第7話

 いよいよ夏休みが目前に迫っていた。毎年のことだが、待ち遠しい。

「私さ、夏休みは花火を見に行きたい。海にも行きたいな。かき氷も食べたい。お祭りも行かないとね」

 美幸は配布物の裏にリストアップしていく。

「いっぱいすることがあるんだね」

「そうだよ」

 放課後に美幸と暑い教室に残ることが習慣化してきた俺は、美幸の夏休みのプランを聞いていた。

 風が通るように開けている窓からは運動部の声と蝉の声が聞こえてくる。こんなに暑いのによく部活動に勤しめるものだ。中学生の頃は俺もその一人だった。

「それで私の予定には、もちろん悠介も付き合うわけなんだけど」

 美幸は俺に予定がないと思っているのだろうか。

「どこか行きたいところある?」

「ない」

 言っても聞かない。話は強引に進んでいく。

「やっぱり着物は着たいかな。家にあったらいいんだけど。二年前のがあったはずだし。悠介は着ないの?」

「着物? 持ってないし」

 俺は夏休みは涼しい部屋でダラダラするのだと決めている。

「じゃあ、貸してあげる。お兄ちゃんがいるから」

「いいよ」

 そんな面倒で申し訳ないことは出来ない。

「分かった。着物は諦めるから、どこか行こうよ」

「行かない」

「頑固だなー」

「美幸に言われたくない」

「そんなんじゃ、夏の思い出なくなるぞ!」

 毎年、夏の思い出なんてない。今年もそれでよし。

 この前、バスケをしただけでもよしとしてくれ。あの日の晩、筋肉痛が俺を襲った。全身が痛かった。朝起きるのも痛いし、立つのも痛い。この時、初めてそのことに関して後悔した。

