第1話

 この世界からは「死」というものがなくなった。

 死がなくなったと言っても物事の全てに終わりがなくなったという訳ではない。「人間の死」というものが無くなったのだ。


 今から200年程前、どこかの国の偉い人が細胞の限界をなくすための機械を開発した。

 当時ボクはまだ10歳だったから、その仕組みだとか有用性だとか難しいことはよくわからなかったし今でもよくわからない。

 けれどとにかく、お父さんとお母さんからはそう聞かされたのだ。


 細胞の限界をなくすための機械は「生命維持装置」と呼ばれた。

 最初は生命維持装置を使うことをためらう人が多かったけど、死刑囚の悪い人達で実験して安全に使えることがわかってからは、沢山の人達が生命維持装置を使い始めた。

 それでまずは「寿命」がなくなった。


 でも人間が死んでしまう原因は「寿命」だけではない。

 包丁や自動車なんかの人が死ぬような危ないものが全部禁止になって、人や物が沢山減った。

 それで「他殺」がなくなった。


 町には崖や川、剥き出しの大きな機械を置くことを禁止した。

 それで「事故死」はなくなった。


 その後も偉い人達のお陰で「病死」してしまう様な病気は全部治るようになって、世界はこの町だけになって、何もかもが安全になった。



 それなのにたった今、偉い人達は死んだ。

 皆の目の前で、どういう訳だか「自殺」してしまった。



「お、おおおお前確か研究所勤務だったよな!?何かわかんないのかよ!?」


「知らないわよ!わかってたら今日こんなところに来てないで所長のこと問いただしてるに決まってるでしょ!!?」


「今更死ぬなんて、そんなのありえない!!俺は信じない、絶対信じないからな!!」


「ママ?ママなんで泣いてるの?」


「外のやつらの陰謀に決まってる!!そうじゃないとこんなのおかしいだろ!!!」


「じゃあなんでサイレンが鳴ってないんだ!!!!」



 広場は相変わらず騒然としていた。

 皆がみんな好き勝手に喚いて、駄々をこねて、怒って、泣いている。

 このままここに黙って突っ立っていても、事態はすぐに好転したりしないだろう。

 だからボクは、この状況を打開するために一番スマートで効率のいい方法をとることにした。


 家に帰って、寝る。

 

 だってボクは子供だから、こんな難しい問題に関与する必要なんてあるはずがない。

 いつだって難しいことに立ち向かうのは大人たちの役目で、ボクみたいな子供が出る幕なんてない。

 邪魔にならないようにボクは家で寝ていよう。そして朝起きたら大人達が問題を解決して静かになった町の中で、大人たちに感謝しながらまたいつもと変わらない日常を楽しく生きよう。

 それが子供の役目だ。

 それがボクの望んだ生き方だ。



 家の中に入ると、両親も外の大人達のように泣いていた。

 少しうるさいけど全く眠れない程の騒音ではない。

 

