第6話
「悠介?」
「そうだけど。何で疑問形なんだよ」
嬉しさよりも驚きが先にきて、何と言ったらよいか分からない。
「え、何でいるの?」
「今から帰るところ。美幸こそ何してるの。すごく怪しい人になってるけど」
そんなに怪しかったんだ。そう言われるとショックだった。
それよりも問題が――。
「違うの、璃玖が……良くなくって、実は」
悠介と久しぶりに話す嬉しさと混乱が混合してパニックになる。
「待って。美幸、落ち着いて」
私は深呼吸した。ちゃんと伝えないと。もしかしたら大変なことになるかもしれないのだから。
「牧野くんが連れ去られる!」
「え、誘拐?」
違う!
私は要約し過ぎた言葉を少しずつほどくことにした。今までの経緯を悠介に話した。ゆっくり話す代わりに、急ぎ過ぎる思いが手に現れる。
悠介がオーバーリアクションを取らないで話を聞いてくれるから落ち着いて話せた。
「健人が、化けの皮をかぶっていた璃玖っていう人に誘拐されて、さらに、いじめられているかもしれないと」
「まあ、そんな感じ!」
悠介は状況を頷きながら頭の中で確認しているようだったが、全く動こうとしなかった。
「確かに、しばらく健人の様子はおかしかったと俺も思う」
「でしょ!」
「でも、健人は助けを求めなかった」
私は目の前にいる人間を冷たい人だと思った。悠介にとって牧野くんって大切な友達じゃないの?
私は悠介の腕を掴み取り、走り出した。
「体育館、行くよ」
「え」
私が引っ張る悠介には力が入っていた。
「本当に行くの?」
情けない悠介を見て、私はいつの間にかイライラしていた。こうしている間にも牧野くんに何か起こっているかもしれない。体育館の重い扉を少し開ける。
「先生に言えばいいんじゃないの?」
「まだ見たわけじゃないし」
言葉を濁す。
私たちは体育館を覗く。中にいたのはバスケ部だけだった。
十人ほどの人がゴールに向かって一列になって片手のシュート練習を始めていた。ボールを片手でシュートする中に牧野くんもいた。列の最後にオレンジ色の球体を持っている。けれど、璃玖の姿がなかったのは気になった。
「片手シューティングか」
そう言ったのは私ではなく悠介だった。
「よく知ってるね」
「中学の時、バスケ部にいたから」
「知らなかった」
そんな風には見えない。運動しているところを見たことがないからかも。
「知ってた方がびっくりするよ。会ったことなかったんだし」
会ってる、そう出かかった言葉を飲み込んだ。
牧野くんの順番が回ってくる。前の人たちは半分ほどシュートに失敗していたが牧野くんが投げたボールは宙で半円を描きゴールに入った。
「牧野くん、上手いんだね」
「健人も中学からしてたし」
同じ中学だったんだ。私は何も知らないんだな。
「私は何部だったと思う?」
悠介は考えようともせずに即答した。
「美術部でしょ?」
「残念でした。私、椅子に大人しく座ってるようなタイプじゃないよ」
「運動部だったんだ。意外だね」
「悠介に言われたくないし」
私は笑った。それに気づいた牧野くんと目が合った。牧野くんは二度目のシュートを決めるとこちらに走ってきた。
「二人して何してるの?」
牧野くんは悠介の方に聞いた。困ったような顔をした。
「見学してたの。悠介もバスケ部だったって聞いたから」
「見学かー。やれば、悠介。もう大丈夫でしょ!」
牧野くんはニッと笑うと持っていたボールを悠介の方に渡した。
「ちょっと待って。三年ぶりだし」
「三年のブランクくらい、どうってことないだろ」
「三年は長いよ……」
そういう悠介は強引に体育館に入れられる。
「香月さんもやる?」
「私は見学してるよー。悠介、頑張ってね」
私は体育館の入り口付近の壁にもたれた。あっという間にバスケ部の中に紛れてしまう。
「ちょうど十人いるからゲームするぞ」
部長らしき人が指示する。悠介は今更抜けることが出来ず、諦めた。じゃんけんでチームを決め、準備している間に悠介が近づいて来た。
「鞄置きに来た」
「期待して見てるよ」
悠介は何かを訴えるような目で私を見る。私は言い訳もできずに目を逸らした。
それにしても暑いな。熱がこもらないように窓は全開にしている。私は手で自分の顔を扇ぎながらその場に座って言った。
「折角だから着替えたら? 今日、体操服持ってきてるでしょ?」
「あー、教室に忘れた」
私のを貸すにも、私の体操服も教室に置きっぱなしだった。牧野くんを追っかけるとき、教室に置いてきたんだった。汗でびっしょりだから貸さないけど。
