第2話

「あの香月さん、好きです」

 校舎の出入り口の端っこで私は愛の告白を受けていた。

「ごめんなさい」

 私の前に立つ、さえない顔の人に返事する。この人とはあまり面識はないものの、何度も私への思いをぶつけてくれる。しかし、私は申し訳ないことに断り続けている。

 私にも彼と同じように好きな人いるからだ。

「本当に好きなんです。いつも明るくて、前向きな香月さんが」

「私は明るくなんてないですよ」

 他人にはいい顔をしているが、本当の私は違う。私は自身を偽りながら、居場所を奪われないようにしているだけ。

 私は正門の方を見て、脊髄反射で走り出す。

 田中悠介、その名前が頭に流れる。

 さえない顔の彼を連れていく。

「悠介、待って!」

「ん?」

 鞄を持って帰り道を歩く悠介くんの顔がこちらに向く。すごく迷惑そうな顔で問い返してくる。それも納得できる。高校に入って悠介くんと話したことはない。きっと悠介くんは覚えていないだろうが、久しぶりで緊張する。

「何か用?」

 ごめんね、巻き込んで。

 人通りがないせいか周りを気にしなくていいのはラッキーだった。

 私はこの数年で鍛えた演技力で彼の彼女になりきってみる。

「何か用? じゃないでしょ。いつもおいて帰っちゃうんだから」

 悠介くんは、かまえていた力が抜けきったようになった。何か言おうとする口も、開いたままとまっていた。状況把握がまだ出来ていない。

 私は焦りを感じさせないようにすぐに演技を続けた。

 クルリとさえない彼の方へ向き直った。

「あのね、何度も告白してくれるのは嬉しいんだけど私、彼氏いるから。ほら、この人。悠介が彼氏だから」

「あのさ――」

 だめだ。直感で悠介くんが全てをだめにしてしまう予感がした。冷汗が止まらない。もしかしたら顔に出ているのかもしれない。

「今さら恥ずかしがらなくても大丈夫よ。ま、そういうことなので諦めでください」

 私はさえない彼に笑いかけるようにして言った。しかし、さえない彼の目は私の言うことを信じている目ではなかった。

 悠介くんが状況把握出来ていないのだから、疑っても仕方ないか。

 私が諦めかけたその時、悠介くんの開いた口が開いた。

「悪いけど彼女に何か用? 告白とか迷惑なんだけど」

 私は嬉しくなって口角が上がる。状況把握をやっとしてくれたからじゃない。好きな人から、演技でもその言葉が聞けたからだ。

 逃げるように速足で帰ったさえない彼を見送ると私は悠介くんの目を見た。何か言いたそうな顔をしていた。

「あのさ、香月さん」

 苗字なんだ。

 やっぱり、覚えていないんだ。

「なんでしょう、田中くん」

 田中くんと呼ぶのが寂しかった。私は心の中でため息を一つ漏らした。

 私は嫌われたかもしれない。めんどくさいとか思われたかもしれない。不快にさせたかもしれない。

「何の真似かと思ったよ」

 悠介くんはさっきと変わらないトーンで言った。怒っている様子ではなかった。

 だから、取り繕うことをやめたい。安心したことで声は落ち着いたが、偽るように話すことは習慣となってなかなか止められなかった。

「察してもらって助かったよ。ありがとう」

 クラスでも明るくない性格なのに偽っている。悠介くんの前ではそんな醜い自分を見せたくない。本当の私はかたい殻の中に閉じこもって、時折そこから顔を覗かす。けれどすぐに戻ってしまう。

