第1章:エルフの隠れ郷・シドラ

第2話

「…………。……? ……んぅ? あれ、ここは……?」


 鬱蒼とした木々が陽の光を適度に遮り、モザイク状に地上を彩る。青草の香りが鼻孔をくすぐる。森の清廉な大気が頬を撫でた。

 そんな森の中で、クロエは目を覚ました。顔に当たる木漏れ日に目を細め、視線を逸らす。その先にあるのは生い茂る木々だ。しかし植物学者でもないクロエではその木々が一体どんなものなのかは分かり得ない。

 視線の低さ、そして視界に広がる景色から判断するに、クロエは仰向けに横たわっているようだ。生い茂る草が背中に適度な柔らかさを与えてくれる。叶う事なら、このままもうひと眠りをしたいという欲望が出てきそうだ。


「(よく分からないけど、ここは転生先の世界なのかな。意識もしっかりしてるし、問題はないっぽいけど……。)」


 クロエは横たわったまま辺りを見回した。しかし先ほどまでの白い空間とは異なり、辺りには誰もいない。やはり謎の声の言葉通り、バラバラの場所へ転生させられたようだ。その事実に気付いたクロエは内心に不安を得る。


「(分かってはいたけど、本当にボク一人だ。一人暮らしで慣れてたつもりだったけど、もう、どこにも帰る場所は、ない……。)」


 現代日本ではめったに味わう事の出来ない真の孤独がクロエの内心を蝕む。どこにも頼れる人などいない。いや、人がいるかどうかも分からないのだ。


「(……ダメだ! 弱気になっちゃダメだ。少なくとも、みんなはこの世界にいるはず。こんな所で、ぐだぐだしてる場合じゃない。)」


 弱気になる心を叱咤する。唇をキュッと引き、身体に力を込めて起き上がった。転生したからのか身体はすこぶる軽い。言わば体が作り直されたような物なのだろう。クロエはそう考えた。

 しかし、クロエはそこで予想外の事態に遭遇した。勢いをつけて上体を起こしたのだが、突然視界に白い何かが覆いかぶさって来たのだ。驚いたクロエはとっさにそれを手で払い、そして掴み引っ張った。


「――ッ!? いっ、痛ッ!」


 白い何かを引っ張ったクロエだが、同時に頭部に鋭い痛みが走った。思わず白い何かから手を離す。


「(えっ、えっ……。な、何で……。どうして!?)」


 混乱するクロエ。ただでさえ転生で混乱しているというのに、このような謎の現象に対応が出来なかったのだ。

 しかし、クロエは心の奥底でとある可能性に気が付いていた。しかしそれは自分にとってあまりに過酷で、そして信じがたい事実だった。故に、無意識のうちにその可能性に気が付かないようにしていた。

 だが、現実は非情である。クロエが知覚する様々な情報が、クロエの認めたくない事実を裏付けしてしまう。起き上がった上体はいつもよりも視界が低い。思えばさっき出た声は異様に高くなかったか? 白い何かを引っ張った手、それはいつもの自分の手だったか? 白い何かと言うが、あれは形状から察するに毛髪上の何か、いや髪の毛じゃないのか?


 ――ピチャンッ


 クロエの耳に、水滴の落ちる音が聞こえてきた。それは森の喧騒の中で不思議と明瞭に耳朶を叩く。どうやら、近くに水場があるようだ。水の流れる音が聞こえてこないという事は、それは流れる水ではない。湖か、もしくは池か沼だろう。水音に釣られ向けた視線の先は、草木生い茂る天然のバリケードだ。進むのはためらわれる。

 ためらいを見せたクロエだったが、すぐに決意を固めた。すっくと起き上がると、そのまま脇目もふらず駆け出す。

 雄大な自然の壁を越え、見た事もない植物群に目を奪われそうになりながらも、クロエはただただ走った。先ほどは判別できなかったが、目にした植物は少なくとも日本で見慣れたものではない。その事実がこの異世界感を高めていく。

 茂みを駆け抜け木々を避け。たどり着いた先には透き通った水を湛えた湖があった。遠くで魚らしきものが跳ねるのが見える。先ほどの水音はここが発生源だったようだ。波打つ事もなく、空の青をきれいに映している。

 クロエは湖の際に駆け寄った。これほどまでの湖なら、自身の姿も確認できるだろうと考えたのだ。水際スレスレに跪き水面を覗きこむ。そこに、映っていたのは――


「…………は?」


 そこに映っていたのは、白く長い髪を風に揺らし、不安そうな目でこちらを覗き込む一人の少女だった。年の頃は十代前半だろうか。真っ赤な瞳が特徴的である。とても可愛らしい顔立ちをしているが、映る表情は何かに怯えているかのように不安げだった。

 クロエは泉を覗き込んでいた顔を上げた。そしてペタンと尻餅をつき、顔を両手で覆う。その手も小さく、そして柔らかい。まるで幼い少女の紅葉の手のようだ。しかしクロエはその事実に気が付きつつも気が付かない。いや、気付かないふりをしていた。気づきたくなどなかったのだ。


「(……いや、待って待って待って、待って! こんなの嘘だって、ありえないって! いや確かに最近読んだ本とかにもこんな展開あったかもだけど、でも、でも……! どうしてボクが!? 結果でさえおかしかったのに、こんなの、嘘でしょ……!)」


 それから、幾度と自問と煩悶を繰り返しただろうか。風の声が髪を揺らし、背中を押す。クロエは覚悟を決めた。

 顔を覆っていた両手を離し、そのまま下げ、胸元へ。手を当ててみると、そこにはこれまでの記憶に一切類似しない柔らかさがあった。その柔らかさからは、当てている手の温かさが感じられる。

 思わずクロエの頬がうっすらと紅潮する。別に悪い事をしている訳ではないが、どうにもこれまで感じた事のない感覚のせいで、気恥ずかしさが止まらないのだ。

 クロエはチラリと、辺りを視線だけで見渡した。周囲には誰もいない。クロエはそろそろと胸に当てていた手を降ろし、その手を足の間へと潜らせた。


「んっ…………、あ、……な、ない?」


 そこには、およそ二十年に渡り慣れ親しんだものがなかった。不思議な感覚を右手一杯に感じたクロエは、とうとう今まで認められなかった現実を受け入れる。


「女に……、なってる……?」


 ぼそりと呟いた言葉は、まるで鉛のようにクロエの心に深く重くのしかかった。認めたくない現実であるが、ここまで現実を叩きこまれては認めざるをえない。



 男子大学生だった黒江は、異世界に転生し、幼い少女クロエとなってしまった。



「(クソ……。異世界に送られることはまだしも、その際の結果は異常だし、挙句に小さい女の子になるだって? 冗談じゃない! こんな小さな身体で、どう生きろって言うんだよ……!?)」


 もはやその驚きようは口にすることすらも出来ないほどだった。頭の中で流れるように言葉が飛び交うものの、現実ではただ口がパクパクとするだけである。

 クロエが立ち上がった。立ち上がり、あらためて自分の身体を見回す。服は死ぬ前に着ていたままであった。メンズ物のSサイズであるが故に、少女の身体でもギリギリ着ていられる。しかし腕も脚も細く、明らかに少女の身体だった。

 クロエは再び湖の側へ寄って行った。そして自らの姿を改めて観察する。先ほども見た通り、特徴的なのは白く長い髪の毛と真っ赤な瞳である。顔立ちはとても整っており、街中で見かけようものなら思わず目で追うだろう。肌も白いが、不健康な青白さは感じられない。まるで人形のようだ。

