第一章『今日この日まで夢を見る』4

「グルッ、グルルルゥゥゥゥゥ…………」

 雨の降る森林で、やけにはっきりと聞こえる地竜の呻り。

 緑柱石の双眸の中で黒い瞳孔が細長くすぼめられ、少年と精霊を見据えて離さず、頭を低く身構える姿は、さながら獲物を狩らんと機会を伺う狩人のよう。

「僕ら、狙われてるね」

「……はい。ルアスの森に地母竜がいることは知っていましたが、まさか子を成していたとは知りませんでした」

 地竜の動きを注意深く観察しつつ、アルマとイーシャは少しずつ後ずさる。

「イーシャ、君に地竜を押さえつける力はあるかい?」

「何を言うのですか。体躯の小さい地竜ぐらいであれば余裕なのですよ」

「……無理は言ってないだろうね。イーシャの見積もりとして、どれぐらいの時間は持ちこたえられそう?」

 それにイーシャは少し思案し、

「一二〇分ほど。それ以上は無理ですね」

「充分。僕が村に帰って戻ってくる時間は十分にあるね」

「はい。十分なのですよっ!」

 その一言で飛び出したイーシャを置いて、アルマは後方に向かって猛スピードで駆け出した。近道なのだろう、脇へとそれて森に入っていく。

 地竜と独りで対峙する風の精霊。その身を宙で回転させて、地竜の腕がギリギリ届かないであろうところまで飛翔。その頂点に至ったところで、両腕を真横に広げた。

 両手に光が灯り、手のひらを起点にして灰色の風が巻き起こる。幾重にも重なるそれらは互いに互いを押しやり、下から上へと渦巻くように徐々に勢いを増していく風が、精霊の手の中で烈風の塊となって編み込まれていく。

「さぁ、あげるのです……! はあっ!」

 数瞬の後、頭上にかざした両の手のひらの上で風は一層の強まりを見せた。球の形を維持できないほどに暴れ荒ぶ暴風の塊を、イーシャは勢いよく地竜へと叩きつけた。

「…………ゥ………………ゴァ?」

 驚きを隠せないような、困惑した唸りを地竜が上げた。

 その丸い身体は動かない。動かそうとしているのか、しきりに四肢に力を込めて震えているようには見えるのだが、まるで何かに縛られているかのように動かないのだった。

「動けますか? 動けないでしょう?」

 フフンと鼻で笑い、自信満々に両腕を突き出しているイーシャ。

「高弾性・高密度の気流の塊なのですよ。私の展開した随意領域に詰め込まれた気体は、退

 その風檻かざおり、容易には破れないのですよ」

 その言葉が地竜に聞こえたのだろうか。小さな精霊に比べて、何十倍の大きさを誇る地竜が目をいからせて、その鼻腔から荒々しく空気を吐き出す。今にも風の塊から逃れ暴れだそうとする姿が想像できるが、堅固な鱗の下の筋肉は激しく収縮、伸長しているだけでそれを解き放つ機会は与えられない。

「…………っ、アルマが戻ってくるまで、保ってくれると良いのですが」

 両腕を突き出したままの姿勢でイーシャは独り言ちた。

 この作戦には穴がある——ということをイーシャは承知の上で行っていた。

 地竜の下が硬い地面であれば、きっと宣言通りの時間を保つことが可能だっただろう。しかし、今は雨でぬかるんだ地面である。地竜の上で押し返す力は柔らかい地面に伝わり、早いうちに泥を押し退ける。その時には地竜の四肢は自由になり、その剛脚で以てイーシャに飛び掛かることだろう。

 すでにここから脱したアルマは一時間ほどで帰ってくるはず。それまで——

 保てば良い、と思ったのも束の間、地竜の足元が深く抉れた。ぬかるみ滑り、右前脚が自由になる。あれが、あと三本。

 どうせなら、すべての四肢を投げ出して腹を地面につかせれば良いのだ。

 イーシャは風を押し付ける手に力を込め、地竜への圧をさらに高めていった。

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