 布団に入ってまどろんでいると、懐かしい夢を見た。

 隣に住んでいた美鈴ちゃん。幼馴染の美鈴ちゃん。200年前に家族で引っ越していった美鈴ちゃん。

 あの子がもし今この町にいたら、泣いていたのかな。

 ボクはなにか別の行動を起こしていたのかな。

 今ボクは、大人になっていたのかな。


 もう殆ど顔も忘れてしまったような彼女の事を思いながら、ボクは喧噪の中で眠った。



 そして朝起きると、騒がしかった町が本当に静かになっていた。

 静かになりすぎていて、あれは夢だったのではないかと思えてしまう程だった。


 ぼーっとしながら考えていると、お腹が「グゥゥゥ」と勢いよく鳴った。

 そういえば寝る前に朝ごはんを食べたきりだから、寝ていただけでもお腹が減るのは当然だ。



「お母さん!お腹すいた~」



 いつものように無邪気な子供っぽくお母さんを呼び、階段を降りていく。

 しかし、返事はない。

 もしかしたら昨日大人達は何かの対策に追われて夜が遅かったのかもしれない。


 そう思いながらリビングを見渡すと、お父さんとお母さんの姿があった。

 2人は仲睦まじくソファに腰かけていた。



「お父さん、お母さん、寝ちゃってるの?何でこんなところで・・・・・・」



 ボクはそう話しかけながらお母さんの肩をゆすった。

 すると、お母さんはソファからドサッと崩れ落ちてしまった。



「お母さん!?」



 信じられない程簡単にそれは落ちていったが、大きな音がリビングに響いた。どうやら頭を打ったようなので出血の有無を確認しようと近づいた。

 すると、床には血だまりがあった。あまりにも普段と違いすぎて、すぐには気付かなかったのだ。

 しかもそれは、たった今できた物なんかじゃない。大量の血が乾いて床にこびりついている。


 すぐにお父さんに助けを求めようとしたが、無駄だった。

 このお父さんはもう動かない。だってお腹が真っ赤に染まっていて、服も、その奥も、ずたずたに破かれていたから。


 ボクはその場でえずき、吐いた。

 吐く物なんか何もないはずなのにとにかく吐いた。



 ようやく吐き気が収まると、ボクは外に飛び出した。

 家の外なら誰か助けてくれる人がいるかもしれない。優しく「もう大丈夫だよ」と声をかけてくれる大人がいるかもしれない。

 けど、そんなはずなかった。

 だって外は、


 広場に続く道では、沢山の人達がお父さんとお母さんと同じような姿になっていた。

 倒れて、赤くて、動かなかった。

 たまに赤くなっていない大人もいたけど、小さくなって泣いているか、ぼーっと空を見上げて動かなくなっているだけだった。


 あぁ、皆死んでしまったんだ。

 ボクも死んでしまうしかないんだ。


 そう思った瞬間、ガラスの割れる音と大きな機械の動く音が聞こえてきた。

 


「・・・・・・広場の方だ」



 町の外は毒ガスに覆われていて、この町は特殊な壁で守っているんだって先生が言っていた。

 もしかしたら誰かがその壁を壊したのかもしれない。

 ボクは急いで広場の方に向かった。死ぬにしてもお父さんやお母さんのようにお腹を裂いてしまうよりも、毒ガスを吸った方がマシだと思ったからだ。

 そう考えたのボクだけではなかったようで広場には既に10人以上の人が集まっていた。殆どがボクのような子供だったけど、大人も少し混じっていた。


 でもそこで、ボクは死ぬことができなかった。

 確かに壁に穴は開いていたけれど、そこには風の通り道ができただけで毒ガスの匂いや息苦しさなんてものは微塵も感じられなかった。

 けれどその代わりに異様なものが入り込んでいた。


 もう絵本の中でしか見たことが無いような大きな車。鉄砲や何か大掛かりな機械を持った、お面のようなものを付けている人達。

 町の中に入ってきた3人の内の1人が機械を操作すると、訝しむような声で呟いた。



「どの数値も特に異常は無いな・・・・・・」


「だから言っただろ?南地区の伝承はおかしいんだって」


「けれどもしこれで探知できないような異常があったら」


「あーもう、まどろっこしいわね。私は外すわよ」


「おい、早まるなよ!」


「だってこいつらはヘルメットも何もつけてないのよ?何もしなくても大丈夫ってことじゃない」



 1人がボク達に銃口を向けながらそう言った。声を聞く限り、どうやらこの人は女性のようだ。

 目の前に銃をかざされた人は「ヒッ」と声をあげたが、3人は構わず話を続けている。



「それは環境に適応したってことかもしれないだろ!」


「それを外す許可はまだ出ていないのだから」



 2人から止められていたが、女の人はお面のようなものを外した。

 そしてその姿を見て、ボクはハッと息をのんだ。



「ほら、深呼吸したって何も問題ないわよ」


「バカ!何かあったらどうするつもりだったんだよ!!」


「何もないって言ってるでしょ!大体たった数百年で人間がそんなに変わるはずもないでしょ?」



 彼女の眼は大きかった。彼女の髪は少しクセっ毛で、猫みたいでかわいらしかった。



「ちょっとでも早く、大おばあ様の生まれ育った町をこの目で見たかったのよ」



 そして遮蔽物無しで聞く彼女の声は、あの子に似ていた。



「美鈴」



 その名前を呼ぶと、3人の視線が・・・・・・もとい、広場に居た全員の視線が刺さった。

 何もなくなったこの町に、ボクの幼馴染が戻って来てくれた。

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