 しかし、クロエの視線は湖に映る姿のある一点を注視していた。それは顔の横辺り、耳である。実は両目が真っ赤な時点で薄々察していたのだが、自らの耳を目にしたことで確信に変わった。


「……もしかしなくても、ボク、これ……、人間じゃ、ない……?」


 そう、瞳の色が赤い時点で察していたのだが、クロエの両耳はおよそ人のそれとは異なる形状をしていた。大きな差ではないが、尖っているのである。人の中にも耳が尖り気味の人はいるだろうが、そういった個人差では片づけられない尖りだった。

 無論、ここがクロエの生きていた世界ではない以上、この世界に人類がいるのか、たとえいたとしてもクロエのいた世界の人類と同じとは限らない。しかし、自らの思い描く人類と異なるという事実はクロエの精神を抉るのに十分だった。


「(もう……、訳わかんないよ……。転生して、女になって、それで人外? ほんと意味わかんない……。どうしろって言うんだよ? その為の指標とか言うロールも『魔王』とか――)」


 この時、クロエはとある考えを思いついた。それは自分で思い返してもどうしてそんな考えに至ったのか分からないほど突飛な発想だったが、妙にしっくりくる考えだった。

 その考えに至った際、クロエは背筋にゾッとした物を感じた。まるでとてつもなく大きなものに裏から操られているような、もう後戻りのできない岩壁に立たされているかのような、そんな危機感に近い何かだ。

 しかし、クロエはその謎の感覚について深く考えることは出来なかった。それについて考えようとしたその時、不意にクロエの背後の茂みが音を立てたのだ。

 泉に向かう格好のクロエは、あわてて背後へ振り返った。クロエが抜けてきた茂みとは異なる茂み、音をたてて揺れるそこからとあるものが現れた。そしてそれを見たクロエは、今自分がいる世界が、自らのいた世界とは異なる世界であることを心から理解した。


「……な、なんだ、あれ?」


 クロエの視線の先にいたのは、二頭の犬だった。いや犬と言うより、その大きさは狼だろう。しかしクロエとて野生動物を見たからと言ってここが異世界だと判断したわけではない。その動物に、ありえない特徴があったのだ。


「(いくら何でも、目が三つ・・・・ある狼なんて、地球にはいない……!)」


 茂みから出てきた狼には、瞳が三つあったのだ。そしてなお悪いことに、この狼たちはクロエに対しよくない反応を見せている。歯をむき出しにし、低い唸りをあげ、じりじりと、まるで得物を狙うかのように迫ってきているのだ。


「あ、ちょ、えぇと……、お、おすわり!」


 何をとち狂ったか、クロエは狼たちに対し「おすわり」と声をかけた。当然狼たちはそんな言う事を聞くことはなく、依然として唸りを上げて迫って来る。


「ぅえ!? なんで、あ! えっと、ま、待て! ステイ! ゴーホーム!」

「ヴァウッ!!」

「ひ……ッ!」


 クロエは諦めずさまざまな指示をかけるが、それらは狼の一吠えにかき消された。そしてクロエも、初めて聞く純粋な野生動物の敵意満載の方向に気圧され、悲鳴を上げて尻ごみを着いてしまった。

 もし、これが元の世界の男子大学生の黒江であったのならば、驚きはすれど悲鳴を上げて尻もちまではつかなかっただろう。それがここまでの反応を見せるのは、精神が今の姿に引っ張られているという証なのだろうか。


「(なに、これ……!? なんでいきなりこんな敵意向けられてるの!? って、敵意……? なんかこれ、敵意って言うより、どっちかと言うと、狙われてる……?)」


 クロエは自らが置かれている現状を正しく理解した瞬間、素早い動作で踵を返し、自分が抜けてきた茂みへと飛び込んだ。そしてそのまま止まることなく、一目散に駆けていく。

 とっさの判断であったが、それは正しかった。逃げ出したクロエを追うように二匹の狼がクロエを追いかけてきたからだ。もしあのまま腰を抜かしたままならば、そのままクロエの第二の人生は幕を下ろしていただろう。

 しかし、齢十歳前後の少女と殺気立つ野生の狼の追いかけっこなど数十秒で決着がつくように思われたが、予想に反し、先程の湖から始まった逃走は数分経っても続いていた。クロエの身体は見た目こそ十代前半の少女のそれだったが、人外のその身体は見た目以上の身体能力を秘めているらしく、足の速さや持久力は大したものだった。

 また、この生い茂る木々もクロエの逃走を助けていた。この森に住む獣と言えど、流石に生い茂る木々を前に全速力で追いかけることは出来ないようである。クロエは木々をうまくかいくぐり、狼たちに追いつかれないよう逃げていたのだ。


「(認めたくはないけど、認めたくはないけど! 身体が小さくなってて助かった……! いくら何でも、前の身体だったら、……っと! 今みたいに、木の隙間なんかくぐれなかったし!)」


 しかし、クロエの身体がいかに高い身体能力が高かろうと、いかに木々を利用し逃げていたとしても、所詮は付け焼刃。狼たちとクロエとの距離は徐々に短くなってきている。このままでは、追いつかれるのも時間の問題だろう。時折チラッと背後を振り返る黒江の顔には余裕が感じられない。呼吸もかなりギリギリであった。

 息せき切って走る、走る、走る。懸命に腕を振り、脚を動かし、命辛々走りゆく。もはや後ろを確認する余裕などない。終わりの見えない森の光景と、背後から迫る死の気配。その恐怖に、もはやクロエは涙を流していた。

 一体、自分が何をしたというのだ。余裕があればそう叫びたいとクロエは考えていた。いきなり事故で死に、見知らぬ異世界に半ば無理やり送られ、全くの説明もなく少女の身体にさせられる。もはや喜劇だ。人によっては諦めてしまうだろう。

 だが、クロエは諦めなかった。


「(クソ……! 絶対、絶対逃げ切ってやる! こんなとこで、死ねるか……!!)」


 歯を食いしばって、荒れる呼吸を無理やり捻じ伏せて、生きるためにただ走る。しかしクロエ自身、うすうす気が付いていた。このままただ走っていたとして、そこに救いなどありはしないという事を。

 そんな心の奥底の動揺が体に影響したのだろうか。クロエの右足が少しふらついた。そしてそれをカバーしようと左足を無理な挙動で動かす。しかしそのせいで歩幅が狂い、何もせずとも超えるはずだった木の根に躓いてしまった。


「あ……ッ」


 木の根に躓いたクロエは、懸命に走った勢いそのままに空中で半回転する。そしてそのまま、正面の大木に背中を激しく打ちつけた。


「がッ!! ……カハッ! あ、ぐ、……うぅ。」


 背中を打ちつけたせいで肺が押しつぶされ、強制的に呼吸が殺される。突然の衝撃と背中の鈍い痛み、呼吸ができない混乱とが一気に重なり、クロエの心を砕きにかかる。

 クロエからすれば、全ては突然かつ瞬間の出来事であった。足がふらついたと思ったら、次の瞬間天地が逆様となり背中に鈍い痛みが発生していたのだ。


「あ、う、……ぐ、ゲホッ! な、い、一体……?」


 現状の把握は出来ていないが、それでも自らが命の瀬戸際にある事は覚えている。クロエは混乱する頭と霞む視界に苦心しながらも、何とか眼球の動きだけで周囲を見回した。

 いた。クロエを追いかけて来ていた狼たちだ。狼たちは得物が追い詰められていることを理解しているのだろうか。先ほどまでとは違い一歩一歩確実に脚を詰め、哀れ行動不能となったクロエを確実に仕留めようと狙っている。

