「――それで、昔の人々はこう考えましたの。『転生を行った神々が、転生者に対する慈悲として言語の自由を与えたもうたのだ。これはこの世界に突然送られた転生者の人々への贈り物なんだ。』と。」


 アルクの言葉を途中で遮り、サラが解説を途中から務めた。言葉を奪われたアルクは悲しそうな表情でサラを見上げる。


「酷いじゃないか! こんな当たり前のことを自慢げに話せるなんて滅多にないのに!」

「それは私があとでクロエさんに話そうと思ってたんですもの! 『サラさんすごい!』って褒められる予定でしたのに!」

「そ、それは申し訳なかったが……。ま、まぁそう言う事だよ。私たちはその能力の事を『自動翻訳』と呼んだりもするが、君たち転生者に与えられた特別な力だ。活用すると良い。」


 苦笑を浮かべたアルクの言葉に、クロエは軽く頷いた。このように異世界での生活のことをある程度考慮している点などは友情と言えなくもないのだろうが、小さな少女の身体にさせられている時点で恨みしか思いつかなかった。


「ところで、声をかけた私が言うのもなんだが、君たちはどこかへ行く途中ではなかったのかな? この辺りはヒカリゴケの外灯はないから、早くいかないとまっくらになってしまうよ。」


 アルクの言葉にサラがハッとした表情となった。サラはアルクに「また伺いますわ。」と言葉を残すと、クロエを連れてその場を後にする。

 しばらく道を行くと、クロエの目にポツリポツリと明るく輝くものが入った。少し緑がかった白い光を灯すそれは、道の脇の木々から吊るされている籠のような物から光を放出している。


「クロエさんは初めてですわね? これが先ほどアルクさんの言っていたヒカリゴケの外灯ですわ。この郷の主な夜間の光源ですの。」

「きれいですね……。幻想的です。」

「この外灯があるという事は、郷の中心部に近づいて来た証拠ですわ。」


 歩いている内に夕焼けの赤はすっかり消えてしまい、代わりに夜の帳の青や紫が姿を現した。ヒカリゴケの外灯の明るさもあるが、空を見上げたクロエはもう一つの光源を知る。

 そこにあったのは、白く静謐な輝きを垂らす月だった。いや、ここが異世界である以上クロエの見ている天体を月と形容するのは間違いかもしれないが、クロエはそれを月としか形容できない。


「すごい……、明るい。」

「聞くところによると、異世界にも月はあるそうですわね。クロエさんの世界にもありましたの?」

「ありましたけど、こんなに明るくはなかったような気がします……。」

「あの月のおかげで、ヒカリゴケの外灯のない郷の外れでも夜に出歩く程度ならば困らないですわ。まぁ、中央部の辺りは明かりが多くて少し眩しいぐらいですけど。さっ、着きましたわ。」


 サラが立ち止まった。クロエも同時に歩みを止める。クロエが顔を向けると、そこにあったのはこれまでに見たどんな木々よりもさらに巨大な大木であった。木の直径だけで一般的な家屋をはるかに上回る大きさだ。高さはそれほどでもないが、それでも天をすっかりと覆う様はまるで傘のようである。

 巨大な木々には、よく見ると入口らしき扉や各所に窓らしき穴もあった。まるでその大樹が一つの家のようである。そして入り口の脇には火のついた松明が置かれ、そこには衛兵よろしく二人の人物が立っている。

 クロエはその人物を見た瞬間、思わず言葉を失った。そこにいたのは恐らく森精族エルフなのだろう。しかしその容貌はクロエが見てきた森精族エルフのそれとはかけ離れたものであった。

 第一にその体躯は褐色で、そして筋骨隆々である。白い肌と細い体躯の森精族エルフしか知らないクロエは、その威圧的な肉体に気圧された。耳は森精族エルフと同じく長く尖っているが、類似点はそれぐらいと言っても過言ではない。


「(も、もしかして……、いわゆるダークエルフって人たちなの……?)」


 クロエの予想は見事的中していた。彼らこそ長い森精族エルフの歴史において禁忌とまで忌み嫌われていた存在、ダークエルフなのである。一般的に疎まれる傾向にある闇属性の魔力に適性があるばかりではなく、森精族エルフらしからぬ恵まれた体躯に毛先が紫がかった灰色の髪、そして褐色の肌。何も知らないクロエであっても同じ森精族エルフとは考えられない存在であった。