「悠介が決めないなら、私が強制的に決めるよ」

「三回くらいは遊びたいよね」

「友達とは遊ばないの? そんなに遊んだら時間が無くなるよ」

 美幸は不思議そうな顔をした。

「夏休み、何日あると思ってるの?」

 三回も遊んだら十分だろ。夏休みじゃないだろ。休みなのだからゆっくりしたいじゃないか。

「よし、あみだくじで決めよう!」

 美幸は配布物の裏に五本の線を引いた。そして、その間に線をたくさん引いた。

「お祭り、海、花火、旅行……行先は後で決めるとして、ラストはお楽しみね」

 旅行とか一番当たってほしくないな。お祭りと花火がまだましだろ。時間帯も午後からだろうし。

 神様、どうか俺に静かな夏休みを。

「一つ目、旅行!」

「えー……」

「反対しないの」

 一発目から最悪だよ。神様は俺を見放した。

「二つ目、お楽しみのところだ」

「どこ行くの?」

「悠介の家」

「何て?」

「悠介の家」

 お楽しみというから、何もしないという選択を期待していた。最悪の二つだ。もう、残りは何でもいいや。

「三つ目、お祭り!」

「本当に三つともするの?」

「もう決まったんだから文句は言わない」

 俺は美幸がリストアップした紙を覗いた。

「花火とかき氷と着物が消えてないぞ」

「これはお祭りの時に一緒にしちゃうからいいの」

 詰め込むのか。分けても、最終的にはそうする気だったな。美幸はニッと笑った。

 すると、教室の後ろの扉が開いた。

「健人、珍しいな」

「部活、今日はなくなったから。ユニフォーム置きに来た。二人は何してるんだ?」

 健人は美幸の夏休みにやることリストを覗いた。

「二人で行くのか?」

「そうだよー」

 元気よく美幸が答えた。

「でも、健人も誘おう、って話になってて」

「え」

 美幸は、聞いてない! とでも言いたげに驚いていた。こういう時、使える魔法がある。

「美幸、四つ目のお願いだ」

 美幸は予想もしていなかったのだろう。でも、理解したとたん不満げに俺を睨んできた。でも、目の前には健人がいる。

 美幸は机の下で俺の脛を軽く蹴った。

「よかったら、どうかな。牧野くんも一緒にどう?」

「いいの? 二人で行きた――」

「そんなことないよ。二人だと退屈するし、いてくれた方がありがたいよ。お願い。悠介も来てほしいみたいだし」

 彼女はマシンガンのようにペラペラと話す。話すスピードも声のトーンも普通なのに不思議だ。

「スケジュール見とくよ。明日でいいかな」

 仕掛けた側の俺から見れば、ものすごく……。

「うん、大丈夫だよ。大まかには決めとくね」

「じゃあ、また明日」

「バイバーイ」

 健人は教室から出て行ってしまった。そこで、蝉の声だけが聞こえる。

「……全力だったな」

「褒めてるの、それ?」

 俺は頷いた。

「でも、一つだけだからね。三人で遊ぶの」

「俺の家でいいだろ。特に何もないんだし、三人の方が話すネタは出てくる」

 美幸は少し考えたのち、そうだね、と笑って答えた。



 次の日の放課後、俺と美幸、それと牧野くんが教室に残った。

「で、何するの?」

 俺は健人に聞かれ、黙った。健人は期待に溢れた目をしていた。とてもじゃないが言いづらいな。仕方ないか。

「俺の家だよ」

「本当に? 久しぶりだな、悠介の家」

 意外と反応は良かった。いちゃもんをつけられると思ってたのだが。俺は胸をなでおろした。

「いつにしようか」

 美幸はスケジュール表を開ける。

「俺はいつでもいいけど、健人は部活あるだろ?」

「あるけど、土日はほとんどないし。でも八月入ったら合宿あるから」

「じゃあ、七月中がいいよね」

 俺はすでに母からの許可を得ているので問題はない。

「二十三日はどう?」

 夏休みに入って三日目か。何だか、夏休みという感じがしないな。

「大丈夫」

「じゃあ、そこでいい? 悠介」

「分かった」

「決定!」

 何だか思っていたよりもすんなりと決まってしまった。よし、帰ろう。毎日、放課後に用事もないのに学校に残っている。だから、今日くらい帰ってゆっくりしてもいいだろう。

「早く決まっちゃったね」

「まあ、悠介の家だからな」

 俺は机の横にかけてあった鞄を手に取り、立ち上がる。

「もう帰るのか?」

 そう言ったのは健人の方だった。二人は腰を上げる様子はなかった。今度は何をするのだろう。立ち上がった俺は健人に座らされる。

「折角二人以上いるから、十円ゲームしようか」

 本当はもう少し頭数はほしいけど、と言いながら、美幸は提案する。

「十円ゲーム?」

 聞き覚えないゲーム名だ。横を見るが健人も知らないようだった。美幸はスカートのポケットから十円玉を一つ取り出し、俺たちの前に差し出す。

「悠介も牧野くんも十円玉持ってる?」

 健人は鞄から出した小銭入れから十円玉を一枚抜いた。一方、俺だが十円玉どころか一円も持っていない。基本、学校からはまっすぐ徒歩で帰るのでお金はいらない。持ってくるのはお弁当がない日だけだ。残念ながら今日はお弁当の日だった。

「俺は持ってない」

「仕方ないな」

 健人はついでに小銭入れからもう一枚十円玉を出して俺に渡した。ちょっと錆びてる。

「ありがとう」

 美幸は自分の座っている席の机を三人の俺たちの方に向ける。そして、机の上に自分の十円玉を置いた。

「やり方は簡単だよ。このゲームは十円玉の表裏を使ったゲームなの。とりあえずやってみようか。随時説明していくね」

 俺たちは美幸の机を囲むようにして座った。

「その前に準備しないと」

 美幸はスケジュール表の中から見たことのない鳥の絵が描かれたポチ袋を三枚取り出して俺たちに配った。

「じゃあ、説明するから私から始めていくよ。今から二択質問するから、当てはまる方の指示に従ってね」

 健人はワクワクした表情でそれを待っていた。

「この三人の相性がいいと感じてる人は十円の表。この三人でいるなら一人でいた方がいいと感じている人は十円の裏。この時、見せないように当てはまる方をポチ袋の絵の向きに合わせて入れて」