 クロエは必死の形相で、仰向け状態からうつ伏せへと体勢を変えた。そして燃えるような背中の鈍い痛みを、目に涙を浮かべながら堪える。何とか肘をつき、手のひらをつき、上体をそらし、顔を上げ、狼たちを正面から見据えた。

 見るも痛々しい姿である。これまで必死に木々をかき分けてきたせいだろうか。体中に細かな切り傷が出来ており、一部からは真っ赤な血が垂れている。口の端から流れる血は、先程の衝突のせいだろう。

 クロエはもぞもぞと無様な芋虫のように体を必死に動かし、ふらふらと体をふらつかせながらもなんとか立ち上がることに成功した。

 意識が遠のく。ふらっと身体がよろめき、そのまま後ろに倒れ掛かるが、そこには先ほど背中を打ちつけた大木があった。先ほどまでの衝撃ではないがそれでも強めに背中を打ちつけてしまった。クロエはその衝撃と上書きされた痛みに、「ぅぐ……ッ」と鈍い声を上げる。


「(……ふざけるな。)」


 しかし、クロエの瞳からは光が失われていなかった。満身創痍の全身にズタボロの見た目、もはや瀕死と言っても過言ではないだろう。だが鋭く狼たちを睨みつける瞳には、生きる意思が燃えている。


「……ふざけるなよ、クソッ! かかって来いよ! こっちはもう、一度死んでるんだ! タダでは死なないぞ! お前らの、耳でも目でも、喰い千切ってから死んでやるからな!!」


 脳内麻薬でも出ているのかもしれない。この命の危機に、血反吐と共に、獣相手に啖呵を切る。擦れた言葉がクロエの目の前の畜生に届くとは思えないが、狼たちも得物が逃げを止め抵抗することを察したようだ。体勢を低くし、攻撃を仕掛けようと唸りを上げた。


「(……あぁ、死んだかな。まぁ元々運は悪い方だったし、死んだ後にみんなと会えただけでもマシか。)」


 狼たちが同時に飛び掛かって来た。命の危機が目前に迫るというのに、クロエの心は驚くほどクリアな思考を保っている。そんな事を自覚しなが「ああ、これが走馬燈か。」などと呟く余裕すらあった。

 その時だった。クロエがもたれ掛かる大木の脇から二本の光が通り過ぎ、とびかかる狼たちへと迫った。クロエの瞳が光を捉える。緑色のそれは、まるで吹きすさぶ風を凝縮したような杭のような物だった。突然の事にただそれを見送るしかないクロエだったが、次の瞬間、その緑の光は非現実的な軌道を描き狼たちの頭を横から貫いた。


「ギャインッ!!」


 光に貫かれた狼たちは絶命の断末魔をあげて吹き飛んだ。重たい肉が地に叩きつけられる特有の湿った「ドチャッ!」という音を立てて叩きつけられた。貫かれた頭の穴と口や鼻、目から血を流し、ビクンビクンと痙攣を繰り返した後、完全に絶命する。


「ど、どういうこと……?」


 突然の出来事に、クロエの脳内が何度目か分からぬ混乱に満たされた。流石異世界と言った所か、クロエの予想の範疇から外れた出来事が当然のように姿を見せる。

 同時に、命が助かったという実感が今更ながらにして腹の底から湧いて来た。知らずの内に瞳の端には涙が浮かび、脚はがくがくと痙攣し力が入らない。ペタンと座り込んでしまう。忘れていた痛みが全身から襲ってきたが、今のクロエにとってはその痛みすら生きている実感だった。


「ハッ、ハッ、ハッ……!」


 荒い呼吸で喉と肺が痛い。涙の他に鼻水も止まらない。実に惨めな姿であるが、助かった命に比べれば外見など取り繕う暇はなかった。


「――大丈夫ですの!?」


 クロエの遥か後方から、若い女性の声が聞こえてきた。初めて聞くが、凛とした明るい声だ。クロエは痛む体で声の方向へ振り向こうとしたが、とうとう意識が限界を迎えた。プツンと糸が切れるように、クロエの視界はブラックアウトした。











 視界にあるのは、どこまでも広がる空だった。見上げれば群青、見渡せば緋紅。美しき空のグラデーションがまぶしい。

 クロエは直感的に理解した。これは夢だと。しかし、その姿は少女のままである。踊るように過ぎゆく風が、クロエの白い髪を優しく撫でていく。見下ろした視界に広がるのは風に揺れる緑の絨毯だ。

 始めて見たのに、何故か懐かしさを感じる光景だ。クロエが郷愁に浸っていると、不意に何者かの存在を感じた。背後だ。しかしクロエは振り向かわない。いや、振り向けない。振り向こうという考えが浮かばなかった。

 背後の存在は、草を踏みかきわける音をたててクロエの方へ近づいてくる。そして、すぐ背後まで迫った。


「……その子を、よろしくね?」

「えっ――」


 とっさに振り返ったクロエの視界には、誰も映っていなかった。ただ映るのは殺風景な、しかして温かみのある草原のみ。そして風が髪を、頬を撫でる。

 クロエが遠くを眺めていると、徐々に意識が風景に溶けるような錯覚を得た。いや事実、意識が遠のいていく。

 暗く、暗く。

 クロエの意識は途切れた。











「……ん、んん? ――ッ! う、い、いたた……。」


 クロエは目を覚ました。とっさに上体を起こそうとするも、背中の痛みでそれも叶わない。鈍い痛みに顔をしかめ、クロエは再び身体を横にした。すると、背中に柔らかな心地よさを感じる。後頭部にもだ。そこでクロエは自分の置かれた状況を理解する。


「あれ? これ、布団……? ボクは、さっきまで森で……。」


 右腕を頭の横に伸ばし、頭の下に置かれた枕を触る。細かな小さな粒の感触。独特の気持ちよさだ。

 もはや何度目か分からない混乱に目を白黒させるクロエ。だがそれでも何かしらの情報を得ようと、巡らした目線で見えるものを観察し始めた。

 木の天井があり、風などを感じないという事は、ここは屋内であるらしい。屋内に電灯のような物はなく、この部屋の明るさは壁の窓から入り込む陽の明るさだ。木枠のみの窓は、閉める時は上げてある板を降ろすものだろう。取りあえずここは、そこまで科学技術の発展している場所ではなさそうである。

 そして自身を包む布団は、適度な重さを感じる心地よいもだった。埃臭さのようなものは感じられず、清潔感にあふれている。視界の高さから察するに床に布団を直置きではなく、ベッドのような物に横たわっているらしい。

 クロエは枕を揉んでいた手を自身の頬に当てた。頬には手の、手には頬の温かさが感じられる。心地よいモチモチ具合だった。


「(……あの時、狼に殺されそうになって、でもなんか意味わからないけど助かって、助かって……。あれ、その先が分からない……。って言うか、何か凄い夢を見てた気をするけど……、うーん……。)」


 どれだけ思い出そうとしても、気を失ったクロエがその先を知っているはずはなかった。また、気絶の間に夢を見た気がすると悩むも、得てして夢は目覚めると忘れるものである。クロエもその例に漏れず忘れていた。

 頬に当てていた手を目元に当て、目元をこしこしとこする。同時に大きなあくびを一つ。異世界に来ていると言う事も忘れ、気分は日曜の目覚めだった。

 と、その時。「コンコンッ」と軽やかなノックの音が聞こえてきた。クロエが顔を傾け見ると、そこには木の扉がある。それがノックされたようだ。そして続けざまに、ある声が聞こえてくる。