「田中くんは今帰りなんだよね」

「そうだよ」

 あの時と一緒だ。

 悠介くんが何を考えているかは分からない。けれど、確かに変わらないものがある気がした。

 もっと話したい――。

「じゃあ、俺はこれで」

 会釈して行ってしまう悠介くんを引き留める理由を考えるため、脳をフル回転させた。だめだ、これしか思いつかない。

「しばらく彼氏のふりしてくれない?」

 悠介くんの顔が、これ以上嫌なことはない、とでも言いたげに歪む。これだけでも逃げ出してしまいそうなのに、さらに追い打ちをかけられた。

「めんどくさい」

 胸をめった刺しされたようだ。一瞬のうちに傷だらけである。もうだめだ。しかし、私にはもう時間がないのだ。今を逃せばきっともうだめになっちゃう。

 だから、今は演技でもこの時をつなぎ合わせたい。

「え、あっさり? おっけいしてくれると思ってたのに! 私、めっちゃ恥ずかしいじゃん」

 全然恥ずかしくない。むしろ、痛い。

「香月さんの問題に俺を巻き込まないでくれるかな」

 そう言われて、私の眉がピクリと動く。

 悠介くんは私の気持ちなんて知らないだろうけど、そんなに突き放すような言い方をしないでほしい。だから、私は言い返した。

「私は頼ってるの。じゃあ、何か取引しよう。この代わりに君の厄介事を私が引き受けてあげましょう」

 悠介くんなら頼れる。ここは引けない。何か一緒にいるきっかけにこぎつけたい。

「俺の厄介事なんていいよ」

「何で。あるでしょ? 嫌な事くらい」

「俺はそれ含めて人生の一歩だと思うから、じゃあ」

 私は悠介くんの腕を引っ張った。私は大きな魚を釣り上げる漁師になった気分だ。

「どうしてもって言うなら条件を出す」

「条件って」

 厳しい悠介くんと目が合う。

「君のお願いを三つだけ叶えてあげる」

 悠介くんの目が和らいだ気がした。黙ったまま見つめあう時間が五秒を過ぎて、私は目を逸らしてしまう。あの日に戻った気がした。



「何で泣いてるの?」

 家の近くにある公園の滑り台のてっぺんで、かぶっていたキャップの中に長い髪の毛を入れ込んでいた小学二年生の私は泣いていた。そこにランドセルを背負った一人の男の子が現れた。