悠介は履いていた靴下を脱いで鞄の横に置いた。
「頑張ってね」
悠介は何も言わずに行ってしまった。
「十点先取の三本勝負でいこう」
「お願いします!」
部長らしき人の指示で他の部員の頭が勢いよく下がる。悠介は一人遅れて頭を下げる。
ジャンプボールで始まったゲームはビブスを着た悠介のチームが優位に立つ。悠介はパスされたボールをドリブルしてゴールに持っていく。技術にも感動したが、制服であそこまで動けるのことの方が感心した。
「悠介、ゴール!」
牧野くんが遠くから叫ぶ。
しかし、悠介の前には敵チームの人がいた。悠介はボールを片手で投げる。投げられたボールはゴール背面板に当たり、悠介の方に跳ね返ってきた。悠介はジャンプして、片手に返ってきたボールをゴールに入れた。
「ナイス、悠介」
牧野くんはゴールを決めた悠介とハイタッチした。
「全然大丈夫じゃん。制服じゃなかったら、その場からシュート出来ただろうけど」
「体が鈍ってるからな。明日は筋肉痛だよ」
「じゃあ、毎日やればいいよ」
「嫌だよ」
私はそんな会話を聞くことしかできなかった。でも、部活に行かれては困る。三年生はもうじき引退とはいえ、一緒にいる時間が減ってしまう。
そんなことを考えていると体育館に璃玖が入ってきた。
「あれ、何で香月がいるの?」
「見学してるの」
「そうなんだ。女子は外周行ってるぞ?」
「別に入部考えてるわけじゃないよ」
璃玖はゲーム中のバスケ部の中に悠介が入っていることに気付いた。
「田中、何でいるんだ?」
「元バスケ部だからやらせてるの」
璃玖は私が見学していることに納得したようだった。
「だから、さっきのプレー上手かったのか」
「見てたの?」
「うん。タップシュートだろ?」
私には専門用語やルールは分からなかったが、たぶんそれだと思う。でも、どうして牧野くんと部活に行ったはずの璃玖が今部活に来たような状況になってるのだろう。
悠介のチームはボールを取られ、相手に点数を取られてしまう。互いに譲らないゲームは白熱する。
「璃玖はやらないの?」
「俺も今日は見学しとく」
私の横に腰掛ける璃玖は面白くなさそうにそのゲームを見ていた。体操服に着替えているのに少しも体を動かさないのだろうか。怪我でもしているのかもしれない。
「どこか痛めてるの?」
「別に痛めてないけど」
昔からつかみどころのない人だとは分かっているが、改めて不思議に思う。
私のよそ見しているうちに一セット目の最終ゲームは両チームともに一点を残して始まった。
「頑張れー」
私は悠介の方を見て応援した。
集中している悠介はボールだけを追いかけ続けた。必死に食いつく悠介の姿はどれも初めて見るものだった。
悠介にボールが回ってくる。しかし、ディフェンスが固く、動くこと出来なかった。悠介は後ろにいるディフェンスのゆるい牧野くんにパスした。牧野くんはゴールからコートの半分弱離れたところからボールを投げる。放たれたボールはゴールに入る。
ゴールに入ると悠介は、さすがだな、と褒めていた。
「すごいね、あんなに遠くからゴールするなんて」
「スリーポイントシュートだな」
「三ポイント入るってこと?」
璃玖は頷いた。
牧野くんもすごいな。もちろん、中学生の時からやってたから、というのもあるのだろうが、私には練習してもできそうにないな。
「よいしょっと」
「どこか行くの?」
私は立ち上がった璃玖に聞いた。
「今日は帰る」
「そっか。じゃあね」
璃玖は帰って行った。
二セット目は悠介のチームが負けたので三セット目に入っていった。私もどちらかと言えば体育会系の人間なので、参加したくてウズウズする。
スポーツは見るよりする方が楽しい。緊張や楽しみが入り混じるその感覚を知ってしまうとその世界から抜けられなくなる。
私はのめり込むようにしてそのゲームを見た。
またも、牧野くんにボールがいく。二歩目のステップでジャンプした牧野くんはボールをゴールへと決めた。これは私でも分かる。レイアップだ。
私も体育の授業でやったが、なかなかリズムよく飛ぶことが出来ない。終いには投げたボールがゴールのリングに当たり、それを頭でキャッチしてたんこぶを作ってしまった。ついこの間にあった、苦い思い出だ。
先に十点を取ったのは相手チームだった。差はあと二点だ。
負けはしたが、やけにすっきりしたような顔をして悠介と牧野くんはやってきた。
「お疲れ様! 二人ともすごいね」
「ありがとう。香月さんも今からでも一緒にやる?」
やりたい!