『――クロエさん? 起きてますの?』


 若い女性らしき声だった。そしてどこか心配そうな声色である。どこかで聞いたことがあるような気がしたクロエは首をかしげたが、もっと気にすべきことに少し遅れて気が付いた。


「(あれ? さっきの声、明らかに日本語じゃないよな? なのに、何言ってるか分かるぞ……。え、ど、どう言う事……?)」


 そう、先程の女性の声は明らかに日本語ではなかった。かといって、クロエにとっての前世に当たる現実世界で学んだ僅かな知識に照らしてもみても、該当しそうな言語はない。とは言っても、英語ですら満足に理解していないクロエには例えその言語が英語であっても分からなかっただろうが。


『あ、あの……、クロエさん? 大丈夫ですの? あ、もしかして、言葉が通じていないとか……。ど、どうしましょう……?』


 クロエが黙り込んでいると、扉の向こうの女性が困ったような声を発した。そしてクロエが混乱しているように、女性も言葉が通じないのかと懸念している。しかしやはり、クロエはその言葉もはっきり理解できていた。


「(やっぱり、日本語じゃないのに言葉がわかる。でも、どうしようかな……。向こうが話す言葉が理解できるからって、ボクの言葉は相手に通じるの……?)」


 クロエもまた懸念を抱えていた。相手の言葉が何やら不思議な力で分かるとはいえ、こちらの言葉が相手に通じるかどうかは別問題である。しかし扉の向こうで女性が困惑の声を上げているのを聞き、クロエはダメ元で声を上げた。


「あ、あの! 起きてます! 言葉、通じてますよ!」

『え、何で、エルフ語を……? そ、それよりも! 起きていたんですのね!? 良かったですわ……!』


 驚くことに、クロエの発した日本語は普通に女性へと通じた。しかしその日本語はどうやら相手にも異なる言語として通じているらしい。扉の向こうの女性はその事実に一瞬困惑するも、それよりもクロエの無事を確認できたことに意識がいったようだ。この女性のお人好し加減が伺える。


『食事を持ってきましたわ。入らせてもらいますわね?』


 発された言葉と同時に、部屋の扉が押し開かれた。そしてそこに立つ女性の姿を目にしたクロエの瞳は、驚きに見開かれる。

 そこに立っていたのは、輝くばかりの金髪に白い肌、緑の瞳を持つ美女だった。年の頃は十代後半だろうか。湖で見た自身の姿よりは年上に見える。整った顔立ちにはどこか高貴さのような物も感じられた。そして女性はその手に湯気を立てる器を載せたお盆を持っていた。

 しかしクロエが驚いたのは思わぬ美女の登場にではない。その女性の顔の横、そこにあった耳に驚いたのだった。


「(あの耳……。あの大きく尖った耳は、もしかして……、エルフ!?)」


 そう、女性の耳は大きく尖っていた。人間にしてはあり得ないほどに長く伸びた耳、それはクロエが物語の創作で何度となく見知ったエルフの姿そのものだった。金髪に白い肌、そして長い耳。あまりにテンプレートなエルフの特徴揃い踏みに一瞬自らを疑ったが、何度見てもエルフとしか形容できなかった。

 エルフの女性は自身を見つめるクロエの視線に、少し恥ずかしそうに微笑みながら視線をそらした。


「あ、あの……。そんなに見つめられると、その……。な、何か付いてます……?」

「あ、ご、ごめんなさい……。」


 慌てて視線を逸らすクロエ。女性はまだ気恥ずかしそうであるが、手に持ったお盆を持ち直し、クロエの方へと近づいて来た。おそらくベッドの横のサイドテーブルへ置くつもりなのだろう。


「あ、手伝いますよ。」


 そう言ってクロエは痛む背中に顔をしかめながらも、とっさに上体を起こし立ち上がった。背中は未だ痛むものの、立ち上がれないほどではなかった。こうしてとっさに手伝ってしまうのは、クロエが元日本人だからなのかだろうか。しかし、その行動が思わぬ事態を引き起こす。

 クロエが立ち上がったのを見た女性は、瞬間、その顔から表情が消えた。そして脱力したように手からお盆が取り落とされる。鈍い音や湿った音、甲高い音をたててお盆と器が床に散乱した。


「えっ、ちょっ!? ど、どうしたんで、す……、……え?」


 落ちたお盆に驚き声を上げたクロエだったが、その声は力なくすぼんでいった。その原因は落ちたお盆を追い下がった視線である。お盆を注視した黒江だったが、その視界の端に信じられないものが映ったのだ。

 それは、小さいながらも確かに膨らんだ乳房だった。白い肌の中に小さな乳首がキイチゴのように色づいており、その存在を主張している。つつましさと可愛らしさを感じる少女の胸であった。

 思わず冷静にそれを眺めていたクロエだったが、瞬時にそれが自らの胸であることを理解。そしてバッと素早い動作で自らの身体を見下ろす。目に映るのは、始めて生で見た女性の裸体だった。それを細かに観察する前に、クロエは首から上が燃えるように熱くなるのを感じる。


「え、あ、うぁ、ひっ――」


 ――ドサッ!


 無意識の内に悲鳴を上げかけたクロエだったが、その前に生じた音により悲鳴が口を出る前に飲み込まれる。意外と大きな音に口を噤み目を閉じ、肩をすくめてしまったのだ。

 クロエがその音の発生源の方へと目を向けた。そこには仰向けに倒れた女性の姿。何故かその端正な顔立ちに不似合いな鼻血と満足そうな笑みを浮かべている。


「え、あの、ちょっと……。え!? ど、どう言う事!?」


 もはや意味が分からない。自身が全裸である事も、目の前の女性が誰でどうして倒れたのかも。クロエの頭は目覚めたばかりであるのに、もうすでに混乱でキャパシティオーバーである。


「どう言う事だよーっ!!」


 できるのはその思いの丈を、悲鳴の代わりにあげるのみ。その声は誰に聞かれることもなく、消えていくのだった。











 話はその日の朝にさかのぼる。


 サラ・エルゼアリスは森精族エルフである。正確に言うなら森精族エルフの中でもハイエルフと呼ばれていた。赤の大陸南部、大陸随一の森林地帯「ジーフ樹海」の中、そのほぼ中心部の古代樹を中心に広がる「森精族エルフの隠れ郷・シドラ」に住んでいる。生を受けて200年程、様々なことを経験しながらも平和に暮らしていた。

 サラはその日、国の外を出歩いていた。ジーフ樹海はその豊かな自然に多様な生態系を築いている。その中には危険な動物や魔物も存在しており、シドラでは一般エルフの国外活動を禁じていた。

 サラの仕事は国外における採集活動である。弓と魔法の才に恵まれたサラは国外活動許可を得ており、その日も郷の中では栽培できない特殊な植物や山菜を採集しに来ていた。

 特殊な場所に位置するエルフの隠れ里シドラは、ほとんど外交という物が存在しない。森精族エルフが長命である事やその歴史、ジーフ樹海のみで自給自足がほぼ成立することなどから国外と積極的に交流しようとは考えないのだ。一年に一回ほど、シドラの名産品などを携えた外交団が森を抜け、近隣諸国と交流を行う。ただそれだけだ。

 サラが採取する植物はジーフ樹海の固有種ばかりである。これは薬効効果が高いが近隣諸国の国々では調達が難しいものである。故に、年に一回の外交では高い評価を受けているのだ。

 広いジーフ樹海の生態系を把握しているのはシドラに住む、「ジーフの守護者」とも呼ばれる森精族エルフのみであり、実力のある森精族エルフが危険を承知で郷の外に出て採集するしかないのだ。しかしサラはこの仕事を気に入っている様子である。


