第7話 雪村都古は大人気ない
東欧武装財閥の台頭により、世界の三分の一が戦争をしていると呼ばれる昨今の情勢下で、軍事力の増強は何処の国においても急務だ。機動式戦略歩兵兵器、通称タクティカルギアが戦場の花形となり、軍需工業が需要を満たす為に工場をフル回転させれば、次に必要になってくるのが軍部の屋台骨を支える人材だろう。
即ち近衛教導学園の存在意義は、その為にあると言っても過言では無い。
優秀な人材というのはとどのつまり、日本という国家の中枢を担える人間という意味。日本の中枢を担うという事は、日本の政治、経済を統括するという意味合いでもある。近衛教導学園に入学するのは狭き門で、訓練も厳しいモノではあるが、卒業生に待っているのは輝かしい未来である事は、保証されるまでも無く当然の事だろう。故に世界が混沌の時代を迎える以前から、この国を支配し牛耳る権力者たちはこう考える。
優秀だという理由だけで、我らの地位を脅かされてなるモノか。
人材を育てるには相応の環境が必要だ。必要な環境を整えるのには、何よりも資金が必要となる。権力者達は有り余る金を学園に注ぎ込む事で自らの発言力を強め、近衛教導学園に多くの子息子女達を送り込んだ。
結果、近衛教導学園は一部の日本国民からこう揶揄される事になる。
エリート達が作るエリート達だけの学園、近衛キングダムと。
★☆★☆
チリ一つ落ちていない真っ白な廊下で、雪村都古は今日から自らが通う事になる教室の、扉の前で何度目になるのかわからないため息を漏らした。
「……憂鬱だ」
一度は気持ちを切り替えようとしたモノの、やはり学生の中に混じるというのはどうにも座りが悪い。別に学生達を子供だと軽んじているわけでは無いが、言ってしまえば扉の向こうで教室に並ぶ生徒達は、実年齢的には都古の孫のような連中ばかり。担任教師の栖原は、その年頃の息子が居てもおかしくは無いだろう。
そんな中に混じりニコニコ青春を送るなんて、笑い話にもならない。いや、そもそも上手くコミュニケーションを取れる自信が無い。
「今時のガキ共が食い付く話題なんぞ、俺は知らんぞ」
何せ都古はある意味、時間の渡航者だ。ある程度の事柄は学んではいるが、それでも十代の学生と語り合えるような話題があるかは疑問が残る。何せ周囲にいたのは同年代であるクルーガー大佐と、鉛筆より拳銃を握っていた時間の方が多いハンナだけだ。
「……だが、これの任務。やるしかないか」
緊張とは違う嫌な感覚を胃の辺りに感じていると、扉か開いて栖原が顔を覗かせて手招きをする。
「入ってきていいよ雪村君。教室に入ったら、簡単に自己紹介をしてね」
「わかりました」
頷いてから都古は大きく深呼吸をし、意を決するよう気分を切り替える。
勇ましい足取りで一歩、教室に足を踏み入れた瞬間、待ち構えていた生徒達の瞳が一斉に向けられるのを感じた。感情を隠す事など知らないような、無垢で馬鹿正直な視線。その多くは好奇心だったが、中にはチラホラと嫌悪にも似た敵意を感じる。端的に言えば明らかに歓迎されて無い意が、都古は肌で感じ取る事が出来た。
黒板の方を見ると、既にチョークで『雪村都古』と名前が書かれていた。
「今日からこのクラスの仲間になる転校生を紹介します。雪村君」
「はい」
栖原に促されて都古は身体の正面を居並ぶ生徒達の方へ向けた。
女子二十名、男子十八名の合計三十八名。どいつもこいつも青臭い顔付きをしている割に、エリートらしい鼻っ柱の強さを滲ませたクラスメイト達は、値踏みでもするかのような不躾な視線を正面に立つ都古に這わせている。
「………」
生徒達の反応に内心でイラッとしながらも、都古は普段通りの挨拶を口にした。
「本日付けで西欧から転校してきた雪村都古だ。海外が長かった事もあり、日本での生活に不慣れな部分も多いだろうがよろしく頼む」
背筋をピンと伸ばしたまま、両手を腰の後ろに回して、都古は一礼もする事なく今日からのクラスメイト達にそう挨拶を告げた。栖原が若干、苦々しい表情をしていたのは、口調が妙に堅苦しかったからだろう。
生徒達からの反応は……皆無だった。
挨拶に対して返信があるわけでも無ければ、拍手の一つも起らない。かといって興味が無いかと言えばそういう訳でも無く、生徒達はまるで居住区に迷い込んできた珍獣を見るかのよう奇異の色を強めていた。
(歓迎はされて無いというわけか……やれやれだな)
別に友達を作りに来たわけでは無いので、第一印象が悪かろうと都古は気にも留めない。だが、このクラスを担任として受け持つ栖原には、変に張り詰めてしまった空気に危機感を抱いたのだろう、慌てた様子で生徒達に語りかけた。
