俺的恋人役者

道透

第1話

 七月に入って暑さはどんどん増す。着ているカッターシャツが背中に張り付く。一秒でも早く帰ってクーラーのきいた自室でゴロゴロとしたい。

 そんなことが最近の俺のささやかなながらの願いだった。

 しかし、そんな願いをぶち壊しにくることがあるなんて思っていなかった。

「悠介、待って!」

「ん?」

 俺は学校から帰ろうと正門を出たやさき名前を呼ばれ振り返った。クラスメートである女子が見覚えのない男子を連れてこちらへ駆け寄ってきた。

 彼女とは名前で呼び合う仲だったか? そもそも名前を呼ばれたことあったっけ? 

「何か用?」

 長い黒髪を揺らす彼女は影のように薄い印象の男子を連れていた。制服を着ているから生徒ではあるんだろうけど。

 彼女は俺を怒った顔で睨んでくる。

「何か用? じゃないでしょ。いつもおいて帰っちゃうんだから」

 は?

 俺はいつの間にかパラレルワールドにでも来てしまったのだろうか。そんなわけないだろう。現実だ。

 いつも俺は誰かと帰る約束をしない。彼女とも約束なんてしていない。彼女は俺の腕を取ると、影のように薄い男子に恐るべきニュースを口にした。

「あのね、何度も告白してくれるのは嬉しいんだけど私、彼氏いるから。ほら、この人。悠介が彼氏だから」

 え、ちょっと! 俺って彼女いたっけ。いや、絶対いない。

「あのさ――」

 俺は彼女にこの罰ゲームを終えてもらおうと口を挟もうとするが、彼女がそうさせなかった。

「今さら恥ずかしがらなくても大丈夫よ。ま、そういうことなので諦めてください」

 彼女は影のように薄い彼にそういうとニコッとしていた。ああ、理由はよく分からんが利用されたようだ。

 影のような彼は無言で俺を睨みつけた。そういうことか。どうせ、めったにない機会だ。演技には自信ないが……仕方ない、のってやろうか。

「悪いけど彼女に何か用? 告白とか迷惑なんだけど」

 俺と彼女、両者が喋ったことで彼は認めざるをえなくなってしまい逃げ去って行った。

 彼が行ってしまった後、彼女はこちらに首を回した。

 俺は演技するのをやめた。

「あのさ、香月さん」

「なんでしょう、田中くん」

 彼女も演技していたようで、さっきよりも声が落ち着いていた。

「何の真似かと思ったよ」

「察してもらって助かったよ。ありがとう」

 ちゃんとお礼は言えるのか。

 彼女は表向きに人気がある子でなく、陰ながら人気がある……と俺は思う。意外性のある彼女を尊敬する人は少なくない。俺的には頭が上がらないような努力家に見える。

 俺は容姿もよくないし、特技も実力もないから彼女とはあまりよろしくしたくない。

「田中くんは今帰りなんだよね」

「そうだよ」

 早く帰ってベッドの上で漫画でも読みたい。

「じゃあ、俺はこれで」

 何となく軽く会釈して歩き出す俺を彼女は止めた。

「しばらく彼氏のふりしてくれない?」

 俺は今しがた思っていたことを繰り返し思った。彼女とはあまりよろしくしたくない。

「めんどくさい」

 からである。

「え、あっさり? おっけいしてくれると思ってたのに! 私、めっちゃ恥ずかしいじゃん」

 彼女は予想と違った答えにうろたえた。面倒になりそうだから嫌だ。友達の一大事とあらば受けるかもしれない。しかし、彼女のことはなにひとつと知らない。彼女は俺と関係ない。ただのクラスメイト。

「香月さんの問題に俺を巻き込まないでくれるかな」

 へたに優しくするよりもずっといい。

「私は頼ってるの。じゃあ、何か取引しよう。この代わりに君の厄介事を私が引き受けてあげましょう」

 怒ったように聞こえたが、彼女はすぐに笑顔になった。

 仮に俺が厄介事を持っていたとしても信用ならない人にまかせる気にはなれない。普通だろう。彼女は俺を信用しているのか? まさか。ただクラスが一緒なだけだ。あり得ない。