「(郷の中はいろんな意味で窮屈ですものね……。動物や獣物ケモノたちも、こちらから危害を加えなければ大人しいですし。)」


 穏やかな日差しを身体に受け、大小の木々がうねり為す天然迷路を行く。似たような木々の乱立は方向感覚を狂わし、起伏に富んだ地形は真っ直ぐに歩くのも困難だ。常人なら歩いて数分で遭難しかねないのがこのジーフ樹海である。

 しかし、サラはその迷宮をまるで舗装された道を歩くが如く進んでいく。その足取りに迷いはなく、視線もブレがない。サラからすれば、いやシドラに住む森精族エルフからすれば、この似たような景色のすべては明確に異なっており、迷う方が難しいのである。


「(今日もいい天気ですわね。雨が降ったのは何日前だったかしら? まだ貯水池に余裕はあったはずですけど……。)」


 他愛もないことを考えながらサラは歩いた。そして数分後、目的の場所に到着する。そこはジーフ樹海にしか自生しないとあるキノコの群生地である。栄養価も高く、また美味なそのキノコは森精族エルフにとってなじみ深い食材であり、諸外国にも人気であり、そしてジーフ樹海の野生動物や獣物ケモノたちの主食の一つである。

 つまり、この地域周辺はこのキノコを主食とする生き物の群生地でもあるのだ。つまりそれはそれらの動物を捕食する獣物ケモノや時には魔物も集まるのだ。いわゆる危険地帯である。事実、過去の採集ではサラもここで獣物ケモノや魔物と遭遇し、戦った経験があった。

 しかし、そんな危険地帯も今日この日はどこか様相が異なっていた。サラはその異様な雰囲気を、内心不安な思いで感じ取っていた。


「(……今日は、何かおかしいですわ。これまで獣物ケモノはおろか、動物にも一度も遭遇しないなんて。普段ならここには何かしらの動物がいるはずですけど、どう言う事ですの……?)」


 シドラの国を囲む防壁を抜けてからここまで、サラは一度も獣物ケモノはおろか動物にすら遭遇していなかったのだ。魔物はこのジーフ樹海でも数が多くないので遭遇することは稀だが、動物一匹にすら遭遇しないのはおかし過ぎる。

 しかし、そんな異変に内心首をかしげるサラであったが、収穫の手を止めようとは考えなかった。普段なら襲ってくる動物を弓矢で追い払ったり、撃退したりしてから採集をする所、このように採集に集中できる。普段よりも早くノルマとなる量を採集できた。帰り支度をする頃には、森の異変など頭には無かった。


「(ふぅ、良いキノコがたくさん採れましたわね。今日の稼ぎも上々ですわ。さて、今日のところはこれで帰りますか。早めに帰って、偶には美味しいものでも……。)」


 サラがそんなたわいのないことを考えながら、キノコ満載の籠を背負ったその時。突然サラの耳に、動物でも獣物ケモノでもない声が飛び込んできた。


「――っぁ! ぅ……!」


 サラの表情が一変した。その声の聞こえてきた方向へ顔を向ける。その頭の中では、怒涛の勢いで様々な考えが巡っていた。


「(どう言う事ですの!? なぜこんな深部に外部の者が!? ただでさえ森の様子がおかしいと言うのに、こんな異常事態まで起こるだなんて……! いえ、こんな所で考えている場合ではありませんわ!)」


 サラは背負っていた籠を乱暴に投げ出すと、素早い動作で駆け出した。そして声がしたと思わしき方向へ向かう。立ちふさがる木々など存在しないかのような速度で駆けるのは、さすが森の守護者と謳われる森精族エルフなだけはある。

 先ほどの声が聞こえてから、そう時間をかけずにサラは聞こえてきた声の主を見つけることに成功した。弓手らしく、ある程度距離を保って目標を観察する。

 その視線の先ではこの森に住む獣物ケモノの一種である三つ目の狼「トライウルフ」が二体、そして先ほどの声の主と予測される少女らしき姿があった。少女は倒れ伏し、しかし果敢にも必死に顔を上げトライウルフを睨んでいる。


「た、大変ですわ……! 早く助けないと……!」


 この時のサラは目撃した状況のあまりの切迫加減にやや慌てており、なぜこんな森の奥に少女がいるのか、普段は5体以上の群れで狩りをするトライウルフがこんな少数で活動しているのかなど、様々な疑問を忘れていた。ただあの少女を助けねばと焦っていたのだった。

 サラは少女を視界に収めつつ、場所を移動する。弓は横の動きに弱い。なるべくなら縦に射線を取りたいのだ。そして少女を挟んでトライウルフと直線状に並ぶように位置を取ると、腰のポーチから緑色のこぶし大の珠を取り出した。


「行きますわよ、『森林の旋風ボワ・トゥルビヨン』。」


 サラの呼びかけに応え、緑の珠が淡く輝きだす。すると、その輝きと共にサラの持つ珠から不思議なことに、樹木が凄まじい速度で生えだした。樹木はあっという間に成長し、弓の形を成す。この武器こそがサラの持つ武器、「森林の旋風ボワ・トゥルビヨン」なのだ。

 しかし、これで弓は出来たものの肝心なものが見当たらない。矢だ。サラは腰に付けたポーチの他には簡易なナイフ程度しか持っておらず、矢筒などはどこにも見当たらない。これでは攻撃ができないかと思われたが、ここは魔法の世界であった。

 サラは矢もない状態で弓を構えた。そして強靭な蔦で出来た弦を引き絞ると、凛とした声で魔法の名を唱える。


「【風の矢ウィンドアロー】、番え。」


 詠唱と共に、弓と弦の間で風が渦巻いた。風は淡く緑に輝き、一つの形を成す。まるで杭のような、矢羽のない矢である。

 サラは鋭い目でトライウルフに狙いをつけると、一瞬、呼吸を止め、一息の内に射った。放たれた【風の矢ウィンドアロー】は風切り音を鳴かせ飛ぶ。そして驚くことに射線上にある木々を矢自身が避け、ほぼ直線に飛ぶのだった。

 一瞬のうちに少女の横を通り抜けた【風の矢ウィンドアロー】は、正確無比な狙いで少女に飛び掛かろうとしていたトライウルフ二頭を射止めた。逆巻く風が頭の横を貫き、音をたてて肉と骨を削る。正面から射ぬかないのは、死角から確実に仕留めるねらいと、堅い頭の正面を避けるためである。正面からの射撃で横から攻撃できる自由さが【風の矢ウィンドアロー】の強みの一つだった。

 哀れ頭蓋の内部をミンチにされたトライウルフらは、断末魔を上げて絶命した。油断なくトライウルフを睨みつけ残身を取っていたサラは、手に持っていた森林の旋風ボワ・トゥルビヨンの珠に手を当てる。すると森林の旋風ボワ・トゥルビヨンに生えていた樹木は、まるで灰が風に吹き飛ぶように光の粒子となって消え去った。サラは元の状態となった球をポーチに仕舞う。

 周囲を注意深く見回したサラだったが、トライウルフの他に敵の姿は見えなかった。サラは安心したように大きく息を吐くと、急いで少女の元へと向かった。


「大丈夫ですの!?」


 サラの呼びかけに少女は力ない動作で振り向こうとしたが、そのまま力尽きたように倒れ伏してしまった。サラが驚いて駆け寄り、少女の身体を抱き起す。


「(見知らぬ者に触れられていい気はしないでしょうけど、申し訳ありませんわ。)」


 心の中で少女に詫びながら、サラは少女の容態を確かめ始めた。呼吸もしっかりしており脈もある。どうやら気絶しているだけらしい。エルフの細腕でも容易に抱えらえる程小さい身体だ。それだと言うのに正気ではないトライウルフに追いかけられたなんて、その恐怖は想像に余りある。