「て、転校生なんて滅多に入ってこないからなぁ、皆、緊張しているんじゃないか? はは、質問攻めにされたらどうしようかって先生悩んでたけど、流石は近衛の生徒だけあって理知的な対応だよね。安心したよ」
好意的と呼ぶには無理のある解釈で場を治めようとするが、打っても響かく鐘の如く、反応の薄い生徒達に栖原の笑顔が引き攣る。
「雪村君が言ってた通り、日本に不慣れな部分もあるだろうから、困ってるようだったら助けて、あげて……くれる、よな?」
それでも懸命に話を続けようとするが、反応の薄さに最後は尻つぼみになってしまう。
最後は諦めてため息を吐くと、申し訳無さそうな顔で都古の方を見た。
「それじゃ雪村君。ホームルームを始めるから、君はそこの空いている席に座ってくれ」
「わかりました」
栖原が指さしたのは教室の最後列左側の端っこだ。促されて自分の席に向かおうとすれば、必然的に生徒達の間を通って教室を縦断する事になる。
生徒達はやはり無言のままだが、視線だけは歩く都古の挙動を追う。
正確に言えば一部の生徒はコソコソと、本人の耳に届かない音量で何やら会話を交わしていたが、常人より遥かに高い聴力を誇る都古の耳には、クラスメイト達より幼い顔立ちや体格を揶揄する言葉や、季節外れの転入である事を訝しむ声が聞き取れた。概ね、好意的とは言い難い反応ばかりだ。
(耳が聞こえすぎるというのも考え物だな)
素知らぬ顔をしながら内心で辟易としていると、不意に都古の進路を邪魔するかのよう、通路側に生徒の一人が足を突き出した。聞こえてくる話し声に意識を向けすぎてしまったからだろう。都古が足の存在に気付き、それが自分を転ばせる為の悪戯だと察する前に、身体が動いてしまった。
差し出された足の下に自分の足を滑り込ませ、そのまま真上へ蹴り上げるよう刈った。
「……えっ?」
都古が「しまった」と後悔した瞬間には、足を引っかけようとした男子生徒は椅子ごと半回転して、背中から教室の床に倒れ込んだ。その際に腕が引っ掛かったのか、机も諸共に横転してしまい中身をぶちまけながら盛大な騒音を奏でた。
「んぐっ……い、いてて」
背中を打ち付けた男子生徒が苦悶の声を漏らし、他のクラスメイト達は予想外の光景に誰もが唖然としていた。
その中で都古だけは、ホッと安堵するよう胸を撫で下ろす。
「危ないところだった。もう少しでそのま、喉を踏み潰すところだった」
戦場で身に着けた相手を殺す為の格闘術は、都古の身体では無くジョーカーとしての魂に刻まれていたようだ。その所為で盛大に転ばせてしまった男子生徒には申し訳ないが、反射で殺されなかっただけ感謝して欲しい。
そう都古は思うのだが、クラスメイト達がその事を理解できる筈も無く、驚きに固まる時間が終わると、次に訪れたのは先ほどよりも強い都古に対する敵意と警戒心だ。
「な、なに、いまの?」
「あの転校生がやったの?」
「酷い」
今度は明確に都古の耳に生徒達の会話が届く。
やれやれ、どう釈明したモノかと都古が考えていると、転ばされた男子生徒が痛がる表情を怒りに染めて立ち上がり、胸倉を掴み上げてくる。
「テメェッ、いきなりなにしやが……痛ッ!?」
「何するもなにも、貴様が足を引っかけようとしたんじゃないか」
反論しながら胸倉を掴んだ男子生徒の手首を握り捻り上げた。
「くだらん真似をするから反撃に遭うのだ。これに懲りたら、悪戯も大概にするんだな」
これ以上は大事になるので握った手を離すと、男子生徒は真っ赤な手形が付いた自身の手首を摩りながら、都古をキッと睨みつけてくる。
「お前、転校生って事は特別編入枠だろ? 僕の父は森永製薬の重役なんだぞ、自分が何をやったのかわかってるのか!」
「それがどうした。別にお前自身が偉いわけじゃないだろ」
特別に意識した発言では無いが、都古の言葉にクラス中がザワッと騒めいた。
「お、お前……本気で言ってるのかっ?」
男子生徒は信じられないモノを見るよう両目を見開いた。いや、彼だけでは無い。騒動を見守るクラスメイト全員、それこそ担任の筈の栖原まで青い顔をして絶句している。
タクティカルギアは金食い虫だ。それらを日々、訓練の為に運用、整備をし続ければ自然とコストは嵩んでいく。それ故に学費がとんでもなく高く、必然的に学園には資産家の子息、子女が集まる結果となり、才能はあっても学費が払えない入学希望者は、学費免除や奨学金が受け取れる、特別編入枠を目指すしか方法が無い。
金持ちと庶民。貴族階級のようなスクールカーストが、この学園には存在しているのだ。
今までも似たような事を散々してきたのだろうが、反抗されるのは初めての事なのか、男子生徒は手首を押さえたまま怒りを露わにする。
「ふざけるなよッ、庶民の分際で!」
と、外聞も無く前時代的な罵倒をぶつける。