 大樹の入口を守るように立つ二人のダークエルフは、近づいて来たサラとクロエをその高い視点から否応なしに見下ろす。その眼光もまた鋭く、例えクロエが男子大学生のままこの世界に来ていたとしても委縮することは間違いない。それが今では小さな少女の身体なのだ。もはや半分涙目で自らの身長の1.5倍はあろうかと言う巨躯を見上げている。


「(な、なんで……!? なんでこんなに睨まれてるの!? ボク何か悪いことした!? や、ちょ、ほんとに怖い……!)」


 ダークエルフの二人からすればただ訪問客を見ていただけなのだが、クロエは被害妄想の入り混じった穿った視点で二人を見てしまっている。そのせいで無意味に恐怖を感じてしまっていた。

 しかし、隣のサラは怖がるどころかいたって平気な表情である。強がりでも何でもなく、むしろ二人に対し好意的な笑みすら浮かべて大樹の入口の扉までたどり着いた。クロエはその隣で何とかダークエルフの二人と視線を合わせないように目をそらしている。


「遅れましたわ。サラ・エルゼアリスです。大長老様にお会いする用事がありますの。通してもらえますか?」

「お久しぶりでございます、サラお嬢様。中で大長老様がお待ちです。ミーナ様もお待ちしておりましたよ。」

「あら、それはそれは……。ミーナに会うのも久しぶりですわね。さ、クロエさん。行きますわよ?」


 外見とは裏腹に紳士的な口調と声色のダークエルフに驚くクロエだったが、ダークエルフの発した「サラお嬢様」という言葉の衝撃の方が大きく、気が付けばすでに大樹の内部へと入っていた。

 大樹の内部は、まるで本当の家の様だった。壁や天井、床のすべてが木製なのは大樹の内部であるから当然なのだろう。外見通りと言うべきか、クロエのいるその空間は木の内部であるという事が信じられないほど解放感に溢れており、間接照明のような不思議な明かりによって温かく照らされている。おそらく、ここが大玄関とでも言うべき空間だと予測できる場所だった。


「(何と言うか、ファンタジーっぽいな……。)」

「クロエさん? こちらですわ。」


 少し先でクロエの方へ振り返ったサラがクロエを促した。クロエは少し小走りでサラの後を追う。緩くカーブを描く廊下に沿って、広大な樹の内部を歩く。調度品の類はなく、また廊下には外の見える窓がない。廊下を挟むようにして扉が並んでいた。それを見たクロエが、前世の生物学の授業を思い出す。


「(ちょうど、双子葉類とかの厚角組織と髄みたいな感じなのかな。つまりこの廊下はその境の内皮部分?)」


 クロエがこの建物の構造について考えていると、前方より何者かが近づいて来た。遠くからでも分かるその特徴的な外観はダークエルフ、しかし入口にいた屈強な体躯ではなくスラリとしたスリムなシルエットである。クロエはその人物の胸の膨らみや体つきなどから、彼の人物がダークエルフの女性であると推測した。

 その人物は書類らしき物を抱えて歩いていたが、歩いてくるクロエとサラに気が付くと一瞬だけ驚いたような表情を浮かべた後に、廊下の端によってクロエたちに道を譲った。と同時に深く頭を下げる。


「(お、おぉ……。こんな扱いされるの初めてだよ。気まずいなぁ……。)」


 日本で暮らしていたころは紛れもない一般市民であったクロエは、このような態度で持て成されることに慣れていない。やや気まずさを感じながら気持ち小走りで彼女の前を通り過ぎるが、対するサラは堂々とした様子であった。嫌味などは一切感じさせず、それが自然であると見る者に感じさせる。

 クロエはこのサラの態度を見て、とある予測を立てた。


「(たぶんサラさんは、この国の貴族みたいな身分の人なんだろうな。門番の人も『お嬢様』って呼んでたし、こんな簡単に国で一番偉い人に会いに来てるし。うわぁ……、何か失礼な事とかしてないだろうな……?)」