 彼女は何を思って俺に頼んだのだろう。簡単だ。たまたまいたからだろう。今はいるけれど、ついさっきまで門付近には俺以外に人は通っていなかった。

「俺の厄介事なんていいよ」

「何で。あるでしょ? 嫌な事くらい」

「俺はそれ含めて人生の一歩だと思うから、じゃあ」

 歩き出した俺の腕をグイッと引っ張って彼女は睨んだ。

「どうしてもって言うなら条件を出す」

「条件って」

 参考までに聞いておこう。俺は彼女を睨み返した。

「君のお願いを三つだけ叶えてあげる」

 なんだか聞いたことあるような。知っている。けど、何だったか思い出せない。

「十個」

「え?」

「お願いは十個だ」

 俺がそう言ったのはそれを本気にしたからじゃない。俺を嫌になれば、彼女は自分から離れたくなってくるからだろう。

「多いよ!」

「本当になんだな?」

 俺は試してみた。本当に彼女が叶えてくれるのか。そうなら、三つでもいいと思った。彼女は口を開けた。

「じゃあ、七個くらいにして」

 本当に何でもというのは難しいようだ。そりゃあそうだ。彼女は魔法使いでもなければ魔術師でもない。

 そこまで嫌か。人に好かれることがそんなに不幸な事ばかりなのだろうか。

 経験のない俺には理解しがたいことだった。得なことばかりのように見えるのだが。

 すると彼女は俺の前に三本の指を立てた。

「三?」

「彼氏役は三か月で良いから」

 彼女はニッと笑った。それがなぜだか分からないが卒業までではないようだ。思っていたよりも期間短かったため、悠介は観念してあげることにした。

「分かったよ、本当に三か月だけだからな」

「よかった。じゃあ正式に悠介って呼んでいい? 私のことは香月さんじゃなくて、美幸って呼んでよ」

 美幸はニッと笑った。

 俺にはこの日偽りの彼女が出来た。早速ではあるがお願いを考えてやろうと企んだ。彼女は構えるどころか笑っていた。

 次の日からいきなり名前呼びは少しこっぱずかしいので、今一回だけ呼んでおこう。

「美幸」

「いやー!」

 美幸は叫んで言った。うるさい。俺は耳をふさいだ。

「恥ずかしいよ!」

「自分が美幸って呼べっていったんだろうに」

「分かってるの、分かってる、そうだよね、私彼女だもんね、はい大丈夫です」

 彼女は自分を落ち着かせると向き直ったが、全く動きが落ち着いていなかった。

 ここで一つ使っておくか。

「一つ目の願いだ」

 美幸の目が俺の目を見て止まった。同時に息をのむのが分かった。

「今日数学で出た俺の宿題のプリントをやってこい」

「え、そんなこと?」

 美幸はあっけらかんとして言った。

「何だと思ったんだよ……」

「いや、現金を要求するとか、チンピラの前に突き出されるとか」

 そんなリスクを考えていながら願いを叶えるとか言ってきたのか。

 美幸は、悠介いい人だね、と言いながら俺の願いを承諾した。

「分かりました。やりますとも」

 香月は胸を張って言った。美幸、宿題を本当にやってこなかったらどうしてやろうか。先生に怒られるのは俺だぞ。

「そういえば美幸って家どこなんだよ?」

「私? 私は悠介と真逆の方面だよ」

 何で俺の家の方面知ってるんだよ。

「じゃあ、今日のところはこれで」

「どっか寄って行くとかないの?」

 俺は早くこの場から去りたくて仕方なかった。美幸は俺と合わない。そう思ったからだ。

「俺は誰かとどこかに立ち寄って帰るような人じゃないから、悪いけど」

「彼女、寂しいんですけど」

 美幸は頬を膨らませて言った。

 どうしても譲らない気か。俺は嫌だぞ。極力噂になることや、しなくていいことはお断りしたい。

「一人で行ってくれー。俺は帰ってゆっくりさせてもらうよ」

 そういうと美幸は鞄から携帯を取り出して何かを打ち始めた。

「あの、美幸さん……帰りますよー。じゃあ帰るよ」

 すると美幸は携帯から顔をあげて俺を見た。

「これ、私のツイッター。クラスの人はほとんどフォロワーなんだ。仮だけど付き合ったことあげてもいいんだよ?」

 お、脅してきた。美幸に今逆らうともれなく負の波が俺に押し寄せてくる。