「お前ら特別編入枠の学費はなッ、俺達の家から払われてる寄付金で賄われてるんだよ。その制服も、鞄も、教本も、トイレで流す便所の水だって元を辿れば俺達の金だッ! 金も払わず入学してくるような底辺野郎はなッ、地面に這い蹲って俺達のご機嫌を取ってりゃいいんだよ。分不相応にも俺達に逆らってんじゃねぇぞ、ああッ!」
「…………」
都古より身長が高く、見下ろすように男子生徒は真正面に立って睨みつける。
誰も男子生徒の暴言に対して意見を述べない。だが、別に男子生徒の勢いに飲まれているわけでも、彼の存在に怯えているわけでも無い。森永製薬は大手ではあるが、創業者一族というわけでも無くただの役職持ちの重役に過ぎない。一般家庭以上ではあっても、この学園で強権を振るえるほど立場が高いわけでは無い。なのになぜ、このような横暴な振る舞いが制止もされず許されているのだろうか。
答えは簡単だ。クラスのほぼ全員、この男子生徒と同じ意見なのだ。
一通りがなりたてた男子生徒は、少しだけ落ち着きを取り戻すかのよう息を付くと、おもむろに自分の足元を指さした。
「土下座だ。今、この場で土下座しろ。そうすればお前の無礼は許してやる……断ってもいいんだぞ? その時はお前をこの学校に排除……ッ!?」
限界だった。久しぶりに感じた脳が沸騰するような怒気に、都古は男子生徒が全ての言葉を言い終わる前に両手で胸倉を掴み、その身体を上へと持ち上げていた。
「……いい加減にしとけよ、このクソ野郎」
低く囁くような、とても十代の少年が出しているとは思えないドスの聞いた声色。両足が床から離れ、宙ぶらりん状態になった男子生徒が「……えっ?」と困惑の表情を浮かべた次の瞬間、背中を彼の机の上に思いっ切り叩き付けた。
机がぺしゃんこになるのではないかと思うほど、強烈な衝撃が音となって教室の空気を震わせる。
「~~~ッッッ!?!?!?」
背中の激痛と混乱に悶絶する男子生徒。
だが、上に圧し掛かるようにして、都古が掴んだ胸倉を押し込むよう圧迫しているので、男子生徒は悲鳴も罵倒も口には出来ない。腕を掴んで振り払おうとするが、常人離れした腕力を持つホムンクルスの手から逃れる事は叶わず、唯一自由の利く両足をバタつかせる以外に彼が物事を主張する術は無かった。
息苦しさから涙目になる男子生徒に、鬼のような形相を近づける。
「いいか、よく聞けクソガキ。テメェが今までどんなに我儘放題で、ここがどんなくそったれなルールで縛られてるか知らないが、そんな事は俺には関係無い。金持ち? 庶民? だからどうした。親の威光を使わなきゃ喧嘩も売れない人間が、舐めた口を利いてるんじゃないぞッ」
「ぐっ、ぎぎ……お、お前。こんな真似をして、この学園で生きて……ぐげぇ!?」
「おお上等だ」
プライドの高さからか、それでも威勢を失わない男子生徒を更に締め上げる。
「喧嘩だったら幾らでも買ってやる。でも覚えておけよ? 俺に喧嘩を売るって事は戦争をするって事だ。親の威光でも何でも好きに使って向かって来いよ……けどな。その時はテメェら全員、地獄に行く覚悟は出来てるんだろうなぁ?」
「う、ううっ……」
「声が小さいぞッ! 目から小便流す前に返事をしろ、返事を!」
「うっ、うう……わかった、わかったから……もう勘弁してくれ」
「ふん、根性無しが」
あまりの剣幕に恐怖から涙を流し始める男子生徒から手を離すと、都古は乱れた制服を直しながら静まり返るクラスを一瞥する。絶句。クラスメイト達の心情を一言で表すなら、それ以外に相応しい単語は見つからないだろう。
その中で、顔面蒼白の栖原が半泣きになって都古に声を飛ばした。
「ゆ、ゆゆゆ雪村君っ!? きききき、君は何を……やり過ぎだよぉ」
都古は呆れたように一息ついてから。
「栖原教諭殿。担任教師であるアンタが生徒を注意するのそんな弱腰でどうする。そんなんだから、クソガキ共が調子に乗るんだ。もっと先達としての自覚を持てッ!」
「は、はひっ!?」
反対に厳しく叱責された栖原は、背筋を伸ばして情けない返事を返した。
都古は床に置いた鞄を拾うと肩にかけ、憮然とした表情で改めて自分の席に向かい、静まり返った空気の中で着席する。重苦しい沈黙などどこ吹く風のポーカーフェイスで、支給された教本やノートを鞄から取り出し机の中にしまうが、都古の背中は緊張とは別に意味でべっとりとした汗が滲み出していた。
(……やってしまった)
後悔先に立たず。
目立たないよう学園生活を送りながら、任務を遂行するつもりだった雪村都古は、ホームルーム前の数分で、その存在は全校生徒に知れ渡る事となった。
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