 サラの後を追って廊下を歩き階段を上がっていたクロエだったが、その内心は自らのこれまでの行動を振り返るのに夢中となっていた。


「(えぇ……。どうしよ、何かいろいろとやらかしちゃったかも。っていうか、何が失礼に当たるんだろ? ボクの常識がこの国の常識と完全に一致しているとは限らないし。あ、後で不敬罪とか言われないかな?)」


 このように心ここにあらずの様相で歩いていたからであろう。クロエは立ち止まったサラの気が付かず、そのままサラにぶつかってしまった。


「キャアッ!?」

「わぷ! わ、ご、ごめんなさい!」

「だ、大丈夫ですわ……。それよりも、着きましたわよ。ここですわ。」

「え?」


 前につんのめったサラは体勢を崩しかけながらも何とか堪え、クロエにある扉を示した。クロエはその扉を見上げる。扉はここまでに視界に入った扉とは一線を画する重厚な作りとなっていた。両開きのそれはまさに客人を迎えるのに相応であろう。

 クロエはその圧力に少し気圧され、ごくりと唾を飲み込む。そしておもむろに両手を上げ、片方の扉の取っ手に手をかけた。

 クロエが扉を引き開くと、そこはとても広い部屋だった。ほぼ円形の部屋である。壁一面に本棚が設けられ、その高さは優に4、5メートルはあるだろう。そして天井はヒカリゴケの照明。窓のない空間ではあるが、明るく広い空間のおかげで圧迫感は感じない。

 クロエは部屋を見渡す視線を降ろした。部屋の中央には何者かが座っている。その人物を取り囲むような半弧状の面白い形の机があり、そこには書類らしき物が至る所に置かれていた。

 その人物は書類に向かっていた顔を上げた。長くそして絹のような見た目の金髪に、緑の瞳。顔にはメガネをかけている。柔和な表情は見る者に安心感を与えるだろう。クロエの思い描くエルフの姿がそこにはあった。

 その女性は持っていたペンをペン立てに立てると、椅子から立ち上がり机の前へと歩き出た。身長は日本女性の平均よりやや高いぐらいだろうか。サラより頭半個分ほど高めである。また、その乳房はこれでもかと言うほどに母性を主張していた。歩くたびに軽く揺れるその双球は、見ていて目眩を起こしかねない。


「待っていましたよ、サラ。そしてそちらのお嬢さんが、あなたが保護したという少女ですね?」

「はい、大長老様。要請に応じ、挨拶へと伺いましたわ。」


 女性の、大長老の声は落ち着いており、そして同時に威厳に満ちていた。見た目とそぐわないと言っても過言ではないほどである。見た目通りの年齢ではないという事なのだろうかと、クロエは内心予測していた。


「クロエさん、一応クロエさんからご挨拶をお願いしますわ。」

「ひゃっ、は、はい……。」


 サラがクロエの耳元で囁いた。その息遣いに少しだけ肩をすくめながらも一歩前へ出て、頭を下げる。


「は、はじめまして! えっと、森で狼に襲われてた所をサラさんに助けられた、クロエと言います! この度はありがとうございました!」


 正式なマナーなど知らないクロエは、とりあえず挨拶と礼を述べること位しか思いつかなかった。しかしその思いは伝わったようで、クロエ以外の二人はクロエの言動をとがめる様子は見せなかった。

 クロエが恐る恐る頭を上げると、視線の先の大長老は組んだ腕で胸を支え、そして右の手を頬に添えていた。目を細め、クロエを微笑ましそうに見つめている。


「やぁん、可愛いわぁ! こんな小さいのにしっかりと挨拶出来るだなんて、偉いわねぇ? んふふ、おいで? よしよししてあげるわ!」


 腕を広げた大長老は、おいでと言った割には自らクロエに歩み寄りそのままクロエを抱きしめた。暴力的な柔らかさがクロエの顔面を襲う。身長差ゆえにクロエの顔の高さに大長老のその豊満な胸が当たるのだ。

 クロエは慌てて息を吸った。しかし感じるのはどこかミルクめいた大長老の香りであり、それが胸を満たす。今や同じ女性の身であるというのに、その胸の柔らかさと香りにクロエは燃えるように顔を赤らめた。