「引っ越しちゃうの。でもね、美幸は引っ越したくないの」

「どうして?」

「だって、お友達とバイバイしないといけないんだもん」

 男の子は私の顔を見ていた。じっと、流れる涙を見ていた。

「あなたは誰?」

「俺は悠介」

 日暮れなのに一人でいる私のところにやってきたのは、友達のいない悠介だった。

「今、引っ越しても自分が大人になったら引っ越して戻ってくればいいんだよ」

「だめなの、今引っ越したくないの」

 私には新しい土地での生活にも不安があった。

「じゃあ、いつかまた俺と会ったら君のお願いを三つ叶えてあげる」

 純粋にその気持ちが嬉しくて悠介くんと約束した。

「指切りげんまん針千本のーます指切った」

「絶対だよ、悠介くん」

「うん!」

 私は嬉しくなって悠介くんと日が沈む頃まで話していた。

「悠介くんは家に帰らないの?」

「うん、美幸ちゃんは?」

「美幸も帰らない」

 しかし、その五分後に私たちは、これ以上帰りが遅くなると両親に叱られる、と立ち上がり走り帰った。私と悠介くんの家は逆方向だったらしく、公園を出るとすぐに分かれた。

「戻ってきたら、絶対公園に行くね」

 私が家に着いたのは六時だった。予想は的中し、こっぴどく怒られた。でも、悠介くんとの約束を思い出すと口角が上がる。

 その日から一週間ほどして私の家は空っぽになってしまった。



「十個」

「え?」

 私は自分の言ったことをすっかり他所にタイムマシーンに乗って過去にとんでしまっていたようだ。

「お願いは十個だ」

「多いよ!」

「本当になんだな?」

 何でも、そこを強調して言う悠介くんに私は少し妥協せざるを得なくなった。

「じゃあ、七個くらいにして」

 これで受け入れてくれなければ、いくら悠介くんでも鬼だ。

 私は悠介くんの前に三本の指を立てた。

「三?」

「彼氏役は三か月で良いから」

 私には時間がないのだ。許された時間は少ない。

 悠介くんは折れたようでため息をついた。

「分かったよ、本当に三か月だけだからな」

「よかった。じゃあ正式に悠介って呼んでいい? 私のことは香月さんじゃなくて、美幸って呼んでよ」

 ここまで来れば私の欲は止まらない。

 中学生にあがる時、こちらに戻ってこられることになった。でも、中学校は一緒ではなかった。だから、高校生になって悠介くんと会えるとは思ってもみなかった。

 すると、悠介くんは恥ずかしさの微塵も感じさせないで私の名前を呼んだ。

「美幸」

「いやー!」

 私は恥ずかしさのあまり、叫んだ。悠介は耳をふさいだ。

「恥ずかしいよ!」

「自分が美幸って呼べっていったんだろうに」

 本当のことを言われ、自分がいかにこっぱずかしいことを言ったのか理解した。

「分かってるの、分かってる、そうだよね、私彼女だもんね、はい大丈夫です」

 私は自分を落ち着かせて、悠介の方へ向き直った。しかし、立つ場所から目のやり場、スカートのしわまで気になってしまう。

 そこに飛んできた悠介の言葉で私は刹那的に硬直し、落ち着いた。

「一つ目の願いだ」

 私の手に力が入る。何が来るのか。少しの沈黙が長く感じた。

「今日数学で出た宿題のプリントをやってこい」

「え、そんなこと?」

 私は違う意味で驚いた。

「何だと思ったんだよ……」

「いや、現金を要求するとか、チンピラの前に突き出されるとか」

 悠介いい人だね、と心の声を口にしてしまった。

 でも、そんなことなら大丈夫だ。

「分かりました。やりますとも」

 私ははっきりと返事をした。悠介が不安そうな視線を飛ばしてくるが無視した。

「そういえば美幸って家どこなんだよ?」

 聞かれた私は平然と答えた。

「私? 私は悠介と真逆の方面だよ」

「じゃあ、今日のところはこれで」

「どっか寄って行くとかないの?」

 悠介も私も高校生。六時に帰っても怒られることはないだろう。

「俺は誰かとどこかに立ち寄って帰るような人じゃないから、悪いけど」

「彼女、寂しいんですけど」

 私はどうにか食い止める方法を探した。

「一人で行ってくれー。俺は帰ってゆっくりさせてもらうよ」

 譲らない気か。

 あ。私は携帯を取り出した。この行動に悠介も何かを感じたようだった。

「あの、美幸さん……帰りますよー。じゃあ帰るよ」

 私は携帯から顔をあげて悠介を見た。

「これ、私のツイッター。クラスの人はほとんどフォロワーなんだ。仮だけど付き合ったことあげてもいいんだよ?」

 悠介の顔が引きつる。いける。

「クラスの人驚くだろうなー」

 目だったマネをしたくない悠介なら、たまったもんじゃないだろう。

「ちょっと待って……ください、美幸さん」

 私はしてもいないツイッターで悠介を騙した。

「なーに?」

 悪いとは思っているが、私の嘘に騙される悠介が少し面白かった。

「どこに行きたいの?」

「どこでもいいんだけど、スイカ食べたい」

 特別なことを要求するつもりはなかった。

「スイカ? いきなりだね。まあ夏だし、暑いからね」

 悠介とはあと約三か月しか会えないのか。

 私の調子はよくなっていく。嫌だと言っても、なんだかんだ付き合ってくれる悠介は本当にいい人だ。

 リミットは三か月だ。



「やっぱり夏はスイカだよね」

 スーパーで買った角切りのスイカを公園のベンチで食べながら私は言った。悠介は食べたくなさそうだったから強制はしなかった。

「俺はアイスかな」

「そっちもいい!」

 私は、アイスも食べたくなるね、と良いながらスイカをほおばった。

「ねえ、悠介」

「何? アイスでも買いに行くなら一人でどうぞ。俺は待ってるよ」

 待っててくれるんだ。そういうと、本当に帰られそうなので黙っていることにした。

「違うって。私のこと好き?」

「は?」

 悠介は目を丸くして聞いてきた。

「だから、私のこと好き?」

「好きではないね」

 即答だった。

「ひどいね」

 私はとりあえず笑ったが、即答だったことに傷つく。

 だから、私は自分で衝撃を和らげるためのクッションを作った。

「まあ、あまり話したことなかったからね」

「むしろ、その頃の方が好感度は高かったな」

「え、ひどい」

 私の作ったクッションは一瞬にしてつぶされる。結局、さらに傷ついただけだった。本気なのか適当なのか分からないな。

「私にも聞いてよ」

「何を?」

「同じ質問だよ」

 悠介は私が持っていた空になったスイカのカップを指さして言った。

「体の中でスイカでも育てる気?」

「へ、何の話? いやそんな質問じゃなくてさ」

 私は自分の持っていたカップの中身を見て、馬鹿にされていることに気付いた。

「私のこと好き? だったね」

「悠介は一人称、俺、じゃん」

 私は文句を言ってやった。

 一人称が、私、じゃ悠介に聞かれた気がしない。まあ、聞いた人が直したところで言わせた感じが増すだけなので流しておくことにした。

 もちろん、回答は決まっている。

「好きだよ?」

 私は少し上目遣いで答える。

「どうも」

 私は返事が愛想のないものでも嬉しくて悠介の肩を叩いた。悠介は妙に大人しかった。

 それにしてもこんなのってあの時以来だな。私は思い出したように言った。

「私さ、異性とこうして話したの小学生ぶりだな。久しぶり」

「俺は」

 悠介はあるのかな?

「悠介もさすがにあるでしょ?」

「その言い方はいなかった時、失礼だからね。まあ、あるけど」

 あるんだ。それは誰なんだろう。

「どんな子だったの?」

「髪が短くて、大人しかったかな」

「ふーん」

 私じゃないか。私は昔から髪の毛はロングだったから違う。何だかこれ以上聞くのが嫌になってきた。

「何か機嫌悪い?」

 予想外の気遣いの言葉に私の心の傷は消えていくようだった。

「何でもないよ。帰りますか」

「そうだね。帰ろう」

 青い空が気持ちいい。日差しの暑さが生きているんだと実感させてくれた。

 帰る前に悠介が鞄から忘れていた数学のプリントを出して、私に渡した。

「ちゃんとやってきてね」

「もちろん。私がやってこなかったら悠介がやってこなかったことになるもんね」

「そうだよ。じゃあ、よろしく」

「任せて!」

 悠介は私に背中を向けて歩き出した。

 懐かしいな、同じだ。

「また明日ねー」

 悠介は振り向いたが、返事は返ってこなかった。

 ちゃんと伝えたいな。悠介は覚えていないかもしれないけど。

「針千本飲んだら死んじゃうから、早く思い出してほしいな」

 私は帰り道、心の中で思った。





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