「(でも、どうしてこんな所にこんな少女が……? 見たところ、人類種ヒューマーではないようですけど……。考えていても仕方ありませんわね。取りあえず、傷をいやさなくては。)」


「よい、しょっと……。」


 サラは少女を背中におぶさった。サラを始めとした森精族エルフ人類種ヒューマーと比べ身体能力はやや劣る傾向にある。しかしそんなサラであっても軽々と抱えらえるほど少女は軽かった。しかし軽いからと言って骨と皮だけと言う訳でもなく、サラの背中には確かに感じられる柔らかさがある。同性であるはずなのに、サラはその感触にやや頬を赤らめた。


「い、いけませんわ……。と、とりあえず置いて来た籠を回収して、郷に戻りましょう。」


 誰に言うでもなく、むしろ自らに言い聞かせるようにサラはこれからの行動を口にした。そして少しだけ遅い足取りで森の中を歩くのだった。











 少女をおぶさったサラは、行きで置いて来たキノコを回収し、そしてシドラの門へと到着した。それほど身体的疲労は感じてはいなかったが、額にうっすらと汗を滲ませている。

 サラは少女を抱えたまま、キノコの入った籠のみを地面に下ろした。そして空いた片手で門の脇にある紐を二度、下へ引っ張る。すると、門の内側で音が鳴った。木の板に硬い何かを打ちつけたような音だ。その音を合図に城壁に取り付けてある小窓が開く。小窓の向こうには、整った顔立ちの森精族エルフの男性の顔があった。

 サラは男性が顔を覗かせるのを確認すると、それを待っていたかのように口を開く。


「サラ・エルゼアリスですわ。採集活動より只今戻りました。開けてくださいまし。」

「ああ、エルゼアリス様ですね。かしこまりました、少々お待ちください。」


 パタンと小窓が閉じられると、少しの後に、重たいものが縄で引っ張られるような、ギシギシと言う音が聞こえてきた。そして同時に、巨大な丸太を横に組み合わせて出来た堅牢な門扉がゆっくりと縄に引っ張られ持ち上がった。


「エルゼアリス様、本日もお疲れさまでした。エルゼアリス様が危険な国外での採集活動をしてくださるおかげで、シドラはより繁栄いたします! 時に、本日はいつもより少し遅かったようですが、何かあったんですか?」


 門番の森精族エルフはまるでサラに媚びるかのように、顔面に笑みを張り付けて言葉を連ねてきた。サラは思わず浮かびかけた苦い顔を必死に押し込める。


「(あぁ……。やっぱりこの『おべっか』は気分が良くないですわ。今日の門番さんは、純血主義の方ですのね。)」


 森精族エルフにはいくつかの種類がいる。シドラのおよそ八割を占めているのが、白い肌に金の髪と緑の瞳、風属性に適性を持つ一般森精族エルフである。さらにその中でも特に高い魔法適性値をもつ森精族エルフは「ハイエルフ」と呼ばれていた。

 そしてシドラの約二割を占めるのが「ハーフエルフ」である。彼らは森精族エルフでありながら風属性以外に適性を持ち、その証として金色以外の髪色を発する。ハーフエルフは森精族エルフたちの間で半端者として見られ、嘲笑の的であった歴史がある。今でこそ公に指をさす者はいないが、劣等感を持つハーフエルフは少なくない。

 最後に、シドラに住む森精族エルフたちの間で禁忌ともされていた存在が「ダークエルフ」である。彼らは闇属性に適性を持つだけでなく、褐色の肌に白と紫の髪、深紫色の瞳と、同じ森精族エルフとは思い難い外見をしていた。ただでさえ忌避される傾向にある闇属性であるのに、かけ離れた外見に加え強靭な肉体を持つダークエルフは、やっかみを孕んだ差別の対象となり、歴史上においては存在すら許されないこともあったほどである。

 そんなハイエルフ、エルフ、ハーフエルフ、ダークエルフであるが、実は皆同じ森精族エルフである。しかし一部の森精族エルフの間ではエルフとハイエルフしか森精族エルフとして認めないという考えが根強く存在していた。それこそが「純血主義」である。どうやら、この門番の男はその純血主義者であるようだった。

 ハイエルフと呼ばれる存在であるサラは、この門番の男にとって尊敬の対象に当たるようだ。しかし、サラに対する態度にはそれ以上のへつらいが感じられる。それはサラの出自が関係しているのだが、サラ自身その事には触れられたくないと考えていた。

 サラは内心辟易しながらも、円滑な社会生活の為に愛想笑いを浮かべ男の言葉に対応するのだった。


「え、ええ。少し、トラブルがありましたの。」

「トラブル、ですか?」

「えっとですね、こちらの子なんですけど……。」


 サラは身体をひねり、背中に背負っていた少女を門番の男に見せた。すると、門番の男の顔が分かりやすく歪む。そこに含まれる感情を言葉にするならば、恐らく「嫌な物を見た」とか、「汚らわしい」などが相応しいだろう。

 森精族エルフには全体的に別種族の事を避ける文化がある。それには森精族エルフという種族の歴史が深く関与しているのだが、純血主義者らはその排他的感情が強い傾向にあり、門番の男もその例に漏れないらしい。


「……エルゼアリス様? その汚い娘っ子はどうされたのですか? 見たところ、外部の者のようですが。」


 男は態度と表情だけのみならず、言葉にも忌避感を過分ににじませてきた。よほど森精族エルフ以外の種族の事を良く思っていないようである。

 男の言葉に一瞬激昂しかけたサラであったが、ぐっと言葉を飲み込み、平静を装う。


「も、森で傷ついた少女を保護しましたの。森の守護者たる森精族エルフとしては、傷ついたか弱い存在を無下にはできませんわ。これもハイエルフたる者の務め、通していただけます?」


 一言で言えば「けが人を保護した」なのだが、純血主義の門番の男を懐柔するためにはやや大げさな言葉を使った方が良いと判断したサラは、普段なら口にしないような尊大な言葉を盛り込んだ。サラは自らの言葉に虫唾が走るような思いを得た。

 だが、その甲斐はあったようだ。門番の男はサラの言葉に森精族エルフとしての矜持をくすぐられたようで、途端に気分を良くする。


「おお! そう言う事でしたか。さすがはエルゼアリス様、そのような汚い娘っ子相手になんと慈悲深い……! どうぞ、お通りください。ですが、申し訳ありませんが長老方へのご報告はエルゼアリス様にお任せできないでしょうか。私を通すよりも、より効果的かと思われますので。」

「え、ええ。わかりましたわ。私にお任せなさいな。」


 サラは愛想笑いを浮かべているが、口の端が細かく痙攣している。怒りを抑えている証だ。門番の男はこの短い間に少女の事を「汚い」と二回も形容した。許されるなら今すぐ目の前の男をぶん殴りたいと考えているサラだが、少女の事を考えることでなんとかその物騒な発想を押しとどめた。


「それでは、もうよろしいですわね? これで失礼いたしますわ。」


 これ以上この男と会話していると、我慢の限界が訪れそうだ。そう考えたサラはやや強引に男に別れを押し付けると、地面に下ろしていた籠を拾い直して門をくぐった。そして人目を避けるようにシドラの外縁部沿いの道を駆け足で行き、自宅へとたどり着くのだった。