「ちょっ、大長老様! 仮にもシドラの主でありますのにそれはいけませんわ!」


 しかしサラの抑制も効かず、大長老はクロエをぎゅっと抱きしめたまま、そのままに自己紹介を始めた。


「はじめまして、クロエちゃん。私の名前はサーシャよ。この郷の大長老をやってるわ。よろしくね?」

「だ、大長老様! そのままだとクロエさんが窒息してしまいますわ! 離してあげてくださいまし!」

「あら? これは失礼。」


 大長老ことサーシャはパッとクロエを解放した。ミルクめいた香りから解放されたクロエは肺一杯に空気を吸い込む。顔の赤さは息苦しさのせいだと受け止められたようだ。サラが心配そうに顔を覗き込む。


「大丈夫ですの、クロエさん……?」

「な、なんとか……。ちょっと、驚いちゃって……。」

「んー、ほんと可愛いわねぇ。まるでサラちゃんの小さい頃を見てるみたいだわぁ。」

「だ、大長老様! 今はその事は……!」


 サーシャの漏らした言葉にサラは過剰なまでの反応を見せた。二人の気の置けない雰囲気やこれまでの会話から、クロエは二人の関係を予測する。


「あ、あの……。間違ってたらごめんなさい。もしかしてサラさんと大長老様って、もしかしてご姉妹か何かなんですか……?」


 クロエの一言に、サラとサーシャの二人が同時に黙りクロエを見つめた。その沈黙に何か地雷を踏んだかと警戒するクロエだったが、次の瞬間サーシャが破顔してクロエを再び抱きしめた。


「やーん! お姉さんだなんて、なんて嬉しいこと言ってくれるのかしら! 決めたわ、この子うちの子にしましょう! あーもう、可愛いんだから!」

「ク、クロエさん!? って、大長老様も! クロエさんが窒息してしまいますわ!」

「あらあら、ごめんなさいな。」


 再びクロエを解放したサーシャは、それでも嬉しそうに身をくねらせている。その様子をサラは頭が痛むかのように眉間に指を添えて見ていた。そしてため息を一つ吐くと、ひざを折ってクロエに目線を合わせる。


「クロエさん、そんな勘違いはいけませんわ。大長老様と私は無関係。私はしがない一般エルフですわ。」

「えー、サラちゃんったら、そんな酷いこと言うの? お母さん悲しいわぁ。」

「え……。お、お母さん!? お母さんって、えぇっ!?」


 サーシャの発言に、今度はクロエが驚いた。何度もサラとサーシャを見比べるように交互に見る。言われてみれば、顔の造詣などが似通っているようにも見える。何となく似通った雰囲気からクロエは姉妹だと予測したクロエだったが、まさか母娘だとは想像だにしていなかったようだ。

 一方、クロエの視線を受けたサラは気まずそうに視線をそらしている。しかし説明を求める無言のクロエの視線に耐えかねたのか、棒読みに近い調子で口を開いた。


「し、知らないですわ……。聞き間違いじゃありませんの?」


 何も知らないクロエから見ても、その言葉は無理があるとしか思えない。しかし、そんなサラの様子を面白そうに眺めていたサーシャが口を開いた。


「ねぇクロエちゃん知ってる? この娘ったら昔、『怖い夢見たの……』って泣きついて来た挙句、翌朝おねs――」

「この方は私の愛するお母様ですわっ!!」


 サーシャの言葉を遮るように、サラが大きな声でサーシャが母親であると認めた。まるで拷問に屈した捕虜も斯くやと言うような形相である。対照的に、サーシャの方はサラの言葉が嬉しかったのか満面の笑みを浮かべる。


「はぁい! サラちゃんの母親、サーシャ・エルゼアリスよ! 改めてよろしくね、クロエちゃん。」


 二人の言葉を受け、クロエはようやく事実を受けいれた。しかし、それでいてもすんなりとは受け入れられない。ポカンと呆気にとられたような目でサーシャを見つめていた。


「あら? クロエちゃんは知らないのかしら。森精族エルフはとても長寿なんだけど、一定の年齢までは人類種ヒューマーと同じぐらいの速度で成長するのよ。でも、その後の加齢はとってもゆっくりなの。特に、私たちのように高い魔法効率値を持つハイエルフは、ね。」

「まぁ、そのなかでもお母様は特に若々しい部類ですけどね……。」

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