「クラスの人驚くだろうなー」

 そんなこと何があっても、死ぬ前以外許されない。

「ちょっと待って……ください、美幸さん」

 そう言うと美幸はニコッと笑って手にしていた携帯を鞄の中にしまった。

「なーに?」

 ふざけて言って見せる美幸に俺は諦めを見せる。

「どこに行きたいの?」

「どこでもいいんだけど、スイカ食べたい」

 アイスじゃないんだ。

「スイカ? いきなりだね。まあ夏だし、暑いからね」

 機嫌を損ねないように言う。

 たったの三か月だ。

 ニコニコとする美幸の要望を聞くため、俺は自分のささやかな願いをしばらく封じることにした。



「やっぱり夏はスイカだよね」

 スーパーで買った角切りのスイカを公園のベンチで食べながら美幸は言った。俺も買わされるかと思ったがそこは強制してこなかった。

「俺はアイスかな」

「そっちもいい!」

 美幸は、アイスも食べたくなるね、と良いながらスイカをほおばる。公園には小学生が走り回っていた。この頃は校区外で遊んではいけないというルールがある。きっとこの子たちは近所の子なのだろう。はたまた校区外へ出てきた遊び心満載の子供か。

 どちらにせよ高校生にはそんなこと関係ない。

「ねえ、悠介」

「何? アイスでも買いに行くなら一人でどうぞ。俺は待ってるよ」

「違うって。私のこと好き?」

「は?」

 突然の質問は一瞬その場の時間を止めたかと思った。

「だから、私のこと好き?」

「好きではないね」

「ひどいね」

 美幸はケラケラと笑った。

「まあ、あまり話したことなかったからね」

「むしろ、その頃の方が好感度は高かったな」

「え、ひどい」

 今度は本気でショックを受けたようで、俺を睨みつけながら言った。

 それよりも、この暑さの中、なぜ日が当たるベンチで人の願いに付き合わねばならない。俺も随分お人好しだな。

「私にも聞いてよ」

「何を?」

「同じ質問だよ」

 美幸の食べたスイカが入っていたカップには種が入っていなかった。

 実を食べるときに種も飲み込んでしまうタイプの人か。

「体の中でスイカでも育てる気?」

「へ、何の話? いやそんな質問じゃなくてさ」

「私のこと好き? だったね」

「悠介は一人称、俺、じゃん」

 言われたとおり同じ質問を返したのに文句を言われてしまった。

 美幸的にもそこはどうでもよかったようで流してくれた。

「好きだよ?」

 美幸は返答した。

「どうも」

 美幸は満足げに俺の肩を叩いた。俺は美幸に大人しく叩かれる。

「私さ、異性とこうして話したの小学生ぶりだな。久しぶり」

「俺は」

 初めてだ、と言おうとして言葉が止まった。

「悠介もさすがにあるでしょ?」

「その言い方はいなかった時、失礼だからね。まあ、あるけど」

 確かに昔、一度だけ話したことある。けどその人がどこの誰なのか分からない。記憶にあるといっても小学生の頃の話だ。話の内容もあまり記憶にない。けれど、確かに覚えているのは彼女が引っ越してしまう話をして泣いていたことだ。

「どんな子だったの?」

「髪が短くて、大人しかったかな」

「ふーん」

 美幸のような子ではないのは確かだ。その子と美幸は正反対の性格だな。今頃どうしているのだろう。

「何か機嫌悪い?」

 いきなり話さなくなった美幸の方を見た。

「何でもないよ。帰りますか」

「そうだね。帰ろう」

 沈黙に耐え切れなくなった俺たちは立ち上がった。

 帰る前に鞄から忘れていた数学のプリントを鞄から出して、美幸に渡した。

「ちゃんとやってきてね」

「もちろん。私がやってこなかったら悠介がやってこなかったことになるもんね」

「そうだよ。じゃあ、よろしく」

「任せて!」

 俺は美幸に背中を向けて歩き出した。

「また明日ねー」

 背中に投げかけられた言葉に俺は振り向いたが、叫ぶような声も出ず独り言のように、また明日、といった言葉が自分の頭の中でこだました。





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