 森精族エルフの隠れ郷・シドラは、ジーフ樹海に位置する。郷の周りは勿論の事、内部もまた木々で溢れていた。故に、基本的に住居形態はツリーハウスが主である。木々を倒さず、木々と共存する形である。濃厚な自然の魔力を孕んだ木々は太くしなやかであり、多少の風ではビクともしない。

 サラの家もその例に漏れずツリーハウスであった。木を囲むようにして設置された螺旋階段を登る。階段は木に板を打ちつけるような形であるが、長い年月の末に土台の木と癒着していた。

 サラは押し戸の玄関扉を開ける。元より鍵などは付いていない。郷の中央部のような重要施設ならまだしも、一般家庭に強盗に入るような森精族エルフなどいないのだ。盗るような物もない。

 籠を玄関の脇にやや無造作に置くと、サラは寝室へ向かい少女をベッドへ寝かせた。そして改めて少女を見る。白く長い髪が白いシーツに広がっている様は、まるで絵画のようだ。綺麗ながらも幼い顔立ちには幼さ故の危うさも感じられ、見ていていつまでも飽きない。口も鼻も小さく、ついつい指でつまみたくなる衝動をサラは堪えた。

 しかし顔から眼をそらしたサラはとある事実に気がつく。少女の纏う服はボロボロで穴だらけで、そこから覗く肌には傷がついている。一部からは出血の痕も確認できたのだ。


「これは……、このままにするべきではないですわね。こんなきれいな体に傷が残ってしまったら一大事ですわ。でも……。」


 サラはためらっている。いくら治療のためとはいえ、そして同性であるとはいえ、気絶している相手の服を剥いていいのだろうかと。

 しかし、少女の服はもはや服としての機能は果たしていない。それならばいっそ、治療の為に脱がし新しい服を誂えるべきではないだろうか。いやそうすべきだ。サラは自らの心に言い訳すると、少女の服を脱がしにかかった。

 しかしここで新たな問題が生じる。


「あれ? ちょっ……と、何ですのこの服? どう脱がすんですの?」


 少女の纏う衣服は、サラがこれまで見た事ないような意匠だった。少なくとも、この郷やその周辺の国々の文化ではない。見ると、人間業とは思えないほど緻密な裁縫や触れた事のない素材が使われている。なんと、服の一部にはこの郷では貴重な金属まで使われているのだ。


「(これは……、この子は一体何者なんですの? っと、ようやく取れましたわ。)」


 苦心して少女の衣服を全て脱がした。そして寝室に置いてあった回復薬ポーションの瓶を取り出すと、少女についた傷を癒していく。


「(……、……、……。べ、別にイケナイ事している訳じゃないですのに、何ですのこの背徳感……!? は、早く終わらせましょう……。)」


 しかし少女らしくほっそりとした体であるのに、触るどこもかしこも柔らかい。うっすらと脂肪がついた身体は幼いながらも確かに女性であった。白い肌がまぶしい。エルフに負けず劣らずである。

 そして少女が時折上げる声もまた、サラを困らせた。「んっ……」やら「……ぅ」という小さな声であるが、まるで小鳥の囁きのように可愛らしい声だった。目だけはそらせても、手に伝わる感触や耳に入る音は遮断できない。サラの森精族エルフの長い耳と頬は真っ赤に染まっていた。

 気が付けば、サラはそらしていた視線を少女に戻し、無意識に親指で少女の唇をなぞっていた。指に当たる吐息がくすぐったくも悩ましい。サラの瞳が潤む。もはや自らが何を考えているのか分からず、しかし心の赴くままに、顔を、近づけ――


 ――カタンッ。


「ぅゆへぁっ!?」


 バッと、慌てた素早い動作でサラは身体を起こした。そして音の発生源へ顔を向ける。そこにいたのはただの小鳥だった。先ほどの音は、小鳥が窓際にとまったときに落ちた小物の落下音だった。


「こ、小鳥、ですの……? お、驚かせないでほしいですわ、もう……。」


 小鳥はすぐに窓の外へ体を向けると、パタタと羽ばたいて飛んでいった。サラは小さくため息を吐くと、ふと自らのこれまでの行いを顧みる。そして「ボッ!!」と、まるで火が付いたように顔を真っ赤にさせた。


「(ちょっ! わ、私さっき、何をしようとしてましたの!? 寝ている女の子の唇を触って、あろう事か顔を近づけて、まま、まるで、こ、これでは、わわ私が……、キキキ、キス? しようとしていたみたいじゃないですの……!!)」


「みたい」ではなくまさにその通りなのだが、サラは意地でも認めない。森精族エルフには男女の性別があり異性同士の交配によって子を為すことが可能であるが、その長寿ゆえに子孫繁栄に主眼を置かない付き合いも多々あった。異性同士に比べやや難しくはあるが、同性同士でも子を為す技術が世界に広く流布していることも手伝い、いわゆる同性愛に対する忌避感はない。それはサラも同じである。


「(ですけど、それにしたって、そ、その、そう言う事に今まで興味ありませんでしたのに……! い、いえ、か、勘違いですわ。物珍しさに惹かれただけですわよ。た、たぶん……。)」


 サラはこれまでの行動をごまかすように、用意していたタオルを少女の身体に巻くと、ボロボロの服をもって台所へと戻った。そして少女が起きた時の為に食事の用意を行う。郷の中で栽培している穀物を多めの水で炊いた、いわゆるお粥である。

 お粥をコトコトと火にくべている間に、サラはとある魔法を用いた。


『突然失礼いたします。サラ・エルゼアリスですわ。』


 魔法の名前は省略、頭の中で魔法を唱え、そして相手の魔力波を思い浮かべる。大気中の魔力を振動させ意思疎通を行う、普通魔法の一種【魔力念話テレパス】である。様々な種類はあるが、サラが現在発動したのはいわゆるメールのようなタイプであった。

 サラは【魔力念話テレパス】を用い、この郷の統治者である四人の「長老」、そして彼ら長老を統べる郷の最高権力者である「大長老」へ向かって、森で傷ついた少女を保護し、連れ帰った事を報告したのだ。完全な事後報告であり、これが他の森精族エルフだったなら大問題である。

 しかし、サラの【魔力念話テレパス】に対し送られてきた返事はサラの行いを許可する者が全てであった。唯一、大長老のみが少女が目を覚ましたら連れてくることを条件に許可を出したが、それであっても破格の対応である。


「……面倒ですわね。」


 サラの反応は淡泊な物だったが。サラは火にくべているお粥の様子を確認した。完成にはもう少し時間がかかるだろう。

 少し時間が余ってしまったと、サラは手持ち無沙汰に部屋を見回した。必要最低限に近い物しか置かれていないこの家では、掃除も簡単に終わってしまう。つまりやることがなかったのだ。

 サラは、テーブルに置かれた衣服、いやもはやただのボロ布となった少女の衣服へ目を向けた。そしてそれらを手に取り、あらためて観察する。


「やっぱり……、見た事ない服ですわ。一体どんな職人がいれば、こんな緻密な裁縫が可能になるんですの……? それに、見た目以上に頑丈そうですわね。この素材と技術、考えられるとすれば他の大陸かしら……、っと?」


 少女の着ていた服を観察していたサラであったが、ズボンらしきものを持ち上げると、そのポケットから紙片のような物が落ちてきた。二つ折りのそれは空中で開き、ひらひらと空を待って床へ落ちた。