「俺は帰るよ」
悠介にそう言われて私は首を横に振った。
悠介は背中にべったりと張り付いたシャツをつまんで言った。かなりしんどそうだな。牧野くんにはまだ余裕が垣間見えた。さすがに三年間のブランクは大きかったようだ。
「大丈夫?」
汗が悠介の輪郭をなぞり落ちる。
「死にそう。こんなに体動かしたの久々だから」
「いきなり三セットだったからな」
「動けない……」
私と牧野くんは床に寝そべった悠介を笑った。
私が、背負って帰ってあげようか? というと重そうに体を持ち上げた。
「久々に悠介と出来て、楽しかったよ。また、やろうな」
「遠慮しとくよ」
「香月さんもいつでも悠介を連れて、参加しにおいでよ」
「ぜひ、やりたいです」
先に歩き出す悠介の後についていく。残ったエネルギーを使って歩く悠介に私は言った。
「残念だったね」
「本当だよ。教室に体操服さへ忘れなければ、無駄な体力を使うことはなかった」
私はゲームの結果に言ったのに。面白くて笑った。
私も教室に荷物を置いてきているので一緒に教室へ向かう。
「それにしても、悠介がバスケ部って意外だよね」
私は教室の扉を開けて言う。教室はもう誰も残っていなかった。だから、私の中に少し前の記憶がフラッシュバックしてくる。
「そうでもないと思うけど」
「でも、何で今はしてないの?」
「引退試合で怪我したから。それ以来あまり体を動かしてないんだよ」
「え! 大丈夫なの? 入院とかしてたの?」
私は、悠介の今の状態が大丈夫なのか心配になった。体を動かしてはいけなかったんじゃないか。悠介は人がいいから、無理してしまったんじゃないか。そのようなことが頭によぎった。
「大した事じゃないから大丈夫だよ。ただの疲労骨折」
「でも、傷んだりとか」
「たまに古傷が痛むくらいだから。健人も分かって今日やらせたし」
それって駄目なんじゃない?
「まあ、美幸が心配するほどのことじゃないから」
悠介は優しい声で言った。
「そういえば、美幸は何部だったんだ? 美術部じゃないんだろ?」
「私はこれ」
私は鞄につけているキーホルダーを見せた。
「バレー部?」
「そう! バレー部のウィングスパイカーだったんだ。エースアタッカーだよ。カッコいいでしょ?」
「何か凄そうだね」
「凄そうじゃなくて、凄いんだよ」
悠介は目的の体操服をロッカーから取ると帰りを急ぐので、私も急いで体操服を鞄に入れて追いかけた。
靴箱を出て、私は暗くなりつつある空に浮かぶ雲の流れを見つめた。
「ねえ、悠介。何で話してくれたの?」
「何となく」
「じゃあ、もう話しかけにいってもいいの?」
「どっちでもいいよ」
そう言う悠介は全然こちらを見てはくれない。言葉とは裏腹に言い方は優しかった。わたしの頬が緩む。
「ありがと」
嬉しかったので今日は大人しく校門で別れてあげることにした。その代わり、明日は筋肉痛でも絶対に容赦しない。
明日は何をしようか、今からワクワクする気持ちが高まる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます