第6話 青春の日々が始まる




 過ぎ去りし日々は決して戻りはしない。故に振り返った昨日は輝かしく、年月が経っても思い出が色褪せる事は無いだろう。それが青春時代。十代の学生の頃ならば尚更だ。


 大抵の人間は学業に対して苦手意識を持ち、時に折り合いの悪い教師に対して鬱屈した感情を抱く者もいるだろう。全ては未熟さ故に湧き上がる不服や不満ではあるが、その青臭さも年月が経てば「あの頃は若かった」の一言で笑い話へと変わる。学校とは社会の縮図とはよく言ったモノで、学び舎で得られる事は学業や成績だけではなく、照れ臭い話をするならば、その後を左右する様々な出会いの場所でもある。友人、恩師との一期一会の出会いはは当然のかけがえのない事ながら、学校に通っているからこそ得られる経験もまた、己の血肉となり知識となるのだ。

 まさに人生の岐路は、十代のひと時に集約されていると言っても、過言では無いだろう。


 ああ、素晴らしき青春の日々をもう一度。

 大人になれば、誰もが一度は考える妄想だ。

 趣味の時間を削り、嗜好品を買う小遣いを減らされ、家族の為、会社の為、身をすり減らしながら減らない書類と格闘し、意地の悪い顧客に頭を下げつつ、横柄な上司や使えない部下達とのやり取りを何とかこなしていく毎日で、ふと振り返れば「あの頃はよかった、楽しかった」と、残業で疲れ切った身体を引き摺り真っ暗な自宅へと帰って、自分の加齢臭のする冷たい布団で眠る。


 もしも今、十代の頃に戻れたら、もっとましな人生を選ぶのに。自分の残り時間が少なくなれば少なるなるほど、そう思わずにはいられないだろう。

 しかし、何事にも例外は存在する。

 ありていに言えば、学生時代に戻りたいと思うのは、楽しい学生時代を過ごし青春を存分に謳歌した人間だけ。雪村都古に至っては、学校に通った経験が無い為、誰もが願っても叶わない状況に陥りながらも、面倒な事になったという感情以外は湧いてこなかった。


「……はぁ。妙な事になっちまったな」


 早朝のまだ生徒も殆ど登校していない学校の正門前で、雪村都古は爽やかな澄んだ空気には似合わない、湿った息を吐き出した。

 見上げると今日より学び舎となる、近衛教導学園の学舎が堂々とした姿で鎮座している。

学校と呼ばれる建物の外観に、大きな差異は無いのだろうが、コンクリート造りの近衛教導学園は近代的な建造物と呼ぶより、もっと前時代的な外観をしていた。例えるならば皆が思い浮かべる、一般的な学校を想像して貰えれば、それが一番近いのだろう。


 新入生や本当の転校生ならば、初々しい緊張感もあるのだろうが、任務が達成されるまでの無期限の間、自分の孫くらいの年齢の子供達と机を並べ、学業をこなさなければと思うと鬱屈した感情が込み上げてくる。

 不満があるのは、まだ始まってもいない学生生活だけでは無い。

 自身が着ている真新しい学生服も、都古を憂鬱にさせる要因の一つだ。


「くそっ。学ランってのは、軍服より堅苦しいな。これじゃ、首にネクタイでも巻いている方が大分楽だ」


 首元を覆う詰襟が鬱陶しく、都古は何度も首を左右に巡らせていた。

 傭兵という特殊な職業柄、早起きは苦手では無い。苦手だったとしても長い軍隊生活を続ければ、ラッパのラの音を聞いただけでどんな熟睡からも跳ね起き、一分後には身支度を完了させられる技術が身に付くだろう。

 とはいえ、久方ぶりに都古は寝起きの悪い朝を体感した。

 任務だから仕方がない。兵士ならば意にそぐわない指示であっても、地面に溜まった泥を啜るよう清濁を飲み干さねばならない。頭では理解出来ていても、身体が順応し切れないのは慣れないホムンクルスの身体だからだろうか。


「これだったら、生身で最前線に飛び込めと言われた方が、何倍もマシだ」


 頭を掻きながら、何度目かわからない愚痴を校門前で呟く。

 独り言の愚痴がみっともないのは自分でもわかっている。だが、セーフハウスで文句を垂れ流していても、同居人に向けられるのは慰めではなく、さっさと行けと言うような冷たい視線だけだ。昔はもう少し、優しい娘だったのにと、口に出せば睨みが険しくなる想いを、口には出さず奥歯で噛み砕いた。


「文句ばっかり垂れてても仕方がない。酒も煙草も断って任務に勤しんでるんだ。一つ割り切って、大人の平常心で挑むしかないか」


 パチっと自分の頬を手の平で挟んでから、都古はよしっと正面を見据える。

 口から酒と煙草の匂いがする転校生など、初々しさの欠片も無い。アルコールと煙を断ち切った断腸の思いを引き摺り、一足早く登校してくる生徒達からの怪訝な視線を受けながら、都古は勇ましい足取りで校門を潜った。


