第一章『今日この日まで夢を見る』3

 互いに喋らない、そんな時間が数分続いたころ。

 ————ゴゴッ、オォォッォォン……ッ…………

 二人の耳に、雨音に混じって響く重低音が届いた。

「…………? 雷ですかね?」

 身体を強張らせながらイーシャが不安げに言う。

「雷っていう可能性は低いと思うよ。空の色がどちらかと言うと明るい灰色だし、雷が成長するほど空高くまで雲は大きくないと思うし。それに空も光ってない」

 たぶん……別の何かの音だよ、とアルマは付け加えた。

「この辺で土石流が起こるような地形ってありましたっけ」

 イーシャに言われ、アルマは森の地図を思い描く。小川が近くに流れているから若干の傾斜はあるだろう。それでも緩やかなものだし、そもそもこの森には硬い土まで根を伸ばす古代樹林がほとんどである。土石流が起こるほど脆い森ではなかった。

「起こるとしたらちょっと傾斜のある森の中心だけど、それほどやわな森ではないからね。この森で土石流が起きたとか、聞いたこともないよ」

「それもそうですが————っ、この、大気の震えは何か分かりますか……?」

「震え? 僕には全く分からない」

「僅かにですが、通常よりも空気の構成粒子が揺れていて、徐々になのですが大きくなってきています。となると、音をだんだんと大きく出し続けているか、または派手に何かが動き回っているという可能性の方が濃いのですよ」

 足元を見下ろし、イーシャが転げ落ちそうになるのも構わず地面に手を振れる。木陰のためか湿っているだけの硬い地面は確かに微振動しており、自身の身体も小刻みに揺れていて。

「……なんだかものすごくいやな予感がする」

「そ、そうで、すねっ……! あ、アルマッ……頭っ上げてっ……」

 アルマの黒髪にしがみついて、背中の羽を必死にばたつかせるイーシャ。

「濡れても良いから早めに村に帰ることにしよう——もしもが起こると、雨に濡れることの方が良かったって思うことになりそうだ」

 風の妖精をつまんで肩に座らせ、拾い上げた麻袋の中から小さな真四角の布を取り出すとそれを被せてやる。

 アルマは? と布から瞳を覗かせるイーシャの訴えに、アルマは首を振ると樹の下から飛び出した。

 パチパチとアルマの顔面に雨滴が打ち付ける。ぬかるみに足を取られぬよう、慎重に足を踏み出してはいるものの、少しでも焦ってしまえば途端に足を滑らせてしまうことになるだろう。勢いも失せず増せず、生暖かい空気を割ってアルマは駆けた。

 そんな中で、糊状の泥を通して足裏に伝わる振動も次第に大きくなっていく。

「アルマッ————!」

 耳元でなにやらイーシャが声を上げていた。呼びかけか、警鐘か。

 偶然視界の端に入ったイーシャの腕が、まっすぐ進行方向の左手を指差していた。

 アルマは自分の身体に急制動をかけた。できるだけ滑らないようにするも叶わず、、指差された箇所を走る速度そのままに通り過ぎていく。

 林立する、アルマの胴を軽々と上回る太さの大樹たち。

 その一本が

 アルマは泥土にまみれることもいとわず身を投げ出した。滑る少年の頭の上を大樹は通り過ぎていき、反対側の大樹にぶつかって泥土へと落ちる。

 しかし、アルマには安堵の息をつく暇もなかった。

「————ッイーシャ!」

 肩に必死にしがみつく妖精の名を呼ぶ。返事が聞こえずとも、肩にかかる小さな重みがしかと服を掴んでいる感触があった。

 その束の間を縫い、さらにもう一本の大樹。

 その一本を、前のめりに突っ込む形で何と跳び避けて凌ぐ。

 泥土に手から突っ込み、転がって全身に泥が纏わりついてようやく止まった。

 泥水を吸った衣装が重い。全身の熱が徐々に奪われていく。

 一体、何が起きているんだ——と、アルマが森の奥を注視したときだった。


「ガァアアアアアアァァァァアアアッッァァァ——!!」


 雨の降りしきる森林に、大音量の咆哮が響き渡った。

 暗がりから飛び出してきた、緑の軌跡——緑柱石エメラルドの色をした双眸がアルマを真っ直ぐに睨み付けた。

「まさか、地母竜か!」

 現れた何者かの正体にアルマは絶句した。

 ずんぐりとした丸いからだ。全身を覆う甲殻は黄褐色に染まり、その一枚一枚には鋭い棘が生えている。獣性を宿した瞳は爛々と耀き、棘が鈴なりに生え揃う尻尾が呻りを上げてブンと振り回される。

 成長すれば全身の甲殻は暗緑色に色づき、その体躯は人間の大きさを遥かに超えて二階建ての家屋にまで達し、その四肢の一本一本が悠久の時を過ごした樹木の太さを優に上回る。

 種を創り、生命を育み、産み落とした森と共に歩む者——飛竜鋼竜盤目スコルオーベイル科【地母竜】オルディナート、その幼体。

 食物連鎖の頂点に立つ竜種。その一匹がアルマたちの前に躍り出た。

 

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