 俺たちはそれぞれ選択して十円を入れたポチ袋を美幸と同じように机に置いた。

 変な鳥の絵と目が合う。何なんだろうこの鳥は。気になって仕方がない。羽は黒と白の縞模様で、体は橙色の毛をしている。頭には橙色の毛が八つにピョンピョンとはねていて、その先端も黒と白の毛になっている。足は短く、くちばしは長い。

 美幸は三人のポチ袋をどこから持ってきたのか分からない立方体のカンカンに入れて振り始めた。二十回ほど振ったところで、カンカンの中からポチ袋を取り出す。

「これで、誰が裏にしたか、表にしたか、分からなくなったね」

「あー、そういうことか」

 ゲームの趣旨が分かった健人が納得したように言った。

「じゃあ、開封しまーす」

 美幸は鳥の絵が書かれた方を上に向けて十円玉を取り出した。十円玉は表が二枚、裏が一枚だった。

 誰か分からないはずのゲームなのに、健人と美幸の目は俺に向けられた。

「悠介だね」

 二人の声が重なる。

 確かに俺は裏にしたが二人とも確信したようにして言う。この二人は波長が合うのかもしれない。

「じゃあ、時計回りにいきましょう。次は牧野くんが質問係ね」

「了解!」

 健人の考えている間、気になっていることを美幸に質問した。

「この鳥、何? ポチ袋の」

「この鳥ヤツガシラっていうの。可愛いでしょ?」

「変な頭だな」

「それも可愛いんじゃん」

 そうしている間に健人は質問する内容を決めたようで、ゲームは再開した。

「辛党の人は表。甘党の人は裏」

 俺は十円玉の裏を鳥の絵の方に向けて入れた。

 健人とは中学から一緒の学校だが、そういうことはよく知らない。もちろん美幸のも分からない。

 さっきと同様、カンカンの中で混ぜ合わせて開封する。

「表が一枚、裏が二枚か」

「私、牧野くんが辛党だと思う!」

 美幸は言う。この時点で美幸が嘘をついていないのなら、表は健人だな。三人だとすぐに誰か分かってしまう。

「正解」

「やっぱり。私は辛いものだめなんだよね。カレーの中辛もだめだし」

 ゲームの趣旨が変わってきているような気がする。

「じゃあ、カレーは食べるとき甘口?」

 俺は同じ甘党の美幸に聞いた。

 美幸は首を横に振る。

「家族は普通にカレーを食べるから私にも中辛が出されるよ。でも、普通には食べれないから牛乳を入れて、サラサラのスープにしてから飲む」

 さすがに俺は飲まない。ちゃんと食べる。

 健人は、カレーじゃないじゃん、と笑った。

「面白いね、次は悠介だよな」

「質問か、考えてなかったな」

「一番、考える時間あったのにー」

 いざ、質問を作るとなると途端に浮かばなくなる。

 俺はポチ袋の鳥を見て質問した。

「この鳥が可愛いと思う人は表。可愛くないと思う人たちは裏」

 開封すると、表が二枚、裏が一枚だった。

「悠介は質問に自分の答えを強調しすぎだよ!」

「その質問、さっき私としたじゃん! あと、この鳥の名前はヤツガシラだって言ったじゃん!」

 思いっきり二人に怒られた。俺のときだけ、あたりがきつい気がする。

 ゲームは二周目に入って、二人のテンションは上がっていった。三周目からは、悠介は質問に向いていない、と質問係から除外された。

 ゲームが十周をむかえると健人のネタは底をついた。

「もう、質問出てこないな」

「じゃあ、この質問で最後ね」

 美幸は十円玉を先にポチ袋の中に入れて言った。

「今年の夏休みが楽しみな人は表!」

 開封結果は全て表だった。十周やって、初めての全員一致だった。

 俺たちの夏休みは、もう始まっているのかもしれない。窓の外からはどこからかクチナシの甘い香りが風に乗ってやってきた。

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