★☆★☆


 誰よりも早く登校したのは、都古が時間に几帳面な気難しい軍人だからではない。転校生としての簡単な手続きがまだ少し残っているのと、今後の活動地点となる学園内の構造を把握しておきたかったからだ。

 とは言うモノの学園は見た目以上に広く、大学のキャンパスのように複数の棟と区画で分けられていた。その広大さは学校という枠組みには収まらず、敷地内の一部で二足歩行型兵器通称『タクティカルギア』の運用も可能としている。それ以外にも立ち入り禁止の区間も多く、朝のひと時の間で学生に紛れて見回るのは流石に限界があった。


 仕方がないと割り切り、程よい時間で職員室に挨拶へ向かうと、出迎えてくれたのはこれから一年付き合う事となる担任の男性教諭だ。

 職員室に並んだ教員用の机の一に座る度の強い眼鏡に白衣を着た、見るからに気怠げな雰囲気を纏う理系教師は、都古が訪ねて来た事にポカンとした顔をした後、何かを思い出したかのよう「ああ」と声を上げた。


「えっと、今日から僕のクラスに転入してきた……雪村、都古君、だっけか?」

「はい」

「随分と早いんだねぇ。運動系の部活を担当してない僕なんか、こんな時間に学校に来る方が珍しいのに」

「転校初日ですから」

「わかってるよ。だから僕も、ふわぁ……こうして眠いのを堪えながら、必要な物を揃えて君を待ってたんだから」


 教諭は大きな欠伸をしてから、眼鏡を外して目元に浮かんだ涙を袖で拭う。


「ああ。自己紹介がまだだったね。僕はデューク=栖原。近衛教導学園で教師をしていて、今日から君の担任になるモノだ。よろしくね」


 そう言って東原は微笑みながら、都古に向かって右手を差し出す。視線を差し出された右手に向けてから、都古は手を握り握手に応じると、恭しく一礼した。


「よろしくお願いします。栖原教諭殿」

「教諭殿って、軍隊じゃないんだから……ああ、君は機甲科を専攻してるんだったっけ」


 ペラペラとファイルに挟んだ書類らしき物を確認する栖原。直立不動のまま、「はい」とだけ頷くと、栖原は困ったような笑みを浮かべながら、「……そりゃ苦労しそうだな」と呟きながら書類に視線を走らせた。


「雪村君は海外生活が長かったようだね」

「はい。主に西欧の中立居住区で生活していました」

「生まれも西欧なのかい? その割には随分と日本語が上手だけれど」

「自分の父母は日本生まれの日本人ですので、幼い頃から日常会話が出来る程度には教え込まれていましたから」

「いやいや、それだけ喋られれば立派だよ。ちょっと、堅苦しい口調だけど」


 事前に桐子と打ち合わせておいた天城都古の『設定』に、栖原は僅かも疑う様子も無く笑いながら開いていたファイルを閉じた。椅子から立ち上がると、栖原は皺で寄れた白衣を手の平で撫でつけるよう伸ばす。


「それじゃあ学校で使う教材を持ってくるから。天城君はそこに座って待っててよ。お茶くらいしか出せないけど」


 指さした先にあったのは、職員室の片隅にある応接用のテーブルとソファーだ。


「それと諸々の書類が……あったあった。これに住所と氏名を記入して、僕に渡してくれればいいから」


 散らかった机の上から引っ張りだした書類を差し出され、都古は受け取りながら内容を確認してから、なるほどと納得するよう頷く。兵士を育てる養成機関故に、実弾などの殺傷兵器を訓練に使う場合もある。

 つまり渡された書類は、要約するに死んだ時は自己責任で。という誓約書だ。


「当然の処置だな。出撃前夜に遺書を書く事を強要されるより、ずっとマシだ」


 独り言を呟きながら促された応接用のソファーに腰を下ろすと、渡された書類をテーブルの上に置き、鞄の中から筆記用具を取り出し、サラサラと自分の名前を記入する。一瞬、本名を書きそうになったが、指名に書かれたのは見慣れない雪村都古の四文字だ。

 若干、角ばっていたり歪なのは、ご愛敬だと思って頂こう。

 最後に書類と一緒に渡された朱印を使って、指定された箇所に母印を念入りに押し付けた。


「……ふむ。やっぱり、指紋の形も違うな」


 綺麗な模様を描く自分の母印を見て、こんな細部にまで違いがある事に奇妙な関心の言葉を漏らしてしまう。汚れた親指を備え付けのティッシュで拭っていると、栖原の方も準備が出来たようで、束になった教科書をテーブルの上に置いた。