 持っていた服を再度机の上に置いたサラは、落ちた紙をかがみこんで拾い上げる。少女の着ていた服から落ちたものであるという事は、これは少女のものなのだろう。勝手に中を見るべきでないことをわきまえていたサラであったが、拾い上げた拍子に二つ折りにされた紙の内面が目に入ってしまった。

 すぐにでも視線を外そうとしたサラだが、それは叶わず目が紙の内面に記された文字群に釘付けとなってしまう。そこに記されたものは、それほどまでに衝撃的だったからだ。


「な……、何ですの、これ……!?」


 そこに書かれていた内容は、チラリと一瞥しただけでその目線を釘づけにしてしまうほどの衝撃があった。サラはもはや視線を外そうと言う考えは頭になく、ただそこに記された文章を目で追うのみとなっていた。


「そんな……、これが本当なら、あの子……、いえ、クロエさん・・・・・は……。」


 その時。サラの背後で「ジュワァ……ッ」という水が蒸発する音が聞こえた。サラが驚いて振り返ると、加熱していたお粥が吹きこぼれている。慌てたサラは紙片を机の上に放ると、石釜にくべた薪を取り出し火を消した。中身を確認すると、少し底が焦げ付きつつあるもののしっかり出来上がっている。


「……いろいろと納得が追い付きませんけど、まずはあの子の容態を確認しましょうか。」


 サラは出来上がったお粥を別の器に移し替え、お盆と共に寝室へ向かった。そしてお盆を一時片手で支えると、寝室の扉をノックし寝室の中にいるであろうの少女へと声をかけた。


「――クロエさん? 起きてますの?」


 少し緊張していたのか、やや上ずった声が出てしまったサラ。その事実に少し頬を染める。だからであろうか、ここまで一度も会話を交わしていないはずの少女の名前を口にしてしまったミスに気付くことは出来なかった。

 サラは緊張しながら少女の反応を待っていたが、寝室からは一向に反応が返ってこない。しかし、弓手として鍛えられた聴覚を研ぎ澄ませると、寝室からは微かに衣擦れのような音が聞こえてきた。もしかしたら寝室の少女はすでに目を覚ましているのだろうか。少なくとも寝室には何者かがいることは確実である。


「(ど、どうして返事がありませんの? 警戒、されている? でも、それにしても、何かしらの反応があっても良いはずですわ……。)」


 少女から反応が返ってこないことに焦ったサラは、とりあえず言葉をかけ続けることを選んだ。


「あ、あの……、クロエさん? 大丈夫ですの? あ、もしかして、言葉が通じていないとか……。ど、どうしましょう……?」


 語り掛ける途中で、サラはある可能性に気が付いた。少女に対し自らの言語が通じていない可能性である。サラが話す言葉は「森精族エルフ語」と呼ばれる言語であり、森精族エルフのあいだでのみ通じる言語であった。古くは別の語に祖を持つ語だが、今や森精族エルフ以外にこの言語を語る者はいないのだ。

 そんな「超」が付くほどマイナーな言語で話しかけられたら分からないのも当然である。そもそも、少女が森精族エルフでない時点で気が付くべきだったと、サラは自らのうっかりを反省する。そして、昔習った記憶のある人類種ヒューマーの共通言語で少女に改めて話しかけようとした、その時だった。


『あ、あの! 起きてます! 言葉、通じてますよ!』

「――ッ!? え、何で、エルフ語を……? そ、それよりも! 起きていたんですのね!? 良かったですわ……!」


 なんと、扉の向こうの少女はサラに対し「エルフ語」を用いて話しかけてきたのだ。その衝撃過ぎる事実に驚愕したサラであったが、その事実よりも少女が無事であったことに大きな安堵を得ていた。寝室の中で何かしらが動いていたことは分かったが、それでも少女が声を返せるぐらいには回復していたことは素直に喜ばしかったのである。


「(不思議な事には変わりませんけど、クロエさんの背景を考えればそう不思議でもありませんわ。さて、それでは改めて。)」

「食事を持ってきましたわ。入らせてもらいますわね?」


 念のため一言断った後に、サラは扉に肩を当てて扉を押し開いた。視界に入る見慣れた寝室。そのベッドに横たわる見慣れない少女は、ベッドに横たわったまま顔だけをサラに向けている。今までは瞼を降ろしていたので気が付かなかったが、少女の瞳はとてもきれいな赤色だった。サラは思わず見惚れかけるが、その綺麗な瞳に見つめられるうちに謎の気恥ずかしさを感じてしまう。


「あ、あの……。そんなに見つめられると、その……。な、何か付いてます……?」


 少女は森精族エルフが珍しいのか、サラの耳をじーっと見つめていた。しかしサラの言葉にハッとした表情になると、慌てたように視線を逸らす。


「あ、ご、ごめんなさい……。」


 少女もまた恥ずかしそうにしていた。そのややおどおどした様子がまた小動物のようで、サラは思わず緩みかける口元を隠すようにキュッと引き締める。妙な雰囲気が二人の間に流れるが、サラはなるべく気にしないように心中で自らに言い聞かせ、手に持ったお粥をベッド脇のサイドテーブルに置こうとした。

 それを見た少女は何かに気が付いたような表情になり、そして傷ついた身体であるにもかかわらずその身体を起こした。


「あ、手伝いますよ。」


 身体を起こした拍子に身体に痛みが走ったのだろう。少女は少し顔をしかめた。サラはそんな少女の心遣いに感謝しながらも、「ダメです、寝ていてくださいな。」と、少女をいたわる言葉をかけるつもりだった。

 しかし、少女の方を向き言葉を発そうと口を開いたところで、サラの正常な思考はプッツリと途切れた。目の前の少女はすでにベッドから立ち上がってしまっている。しかしその少女が、その少女がなんと、一糸まとわぬ裸体を惜しげもなくサラに晒しているのだ。

 何故全裸なのか。その原因はサラにある。先ほどの治療の際、服を脱がせたのはいいが、少女の着替えがなかったのだ。仕方なくサラはタオルを少女の身体に巻いたのだが、寝返りなどでそれも取れてしまったのだろう。よく考えればわかる事だった。


「(ああっ! 寝ているときも思いましたけど、なんて可愛らしいんですの!? 体もほっそりとしていて、まるで人形みたいですわ! って、そんなこと考えている場合ではないと言うか、早く何かで隠して差し上げませんと、えっ、この芸術品を隠してしまいますのなんてもったいない! いえいえ、何を考えてますのって、あれなんだか意識が……)」


 あまりの出来事にサラの思考がオーバーヒートを起こしていた。手に力が入らなくなり、手に持っていたお盆が零れ落ちていく。落下のけたたましい音に少女はビクンと身をひるませ、しかしそれでもサラを気遣うように声をかけてきたが、その声は途中で窄んでいった。どうやら自らが裸体をさらしてしまっていることに気が付いたようだ。シミ一つない綺麗な頬が真っ赤に染まる。目元にも涙が貯まり、「え、あ、うぁ、ひっ」と、言葉にならない言葉が口から洩れている。


「(ああ、もう! どうしていちいちそんな可愛らしい反応ですの!? ああいけませんわこんなにドキドキするの初めてですわ、もう何が何だか分からないと言うより、思考がまとまらないって、あれ、い、意識が、やっぱり――)」


 思考と共に顔が熱くなっていくのを感じていたサラだったが次の瞬間、鼻の根元が燃えるように熱くなったのを感じた。そしてその熱さを感じたのを最後に、サラの意識は途切れる。少女がサラへ向かって何か声をかけてきたような気がしたが、もはや返事をする余裕はサラには無かった。











 そして場面は現在に至る。

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