 通常科目に加え兵科別の専門書、教本まで揃えてある。


「こんなにあるのか」

「そう? これでも一年分なんだけどね。ああ、面倒だからって教科書を置きっぱなしにするのは駄目だよ。処罰の対象になるし、定期的に抜き打ちの検査もやってるから」

「……努力しよう」


 一冊手に取って中身を確認しながら、都古はため息の混じる了承する。

 仕事で潜入する以上、勉学に関してもある程度のレベルは納めなければならない。問題児として目を付けられる事も、優等生として期待を向けられる事も好ましくは無いから、目指すは平均より少し下くらいだろう。

 教科書に書かれる数式を流し見しながら、これから無期限の間続く学生生活に、肩の荷が乗るような面倒臭さが降りかかった。


「しかし、珍しいよね、海外からの転校生だなんて……よっこいしょ」


 ヘラヘラと気の抜ける笑顔を向けながら、お茶の注がれた紙コップを持って、対面の席に栖原が腰を下ろした。


「西欧中立地区は日本からは遠いからか、新聞やニュースでも詳しい情勢は報じられてないんだけど……やっぱり、戦火から逃れてって、感じなのかな」

「ただの家庭の事情ですよ。西欧の中立地区は民間軍事企業の協力もあって、防備に関しては万全ですから」

「そうなのかい? でも、一時期より持ち直したって言っても、最近はまた物騒になってきたじゃないか。アジアの中央部じゃ、一年前から銃声が止まない日が無いっていうし……東欧の武装財閥もまた活動を始めたって噂も、ネットとかじゃ聞くしさ」

「…………」


 一瞬、紙コップのお茶を口に運ぶ手が、ピタッと停止する。

 武装財閥。嫌な名前を聞いたと、表情を顰めたくなるのを熱いお茶で誤魔化す。

 トリスメギストスとは別口で、都古にとっては厄介で面倒な手合いだ。

 欧州の国家でありながら、欧州中央連合には属さない東欧。厳密に言えば数十年前までは所属していたのだが、恐慌と戦争による国力の低下で政治による自治が保てなくなった一国を、とある財閥が丸ごと買い取ったのが切っ掛けに、見る間の内に東欧全体を掌握していってしまった。現在こそ一企業や財団が国の舵取りをするのは珍しく無いが、東欧を買い取った財閥を発端とし、似たようなケースが各国様々な形で行われた。


 東欧を買い取った財閥はいわゆる軍需企業で、最先端のギアを始めとした最新鋭の兵器を次々と量産。歯止めをかけるべき国家は首輪が付けられた状態なので、周辺国家の突き上げを喰らっても、無視して軍事力の増大と共に財閥は更なる巨万の富を得る事となった。

 当然、そんな事をすればアジア方面を中心に、大陸の火薬庫を刺激する事となるし、大きな戦争を終えたばかりの欧州中央連合としても、厳しい態度で接する他は無い。結果、諸々の歯車が上手く噛み合わず、東欧は連合から脱退。量産され続ける兵器と増強され続ける軍事力、そして巨万の富は欧州とアジアに苛烈な戦火を齎した。

 金と権力と兵器で武装した巨大財閥。

 東欧を蝕む彼らが存在しなければ、世界はもっと平和であっただろう。


「ど、どうかしたのかい? 急にそんな怖い顔して……お腹が痛いとか」

「いえ……少し、緊張し始めただけです」

「なぁんだ、そうだよね。転入初日な上に、外国から来たんだもんね」


 誤魔化す言葉をアッサリと信じて、栖原は安堵したような表情を見せた。

 ジョーカーとして現役だった頃に比べれば、財閥の動きは随分と緩慢になったらしいが、幾度と無く戦場で矛を交えて身としては、彼らが再び活発化し始めたという情報は、無視できるほど軽いモノでは無い。

 もっとも、東欧と極東の日本では距離が離れすぎている。今回の一件で財閥と対峙する事は無いだろうと、都古は目の前の教師に気取られぬよう、人知れず気を静めた。

 書類も書き終わり、教材も全て揃った。栖原教諭と幾つかの確認事項や、何気ない雑談をしている内に、スピーカーを通して時間を知らせるチャイムが鳴り響き、二人の視線が自然と壁に備え付けられている時計に注がれる。


「おっと、もうこんな時間か。それじゃ、取り急ぎの質問が無いようなら、そろそろ教室の方へ向かおうか」

「はい」


 頷くと都古は立ち上がった栖原の後に続いて、職員室を後にする。

 いよいよ、本格的に学生生活がスタートする。

 とにもかくにも、面倒事や目立つ事だけは御免だ。それだけは避けようと心の中で近いながら、栖原の背中を追って人気のない廊下を歩いて行った。




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